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[[アメリカ合衆国|アメリカ]]人と日本人との[[ハーフ (混血)|ハーフ]]。10歳のときに[[ハワイ州|ハワイ]]へ渡り、12歳の頃から歌手として活動<ref name="punch"/>。[[ホノルル]]の[[:en:Kailua High School|カイルア・ハイスクール]]を卒業した<ref>[[宮原安春]] 「現代の肖像 サンディー アジア・ポップスの扉をあけた」『[[AERA]]』1994年9月5日号</ref>。[[1974年]]には「サンディ・愛」名義でトニー荒木([[トニーズ]]のリーダーで[[荒木久美子]]の父)が作曲した「ペルシャ猫は恋泥棒」でレコード・デビューした。日本では[[1975年]]から本格的に活動し、「サンディー・アイ」名義で「くちづけは許して」で歌手デビューしたほか、[[NHKラジオ第1放送]]の[[トーク番組]]『[[若いこだま]]』パーソナリティを務めた。当時は23歳で身長163[[センチメートル]](cm)、[[スリーサイズ]]はバスト95 cm、ウエスト58 cm、ヒップ93 cm<ref name="punch">{{Cite journal|和書|title=たわわな果実 サンディー・アイ|date=1975-09-29|publisher=[[マガジンハウス|平凡出版]]|journal=[[平凡パンチ]]|volume=12|issue=43|pages=6}}</ref>。そのスタイルの良さから、ステージやレコード・ジャケットでの肌の露出度も高く、ハイスクールの後輩[[アグネス・ラム]]より早く[[グラビアアイドル]]としても活躍した。[[1976年]]「サンディー」名義の初シングル「グッドバイ・モーニング」で第7回[[世界歌謡祭]]のグランプリと最優秀歌唱賞を受賞。[[1978年]]、映画『[[ナイル殺人事件 (1978年の映画)]]』の主題歌「ミステリー・ナイル(「サンディー・オニール」名義)」がヒットする。 |
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[[1980年]]、[[細野晴臣]]プロデュースの「サンディー」名義の初アルバム『イーティン・プレジャー (Eating Pleasure)』を日本、[[イギリス]]でリリース。 |
[[1980年]]、[[細野晴臣]]プロデュースの「サンディー」名義の初アルバム『イーティン・プレジャー (Eating Pleasure)』を日本、[[イギリス]]でリリース。 |
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2021年8月13日 (金) 21:50時点における版
サンディー(Sandii、1951年12月27日 - )は、日本の女性歌手、フラ指導者。東京都田無市(現:西東京市)出身。本名:鈴木 あや。日本芸術専門学校特別講師。アニメ『ルパン三世』のエンディング曲「ラブ・スコール」の歌手で知られる。
来歴・人物
アメリカ人と日本人とのハーフ。10歳のときにハワイへ渡り、12歳の頃から歌手として活動[1]。ホノルルのカイルア・ハイスクールを卒業した[2]。1974年には「サンディ・愛」名義でトニー荒木(トニーズのリーダーで荒木久美子の父)が作曲した「ペルシャ猫は恋泥棒」でレコード・デビューした。日本では1975年から本格的に活動し、「サンディー・アイ」名義で「くちづけは許して」で歌手デビューしたほか、NHKラジオ第1放送のトーク番組『若いこだま』パーソナリティを務めた。当時は23歳で身長163センチメートル(cm)、スリーサイズはバスト95 cm、ウエスト58 cm、ヒップ93 cm[1]。そのスタイルの良さから、ステージやレコード・ジャケットでの肌の露出度も高く、ハイスクールの後輩アグネス・ラムより早くグラビアアイドルとしても活躍した。1976年「サンディー」名義の初シングル「グッドバイ・モーニング」で第7回世界歌謡祭のグランプリと最優秀歌唱賞を受賞。1978年、映画『ナイル殺人事件 (1978年の映画)』の主題歌「ミステリー・ナイル(「サンディー・オニール」名義)」がヒットする。
1980年、細野晴臣プロデュースの「サンディー」名義の初アルバム『イーティン・プレジャー (Eating Pleasure)』を日本、イギリスでリリース。 また同アルバムから、「ラヴ・シック(cw/ イーティン・プレジャー)」をシングル・カット。
その後、「久保田麻琴と夕焼け楽団」を母体にした「サンディー&ザ・サンセッツ」[3]を結成し、世界各国のツアー活動を開始。オーストラリアでシングル「スティッキー・ミュージック」がヒットする。この頃より、日本よりも海外での評価が高まってゆく。
1990年より再びソロ活動を開始し、アルバム『マーシー』をリリース。元々アジア色の濃い音楽性であったが、久保田とディック・リーとの共同プロデュースにより、このアルバムによってそのスタイルがより強固になってゆく。1994年リリースのアルバム『ドリーム・キャッチャー』は海外でも高く評価され、服部良一音楽祭優秀アルバム賞を受賞している。
90年代中盤頃より、自身のルーツであるハワイ音楽に傾倒。『サンディーズ・ハワイ』などハワイアンを基調としたアルバムをセルフプロデュースで次々とリリースしている。クム・フラ(「フラの教師」の意)でもある。
変名を多用する人物で、先述の「サンディー・アイ」「サンディー・オニール」以外でも「サンドラ・ホーン[4]」名義で『ルパン三世』(第2期)のエンディング曲「ラブ・スコール」を歌っている。それ以外には「久保田あや」など。海外では先述の「サンディ・愛」のほか「サンディー・鈴木」の芸名で活動する事もある。又ゴダイゴなど他のミュージシャンのコーラス、CMソング(ノークレジットである事が多い)などのセッション活動も多い。
ディスコグラフィ
シングル
名義 | 発売日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
サンディ・愛 Sandie I | 1974年 | パイナップルレコード | EP | TRS-5002 | A | ペルシャ猫は恋泥棒 PERUSHA NEKO WA KOI DOROBO | トニー荒木 | 日本デビュー前にハワイで発売 | ||
B | あの人 ANOHITO | |||||||||
サンディー・アイ | 1975年 | 東宝レコード | EP | AT-1118 | A | くちづけは許して | 葵ゆうじ | 葵まさひこ | ||
B | 恋の仲直り | |||||||||
1975年 | EP | AT-1132 | A | 愛のメロディー | りりぃ | 葵まさひこ | ||||
B | 日曜日の午後 | りりぃ&サンディー・アイ | りりぃ | 土田治一 | ||||||
サンディー | 1976年11月25日 | ディスコメイト・レコード | EP | DSF-105 | A | グッドバイ・モーニング Goodbye Morning | 庄野真代 | なかじまかおる | 山室鉱一 | 1992年に近藤房之助が当時Mi-Keの宇徳敬子と宇徳敬子&近藤房之助名義で、『Good-by morning』としてカバー。 |
B | マドモアゼル・ママ Mademoiselle Mama | 大杉弓子 | ||||||||
サンディー・オニール | 1978年 | 東芝EMI
Eastworld |
EP | EWR-20497 | A | ミステリー・ナイル | 映画『ナイル殺人事件 (1978年の映画)』イメージソング | |||
B | ミステリー・ナイル Part2 | |||||||||
1979年 | EP | EWR-20555 | A | ヘイ!キング・コング King Kong | ||||||
B | シェリー Sherry | |||||||||
サンドラ・ホーン | 1978年 | 日本コロムビア | EP | YK-111-AX | A | Lupin III '79 | 大野雄二 | テレビアニメ『ルパン三世』オープニングテーマ | ||
B | ラヴ・スコール Love Squall | テレビアニメ『ルパン三世』エンディングテーマ | ||||||||
サンディー | 1980年 | アルファレコード | EP | ALR-707 | A | ラヴ・シック Love Sick | ||||
B | イーティン・プレジャー Eating Pleasure | |||||||||
サンディー&ザ・サンセッツ | 1984年 | EP | YLR-710 | A | スティッキー・ミュージック STICKY MUSIC | 細野晴臣 | ||||
B | THE MIRRORS OF EYES | |||||||||
1985年5月22日 | 東芝EMI
Eastworld |
EP | WTP-17719 | A | だって夏よっ - Babes in the woods | サンディー
補:Jonah Pashby |
久保田麻琴 | '85 ポーラ・サザン・コールCMソング | ||
B | プライベート・ムーン Private Moon | ピエール・エ・ジルがジャケット撮影担当。他に「ララララ・ラブ」や「パシフィカ」も同じ | ||||||||
1986年 | EP | WTP-17853 | A | バッテリー | 映画「熱海殺人事件」エンディング曲 | |||||
B | バッテリー(英語版) | |||||||||
1988年 | EP | RT07-2114 | A | No No No 悲しき鉄道員 | ショッキング・ブルーのカヴァー | |||||
B | MAKE BELIEVE つくり話し | |||||||||
1989年 | EP | RT07-2388 | A | 涙の太陽 | エピック・メンソールCMソング | |||||
B | Cipher (Maybe Live ver.) | |||||||||
サンディー | 1991年 | 東芝EMI
VIVID |
LP | VS12-9010 | A | SURIRAM (RAGGA BASS MIX) | ||||
SURIRAM (HIPPY BASS MIX) | ||||||||||
SURIRAM (ALBUM MIX) | ||||||||||
B | TE CHERIR A JAMAIS (RADIO MIX) | |||||||||
TE CHERIR A JAMAIS (T.K.O MIX) | ||||||||||
TE CHERIR A JAMAIS (ON THE BEACH MIX) | ||||||||||
1994年 | エピック・ソニー | 8cmCD | 1 | HAI HAI HAI (Single ver.) | ||||||
2 | Every Day(Ragga Mix) | |||||||||
1994年 | 8cmCD | 1 | Dream Catcher | |||||||
2 | Every Day | |||||||||
1994年 | 8cmCD | 1 | Seaside Bound | |||||||
2 | Every Day (Malay ver.) | duet with Aishah | ||||||||
2 | Seringgit Si Dua Kupang | |||||||||
1995年 | 8cmCD | 1 | Life - There Is Nothing Higher Than Your Life | |||||||
2 | Life - There Is Nothing Higher Than Your Life (Inst.) |
アルバム
- くちづけは許して(1975年)(サンディー・アイ名義)
- 2011年08月にオリジナルソング6曲のカラオケをボーナス・トラックで収録し、初CD化。
- ミステリー・ナイル(1978年)(サンディー・オニール名義)
- イーティン・プレジャー(1980年)
- マーシー(1990年)
- コム・アゲイン(1991年)
- 「蘇州夜曲」「花〜すべての人の心に花を〜」のダンスミックスも収録。発売から半年で約2万5000枚を販売した[5]。
- パシフィカ(1992年)
- オリコン最高55位。
- アイルマタ(1993年)
- ドリーム・キャッチャー(1994年)
- WATASHI(1996年)
- サンディーズ・ハワイ(1996年)
- サンディーズ・ハワイ 2nd(1997年)
- サンディーズ・ハワイ 3rd(1998年)
- Sings Pacific Lounge Classics featuring Lune Paolo(1999年)
- ウクレレ・ドリーミング(2003年)
- サンディーズ・レムリアン・ハート(2004年)
- サンディーズ・ハワイ 4th(2007年)
- Sandii’s Tahitian Passions(2007年)
- モアナ・ヌイ~ Sandii’s Tahitian Passions 2(2008年)
- サンディー・ビーチ(2010年)
- サンディーズ・ハワイ 5th(2011年)
- サンディーズ昭和ハワイアン ウクレレ・ドリーミング2(2011年)
- サンディーズ・ハワイ 6th サンディーズ・ハワイ・クリスマス(2013年)
- サンディーズ・ハワイ 7th アイランドスタイル(2013年)
- Te Pua No 'ano' a ~ Sandii's Tahitian Passions 3(2015年)
- Hula Dub(2018年)
- ヒート・スケール
- イミグランツ
- Viva Lava Liva(1984年、YLR-28017)- ベスト盤
- ラ・ラ・ラ・ラブ
- リズム・ケミストリー
- ワン・ラブ
- オリエンテーション(ベスト盤)
サンディー・ウィズ・ザ・ココナツ・カップス
- Sandii with The Coconut Cups(1999年)
- ALOHA GROOVIN'(2000年)
サンディー&ザ・ココナツ・カップス
- Mele O Aloha(2006年)
サンディーブンブン
- Kabira−花ビラ(2009年)
- 飛らら(2010年)
客演
その他
- 川
- フレッシュライフ
脚注
関連項目
- TBS「いのちの響」
- スネークマンショー - アルバム『スネークマン・ショー』に「ジミー・マック」が収録された。
- キリンレモン キャンペーンガールさわやかさん
外部リンク
- オフィシャルサイト
- Sandii & The Sunsetz - ウェイバックマシン(2016年6月22日アーカイブ分)