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「ポール・ラドミロー」の版間の差分

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}}
}}
{{Portal クラシック音楽}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''ポール・ラドミロー''' ('''Paul Emile Ladmirault''', [[1877年]][[12月8日]] - [[1944年]][[10月30日]]) は、[[フランス]]の[[作曲家]]、[[評論家|批評家]]である{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。[[ブルターニュ地方]]および[[ケルト人|ケルト]]の伝統音楽を用いた作品を遺した{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。
[[File:Paul Ladmirault.jpeg|thumb|ポール・ラドミロー]]
==生涯==
'''ポール・ラドミロー'''(Paul Ladmirault, [[1877年]][[12月4日]] [[ナント]] - [[1944年]][[10月30日]] [[モルビアン県]][[キャモエル]])はフランス近代の[[作曲家]]で、[[ブルトン人民族主義]]者。そのため、[[アイルランド]]や[[スコットランド]]の[[ケルト人|ケルト系]]の[[民族音楽]]を好んで作曲の素材に用いた。
1877年12月8日、[[ナント]]に生まれる{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。幼少期から才能を示し、7歳で[[ピアノ]]、[[ヴァイオリン]]、[[オルガン]]、[[和声]]を習い始めた{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}{{Sfn|Hill|1970|p=340}}。さらに8歳から作曲を始め{{Sfn|Brody|1995|p=227}}、11歳の時には作曲家の{{仮リンク|ルイ=アルベール・ブルゴー=デュクドレー|en|Louis-Albert Bourgault-Ducoudray}}から作品を高く評価された{{Sfn|Krier|2001}}。


1893年5月18日には、初めてのオペラ作品『ジル・ド・レ』がナントで初演された{{Sfn|Brody|1995|p=227}}{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。なお、この公演で主人公を務めたのは、のちに小説家となる{{仮リンク|アルチュール・ベルネード|en|Arthur Bernède}}である{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。また、このオペラの台本は、ラドミローの母が作成した{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。
== 略歴 ==
少年時代から早熟な楽才を発揮し、8歳で[[ヴァイオリン・ソナタ]]を作曲。ナントの[[リセ]]で2年生だった頃には、3幕の[[歌劇]]《[[ジル・ド・レー]]》を作曲し、[[1893年]][[5月18日]]に初演されている。


1892年にナント音楽院に入学したのち、1893年に和声で一等賞を獲得して卒業した{{Sfn|Hill|1970|p=340}}{{Sfn|Baker's Biographical Dictionary of Musicians|2001|p=2009}}。その後、1895年から1904年にかけて[[パリ音楽院]]で学び、和声を{{仮リンク|アントワーヌ・タルドゥー|en|Antoine Taudou}}、作曲を[[ガブリエル・フォーレ]]、[[対位法]]を[[アンドレ・ジェダルジュ]]に師事した{{Sfn|Brody|1995|p=227}}{{Sfn|Krier|2001}}{{#tag:ref|ラドミローがパリ音楽院に入学したのは1897年とする資料もある{{Sfn|Krier|2001}}。|group="註"}}。パリでは[[モーリス・ラヴェル]]、[[モーリス・ドラージュ]]、[[デオダ・ド・セヴラック]]、[[フローラン・シュミット]]、[[エドゥアール・ベネディクトゥス]]らとともに、芸術サークル[[アパッシュ (芸術サークル)|アパッシュ]]の一員として活動した{{Sfn|Pasler|2001a}}。
[[パリ音楽院]]に進み、[[ガブリエル・フォーレ]]の作曲科に在籍しながら、[[和声法]]をトードゥに、[[対位法]]を[[アンドレ・ジェダルジュ]]に師事。フォーレの作品のいくつかに[[オーケストレーション]]を施している。[[モーリス・ラヴェル]]や[[フローラン・シュミット]]、[[ルイ・オーベール]]、[[ロジェ=デュカス]]、[[ナディア・ブーランジェ]]、[[ジョルジュ・エネスコ]]と並んでフォーレの高弟のひとりとなり、これらの同窓生と同じく、卒業前から有名人となったが、この中では誰よりも繊細で穏健な作風を採った。


3度[[ローマ大賞]]に応募するも落選し、ナントに戻った{{Sfn|Brody|1995|p=227}}{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}{{Sfn|McClain|2000|p=}}。ナントでは、『音楽通信』の特派員や『ルエスト・アルティスト』の批評家を務めたほか、国際音楽学会の学会誌に寄稿することもあった{{Sfn|Brody|1995|p=227}}{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。さらには、ブルトン人作曲家連盟の創設に携わった{{Sfn|Mullen|2017}}。また、1920年にはナントの音楽院で和声、対位法、フーガの教授となり、のちに院長を務めた{{Sfn|Brody|1995|p=227}}{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}{{Sfn|Krier|2001}}。
[[1903年]]に3楽章の《ブルターニュ[[組曲]] ''Suite bretonne'' 》に、次いで[[交響詩]]《朝のブロセリアンド ''Brocéliande au matin'' 》に着手。後者は歌劇《 ''Myrdhin'' 》の第2幕への前奏曲に用いられた。ほかに、《[[ケルト人|ゲール]]風[[狂詩曲]] ''Rhapsodie Gaélique'' 》(1番~6番)、連作交響詩《[[ブリエール|ラ・ブリエール]] ''La Brière'' 》や《森にて ''En Forêt'' 》、4楽章の《交響曲》、《[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]の青春時代 ''la Jeunesse de Cervantès'' 》といった管弦楽曲がある。


1944年10月30日、[[サン=ナゼール (ロワール=アトランティック県)|サン=ナゼール]]のケルビリ・アン・カメルにて死去{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。なお、[[モルビアン県]]のケルビリ・アン・カメルにて死去したとする資料もある{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。
また、[[ピアノ]]と[[オーケストラ]]のための《悲しきワルツ''Valse triste'' 》や《 ''Épousailles'' 》のような作品もある。劇場用作品として、ナントで上演された《 ''Myrdhin'' 》、[[1926年]]に初演された[[バレエ]]《月の巫女 ''La Prêtresse de Korydwenn'' 》、ジョゼフ・ベディエの『トリスタン(ケルト人の魂を称えて)''Tristan'' (exaltation de l'âme celte) 』のための[[劇付随音楽]]がある。


==人物==
[[宗教音楽]]の分野では、[[オルガン]]と[[合唱]]のための《小[[ミサ曲]] ''Mass brève'' 》や、声楽とオルガン、オーケストラのための[[モテット]]《[[タントゥム・エルゴ]] ''Tantum ergo'' 》がある。
ラドミローは寡黙な性格であったという{{Sfn|Ritter|2005|p=223}}。


== 作品 ==
[[メロドラマ]]《ロバの思い出 ''Les Mémoires d'un Âne'' 》は、[[2002年]]に[[〈東京の夏〉音楽祭]]において[[有森博]]のピアノ独奏と[[岸田今日子]]の[[ナレーション]]により、日本初演が行われた。ちなみにこの作品には、「[[ロンドンデリーの歌]]」を変形したものが引用されている。
ラドミローの作品の多くに[[ブルターニュ地方]]および[[ケルト人|ケルト]]の伝統音楽が用いられている{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。『[[ニューグローヴ世界音楽大事典]]』は「ラドミローの最もよく知られている面は、地域的特質を備えた作曲家としてである。[[デオダ・ド・セヴラック|セヴラック]]の音楽が[[ラングドック]]地方を反映しているように、故郷ブルターニュの雰囲気をあらわにする」と紹介している{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。その一方で、ポスト[[印象主義音楽|印象主義]]の作曲家のひとりと称されることもあり{{Sfn|Pasler|2001b}}、トーマス・マクレーンは「[[カミーユ・サン=サーンス]]の形式主義と、ガブリエル・フォーレの抒情性、[[クロード・ドビュッシー]]の想像力を一つにしたら、ラドミローの作品になる」と述べている{{Sfn|McClain|2000|p=168}}。実際、ラドミロー本人も、自分の音楽がフォーレと[[モーリス・ラヴェル]]の影響下にあると自覚していたとも言われている{{Sfn|Krier|2001}}。


また、ラドミローの作品は簡素であると指摘される{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}{{Sfn|Demuth|1959|p=88}}。例えばアンドレ・リシュクとステファヌ・ヴォルフは『ラルース世界音楽人名事典』にて、「彼の明晰で簡潔な音楽語法においては旋法様式が用いられている」と述べている{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}。また、ノーマン・デムスも、フランスの作曲家によるピアノ作品を論じた著作において、ラドミローのピアノ作品について「[[フローラン・シュミット]]のような複雑さは見られない」と指摘している{{Sfn|Demuth|1959|p=88}}。なお、デムスはラドミローや[[ガブリエル・グロヴレーズ]]をはじめとするフォーレ門下の作曲家は、[[サロン]]用の "work" ではなく、コンサートホールで演奏されるための "piece" を作曲したとも指摘している{{Sfn|Demuth|1959|p=87}}。
[[1920年]]にはナント音楽院の教授に任命されている。キャモエルのケルビリ(Kerbili)地方に隠居して余生を送った。つつましい生涯に相応しく、人知れぬ最期であった。フローラン・シュミットはかつての友人についてこう述べている。「同世代の音楽家の中でも、おそらく彼が最も才能に恵まれ、最も独創的だった。ただし、最も遠慮がちでもあったが。」


ラドミローが新しい作品に着手したことがニュースとして報じられることもあった{{Sfn|Calvocoressi|1935a|p=29}}。例えば、1931年7月5日の『ニューヨーク・タイムズ』は「ラドミローが交響詩を完成させた」と報じているほか{{Sfn|New York Times|1931|p=84}}、1935年1月号の『ザ・ミュージカル・タイムズ』は「ラドミローがピアノ五重奏曲を作曲し始めた」と報じている{{Sfn|Calvocoressi|1935a|p=29}}。
=== たたかうブルトン人 ===

[[ブルトン人民族主義]]団体「 ''Breiz da Zont'' 」と、([[ポール・ル・フレム]]や[[ジョルジュ・アルヌー]]も加入していた)芸術家集団「 ''Seiz Breur'' 」の会員となり、フランソワ・タルディ=ジャフルヌーからケルトの伝統文化の奥義を伝授された。[[バレエ音楽]]《月の巫女》のような作品は、ケルト的な題材によっており、交響詩《ラ・ブリエール》は、ブリエール地方を舞台とした同名の映画のための[[映画音楽|楽曲]]が原曲である。またラドミローは[[ウェールズ語]]の文書の翻訳にも取り組んでいた。
ラドミローは国民音楽協会の委員であったため、多くの作品は同協会の援助により初演されたが、そのほとんどは出版されなかった{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。また、ラドミローの作品の録音もほとんど残されていない{{Sfn|Lehman|1998|p=150}}。

{| class="wikitable"
|+ラドミローの作品
!作曲年
!作品名
!備考
|-
|1899年 - 1902年
|ミルダン
|オペラ。上演されることはなかった{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1386}}。
|-
|1902年 - 1903年
|ブルターニュ組曲
|自身のオペラ『ミルダン』をもとに作曲された{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1386}}
|-
|1906年
|ブルターニュの古い聖歌
|合唱のための作品{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}
|-
|1908年
|ブロセリアンド・オ・マタン{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}
|
|-
|1909年
|ゲール狂詩曲
|4手のピアノのための作品{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1385}}
|-
|1925年
|コリドヴァンの女司祭
|1925年に[[オペラ座|パリ・オペラ座]]で初演{{Sfn|リシュク、ヴォルフ|1989|p=1386}}
|}

==教育活動==
ラドミローの生徒に[[ピーター・ウォーロック]]がいる{{Sfn|Copley|1979|p=34}}。ウォーロックはラドミローの音楽に心酔しており、自身の作品『カプリオール組曲』を彼に捧げた{{Sfn|Copley|1979|p=236}}。ラドミローもウォーロックを「同時代における最高のイギリス人作曲家の1人」と評しており{{Sfn|Ladmirault|1994|p=59}}、ウォーロックの批評家としての腕前も認めている{{Sfn|Ladmirault|1994|p=60}}。

== 評価 ==

ラドミローは作曲家たちから高く評価された{{Sfn|Fauré and Jones|1989|p=102}}{{Sfn|Brody|1995|p=227}}。例えば師の[[ガブリエル・フォーレ]]は、ラドミローに宛てた手紙で「あなたは私の生徒の中で最も興味深い存在です。とにかく沢山の作品を作ってください。そうすれば私はとても嬉しい気持ちになるでしょう」と記している{{Sfn|Fauré and Jones|1989|p=102}}。また、[[クロード・ドビュッシー]]はラドミローの『森の魂の合唱』という作品について「洗練された詩的色彩感覚に富む作品」と評し{{Sfn|Brody|1995|p=227}}、[[ハワード・ファーガソン]]はラドミローによる4手のピアノ作品を称賛した{{Sfn|
Ferguson|1995|p=22}}。他にも弟子の[[ピーター・ウォーロック]]がラドミローの音楽を称賛している{{Sfn|Copley|1979|p=236}}。

ラドミローは、批評家からも高く評価された{{Sfn|Calvocoressi|1935b|p=522}}{{Sfn|Vuillermoz|1927|p=8}}。例えばロベルト・ベルナルドは『ルヴュ・ミュージカル』紙にて「ラドミローは趣味の良さ、俊敏性、多様なオリジナリティを備えている」と評している{{Sfn|Calvocoressi|1935b|p=522}}。また、バレエ『コリドウェンの女司祭』が発表された際、エミール・ブュイエルモーズは『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙にて、台本を酷評しつつもラドミローの音楽については高く評価し、ラドミローの詩的な才能と独創性を称賛した{{Sfn|Vuillermoz|1927|p=8}}。一方、{{仮リンク|アンリ・プリュニエール|en|Henry Prunières}}は『[[ニューヨーク・タイムズ]]』で本作について「オーケストレーションは分厚く、多様性に欠けている」と批判した{{Sfn|Prunieres|1927|p=X8}}。

作曲家や批評家からは高く評価されたものの{{Sfn|Fauré and Jones|1989|p=102}}{{Sfn|Calvocoressi|1935b|p=522}}、ラドミローの知名度は低い{{Sfn|McClain|2000|p=168}}{{Sfn|Musical Opinion|2015|p=2}}。作品もほとんど出版されておらず{{Sfn|Brody|1995|p=227}}、録音もほとんどない{{Sfn|Lehman|1998|p=150}}。

==脚注==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=註}}
===出典===
{{reflist|2}}

==参考文献==
===英語文献===
*{{Cite journal
|editor1=Nicolas Slonimsky
|editor2=Laura Kuhn
|editor3=Dennis McIntire
|title=Ladmirault, Paul (-Émile)
|work=Baker's Biographical Dictionary of Musicians
|url=https://go-gale-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org/ps/retrieve.do?tabID=T003&resultListType=RESULT_LIST&searchResultsType=SingleTab&hitCount=1&searchType=BasicSearchForm&currentPosition=1&docId=GALE%7CCX3491807262&docType=Topic+overview&sort=Relevance&contentSegment=&prodId=GVRL&pageNum=1&contentSet=GALE%7CCX3491807262&searchId=R2&userGroupName=wikipedia&inPS=true
|publisher=Schirmer
|year=2001
|pages=2009
|ref={{SfnRef|Baker's Biographical Dictionary of Musicians|2001}}
}}

*{{Cite journal
|last=Calvocoressi
|first=M. D.
|title=Music in the Foreign Press
|url=https://www-jstor-org.wikipedialibrary.idm.oclc.org/stable/949119?searchText=%22Paul+Ladmirault%22&searchUri=%2Faction%2FdoBasicSearch%3FQuery%3D%2522Paul%2BLadmirault%2522&ab_segments=0%2FSYC-6646_phrase_search%2Fltr&refreqid=fastly-default%3A668ed5ab913080baba7423188b9a33c6#metadata_info_tab_contents
|journal=The Musical Times
|volume=76
|number=1103
|publisher=Musical Times Publications Ltd.
|date=1935-01
|pages=26-29
|ref={{SfnRef|Calvocoressi|1935a}}
}}

*{{Cite journal
|last=Calvocoressi
|first=M. D.
|title=Music in the Foreign Press
|url=https://www-jstor-org.wikipedialibrary.idm.oclc.org/stable/919551?searchText=%22Paul+Ladmirault%22&searchUri=%2Faction%2FdoBasicSearch%3FQuery%3D%2522Paul%2BLadmirault%2522&ab_segments=0%2FSYC-6646_phrase_search%2Fltr&refreqid=fastly-default%3Acf546e02fb0e8aba2e3d041cb7d973e6#metadata_info_tab_contents
|journal=The Musical Times
|volume=76
|number=1108
|publisher=Musical Times Publications Ltd.
|date=1935-06
|pages=521-522
|ref={{SfnRef|Calvocoressi|1935b}}
}}

*{{Cite book
|last=Copley
|first=I. A.
|title=The music of Peter Warlock : a critical survey
|url=https://archive.org/details/musicofpeterwarl0000copl/page/n13/mode/2up?q=Paul+lad
|publisher=D. Dobson
|location=London
|year=1979
|ISBN=9780234772492
|ref={{SfnRef|Copley|1979}}
}}

*{{Cite book
|last=Demuth
|first=Norman
|title=French piano music : a survey with notes on its performance
|url=https://archive.org/details/frenchpianomusic0000norm/page/n5/mode/2up?q=Paul+Ladmirault
|publisher=Museum Press Limited
|location=London
|year=1959
|OCLC=1556724
|ref={{SfnRef|Demuth|1959}}
}}

*{{Cite book
|last1=Fauré
|first1=Gabriel
|author2=J. Barrie Jones
|title=Gabriel Fauré : a life in letters
|url=https://archive.org/details/gabrielfaurelife0000faur/page/102/mode/2up?q=Paul+Ladmirault
|publisher=Batsford
|location=London
|year=1989
|ISBN=9780713454673
|ref={{SfnRef|Fauré and Jones|1989}}
}}

*{{Cite book
|last=Ferguson
|first=Howard
|title=Keyboard duets : from the 16th to the 20th century for one and two pianos : an introduction
|url=https://archive.org/details/keyboardduetsfro0000ferg/page/22/mode/2up?q=Paul+Ladmirault
|publisher=Oxford University Press
|location=Oxford
|year=1995
|ISBN=019816548X
|ref={{SfnRef|Ferguson|1995}}
}}

*{{Cite book
|last=Hill
|first=Edward Burlingame
|title=Modern French music
|url=https://archive.org/details/modernfrenchmusi0000hill/page/340/mode/2up?q=Paul+Ladmirault
|publisher=Houghton Mifflin Company
|location=Boston and New York
|year=1970
|ISBN=0837139422
|ref={{SfnRef|Hill|1970}}
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*{{Cite encyclopedia
|last=Krier
|first=Yves
|title=Ladmirault, Paul (Emile)
|url=https://www-oxfordmusiconline-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org/grovemusic/display/10.1093/gmo/9781561592630.001.0001/omo-9781561592630-e-0000015799?rskey=W3qtIP&result=1
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|date=2001
|accessdate=2022-12-17
|ref={{SfnRef|Krier|2001}}
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*{{Cite journal
|last=Ladmirault
|first=Paul
|translator=David Cox
|title=Peter Warlock : a Great English Composer
|url=https://archive.org/details/peterwarlockcent0000unse/page/58/mode/2up?q=Paul+Ladmirault
|journal=Peter Warlock : a centenary celebration
|publisher=Thames Publishing
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|year=1994
|pages=58-63
|isbn=9780905210766
|ref={{SfnRef|Ladmirault|1994}}
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|title=Ladmirault: Quartet; Fantasy; Fantasy on a Scottish Reel; Romance; Trio in E
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*{{Cite encyclopedia
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|title=Impressionism
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===日本語文献===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://membres.lycos.fr/ladmirault/ ポール・ラドミロー協会](仏語)
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ポール・ラドミロー
Paul Ladmirault
ポール・ラドミロー
基本情報
生誕 1877年12月4日
フランスの旗 フランス共和国ナント
死没 (1944-10-30) 1944年10月30日(66歳没)
フランスの旗 フランス共和国、ケルビリ・アン・カメル
職業 作曲家

ポール・ラドミロー (Paul Emile Ladmirault, 1877年12月8日 - 1944年10月30日) は、フランス作曲家批評家である[1]ブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽を用いた作品を遺した[2]

生涯

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1877年12月8日、ナントに生まれる[1]。幼少期から才能を示し、7歳でピアノヴァイオリンオルガン和声を習い始めた[2][3]。さらに8歳から作曲を始め[1]、11歳の時には作曲家のルイ=アルベール・ブルゴー=デュクドレー英語版から作品を高く評価された[4]

1893年5月18日には、初めてのオペラ作品『ジル・ド・レ』がナントで初演された[1][2]。なお、この公演で主人公を務めたのは、のちに小説家となるアルチュール・ベルネード英語版である[2]。また、このオペラの台本は、ラドミローの母が作成した[1]

1892年にナント音楽院に入学したのち、1893年に和声で一等賞を獲得して卒業した[3][5]。その後、1895年から1904年にかけてパリ音楽院で学び、和声をアントワーヌ・タルドゥー英語版、作曲をガブリエル・フォーレ対位法アンドレ・ジェダルジュに師事した[1][4][註 1]。パリではモーリス・ラヴェルモーリス・ドラージュデオダ・ド・セヴラックフローラン・シュミットエドゥアール・ベネディクトゥスらとともに、芸術サークルアパッシュの一員として活動した[6]

3度ローマ大賞に応募するも落選し、ナントに戻った[1][2][7]。ナントでは、『音楽通信』の特派員や『ルエスト・アルティスト』の批評家を務めたほか、国際音楽学会の学会誌に寄稿することもあった[1][2]。さらには、ブルトン人作曲家連盟の創設に携わった[8]。また、1920年にはナントの音楽院で和声、対位法、フーガの教授となり、のちに院長を務めた[1][2][4]

1944年10月30日、サン=ナゼールのケルビリ・アン・カメルにて死去[1]。なお、モルビアン県のケルビリ・アン・カメルにて死去したとする資料もある[2]

人物

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ラドミローは寡黙な性格であったという[9]

作品

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ラドミローの作品の多くにブルターニュ地方およびケルトの伝統音楽が用いられている[2]。『ニューグローヴ世界音楽大事典』は「ラドミローの最もよく知られている面は、地域的特質を備えた作曲家としてである。セヴラックの音楽がラングドック地方を反映しているように、故郷ブルターニュの雰囲気をあらわにする」と紹介している[1]。その一方で、ポスト印象主義の作曲家のひとりと称されることもあり[10]、トーマス・マクレーンは「カミーユ・サン=サーンスの形式主義と、ガブリエル・フォーレの抒情性、クロード・ドビュッシーの想像力を一つにしたら、ラドミローの作品になる」と述べている[11]。実際、ラドミロー本人も、自分の音楽がフォーレとモーリス・ラヴェルの影響下にあると自覚していたとも言われている[4]

また、ラドミローの作品は簡素であると指摘される[2][12]。例えばアンドレ・リシュクとステファヌ・ヴォルフは『ラルース世界音楽人名事典』にて、「彼の明晰で簡潔な音楽語法においては旋法様式が用いられている」と述べている[2]。また、ノーマン・デムスも、フランスの作曲家によるピアノ作品を論じた著作において、ラドミローのピアノ作品について「フローラン・シュミットのような複雑さは見られない」と指摘している[12]。なお、デムスはラドミローやガブリエル・グロヴレーズをはじめとするフォーレ門下の作曲家は、サロン用の "work" ではなく、コンサートホールで演奏されるための "piece" を作曲したとも指摘している[13]

ラドミローが新しい作品に着手したことがニュースとして報じられることもあった[14]。例えば、1931年7月5日の『ニューヨーク・タイムズ』は「ラドミローが交響詩を完成させた」と報じているほか[15]、1935年1月号の『ザ・ミュージカル・タイムズ』は「ラドミローがピアノ五重奏曲を作曲し始めた」と報じている[14]

ラドミローは国民音楽協会の委員であったため、多くの作品は同協会の援助により初演されたが、そのほとんどは出版されなかった[1]。また、ラドミローの作品の録音もほとんど残されていない[16]

ラドミローの作品
作曲年 作品名 備考
1899年 - 1902年 ミルダン オペラ。上演されることはなかった[2][17]
1902年 - 1903年 ブルターニュ組曲 自身のオペラ『ミルダン』をもとに作曲された[17]
1906年 ブルターニュの古い聖歌 合唱のための作品[2]
1908年 ブロセリアンド・オ・マタン[2]
1909年 ゲール狂詩曲 4手のピアノのための作品[2]
1925年 コリドヴァンの女司祭 1925年にパリ・オペラ座で初演[17]

教育活動

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ラドミローの生徒にピーター・ウォーロックがいる[18]。ウォーロックはラドミローの音楽に心酔しており、自身の作品『カプリオール組曲』を彼に捧げた[19]。ラドミローもウォーロックを「同時代における最高のイギリス人作曲家の1人」と評しており[20]、ウォーロックの批評家としての腕前も認めている[21]

評価

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ラドミローは作曲家たちから高く評価された[22][1]。例えば師のガブリエル・フォーレは、ラドミローに宛てた手紙で「あなたは私の生徒の中で最も興味深い存在です。とにかく沢山の作品を作ってください。そうすれば私はとても嬉しい気持ちになるでしょう」と記している[22]。また、クロード・ドビュッシーはラドミローの『森の魂の合唱』という作品について「洗練された詩的色彩感覚に富む作品」と評し[1]ハワード・ファーガソンはラドミローによる4手のピアノ作品を称賛した[23]。他にも弟子のピーター・ウォーロックがラドミローの音楽を称賛している[19]

ラドミローは、批評家からも高く評価された[24][25]。例えばロベルト・ベルナルドは『ルヴュ・ミュージカル』紙にて「ラドミローは趣味の良さ、俊敏性、多様なオリジナリティを備えている」と評している[24]。また、バレエ『コリドウェンの女司祭』が発表された際、エミール・ブュイエルモーズは『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙にて、台本を酷評しつつもラドミローの音楽については高く評価し、ラドミローの詩的な才能と独創性を称賛した[25]。一方、アンリ・プリュニエール英語版は『ニューヨーク・タイムズ』で本作について「オーケストレーションは分厚く、多様性に欠けている」と批判した[26]

作曲家や批評家からは高く評価されたものの[22][24]、ラドミローの知名度は低い[11][27]。作品もほとんど出版されておらず[1]、録音もほとんどない[16]

脚注

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注釈

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  1. ^ ラドミローがパリ音楽院に入学したのは1897年とする資料もある[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Brody 1995, p. 227.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o リシュク、ヴォルフ 1989, p. 1385.
  3. ^ a b Hill 1970, p. 340.
  4. ^ a b c d e Krier 2001.
  5. ^ Baker's Biographical Dictionary of Musicians 2001, p. 2009.
  6. ^ Pasler 2001a.
  7. ^ McClain 2000.
  8. ^ Mullen 2017.
  9. ^ Ritter 2005, p. 223.
  10. ^ Pasler 2001b.
  11. ^ a b McClain 2000, p. 168.
  12. ^ a b Demuth 1959, p. 88.
  13. ^ Demuth 1959, p. 87.
  14. ^ a b Calvocoressi 1935a, p. 29.
  15. ^ New York Times 1931, p. 84.
  16. ^ a b Lehman 1998, p. 150.
  17. ^ a b c リシュク、ヴォルフ 1989, p. 1386.
  18. ^ Copley 1979, p. 34.
  19. ^ a b Copley 1979, p. 236.
  20. ^ Ladmirault 1994, p. 59.
  21. ^ Ladmirault 1994, p. 60.
  22. ^ a b c Fauré and Jones 1989, p. 102.
  23. ^ Ferguson 1995, p. 22.
  24. ^ a b c Calvocoressi 1935b, p. 522.
  25. ^ a b Vuillermoz 1927, p. 8.
  26. ^ Prunieres 1927, p. X8.
  27. ^ Musical Opinion 2015, p. 2.

参考文献

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英語文献

[編集]
  • Copley, I. A. (1979). The music of Peter Warlock : a critical survey. London: D. Dobson. ISBN 9780234772492. https://archive.org/details/musicofpeterwarl0000copl/page/n13/mode/2up?q=Paul+lad 

日本語文献

[編集]
  • Brody, Elaine「ラドミロー, ポール(・エミール)」『ニューグローヴ世界音楽大事典 第19巻』、講談社、1995年、227頁、ISBN 4-06-191639-4 
  • リシュク, アンドレ、ステファヌ・ヴォルフ「ラドミロー, ポール」『ラルース世界音楽人名事典』、福武書店、1989年、1385-1386頁、ISBN 4-8288-1602-X 

外部リンク

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