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* [[大阪近鉄バファローズ]] (2004)
* [[大阪近鉄バファローズ]] (2004)
* [[ワシントン・ナショナルズ]] (2005)
* [[ワシントン・ナショナルズ]] (2005)
* [[ロサンゼルス・エンゼルス (MLB)|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]] (2006 - 2007)
* [[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]] (2006 - 2007)
* [[ブリッジポート・ブルーフィッシュ]] (2009)
* [[ブリッジポート・ブルーフィッシュ]] (2009)
* [[ロングアイランド・ダックス]] (2009)
* [[ロングアイランド・ダックス]] (2009)
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{{by|2005年}}は[[ワシントン・ナショナルズ]]に所属。当初はマイナー契約で、その後メジャー昇格。昇格後も最初は敗戦処理が主だったが、長いイニングの中継ぎでの好投を続けることで次第に信頼を得て[[セットアッパー]]の役を受け、さらに先発投手に怪我人が続出したため、シーズン終盤は先発に転向して活躍した。この年は56試合に登板、5勝4敗・[[防御率]]2.04というキャリアハイの成績を残す。
{{by|2005年}}は[[ワシントン・ナショナルズ]]に所属。当初はマイナー契約で、その後メジャー昇格。昇格後も最初は敗戦処理が主だったが、長いイニングの中継ぎでの好投を続けることで次第に信頼を得て[[セットアッパー]]の役を受け、さらに先発投手に怪我人が続出したため、シーズン終盤は先発に転向して活躍した。この年は56試合に登板、5勝4敗・[[防御率]]2.04というキャリアハイの成績を残す。


同2005年オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)#メジャーリーグベースボール|FA]]となり、[[ロサンゼルス・エンゼルス (MLB)|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]と2年契約を結ぶ。{{by|2007年}}[[7月17日]]に戦力外通告を受け、2日後の19日、古巣のナショナルズとマイナー契約を結ぶ。{{by|2008年}}シーズンは[[ピッツバーグ・パイレーツ]]、[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んだが、メジャー昇格は果たせなかった。{{by|2009年}}以降は{{by|2012年}}まで[[独立リーグ]]や[[メキシカンリーグ]]でプレーした。
同2005年オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)#メジャーリーグベースボール|FA]]となり、[[ロサンゼルス・エンゼルス|ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]と2年契約を結ぶ。{{by|2007年}}[[7月17日]]に戦力外通告を受け、2日後の19日、古巣のナショナルズとマイナー契約を結ぶ。{{by|2008年}}シーズンは[[ピッツバーグ・パイレーツ]]、[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んだが、メジャー昇格は果たせなかった。{{by|2009年}}以降は{{by|2012年}}まで[[独立リーグ]]や[[メキシカンリーグ]]でプレーした。


==詳細情報==
==詳細情報==

2021年9月11日 (土) 23:52時点における版

ヘクター・カラスコ
Hector Carrasco
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1969-10-22) 1969年10月22日(55歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 MLB / 1994年4月4日
NPB / 2004年3月27日
最終出場 MLB / 2007年6月30日
NPB / 2004年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ヘクター・パチェコ・カラスコHector Pacheco "Pipo" Carrasco1969年10月22日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

プロ入りから来日まで

1988年ニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。1994年シンシナティ・レッズでメジャーデビューを果たし、カンザスシティ・ロイヤルズミネソタ・ツインズボストン・レッドソックスボルチモア・オリオールズと渡り歩き、498試合登板という実績を持って、2004年2月12日大阪近鉄バファローズと契約。

近鉄時代

来日当初はキャンプ、オープン戦と着実に結果を残し高い評価を受ける。2002年のオフに大塚晶則が抜けた後、絶対的なクローザーが不在だったチームにとって、クローザーとして、チームの救世主として期待され、開幕戦は最終回に来日初登板を果たし無難の立ち上がりを切った。ところが、開幕4戦目の3月30日対ロッテ戦では最終回1点リードという初のセーブ機会で、ベニー・アグバヤニ里崎智也に本塁打を浴びて逆転負けを喫したのを皮切りに、4月9日西武戦では中島裕之にサヨナラ犠飛、同月11日の同カードでは2点リードの最終回に登板するも、同点に追いつかれて和田一浩にサヨナラ満塁本塁打(取ったアウトは小関竜也の犠飛による1死のみ)、と度重なる炎上を繰り返し、開幕からのチーム低迷の一因となった。その後も4月20日の対ロッテ戦で初芝清にサヨナラ適時二塁打、4月23日の西武戦でも逆転負けを喫する等、4月終了時点で1勝5敗2セーブ、防御率20.00と惨憺たる成績で、打たれるクローザーの代名詞ともなった。

4月28日の対日本ハム戦でフェルナンド・セギノールに決勝3ランを浴びる等6失点を喫すると、翌日に二軍降格となった。だが、一軍復帰後は中継ぎとしてなかなかの投球を見せ、特に7月は20イニングで自責点はわずか1と抜群の安定感を見せた。53試合の登板で76イニングスの投球回からもわかるように、主にロングリリーフとして起用されていたが、続投が裏目に出て逆転を許す事もあった。対西武戦は、4月にかなり打ち込まれた上に、8月7日の試合では4点リードの8回表2死満塁に登板してここは凌ぐも、9回表はアレックス・カブレラホセ・フェルナンデスに2ランを打たれて同点にされ、結局逆転負けを喫する等、11試合の登板で2勝5敗、防御率12.66(自責点15)とかなり相性が悪かった。

なお、2004年6月に始まった近鉄球団合併問題では、チームメイトにメジャーリーグ時代のストライキの経験を生かし、ストライキについてのアドバイスをし、プロ野球選手会所属ではないにも関わらず、球団合併反対の署名活動に他の近鉄選手と共に参加した(この署名活動は選手会が主導してのものだったので、通常は外国人選手は参加していない)。チームの消滅と共に10月26日にわずか1年で退団が発表された。

近鉄退団後

2005年ワシントン・ナショナルズに所属。当初はマイナー契約で、その後メジャー昇格。昇格後も最初は敗戦処理が主だったが、長いイニングの中継ぎでの好投を続けることで次第に信頼を得てセットアッパーの役を受け、さらに先発投手に怪我人が続出したため、シーズン終盤は先発に転向して活躍した。この年は56試合に登板、5勝4敗・防御率2.04というキャリアハイの成績を残す。

同2005年オフにFAとなり、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと2年契約を結ぶ。2007年7月17日に戦力外通告を受け、2日後の19日、古巣のナショナルズとマイナー契約を結ぶ。2008年シーズンはピッツバーグ・パイレーツシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格は果たせなかった。2009年以降は2012年まで独立リーグメキシカンリーグでプレーした。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1994 CIN 45 0 0 0 0 5 6 6 -- .455 237 56.1 42 3 30 1 2 41 3 1 17 14 2.24 1.28
1995 64 0 0 0 0 2 7 5 -- .222 391 87.1 86 1 46 5 2 64 15 0 45 40 4.12 1.51
1996 56 0 0 0 0 4 3 0 -- .571 325 74.1 58 6 45 5 1 59 8 1 37 31 3.75 1.39
1997 38 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 237 51.1 51 3 25 2 4 46 3 2 25 21 3.68 1.48
KC 28 0 0 0 0 1 6 0 -- .143 151 34.2 29 4 16 3 4 30 8 0 21 21 5.45 1.30
'97計 66 0 0 0 0 2 8 0 -- .200 388 86.0 80 7 41 5 8 76 11 2 46 42 4.40 1.41
1998 MIN 63 0 0 0 0 4 2 1 -- .667 287 61.2 75 4 31 1 1 46 8 0 30 30 4.38 1.72
1999 39 0 0 0 0 2 3 1 7 .400 204 49.0 48 3 18 0 1 35 4 0 29 27 4.96 1.35
2000 61 0 0 0 0 4 3 1 7 .571 324 72.0 75 6 33 0 3 57 14 0 38 34 4.25 1.50
BOS 8 1 0 0 0 1 1 0 1 .500 40 6.2 15 2 5 1 1 7 0 1 8 7 9.45 3.00
'00計 69 1 0 0 0 5 4 1 8 .556 364 78.2 90 8 38 1 4 64 14 1 46 41 4.69 1.63
2001 MIN 56 0 0 0 0 4 3 1 1 .571 317 73.2 77 8 30 3 0 70 7 1 40 38 4.64 1.45
2003 BAL 40 0 0 0 0 2 6 1 8 .250 174 38.1 40 5 20 3 2 27 0 0 22 21 4.93 1.57
2004 近鉄 53 0 0 0 0 8 8 5 -- .500 341 76.0 74 12 37 3 5 70 4 1 52 47 5.57 1.46
2005 WSH 64 5 0 0 0 5 4 2 8 .556 358 88.1 59 6 38 7 6 75 6 1 23 20 2.04 1.10
2006 LAA 56 3 0 0 0 7 3 1 1 .700 417 100.1 93 10 27 1 5 72 6 0 42 38 3.41 1.20
2007 29 1 0 0 0 2 1 0 2 .667 187 38.1 44 8 23 1 1 33 3 0 34 28 6.57 1.75
MLB:12年 647 10 0 0 0 44 50 19 *35 .468 3649 832.1 792 69 387 33 33 662 85 7 411 370 4.00 1.42
NPB:1年 53 0 0 0 0 8 8 5 -- .500 341 76.0 74 12 37 3 5 70 4 1 52 47 5.57 1.46
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別守備成績



投手(P)












1994 CIN 45 3 7 1 0 .909
1995 64 4 9 2 1 .867
1996 56 3 12 2 1 .882
1997 38 2 4 1 0 .857
KC 28 2 6 0 0 1.000
'97計 66 4 10 1 0 .933
1998 MIN 63 9 6 0 0 1.000
1999 39 5 0 1 0 .833
2000 61 2 12 0 0 1.000
BOS 8 0 0 1 0 .000
'00計 69 2 12 1 0 .933
2001 MIN 56 0 5 1 0 .833
2003 BAL 40 5 4 0 0 1.000
2004 近鉄 53 6 8 1 0 .933
2005 WSH 64 5 10 0 0 1.000
2006 LAA 56 6 19 2 2 .926
2007 29 4 5 1 2 .900
MLB 647 50 99 12 6 .925
NPB 53 6 8 1 0 .933

記録

NPB

背番号

  • 56(1994年)
  • 58(1994年 - 1997年)
  • 24(1998年)
  • 58(1998年 - 2001年)
  • 29(2003年)
  • 58(2003年)
  • 30(2004年)
  • 48(2005年 - 2007年)

関連項目

外部リンク