「ストルガツキー兄弟」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
76行目: | 76行目: | ||
*[[大江健三郎]]は彼らの作品を愛読している。1989年、大江が「世界作家会議」に出席するため、モスクワに行った際、兄のアルカジイと対談を行い、その模様は、[[NHKスペシャル]]「世界はヒロシマを覚えているか」で放映された。 |
*[[大江健三郎]]は彼らの作品を愛読している。1989年、大江が「世界作家会議」に出席するため、モスクワに行った際、兄のアルカジイと対談を行い、その模様は、[[NHKスペシャル]]「世界はヒロシマを覚えているか」で放映された。 |
||
* [[ニコライ・チェルヌイフ]]が1977年に発見した[[小惑星]]はストルガツキー兄弟に因んで「3054 [[ストルガツキア (小惑星)|ストルガツキア]]」と名付けられた。 |
* [[ニコライ・チェルヌイフ]]が1977年に発見した[[小惑星]]はストルガツキー兄弟に因んで「3054 [[ストルガツキア (小惑星)|ストルガツキア]]」と名付けられた。 |
||
* 映画『[[アバター (映画)|アバター]]』の舞台となっている架空の衛星パンドラの描写は、ストルガツキー兄弟の作品(Noon Universe と呼ばれる[[未来史]])と酷似していると指摘されている。しかし、ボリス・ストルガツキーは盗作で訴えることはしないとしている<ref name="Strygatsky_BVI">http://www.rusf.ru/abs/int0136.htm</ref>。 |
* 映画『[[アバター (2009年の映画)|アバター]]』の舞台となっている架空の衛星パンドラの描写は、ストルガツキー兄弟の作品(Noon Universe と呼ばれる[[未来史]])と酷似していると指摘されている。しかし、ボリス・ストルガツキーは盗作で訴えることはしないとしている<ref name="Strygatsky_BVI">http://www.rusf.ru/abs/int0136.htm</ref>。 |
||
== 脚注・出典 == |
== 脚注・出典 == |
2021年8月18日 (水) 07:28時点における版
ストルガツキー兄弟(Бра́тья Струга́цкие)は、ソビエト時代のロシアのSF作家兄弟。兄アルカジイ(アーカディ)(1925年8月28日 - 1991年10月12日)と、弟ボリス(1933年4月14日 - 2012年11月19日)の兄弟で共作。
概要
ロシアでは「アルカジイ&ボリス・ストルガツキー」の頭文字 "ABS" から "Абээ́сы"(アベエスィ、アビーシイ)とも呼ばれる。ロシアで最も有名なSF作家であり、ファンも多い。初期の作品にはイワン・エフレーモフの影響が見られる。最も有名な作品 Пикник на обочине は英訳版が Roadside Picnic の題名で1977年に出版され、『ストーカー』と題してアンドレイ・タルコフスキーが映画化した。
全体主義社会の元で育った彼らの作品には、反体制的な風刺に満ちあふれた作品が多く、ロシア国内で発禁処分となった作品も少なくない。ペレストロイカ後も情熱的な活動を続けた。
作品は日本語以外にも、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語に翻訳されているが、ロシア本国ほどの大きな反響はない。しかし、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ドイツなどでは今もよく読まれている。
1987年、イングランドのブライトンで開催されたワールドコンに兄弟で招待されている。
アルカジイ
兄アルカジイは1925年、バトゥミで生まれた。父は芸術評論家、母は教師だった。一家は後にレニングラードに引っ越している。レニングラード包囲戦のさなか、アルカジイと父は包囲された街から脱出したが、父はヴォログダに到着する前に亡くなり、アルカジイだけが生き残った。後にソ連軍に徴兵され、アクトベの砲術学校で訓練を受け、さらにモスクワの外国語研究所で学び、1949年には英語と日本語の通訳となった。その後、軍で教師兼通訳として1955年まで勤務。そのため日本語に精通し、日本文学研究者になった。彼のデビュー作は第五福竜丸事件を題材にした『ビキニの涙』である。また、アルカジイは安部公房の「第四間氷期」のロシア語訳を行なっている。
1955年から編集者および作家として働き始めた。1958年、弟ボリスと共作するようになり、その関係は1991年にアルカジイが死去するまで続いた[1]。
ボリス
弟ボリスは1933年に生まれた。レニングラード包囲戦の際には母と共にレニングラードに残った。1950年に高校を卒業し、レニングラード国立大学の物理学科を志望したが、ユダヤ人の学生数が学科ごとに制限されていたため、天文学科に進学。1955年に大学を卒業すると天文学者兼コンピュータ技術者として1966年まで働き、その後専業作家になった[2]。サンクトペテルブルク在住[3]。
2012年11月19日、心臓病のために死去[4]。79歳没。
作品リスト
群像社出版
- 『みにくい白鳥』中沢敦夫訳(1989年) Время дождя(1967)
- 『願望機』深見弾訳(1989年)МАШИНА ЖЕЛАНИЙ/ (「ストーカー」初期シナリオ。併録「スプーン五杯の霊薬」)
- 『月曜日は土曜日に始まる 若い科学者のための物語』深見弾訳(1989年) Понедельник начинается в субботу(1965)
- 『世界終末十億年前 異常な状況で発見された手記』深見弾訳(1989年) За миллиард лет до конца света(1977)
- 『トロイカ物語』深見弾訳(1990年) Сказка о Тройке(1968)
- 『そろそろ登れカタツムリ』深見弾訳(1991年) Улитка на склоне(1965)
- 『モスクワ妄想倶楽部』中沢敦夫訳(1993年) Хромая судьба(1986)
- 『地獄から来た青年』深見弾訳(1994年) Парень из преисподней(1974)
- 『滅びの都』佐藤祥子訳(1997年) Град обреченный(1975)
早川書房出版
- 『神様はつらい』Трудно быть богом(1964)太田多耕訳 『世界SF全集 第24巻 (ゴール.グロモワ.ストルガツキー兄弟)』1970
- 『幽霊殺人』Отель «У Погибшего Альпиниста»(1970) 深見弾訳、1974
- 『収容所惑星』[5] Обитаемый остров(1969) 深見弾訳、1974 のち文庫
- 『ストーカー』Пикник на обочине (路傍のピクニック[6])(1972) 深見弾訳、ハヤカワ文庫、1983
- 『蟻塚の中のかぶと虫』Жук в муравейнике(1980) 深見弾訳、1982 のち文庫
- 『波が風を消す』深見弾訳 ハヤカワ文庫(1990年) Волны гасят ветер(1986)
(※出版されている作品の一部)
映像化作品
ストルガツキー兄弟の作品はいくつも映画化・舞台化・漫画化・ゲーム化されている。アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』のように原作から大分かけ離れたものもあり、原作とは別にストルガツキー兄弟が脚本を新たに書いたものもある。
邦題 | 原題 | 製作年 | 製作国 | 監督 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
ストーカー | Сталкер | 1979年 | ソ連 | アンドレイ・タルコフスキー | 原作『ストーカー』 |
— | "Hukkunud Alpinisti" hotell | 1979年 | エストニア | Grigori Kromanov | 原作『幽霊殺人』 |
— | Чародеи | 1982年 | ソ連 | Konstantin Bromberg | 原作『月曜日は土曜日に始まる』 |
死者からの手紙 | Письма мёртвого человека | 1986年 | ソ連 | コンスタンチン・ロプチャンスキー | ボリスのみ脚本に参加 |
日陽はしづかに発酵し… | Дни затмения | 1988年 | ソ連 | アレクサンドル・ソクーロフ | 原作『世界終末十億年前』 |
惑星アルカナル 〜宇宙からの使者〜 | Трудно быть богом | 1989年 | ソ連=西ドイツ | ペーター・フライシュマン | 原作『神様はつらい』 |
— | Nesmluvená setkání | 1995年 | チェコ | Irena Pavlásková | テレビ映画 原作 Малыш |
— | Гадкие лебеди | 2006年 | ロシア | コンスタンチン・ロプチャンスキー | 原作『みにくい白鳥』 |
プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星 | Обитаемый остров | 2008年/2009年 | ロシア | フョードル・ボンダルチュク | 原作『収容所惑星』 |
神々のたそがれ | Трудно быть богом | 2013年 | ロシア | アレクセイ・ゲルマン | 原作『神様はつらい』 |
エピソード
- 大江健三郎は彼らの作品を愛読している。1989年、大江が「世界作家会議」に出席するため、モスクワに行った際、兄のアルカジイと対談を行い、その模様は、NHKスペシャル「世界はヒロシマを覚えているか」で放映された。
- ニコライ・チェルヌイフが1977年に発見した小惑星はストルガツキー兄弟に因んで「3054 ストルガツキア」と名付けられた。
- 映画『アバター』の舞台となっている架空の衛星パンドラの描写は、ストルガツキー兄弟の作品(Noon Universe と呼ばれる未来史)と酷似していると指摘されている。しかし、ボリス・ストルガツキーは盗作で訴えることはしないとしている[7]。
脚注・出典
- ^ http://www.rusf.ru/abs/english/ Arkady Strugatsky bio
- ^ http://www.swarthmore.edu/Humanities/sforres1/syllabi/R+EE_SF/StrugatskysQ.html info from Swarthmore.edu on Strugatskys
- ^ http://russia-ic.com/people/general/s/104/
- ^ Умер Борис Стругацкий Lenta.ru 2012年11月20日閲覧
- ^ 不況の今、ソ連文化の良さに注目が集まる - 映画「収容所惑星 1」「収容所惑星 2」についての記述がある記事(JBpress)
- ^ 訳者あとがきで示された原題の訳で、映画でなく原作小説を指す場合に「路傍のピクニック」と表記される
- ^ http://www.rusf.ru/abs/int0136.htm