「天津風 (磯風型駆逐艦)」の版間の差分
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|機関||主機:ブラウン・カーチス式直結[[蒸気タービン|タービン]](高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基)1組<br />出力:27,000[[馬力]]<br />ボイラー:[[ロ号艦本式缶]] 重油専焼3基、同混焼2基 |
2021年9月18日 (土) 07:23時点における版
艦歴 | |
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計画 | 1915年度[1] |
起工 | 1916年4月1日[1] |
進水 | 1916年10月30日[1] |
就役 | 1917年4月14日[1] |
除籍 | 1935年4月1日[1] |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:公表値 1,105トン 常備:1,227トン |
全長 | 全長:326 ft 6 in (99.52 m) 水線長:317 ft 0 in (96.62 m)[注釈 1] 垂線間長:310 ft 0 in (94.49 m) |
全幅 | 28 ft 0 in (8.53 m) または 8.52m |
吃水 | 9 ft 3+1⁄2 in (2.83 m) |
深さ | 18 ft 5 in (5.61 m) |
推進 | 3軸 x 750rpm 直径6 ft 6 in (1.98 m)、ピッチ6 ft 0 in (1.83 m)(新造時)[2] |
機関 | 主機:ブラウン・カーチス式直結タービン(高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基)1組 出力:27,000馬力 ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼3基、同混焼2基 |
速力 | 34.0ノット |
燃料 | 重油297トン、石炭147トン または 重油220トン、石炭220トン |
航続距離 | 2,800カイリ / 14ノット または 3,360カイリ / 14ノット |
乗員 | 竣工時定員 145名[3] |
兵装 | 40口径安式12cm単装砲 4門 三年式機砲 2挺 四四式18インチ(45cm)連装発射管 3基6門 魚雷12本 |
搭載艇 | 4隻 |
備考 | ※トンは英トン |
天津風(あまつかぜ)は、日本海軍の駆逐艦[4][5]。日本海軍の正式な類別は一等駆逐艦天津風型1番艦[6]。磯風型駆逐艦3番艦とされることもある[7]。同名艦に陽炎型駆逐艦の「天津風」があるため、こちらは「天津風 (初代)」や「天津風I」などと表記される。
艦歴
1915年(大正4年)7月10日、「天津風」と命名[8]。呉海軍工廠で1916年(大正5年)4月5日起工(磯風と同日)、同年10月5日進水(磯風と同日)[9]、1917年(大正6年)4月14日竣工[10][11]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 巨勢泰八 少佐:1916年10月27日 - 1917年1月20日
- (兼)巨勢泰八 少佐:1917年1月20日 - 4月14日
- 駆逐艦長
- 巨勢泰八 少佐:1917年1月20日 - 1918年12月1日
- 小栗信一 少佐:1918年12月1日 - 1919年4月1日[14]
- (心得)小栗信一 少佐:1919年4月1日[14] - 1919年12月1日
- 古川良一 中佐:1919年12月1日[15] - 1920年9月6日[16]
- (心得)若山昇 少佐:1920年9月6日[16] - 12月1日[17]
- 若山昇 中佐:1920年12月1日[17] - 1921年12月1日[18]
- (心得)公家種次 少佐:1921年12月1日[18] -
- (心得)日高(渡部)釗 少佐:1922年12月1日 - 1923年7月20日
- (心得)西尾三郎 少佐:1923年7月20日[19] - 1924年12月1日[20]
- 松田鹿三 中佐:1924年12月1日[20] - 1925年9月18日[21]
- (兼)丸山良雄 少佐:1925年9月18日[21] - 1925年12月1日[22]
- 角田貞雄 少佐:1925年12月1日[22] - 1926年12月1日[23]
- 福原一郎 少佐:1926年12月1日[23] - 1927年12月15日[24]
- 神山徳平 少佐:1928年1月25日[25] - 1930年8月1日[26]
- 金桝義夫 少佐:1930年8月1日 - 1932年1月11日
- 大山豊次郎 少佐:1932年1月11日[27] -
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 『日本海軍史』第7巻、297-298頁。
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.567-568、大正5年10月12日内令223、「天津風、磯風」の定員制定。將校、機關將校8人、特務士官、准士官3人、下士37人、卒97人。同書p.568、大正6年1月20日内令5で「、濱風」追加、同日内令9で「、時津風」追加。
- ^ #達大正4年7月p.44『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス 大正四年七月十日 海軍大臣 八代六郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦二隻{天津風アマツカゼ 時津風トキツカゼ|神戸川崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 磯風イソカゼ|長崎三菱造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 濱風ハマカゼ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{桃モモ 柳ヤナギ|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{樫カシ 檜ヒノキ』
- ^ #達大正4年7月p.15『達第百十三號 本年達第九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ建造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム 大正四年八月二十五日 海軍大臣 加藤友三郎』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』
- ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{
天津風 時津風 |神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻磯風 |長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦濱風 |佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{桃 柳 |舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{樫 檜 』 - ^ #磯風浜風天津風時津風(1)p.43『天津風磯風勝力本日無事進水セリ 十月五日 呉鎮守府司令長官』
- ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『天津風(艦要目略)|呉工廠|大正5-4-5|大正5-10-5|大正6-4-14|(武装略)』
- ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』
- ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3
- ^ a b 『官報』第1997号、大正8年4月2日。
- ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2430号、大正9年9月7日。
- ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ 『官報』第3293号、大正12年7月21日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3923号、大正14年9月19日。
- ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第291号、昭和2年12月16日。
- ^ 『官報』第321号、昭和3年1月26日。
- ^ 『官報』第1078号、昭和5年8月2日。
- ^ 『官報』第1507号、昭和7年1月12日。
参考文献
- 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
- 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正4年達 完/達大正4年7月』。ref.C12070069400。
- 『磯風、浜風、天津風、時津風(1)』。ref.C08020923000。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(1)』。Ref.C14010005900。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』、海人社、2012年12月。
- 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 福田啓二/編 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。