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『'''私のように美しい娘'''』(わたしのようにうつくしいむすめ、原題: ''Une Belle Fille Comme Moi'')は、[[フランソワ・トリュフォー]]の監督による、[[1972年]]の[[フランス]]の長編[[映画]]である。原作は[[ヘンリー・ファレル]]の小説『[[:en:Such a Gorgeous Kid Like Me|Such a Gorgeous Kid Like Me]]』<ref>トリュフォーは原作を読んですぐに映画化を考えたが[[コロンビア ピクチャーズ]]が既に権利を買っていて20万ドル払うなら譲渡してもいいといわれ、競馬に行くがすってしまった。コロンビアがわが社のために撮ってくれるならというので、引き受ける[[山田宏一]]・[[蓮實重彦]]『トリュフォー 最後のインタビュー』([[平凡社]] [[2014年]]pp.402-411)。</ref>。前作『[[恋のエチュード]]』の陰鬱な雰囲気とはうって変わって、軽快な[[コメディ]]。 |
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== ストーリー== |
== ストーリー== |
2021年8月17日 (火) 23:21時点における最新版
私のように美しい娘 | |
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Une belle fille comme moi | |
監督 | フランソワ・トリュフォー |
脚本 |
フランソワ・トリュフォー ジャン=ルー・ダバディ |
原作 | ヘンリー・ファレル |
製作 | マルセル・ベルベール |
出演者 |
ベルナデット・ラフォン アンドレ・デュソリエ |
音楽 | ジョルジュ・ドルリュー |
撮影 | ピエール=ウィリアム・グレン |
編集 | ヤン・デデ |
配給 | ヘラルド |
公開 |
1972年9月13日 1974年10月15日 |
上映時間 | 98分 |
製作国 | フランス |
言語 | フランス語 |
『私のように美しい娘』(わたしのようにうつくしいむすめ、原題: Une Belle Fille Comme Moi)は、フランソワ・トリュフォーの監督による、1972年のフランスの長編映画である。原作はヘンリー・ファレルの小説『Such a Gorgeous Kid Like Me』[1]。前作『恋のエチュード』の陰鬱な雰囲気とはうって変わって、軽快なコメディ。
ストーリー
[編集]社会学者のスタニスラス・プレヴィンが出版するはずだった書物「犯罪女性」は予告が出ていたにもかかわらず、店頭に並んでいない。
1年ほど前、プレヴィンは女性犯罪者の動機と心理についての論文を書くために女囚刑務所を訪れる。愛人を塔から突き落とした罪で服役中のカミーユ・ブリスに会い、定期的にインタビューを行う。彼女の数奇な半生を聞いていくうちに、自らも彼女の魅力に参ってしまう。彼女の無実の罪という言葉を鵜呑みにして、事件の真相を究明するために現地に飛ぶ。殺人現場を撮影していた少年をみつけ、カミーユの無罪を証明するだけの材料を入手して裁判を迎える。晴れて出所した彼女とプレヴィンが語り合っている所に昔の愛人と称する男アルチュールが現われ、プレヴィンを殴り倒す。それからの出来事を彼は覚えていない。カミーユはアルチュールを拳銃で撃ち殺し、その拳銃を気絶しているプレヴィンの手に握らせる…。
キャスト
[編集]- カミーユ・ブリス:ベルナデット・ラフォン[2]
- スタニスラス・プレヴィン:アンドレ・デュソリエ
- ミュレーヌ:クロード・ブラッスール
- アルチュール:シャルル・デネル
- サム・ゴールデン:ギー・マルシャン
- クロヴィス・ブリス:フィリップ・レオタール
- エレーヌ:アンヌ・クレス
- イゾベル・ブリス:ジルベルト・ジェニア
- フロランス・ゴールデン:ダニエル・ジラール
解説
[編集]- 当初スタニスラス役はトリュフォーが演じるつもりだった。確かに、カミーユを社会に出すために奔走するスタニスラスは『野性の少年』でトリュフォーが演じたイタール博士を思わせる[3]。
- 教会の塔の上からアルチュールが突き落とされるシーンを8ミリ映画で撮る場面があるが、原作にはなく、ハワード・ホークスの『紳士は金髪がお好き』に出てくるませた少年そっくりだとトリュフォーは話している(同上p.411)。この撮影マニアの少年ミシュー・ファレルを、「ガレル」と聞き間違えるシーンがあるが、これは当時評判になった天才8ミリ作家で後の映画監督フィリップ・ガレルへの目配せである。
- クロヴィスと車でパリへ行くシーンで、「パリまで813キロ」と書かれた標識が見える。
脚注
[編集]- ^ トリュフォーは原作を読んですぐに映画化を考えたがコロンビア ピクチャーズが既に権利を買っていて20万ドル払うなら譲渡してもいいといわれ、競馬に行くがすってしまった。コロンビアがわが社のために撮ってくれるならというので、引き受ける山田宏一・蓮實重彦『トリュフォー 最後のインタビュー』(平凡社 2014年pp.402-411)。
- ^ ラフォンとはレ・フィルム・デュ・キャロッス設立第1作の短編『あこがれ』以来の撮影となる。
- ^ トリュフォーは『野性の少年』の女性版と書いたのは少しおおげさすぎたといい、野獣のような、狼のような「男たちを相手に生きなければならない女の戦略を描いてみた」という(『トリュフォー 最後のインタビュー』p.410)。