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Category:日本の内科医<!--出典は 聖マリアンナ医科大学 キリスト教文化センター 力石辰也編「創設者 ステファノ明石嘉聞先生 (PDF) 」 『マリアンナ・スピリット』、聖マリアンナ医科大学、2012年3月30日、 4頁--> |
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'''明石 嘉聞'''(あかし かもん、[[1897年]][[8月15日]] - [[1973年]][[10月4日]])は、[[日本]]の[[医師]]。[[博士(医学)|医学博士]]。財団法人聖マリアンナ会、財団法人日本明星育英会、[[聖マリアンナ医科大学]]の創立者で理事長を務めた<ref name="cathoricd"/>。医学博士(t東京帝国大学) |
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[[東京府]]に生まれる。府立一中、旧制三高<ref name="cathoricd">[https://kod.kenkyusha.co.jp/demo/catholic/honmon.jsp?id=0101270 明石嘉聞] - 『新カトリック大辞典』[[研究社]]</ref>。生家は[[カトリック]]信者であった<ref name="cathoricd"/>。1928年に[[京都帝国大学]]医学部を卒業、医学博士(東京帝国大学)<ref name="sp">{{Cite journal |和書 |date = 2012-03-30 |title = 創設者 ステファノ明石嘉聞先生 |editor = [https://www.marianna-u.ac.jp/kiribun/facilities/012628.html 聖マリアンナ会医科大学 キリスト教文化センター] 力石辰也 |journal = マリアンナ・スピリット |page = 4 |publisher = 聖マリアンナ会医科大学 |
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|url = https://www.marianna-u.ac.jp/dbps_data/_material_/ikyoku/kiribun/mariannaspirit.pdf |format = PDF |accessdate = 2021-03-19 }}</ref>。1929年に[[滋賀県]][[八幡町 (滋賀県)|八幡町]](現・[[近江八幡市]])で開業医となる<ref name="cathoricd"/>。1941年には[[神奈川県]][[川崎市]]に東横医院を開院する<ref name="cathoricd"/>。 |
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妹の志都香は渡米して[[ニューヨーク]]で修道女となっていたが、[[太平洋戦争]]中の1944年に死去<ref name="cathoricd"/>。戦後届いた遺言に「キリスト教精神に基づく医療・教育・福祉事業」の実現を望む内容が記されていたことから、明石はそれを実行するべく1947年に聖マリアンナ会を設立した<ref name="cathoricd"/><ref name="sp"/>。1971年には聖マリアンナ医科大学も設立している<ref name="cathoricd"/><ref name="sp"/>。 |
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==著作== |
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2021年10月20日 (水) 20:10時点における版
明石 嘉聞(あかし かもん、1897年8月15日 - 1973年10月4日)は、日本の医師。医学博士。財団法人聖マリアンナ会、財団法人日本明星育英会、聖マリアンナ医科大学の創立者で理事長を務めた[1]。医学博士(t東京帝国大学)
来歴
東京府に生まれる。府立一中、旧制三高[1]。生家はカトリック信者であった[1]。1928年に京都帝国大学医学部を卒業、医学博士(東京帝国大学)[2]。1929年に滋賀県八幡町(現・近江八幡市)で開業医となる[1]。1941年には神奈川県川崎市に東横医院を開院する[1]。
妹の志都香は渡米してニューヨークで修道女となっていたが、太平洋戦争中の1944年に死去[1]。戦後届いた遺言に「キリスト教精神に基づく医療・教育・福祉事業」の実現を望む内容が記されていたことから、明石はそれを実行するべく1947年に聖マリアンナ会を設立した[1][2]。1971年には聖マリアンナ医科大学も設立している[1][2]。
著作
- 「示数並びに型式からみた成人胸部の形態学的研究」 『聖マリアンナ研究所業報』No.4、1954年
関連文献
- 『聖マリアンナ医科大学創立十周年記念誌』 聖マリアンナ医科大学、1980年
- 明石田鶴子(編) 『春よとこしなえに』 山本善次郎(私家版)、1980年