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「ヘンリー・G・サパースタイン」の版間の差分

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[[ニック・アダムス]]や[[ラス・タンブリン]]を東宝との提携作品に出演させたのは作品をテレビ局に売るためであり、劇場では集客効果は無くともテレビ向けにある程度知名度のある俳優が必要としている<ref name="anime"/>。
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1993年にゴジラ関係の権利の内、映画作品の権利をシミタールに、玩具関係の権利をトレンドマスターに売却<ref name="anime"/>。サパースタインはアメリカの映画会社にゴジラ映画の製作を持ちかけており、それを受けた[[トライスターピクチャーズ]]が『[[GODZILLA]]』を製作することになるが、それにより[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]が東宝とゴジラシリーズの版権管理の契約を結び、自身はゴジラの権利を手放すことになった<ref name="anime"/>。
1993年にゴジラ関係の権利の内、映画作品の権利をシミタールに、玩具関係の権利をトレンドマスターに売却<ref name="anime"/>。サパースタインはアメリカの映画会社にゴジラ映画の製作を持ちかけており、それを受けた[[トライスター ピクチャーズ]]が『[[GODZILLA]]』を製作することになるが、それにより[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]が東宝とゴジラシリーズの版権管理の契約を結び、自身はゴジラの権利を手放すことになった<ref name="anime"/>。


1998年6月24日にガンの為、ビバリーヒルズで死去<ref name="Obituary"/>。遺作は同年冬に公開された映画『[[近眼のマグー|Mr.マグー]]』<ref name="anime"/>。
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2021年8月18日 (水) 00:49時点における版

ヘンリー・G・サパースタイン
Henry G. Saperstein
別名義 ヘンリー・サパースタイン
(Henry Saperstein)[1]
生年月日 (1918-06-02) 1918年6月2日
没年月日 (1998-06-24) 1998年6月24日(80歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ[1][2][3]
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ[1][2]
職業 プロデューサー[1][2]
ジャンル 映画[2]・テレビ[1]
活動期間 不明 - 1998年[3]
配偶者 あり[1][2]
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ヘンリー・G・サパースタイン[4]Henry G. Saperstein1918年6月2日[2][3] - 1998年6月24日[2])は、アメリカ合衆国プロデューサー[2]映画配給業者[2]イリノイ州シカゴ出身[3][2][1]シカゴ大学[2]

アメリカにおける版権ビジネスの先駆者とされる[3]。複数の映像関連会社を経営しており、ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ、テレビ・パーソナリティーズ、ベネディクト・ピクチャーズ(ベネディクト・プロ)、グレン・フィルム、スクリーン・エンターテイメント、HGサパースタイン&アソシエイツなどがある[1]

人物

父親は映画館チェーンを経営しており、1943年にそれを相続[3]。テレビ放送が開始されると映画の権利を買い集め、それをテレビ局に転売するとで利益を得て、テレビ番組の制作会社テレビ・パーソナリティーズを設立[3]アニメを欲していたテレビ局の要望に答えるため、ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカを買収[3]

1950年代にはトム・パーカーのエルヴィス・プレスリー・エンタープライズと契約して[3]、エージェントとして働き[5]エルヴィス・プレスリーのグッズを販売することで利益を得ている[3]

1955年にカリフォルニア州ハリウッドに移る[2]。テレビの宣伝性と版権ビジネスの可能性を見込んだサパースタインはテレビ・キャラクターの権利を買い集めた[3]

1960年頃にSF映画をテレビ局が欲していることを部下から聞き、SF映画を製作している外国企業として東宝に目をつける[3]ロサンゼルスにあった東宝の日系人向け映画館で『ゴジラ』を鑑賞したサパースタインは、同シリーズの権利取得を計画[3]。日本企業との交渉に備え、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の夜間クラスで日本について学ぶ[3]

その甲斐あって東宝から北米における「ゴジラ」シリーズのテレビ・劇場配給権とマーチャンダイジング権を取得[3]。さらに自身の会社であるベネディクト・プロを東宝と提携させ、『怪獣大戦争』、『フランケンシュタイン対地底怪獣』などの映画を製作する[3]。提携に際してサパースタインは制作費を半分負担する代わりに脚本段階からコンサルティングを東宝に要求[3]。彼は世界で「ゴジラ」シリーズをヒットさせるために核の恐怖のメタファーだったゴジラをヒーロー化させるように提案した[3]。それらの作品群の製作が終わった後も新しいゴジラ映画の企画を東宝に持ちかけているが、ドルの値下がりもあり実現には至ってない[3]

ニック・アダムスラス・タンブリンを東宝との提携作品に出演させたのは作品をテレビ局に売るためであり、劇場では集客効果は無くともテレビ向けにある程度知名度のある俳優が必要としている[3]

1993年にゴジラ関係の権利の内、映画作品の権利をシミタールに、玩具関係の権利をトレンドマスターに売却[3]。サパースタインはアメリカの映画会社にゴジラ映画の製作を持ちかけており、それを受けたトライスター ピクチャーズが『GODZILLA』を製作することになるが、それによりソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが東宝とゴジラシリーズの版権管理の契約を結び、自身はゴジラの権利を手放すことになった[3]

1998年6月24日にガンの為、ビバリーヒルズで死去[2]。遺作は同年冬に公開された映画『Mr.マグー[3]

版権ビジネスをするにあたって彼が心がけていたのは商品を過剰に供給せず、商品数をコントロールすることでキャラクター人気を長期にわたって維持することだったと言う[3]

参加作品

映画

タイトル 公開年 担当 備考
The Big TNT Show 1966 プロデューサー ドキュメンタリー
フランケンシュタイン対地底怪獣
Frankenstein Conquers the World
製作総指揮
Turn On, Tune In, Drop Out 1967 プロデューサー ドキュメンタリー
太平洋の地獄
Hell in the Pacific
1968 製作総指揮
怪獣大戦争
Monster Zero
1970
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 海外版
The War of the Gargantuas
メカゴジラの逆襲
The Terror of Godzilla
1978
血を吸う薔薇
Evil of Dracula
1980 テレビ放送用英語吹替
GODZILLA
Godzilla
1998 コンサルティング
Mr.マグー
Mr. Magoo
製作総指揮

劇場アニメ

タイトル 公開年 担当 備考
Gay Purr-ee 1962 製作総指揮

テレビアニメ

タイトル 放送年 担当 備考
ディック・トレイシー
The Dick Tracy Show
1961 - 1962 製作総指揮
Mister Magoo's Christmas Carol 1962
がんばれマグー
The Famous Adventures of Mr. Magoo
1964 - 1965
Uncle Sam Magoo 1970

脚注

  1. ^ a b c d e f g h Henry Saperstein; Produced and Distributed TV Shows, Movies”. ロサンゼルス・タイムズ (1998年6月26日). 2014年7月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Obituary: Henry G. Saperstein”. インデペンデント (1998年6月29日). 2014年7月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y パトリック・マシアス 著、町山智浩 訳「『ゴジラ対悪魔』を作ろうとした男」『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』太田出版、2006年、60 - 70頁。ISBN 978-4778310028 
  4. ^ ヘンリー・G・サパスタインとの表記もある[3]
  5. ^ Henry G. Saperstein”. Variety (1998年6月28日). 2014年7月28日閲覧。

外部リンク