「スティーブ・スパークス (1965年生の投手)」の版間の差分
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[[デトロイト・タイガース]]へ移籍後の{{by|2001年}}には自己最多の14勝、さらに[[アメリカンリーグ]]最多の8完封を記録した。 |
2021年9月12日 (日) 00:07時点における版
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オクラホマ州タルサ |
生年月日 | 1965年7月2日(59歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 MLBドラフト5巡目 |
初出場 | 1995年4月28日 |
最終出場 | 2004年9月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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スティーブン・ウィリアム・スパークス(Steven William Sparks, 1965年7月2日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
1987年のMLBドラフト5巡目(全体123位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、プロ入り。以後8年間もの長いマイナー暮らしを送るが、その間の1991年にナックルボールを習得している。
1995年4月28日にメジャーデビュー[1]。この年は先発ローテーションに定着して202イニングを投げ、9勝を挙げた。1997年にはトミー・ジョン手術を受けたため、全休した[2]。
1998年はアナハイム・エンゼルスで2年ぶりにメジャー復帰し、9勝を挙げた。
デトロイト・タイガースへ移籍後の2001年には自己最多の14勝、さらにアメリカンリーグ最多の8完封を記録した。
アリゾナ・ダイヤモンドバックスに在籍の2004年がメジャーでの最後のプレーとなり、2005年を最後に引退した。
引退後はヒューストン・アストロズ戦のラジオ解説者を務めている。
投球スタイル
投球の7〜8割がナックルボールという典型的なナックルボーラーであり[3]、異なるスピードのナックルボールを投げ分ける器用さを持っていた。投げ終わった後も全く体勢が崩れないため、守備も良かった[4]。
人物
ブルワーズでメジャーデビュー前年の1994年、奇妙な形で負傷(左肩脱臼)してしまったことがある。
スプリングトレーニングで球団がさまざまな芸を披露する一団を招いたが、彼らが見せた芸の一つに分厚い電話帳を真っ二つに引き裂くというものがあった。翌日、雨で練習が暇になったこともあり、スパークスを含む3人が挑戦した。簡単に破けると思ったそうだが、全然破けなかった。すぐ諦めた2人と違い、挑戦を続けたスパークスは何と左肩を脱臼。メジャー昇格は1年先延ばしになってしまった[5]。
詳細情報
背番号
- 50(1995年 - 1996年)
- 23(1998年 - 1999年、2004年)
- 37(2000年 - 2003年)
脚注
- ^ “Oakland Athletics at Milwaukee Brewers Box Score, April 28, 1995” (英語). Baseball-Reference.com. 2020年6月22日閲覧。
- ^ John Weyler (1999年4月3日). “Bright Sparks” (英語). Los Angeles Times. 2020年6月22日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、396頁頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ 「ミルウォーキー・ブリュワーズ」『1996大リーグ全28球団主力選手カラー写真名鑑』 週刊ベースボール1996年6月26日増刊号 ベースボール・マガジン社 126頁
- ^ “歴代最強の「お間抜け故障者」は?悪夢でうなされ傷だらけ、ゲームのやりすぎで炎症……メジャーリーガーの恥ずかしい怪我の数々”. Yahoo! JAPAN (2020年4月21日). 2020年6月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Steve Sparks (@SteveSparks37) - X(旧Twitter)