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しかしながら、ジョージ・ルーカスは後に「このカメラ・システムの開発に多くの費用が費やされすぎた」「SFXチームは自分が望んだ全ショットを完成させなかった」と不満を言い、ルーカスとダイクストラの間には緊張が走った。しかし『スター・ウォーズ』が公開され、ダイクストラは[[アカデミー賞]][[アカデミー視覚効果賞|視覚効果賞]]及び[[アカデミー特別業績賞]](視覚効果)を受賞し、地位を確立した。 |
しかしながら、ジョージ・ルーカスは後に「このカメラ・システムの開発に多くの費用が費やされすぎた」「SFXチームは自分が望んだ全ショットを完成させなかった」と不満を言い、ルーカスとダイクストラの間には緊張が走った。しかし『スター・ウォーズ』が公開され、ダイクストラは[[アカデミー賞]][[アカデミー視覚効果賞|視覚効果賞]]及び[[アカデミー特別業績賞]](視覚効果)を受賞し、地位を確立した。 |
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ダイクストラはその後プロダクションを持ち、テレビドラマシリーズ『[[宇宙空母ギャラクチカ]]』(1978年 - 1979年)の特撮を担当した。同作品を製作した[[ユニバーサル・ピクチャーズ|ユニバーサル映画]]とジョージ・ルーカスが法的紛争に突入したため、ダイクストラは[[20世紀フォックス]]映画『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]]』の製作に誘われなかった。代わりに、ダイクストラは映画版『[[スタートレック (映画)|スタートレック]]』の特撮をトランブルと共同で担当することとなり、82年には『[[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]]』にも参加している。しかし80年代中盤の『[[スペースバンパイア]]』、『[[スペースボール]]』、『[[花嫁はエイリアン]]』などの映画に携わるものの大規模な視覚効果製作には恵まれず、90年代にはアポジー社も解散してしまう。『[[バットマン フォーエヴァー]]』、『[[バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲]]』の視覚効果監修の後『[[スチュアート・リトル]]』がきっかけで[[ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス]]に入り、アカデミー視覚効果賞ノミネートという業績をあげた。ソニーでの次作『[[スパイダーマン (映画)|スパイダーマン]]』、『[[スパイダーマン2]]』の両作品でVFXデザイナーを務め、『スパイダーマン2』において彼の功績が認められ、再びアカデミー賞で[[アカデミー特別業績賞]](視覚効果)を受賞した。 |
ダイクストラはその後プロダクションを持ち、テレビドラマシリーズ『[[宇宙空母ギャラクチカ]]』(1978年 - 1979年)の特撮を担当した。同作品を製作した[[ユニバーサル・ピクチャーズ|ユニバーサル映画]]とジョージ・ルーカスが法的紛争に突入したため、ダイクストラは[[20世紀フォックス]]映画『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]]』の製作に誘われなかった。代わりに、ダイクストラは映画版『[[スタートレック (映画)|スタートレック]]』の特撮をトランブルと共同で担当することとなり、82年には『[[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]]』にも参加している。しかし80年代中盤の『[[スペースバンパイア]]』、『[[スペースボール]]』、『[[花嫁はエイリアン]]』などの映画に携わるものの大規模な視覚効果製作には恵まれず、90年代にはアポジー社も解散してしまう。『[[バットマン フォーエヴァー]]』、『[[バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲]]』の視覚効果監修の後『[[スチュアート・リトル]]』がきっかけで[[ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス]]に入り、アカデミー視覚効果賞ノミネートという業績をあげた。ソニーでの次作『[[スパイダーマン (2002年の映画)|スパイダーマン]]』、『[[スパイダーマン2]]』の両作品でVFXデザイナーを務め、『スパイダーマン2』において彼の功績が認められ、再びアカデミー賞で[[アカデミー特別業績賞]](視覚効果)を受賞した。 |
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== 主なフィルモグラフィ == |
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* [[バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲]] ''Batman Forever '' (1997) |
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* [[スチュアート・リトル]] ''Stuart Little'' (1999) |
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* [[スパイダーマン2]] ''Spider-Man 2'' (2004) |
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* [[ハンコック (映画)|ハンコック]] ''Hancock'' (2008) |
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2021年8月13日 (金) 08:35時点における版
ジョン・ダイクストラ John Dykstra | |||||||||
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本名 | John Charles Dykstra | ||||||||
生年月日 | 1947年6月3日(77歳) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロングビーチ | ||||||||
職業 | 1971年 - 活動中 | ||||||||
著名な家族 | クロエ・ダイクストラ(娘) | ||||||||
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ジョン・チャールズ・ダイクストラ(John Charles Dykstra, 1947年6月3日 - )はアメリカの特撮マン(SFXスーパーバイザー)であり、映画製作におけるCG(コンピュータグラフィックス)の使用を発展させた先駆者である。カリフォルニア州ロングビーチ出身。
来歴
インダストリアルデザインを学んだ後、映画『サイレント・ランニング』の模型製作をダグラス・トランブルとともに行った。映画『スター・ウォーズ』製作に向けて特撮スタッフを探していたジョージ・ルーカスは、ダグラス・トランブルを誘ったが、トランブルはダイクストラをルーカスに紹介した。ダイクストラはILMにおいてDykstraflex(コンピュータによるモーション・コントロールカメラのシステム)の開発の中心的な役割を果たした。これは数々の映画においてSFXの助けとなった。このシステムは、比較的低コストによって実現された。というのも、中古のビスタビジョンのカメラと、既製品のマイクロプロセッサーによって可能だったからである。
しかしながら、ジョージ・ルーカスは後に「このカメラ・システムの開発に多くの費用が費やされすぎた」「SFXチームは自分が望んだ全ショットを完成させなかった」と不満を言い、ルーカスとダイクストラの間には緊張が走った。しかし『スター・ウォーズ』が公開され、ダイクストラはアカデミー賞視覚効果賞及びアカデミー特別業績賞(視覚効果)を受賞し、地位を確立した。
ダイクストラはその後プロダクションを持ち、テレビドラマシリーズ『宇宙空母ギャラクチカ』(1978年 - 1979年)の特撮を担当した。同作品を製作したユニバーサル映画とジョージ・ルーカスが法的紛争に突入したため、ダイクストラは20世紀フォックス映画『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』の製作に誘われなかった。代わりに、ダイクストラは映画版『スタートレック』の特撮をトランブルと共同で担当することとなり、82年には『ファイヤーフォックス』にも参加している。しかし80年代中盤の『スペースバンパイア』、『スペースボール』、『花嫁はエイリアン』などの映画に携わるものの大規模な視覚効果製作には恵まれず、90年代にはアポジー社も解散してしまう。『バットマン フォーエヴァー』、『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』の視覚効果監修の後『スチュアート・リトル』がきっかけでソニー・ピクチャーズ・イメージワークスに入り、アカデミー視覚効果賞ノミネートという業績をあげた。ソニーでの次作『スパイダーマン』、『スパイダーマン2』の両作品でVFXデザイナーを務め、『スパイダーマン2』において彼の功績が認められ、再びアカデミー賞でアカデミー特別業績賞(視覚効果)を受賞した。
主なフィルモグラフィ
映画
- サイレント・ランニング Silent Running (1972)
- スター・ウォーズ Star Wars (1977)
- アバランチエクスプレス Avalanche Express (1979)
- スタートレック Star Trek: The Motion Picture (1979)
- ファイヤーフォックス Firefox (1982)
- スペースバンパイア Lifeforce (1985)
- バットマン フォーエヴァー Batman Forever (1995)
- バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲 Batman Forever (1997)
- スチュアート・リトル Stuart Little (1999)
- スパイダーマン Spider-Man (2002)
- スパイダーマン2 Spider-Man 2 (2004)
- ハンコック Hancock (2008)
- イングロリアス・バスターズ Inglourious Basterds (2009)
- X-MEN: ファースト・ジェネレーション X-Men: First Class (2011)
- ジャンゴ 繋がれざる者 Django Unchained (2012)
- GODZILLA ゴジラ Godzilla (2014)
- セブンス・サン Seventh Son (2014)
- ヘイトフル・エイト The Hateful Eight (2015)
- X-MEN: アポカリプス X-Men: Apocalypse (2016)
CM
- 日産・スカイライン(R32型、1989年)
受賞とノミネート
賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
---|---|---|---|---|
アカデミー賞 | 1977[1] | 視覚効果賞 | スター・ウォーズ | 受賞 |
1979[2] | スタートレック | ノミネート | ||
1999[3] | スチュアート・リトル | ノミネート | ||
2002[4] | スパイダーマン | ノミネート | ||
2004[5] | スパイダーマン2 | 受賞 | ||
英国アカデミー賞 | 2002[6] | 特殊視覚効果賞 | スパイダーマン | ノミネート |
2004[7] | スパイダーマン2 | ノミネート |
参考文献
- ^ “THE 50TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 52ND ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 72ND ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 75TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 77TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “Film 2003”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “Film 2005”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。