「マイアミ・バイスのフェラーリ」の版間の差分
編集の要約なし |
他言語版ウィキペディアのページを出典から除去してTemplate:要出典を追加。ウィキペディア自身を出典に使うのはWikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトで禁じられています |
||
290行目: | 290行目: | ||
{{See|:de:Hillcrest Classics}} |
{{See|:de:Hillcrest Classics}} |
||
E.G.オートクラフトを買収した会社は社名をアロースパイダーに変え、1991年までアロースパイダーの販売を続けた。最終的に73台のアロースパイダー(うち7台が右ハンドル)、7台のアローベルリネッタを販売した |
{{要出典範囲|E.G.オートクラフトを買収した会社は社名をアロースパイダーに変え、1991年までアロースパイダーの販売を続けた。最終的に73台のアロースパイダー(うち7台が右ハンドル)、7台のアローベルリネッタを販売した。|date=2021-7}} |
||
314行目: | 314行目: | ||
フロントウィンドシールドは[[トライアンフ・TR|トライアンフTR7]]から流用してマクバーニーには無かった三角窓を再現し、アルミホイールもホイール専門のビルダーに委託した。マクバーニーを参考にしているためドアの長さやトランク周りの形状が本物とは若干異なるが、本物の365GTS/4を熟知していなければ外観での判別は難しいという。ただ残念なことにシート位置が若干高めなため身長180cmを超えるドライバーだとフロントウィンドシールドの枠より頭が出てしまう難点がある<ref>{{Cite web|title=SR V12 - Daytona Replica Club|url=http://www.daytonareplicaclub.moonfruit.com/sr-v12/4585376707|website=www.daytonareplicaclub.moonfruit.com|accessdate=2021-07-27}}</ref>。 |
フロントウィンドシールドは[[トライアンフ・TR|トライアンフTR7]]から流用してマクバーニーには無かった三角窓を再現し、アルミホイールもホイール専門のビルダーに委託した。マクバーニーを参考にしているためドアの長さやトランク周りの形状が本物とは若干異なるが、本物の365GTS/4を熟知していなければ外観での判別は難しいという。ただ残念なことにシート位置が若干高めなため身長180cmを超えるドライバーだとフロントウィンドシールドの枠より頭が出てしまう難点がある<ref>{{Cite web|title=SR V12 - Daytona Replica Club|url=http://www.daytonareplicaclub.moonfruit.com/sr-v12/4585376707|website=www.daytonareplicaclub.moonfruit.com|accessdate=2021-07-27}}</ref>。 |
||
SR V12は1993年までに120台余りが販売された |
{{要出典範囲|SR V12は1993年までに120台余りが販売された。|date=2021-7}} |
||
サザンロードクラフトは1994年に買収されロードクラフトUKに改名、2003には[https://web.archive.org/web/20150428224852/http://www.madgwickcars.co.uk/ マッジウィックカーズ]がSR V8(ACコブラ)の生産ラインを引き継ぎ現在も販売中である。 |
サザンロードクラフトは1994年に買収されロードクラフトUKに改名、2003には[https://web.archive.org/web/20150428224852/http://www.madgwickcars.co.uk/ マッジウィックカーズ]がSR V8(ACコブラ)の生産ラインを引き継ぎ現在も販売中である。 |
2021年7月27日 (火) 10:58時点における版
マイアミ・バイスのフェラーリは、1980年代に大ヒットしたアメリカのテレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』シリーズで主人公ソニー・クロケットが愛用したフェラーリのスーパーカーである。
ドラマの撮影においては、シーズン1~2では365GTS/4(通称デイトナ・スパイダー)を模した2台のレプリカモデル、シーズン3~5では2台のテスタロッサと1台のレプリカモデルを使用した。
車 名 | 使用期間 | ナンバー プレート |
外装色/内装色 | 入手経路 | 年 式 (ベース車両) |
識別 | 現 況 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
フェラーリ
デイトナ・スパイダー |
シーズン1~2 1984~1986年 |
フロリダ州 デード郡 ZAQ178 |
ブラック/タン | トム・マクバーニー製作 アル・マルディキアンから購入 |
1976年型 (シボレー・コルベットC3) |
1号車 | ヴォロ・オートミュージアムに展示中 (イリノイ州ヴォロ) |
1981年型 (シボレー・コルベットC3) |
4号車 | ジョージア州のコレクターが所蔵 | |||||
フェラーリ
テスタロッサ |
シーズン3~5 1987年~1989年 |
フロリダ州 デード郡 AIF00M |
ホワイト/タン | シェラトン・フェラーリより譲受 | 1986年型 | #63259 | スワップショップに展示中 (フロリダ州フォートローダーデール) |
1986年型 | #63631 | ベルギーのコレクターが所蔵 | |||||
カール・ロバーツ製作 | 1972年型 (デ・トマソ・パンテーラ) |
番組終了後に廃棄処分 |
フェラーリ・デイトナ・スパイダー(シーズン1~2)
デイトナ・スパイダー(レプリカ)の誕生
ソニー・クロケットのデイトナ・スパイダーは起業家アルバート・マルディキアンによって誕生した。彼は30代の頃から「トレンドインポート」という独自の輸入車ディーラー網を築きスーパーカーや高級車の販売を始めたほか、クラシックカーのレプリカキットやスーパーカーのカスタムカー製作などでも成功し自動車業界では名の知れた人物だった。フェラーリ400リムジン、カウンタックSS(LP400タルガトップ)は奇をてらうだけでなく完成度の高さも評価された。
あるときシボレー・コルベットC3を利用してACコブラを作れないかと協力会社のマクバーニーコーチクラフトのオーナー、トム・マクバーニーに相談をしたのだが、ACコブラのホイールベースは20センチ以上短くボディサイズも違いすぎると言われ諦めかけた。そこで目を付けたのがショールームに展示していたフェラーリ365GTS/4、米国での通称デイトナ・スパイダーだった。ボディサイズはほぼ同じでホイールベースの差はコルベットより8センチ短い程度である。365はFRPボディの成形型を作るためマクバーニーの工場に運び込まれた。
1年後の1982年、試作の1号車を完成。続けてマルディキアン発注とマクバーニーが兄から個人的に頼まれた1台の計5台を製作した。「マルディキアン350GTSターボ」というオリジナル商品として販売する計画だったが、この頃マルディキアンには輸入車の排気ガスや衝突安全性の報告書を偽造した疑いがかけられており6〜7台が作られただけで計画は頓挫した。マクバーニーが持っていた成形型はマルディキアンに返却されることはなかった。
原形となった1973年型365GTS/4は型を取るために一度分解されているが、マルディキアンのものではなく顧客の所有物だったという。1988年にオークションに出品されサンディエゴ近郊ラホヤのスポーツカー専門店が落札した記録が残っている。
マイアミバイスへの起用
マルディキアンとマクバーニーがデイトナレプリカを製作するのと同じ頃、映画監督・プロデューサーのマイケル・マンは新しい警察ドラマ「マイアミ・バイス」の製作準備にとりかかっていた。そこに友人の俳優ダン・ハガティからドラマにぴったりのスポーツカーを見つけたと連絡を受ける。ハガティはニューポートビーチにあったトレンドインポートの常連客であり、出来上がったばかりのデイトナ・スパイダーを目にしてマンに薦めたのだった。大のフェラーリ好きのマンはすぐにディーラーを尋ね、パイロットフィルム(第1話)用に黒の4号車をレンタルすることになった。
その後「マイアミ・バイス」のシリーズ化が決定してユニバーサルは1号車(試作車)と4号車の2台をレンタルする予定だったが、マルディキアンの書類偽造容疑が次第に固まりつつありレンタルが出来なくなる恐れがあったため、それぞれを4万9千ドルで購入した[1]。
1号車は赤だったので黒で再塗装した。試作車のため細部の作りは粗雑だった。アクリル板のヘッドライトカバーは4隅に取付ビスが露出しており、その中央にあるべきエンブレムも少し上のエンジンフード先端にあった。このエンブレムは番組スタッフがパーツを取り寄せたものの、車の情報が乏しかったため取り付ける位置を間違えたと言われている。ブレーキ灯とウィンカーの位置は左右が逆なうえ激しい走行で度々落下した。さらにベースの1976年型コルベットには事故歴があり右側のホイールベースが約40mmも短かかった。
メーター周りやインテリアはコルベットのままほとんど手を加えられていなかったので、黒を基調とする内張りをフォートローダーデールにあるスコット・ドライジン/ヘッズアップインダストリーズ(現在のHead Up Industies)の手で明るいタン色レザー張り替え、それらしい雰囲気に仕上げた。シーズン1の第2話以降に登場するのはほとんどがこの1号車である。外観やダッシュボード周りの欠点はシーズン2を境に大幅に改良されているがスタント撮影用という扱いだった[2]。
もう1台の4号車は1981年型コルベットをベースとしており4台目ともなると作りが良かった。よりリアルな仕上りにするためサンディエゴにあったオートデザインズによってシートやダッシュボード、ドア内張などがカスタマイズされており、細部に至っては木目調のセンターコンソール、ダッシュボード上の丸い送風口、サンバイザーも再現された。このサンバイザーは両側に付いていることもあれば運転席側のみだったり助手席側のみだったりと撮影状況によって度々変わる。エアコンはメルセデスベンツの電子制御エアコンを移植してあった。
2台ともオートマチック車で、標準のブレーキペダルの左側にもう一つ後輪のみを制動するブレーキペダルを追加し簡単にスピンターン(ブートレッグターン)が出来る細工がしてある。
本物との違いは、三角窓が付いていない点が最も特徴的であるほか、ブレーキ灯と方向指示灯の配列、角型4灯ヘッドライト、クロームのドアハンドルなどで判別できる。ドアハンドルはオリジナルに似せようとしたがすぐに壊れてしまうためアルファロメオのパーツで妥協したという。
本物のデイトナ・スパイダー
ドラマでは本物の365GTS/4が2回登場している。ちなみに「デイトナ」という呼び名は1967年のデイトナ24時間レースで優勝した際にマスコミが広めたもので、フェラーリが公式に「デイトナ」と呼んだことは一度もない。
黒のデイトナ
シーズン1・第1話(パイロット)「血闘サブマシンガン!巨大組織を叩きつぶせ!」では黒の365GTS/4が映る。
この車はフロリダ州に住む医師から借りたもので、運転はTIDEフェラーリレーシングチームのプロドライバーに委託し走行シーンは平床トレーラーに載せて撮影するなど注意深く行なったのだが、撮影中にボディに傷を付けてしまった。修理費は千ドル程度の軽微なものだったが使用はこの1回限りとなった。結局走行シーンは使用されることはなく、路肩に停車している10秒程度のシーンのみとなった。
オーナーのロジャー・W・シャーマン(1938-2015)は、心臓血管外科医をしながら過去に空軍に在籍していた経験から趣味で小型ジェット機やヘリコプター、水上飛行機等を所有したことがあり航空機評論家としても有名な医師であった[3]。
シャーマンがこの1972年型365GTS/4を新車で購入したときはダークグレーメタリックのボディと赤のインテリアだったが、彼の好みで黒のボディとタンのインテリアに替えられた。ドラマに出た3~4年後に俳優のジョージ・ハミルトンの手に渡り、その後間もなくオーストラリア人のコレクターへ、さらに2005年頃にドイツ人に売却された。このドイツ人オーナーにより2年をかけてレストアされ現在はオリジナルのカラーに復元されている[4]。
黄色のデイトナ
シーズン2・第14話「白昼の凶弾!血に飢えたヒットマンを追え!!」で、自動車整備工場と空港のシーンで黄色の365GTS/4が映る。
現在フォートローダーデールのスワップショップに展示されている黄色の365はこの時の車と言われている[5]。
フェラーリ・テスタロッサ(シーズン3~5)
デイトナからテスタロッサへ
番組のヒットと共にデイトナ・スパイダーも大人気となったが、一方でこの成り行きを快く思わない人物がいた。フェラーリの社長エンツォ・フェラーリである。シーズン2を放映中の1985年頃からフェラーリ社はコピー品を製造販売するレプリカメーカーに警告文を送り始めた。
さらに偽デイトナの排除と自社製品のプロモーションを兼ねて、フラッグシップモデルのテスタロッサを「マイアミ・バイス」に無償で提供する案を提示してきた。マイケル・マンはこの申し出を快諾したというがフェラーリとのトラブルを回避するためだったとも言われている。
マイケル・マンは走行シーン用とカメラ取付用の2台のテスタロッサを要望し、代わりにフェラーリ側は偽デイトナを2度と使わない条件を設けた。しかし問題はソニー・クロケットが”命の次に大切な”デイトナをそう易々と交換させられない点である。カーチェイスでクロケットが事故を起こして大破する案が挙がったがマンは納得せず、もっと劇的かつ決定的な結末をと思い付いたのがスティンガーミサイルで木っ端微塵に爆破するシーンだった。
2台の黒のテスタロッサはフェラーリノースアメリカより正式に納入された。「無差別テロリストの恐怖!」にはテロリスト一味が所有する車として登場するが、その後1台を損傷させてしまい、それをきっかけに夜間撮影でもボディラインが映える白で塗装された。ドン・ジョンソンが大破したという噂もあったが真相はわからない。
デイトナが爆破されるエピソード「無差別テロリストの恐怖!」(リーアム・ニーソンがゲスト)はシーズン3・第7話の予定だったが、NBCはこのセンセーショナルなシーンこそ新シーズンの幕開けに相応しいと考え第1話に変更した。こうして第1話用として作られていた「復讐のガンマン・最後の決闘!」(ウィリー・ネルソンがゲスト)が第7話に移動したため、爆破されたはずのデイトナが再び登場するという矛盾が発生してしまった[6]。この回はテスタロッサが登場しないにも関わらずエンドクレジットに"Crockett's Car Furnished by FERRARI NORTH AMERICA" (クロケットの車はフェラーリノースアメリカが支給した)という文言まで添えられている。
テスタロッサのスタント専用車
シーズン1が終了した頃、酷使されたデイトナを修理するためテネシー州でRMG(ロバーツ・モーターグループ)を営むカール・ロバーツが招かれた。彼は番組のスタントコーディネーターの知り合いでこれまでもドラマや映画に使用する車の改造を手掛けていたほか、コルベットのカスタムの第一人者としても知られていた。1号車の欠点は彼によって大幅に改善され、さらにシーズン3に向けてより精巧なデイトナスパイダーを用意しようと3台目の製作を依頼した。
そこにテスタロッサの話しが舞い込んできたため3台目のデイトナは中止になるが、代わりにテスタロッサのスタントカー製作を任されることになる。
ロバーツはデイトナ1号車の車台を使おうと考えたが、フロントエンジンのため低いノーズが納まらない。そこでベース車両として使えそうなスポーツカーを調べあげたところホイールベースやコクピット位置がデ・トマソ・パンテーラに近いことがわかった。状態の良い1972年型パンテーラを3万ドルで手に入れるとFRPでボディパネルを製作し、細部のパーツはテスタロッサの事故車から流用した。パンテーラの床面はテスタロッサより10cmも高くコクピットが納まらないため、フロアパンを切断し10cm低い位置に溶接して対応した。急傾斜のフロントガラスを支える6センチ角のロールケージを設けた。フロントフェンダーとエンジンフードはワンピースにして修理やカメラの設置が脱着が容易に行なえるようにした。様々な工夫をしながらも改造は容易だったという。
エンジンはプレデター製のキャブレターと亜酸化窒素(NOS)の添加装置でパワーアップされ発進時や旋回時のホイールスピンを確実にした。実は本物のテスタロッサはアクセルを急に踏み込むとエンジンストールする欠点がありホイールスピンのシーンでは撮り直しが多かったという。
ブレーキはチルトン製のキャリパーとボルボP1800から移植したブースターで強化し、デイトナと同様に後輪専用のブレーキペダルを追加した。他に、運転者が素早く脱出できるよう取外し可能なステアリング、マイアミの暑さに耐えられるNASCARでも使われるモディーン製の大型ラジエーター等を装備する[7]。
Aピラーからルーフへの継ぎ目が本物は滑らかな曲線を描くがこのスタントカーは角張っているので区別しやすい。その他サイドエアインテーク周りの納まり寸法やアルミホイールなどで区別できる。[8]。
フェラーリ社による訴訟
「マイアミバイス」のヒットに便乗してアメリカやイギリスでは述べ12社前後のレプリカビルダーがデイトナスパイダーのコピーを製造していた。フェラーリの警告を受けながらもそれらは各社のオリジナル商品として販売された。
トム・マクバーニーはアル・マルディキアンのアイデアと番組のヒットのおかげで80台近い”カリフォルニア・デイトナスパイダー”を販売し、さらに20台の注文を受けていた[9]。(生みの親であるマルディキアンは輸入車2,000台あまりの衝突安全性や排気ガスの書類の偽造で有罪となり既に廃業していた[10])
カール・ロバーツもドラマでの経験を生かしてコルベットをベースにした”マイアミスパイダー”(デイトナ)を約10台売り、デ・トマソ・パンテーラよりも安価なポンティアック・フィエロをベースにした”マイアミクーペ”(テスタロッサ)2台を受注していた。マイアミクーペは完成車が5万ドル、キットが8,500ドルで売れたのはほとんどがキットだったという。
フェラーリ社が警告を発し始めて3年が過ぎた1988年、マクバーニーとロバーツを含む4社を相手に訴訟を起こした。
被告側は「問題の365GTS/4は販売終了後15年以上が経ちフェラーリの販売台数に影響はない」「購入者は本物ではないと理解している」「エンブレムやロゴは購入者が後から勝手に付けるもので我々は使用していない」等と反論したが、原告の訴えは認められた[11]。わかりやすい例ではエンブレムを隠した様々な車の写真をランダムに選んだ回答者に見せるテストを行なったところ、デイトナを見た73%が、テスタロッサを見た82%が、「フェラーリの車」と答えたという。つまりフェラーリの魅力的なデザインを真似るのは登録商標の濫用と同じ行為であり、購入者やその車を見た者はコピーと知りつつも紛れもなくフェラーリを意識している、と裁判所は判断したのだった[12]。こうして全てのフェラーリレプリカの製造販売の停止が命じられた。
敗訴したマクバーニーはその後サンダーランチ”ThunderRanch”という新会社を興してVWタイプ1をベースにしたポルシェ356、550等のキットカー[13]を順調に販売し続けた。その後発表したオリジナル作品の”34Lightning”は'90年代最高のホットロッドの一台と称賛されたほか[14]、サンディエゴ大学と共同開発したハイブリッド車”RIOT”も話題になった。2012年にサンダーランチの権利を売却しその後解散した。
RMG(ロバーツモーターグループ)は判決が下る前に倒産した。カール・ロバーツ自身はRMGと同じ場所で自動車関連会社のロバーツラジエーターを営んでいる。
撮影に使われたェラーリの行方
2台のデイトナ・スパイダー(レプリカ)の行方
ドラマで使われたデイトナ・スパイダーは2台とも無事に残っている。
シーズン3で爆破したのは製作費5千ドルの1/8スケールのミニチュアモデルだった。撮影は「ナイトライダー」などを手掛けた特殊効果スタッフによりロサンゼルス郡ズマビーチ近郊で行なわれた。
4号車
シーズン2が終了した1986年、カール・ロバーツの関係者を通じてサウスカロライナ州の一般人に買い取られた。その2年後ジョージア州のコルベット愛好家の手に渡って現在に至る。
この人物はユニバーサルがマルディキアンから購入したときの1号車と4号車の登録証も持っているが、車の偽造を防ぐため内容を一切公表していない[15]。
1号車
1号車はロバーツの工場に2年ほど置かれたあと、再び大きく手を加えられて「キャノンボール3」(1989)で4年ぶりに姿を見せた。撮影終了後カリフォルニア州に運ばれたが、エンジンブローを起こしたためロバーツの知人が所有するテキサス州ラボックの修理工場に預けられた。その後は野ざらしで放置してあるらしいという情報を最後に、廃棄処分になったと考えられていた[16]。
ところが2006年頃、同じラボックでFLAT12という自動車ディーラー/仲介業を営むトム・ソウターとジェフ・アレン親子によって1号車と見られるデイトナが発見された。息子のジェフ・アレンはCNBCが放送する「カーチェイサーズ」(行方不明の名車を捜すリアリティ番組)の司会も務める有名人で、この様子を2014年放送のシーズン3エピソード8 ”Jeff's Vice”で紹介している。 父親のトム・ソウターによれば、仕事仲間の自動車工場のバックヤードに黒のデイトナスパイダーが十数年前から放置してある話しを聞きつけ、あのマイアミバイスの車だと直感して買い取ったのだという。発見されたとき革シートやステアリングは色褪せヒビだらけになりカーペットは無くなるなど酷い状態だったが、撮影車と考えられる特徴はすぐに見つかった。
- スタントカーでしか見ることのない2つのブレーキペダル。
- エンジンルームに取り付けられたカメラ設置用と思われるマウントベース。
- エンジンフード先端の裏側にあるエンブレム取付用と思われる穴を埋めた痕。
ひとつだけ大きく異なる点は、劇中ではコルベットのままだったメーターパネル周りがオリジナルの365に似せてあることだが、これは「キャノンボール3」のときに改良されたと考えられる。
車はほんの少し手直しされたあとeBayに出品され、イリノイ州ヴォロのヴォロ・オートミュージアムが落札した。
この自動車博物館のオーナーであるブライアン・グラムスはマイアミバイスの大ファンだという。彼がさらに検証を進めると、
- 右ホイールベースが約40mm短い。
- 製作者マクバーニーが「ベース車は緑を白に塗り替えたコルベットだった」と言った通り、Aピラーの根本部分を削ると黒の下にはマクバーニーが塗った赤、その下に白、最下層に緑色のペイントが現れた。
など、1号車と考え得る根拠が十分に揃った。
ブライアンは博物館のホームページで『マイアミバイスのデイトナを手に入れた!』と宣伝したのだが、インターネット上では行方不明の1号車について幾度となく議論されており否定的な反応ばかりだった。実際、テネシー州のハリウッドスターカーミュージアムには撮影車と称したデイトナスパイダーが展示されていたし(現在はHPから削除されている)、「これが本物のマイアミバイスカーだ」という見出しの中古車サイトや個人のブログが度々現れていたことを考えれば疑われても仕方のないことである。
なんとしても真相を知りたいブライアンに4号車の所有者(ジョージア州のコルベット愛好家)の友人だという人物が、ブライアンの手助けになればとコンタクトを取ってきた。車体にあるVIN(車両識別番号)を送ってくれたら登録証と照会してくれるという。早速その人物にVINを送ってみたのだが、番号は違っていた。
ブライアンはひどく落胆したが、改めて車を調べるとVINが打刻されたフレームの一部は後から溶接した痕があり、フロントウィンドウ下のVINプレートを留めるリベットも1970~1980年代のGM純正部品ではないことが判明[17]、どの時点かわからないがVINが移植されているようだった。
他に手掛かりはないかGM社に問合せてみたところ、車の生産過程でフレームの他の場所にもVINを打刻していることがわかった。コルベットC3の場合、完成すると隠れてしまうサイドシルの裏側辺りなのだが、彼は思い切ってサイドシルカバーに覗き穴を空け本物のVINを確認した。再度、4号車の所有者の友人にそのVINをメールで送ったところ、数日後「同じ番号だ」という電話がありようやく確証を得ることが出来た[18][19]。
のちにブライアンはカール・ロバーツに直接電話をかけてみた。VINについては入れ替えたことをあっさりと認め「最初に電話をくれたらすぐに教えてやったのに」と話したという。ブライアンはこの車両を出来るだけドラマに近い姿に復元して、現在ヴォロ・オートミュージアムで展示中である。
3台のテスタロッサの行方
番組で使用したテスタロッサは、本物が2台とスタント専用に作られたレプリカモデルの計3台である。
フォートローダーデールのシェラトンフェラーリから譲られた2台は1986年型の北米仕様車で、運転席側の高い位置にサイドミラーが付く初期型である。このサイドミラーはイタリア語でモノスペッキオ(Mono=1枚、specchio=鏡)、アメリカではシングルウィングミラーまたはフライングミラーと呼ばれる。アメリカ国内に正規輸入されたのは1986年〜1987年前期の2年間のみで、1987年後期からはアメリカの安全基準によりAピラー下端の両側に付くタイプに変更になった[20]。総数2,105台のうち421台と台数が少ないため高値で取引されている[21]。
マイアミバイスで使用したテスタロッサはVIN(車体識別番号)の下5桁、ZFFSA17AXG00”63259”、ZFFSA17AXG00”63631” で区別されている。
#63259
シーズン5が終了した1989年、#63259は75万ドルで起業家のプレストン・ヘン(1931-2017)が購入し、彼が経営するフォートローダーデールのスワップショップに展示されて現在に至る。途中100万ドルで購入したいというオファーがあったが断ったという。走行距離は1万キロ弱、タイヤはオリジナルのグッドイヤーイーグルのままという素晴らしいコンディションを保っている[22]。
#63631
#63631はマイアミのRMC(リアルマッスルカー・ブティック)の倉庫に28年間保管していたが、2017年にメキュームオークションに175万ドルで出品した。その後バレットジャクソンのリストにも加わった[23]
走行シーンに使用された車両だが、保管中はほとんど動かしたことがなく走行距離はわずか16,000マイル(約26,000キロ)程度。フェラーリがユニバーサルに譲渡したときの証明書や登録証、整備記録が付き、出品する直前には8千ドルをかけて機関部のメンテナンスを施した非常に状態の良い車体である。ソニー・クロケットが使ったモトローラの自動車電話も付いている[24]。結果は希望価格を大幅に下回る75万ドルでジョージア州のアダムスクラシックコレクターカーズが落札し、その後ベルギーのバスティアン・ウィトボエ(Bas Witvoet、欧州のオランジェグループを所有する実業家[25])の手に渡りウィトボエ・コレクションに加わっている。
スタントカー
デ・トマソ・パンテーラをベースに製作したスタント専用車はフェラーリとの約束で番組終了と同時に解体処分したとされている。が、製作者のカール・ロバーツが自社工場に持ち帰ったという説もある。
フェラーリとマイアミバイス
マイケル・マンのフェラーリ
「特捜刑事マイアミ・バイス」のエグゼクティブプロデューサーであるマイケル・マンは大の車好き、中でもフェラーリの大ファンであった。
マイアミバイスに携わっている頃は黒のフェラーリ308GTAを所有していた。「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」(1981)が完成したときに初の劇場用作品を作り終えた自分への褒美として購入したものだった。
その後もテスタロッサ、575マレネロ、599GTOの所有歴がある。テスタロッサは1986年型のモノスペッキオで希少な青メタリックボディと赤のインテリアの組み合わせ。カリフォルニアの自宅で10年ほど所有した後、サザビーズオークションに出品した。落札したフランス人コレクターはしばらくコンテナに入れて保管していたが、2015年にフェラーリの工場があるイタリア・マラネロに輸送して出荷時と同じコンディションまでレストアされたという[26]。
フェラーリ社とは良好な関係を保ち続けており、2008年発表のカリフォルニアではコマーシャルフィルムの監督に抜擢された。
2020年の映画「フォードvsフェラーリ」では製作総指揮を、2021年には長年構想を温め続けてきたエンツォ・フェラーリの伝記映画 ”Enzo Ferrari”の監督を務めている[27]。
ドン・ジョンソンのフェラーリ
シリーズが終了する頃、フェラーリの名を世界中に広めたドン・ジョンソンに感謝の意を表してフェラーリ社は1989年型テスタロッサを贈呈した。フェラーリが特別に製作したシルバーのボディにライトグレーのインテリアという珍しい組み合わせ。
この車はマイアミの彼の自宅に置かれ運転する姿も度々目撃されていたが、2003年にテスタロッサを含む6台の車のコレクション全てを売却してしまった。その中には前妻のメラニー・グリフィスから譲り受けた1949年型フォードF1(ピックアップトラック)や「刑事ナッシュ・ブリッジス」で使用した1970年型プリマス・バラクーダなどもあり突然起こした行動に注目が集まったが、彼が破産申し立てをしたのはその翌年だった。
売却時の走行距離は15,000マイル(24,000キロ)足らずで整備も行き届いていたという。アリゾナ州のオーナーを経て、メリーランド州のコレクターが所有している。
フェラーリ365GTS/4のレプリカモデル
マクバーニーに追従するようにアメリカとイギリスでは様々なデイトナスパイダーのレプリカがつくられた。
ベース車両はアメリカはシボレーコルベットC3、イギリスはジャガーXJ系が主流。それぞれ自国のメーカーのため維持する環境が整っているメリットがある。またイギリスの場合は右ハンドルが選べることと、何よりもリアルなサウンドを奏でるV型12気筒エンジンを搭載できることも大きい。
アメリカのメーカー
- マクバーニーコーチクラフト Mcburnie Coachcraft
カリフォルニア・デイトナスパイダー Califrnia Daytona Spyder
アル・マルディキアンとトム・マクバーニーの共同開発によるデイトナスパイダーレプリカは「マイアミバイス」で一躍有名になった。米国内で7店舗の代理店を展開しフェラーリとの裁判で敗訴するまでに約100台を販売した。
三角窓がなく傾斜が鋭いコルベットC3のフロントウィンドウは本物よりもスタイリッシュな印象を与え、野太いV8サウンドもアメリカ人には受けが良い。本家フェラーリとはまた違った魅力があり今でも「マイアミバイスカー」として人気を保っている。
- RMG(ロバーツモーターグループ) Roberts Motor Group
マイアミスパイダー Miami Spyder
RMGのカール・ロバーツは「マイアミバイス」でデイトナの修理を担当したのをきっかけに1985年頃からレプリカの製作を始めた。マクバーニーの影響が大きい。
1989年のフェラーリとの裁判の最中に倒産したが、それまでにマイアミスパイダーを約80台を販売した。
- CCC(カリフォルニアカスタムコーチ) California Custom Coach
デイトナアメリカ Daytona America
CCCは1976~1988年にカリフォルニア州パサデナにあったコーチビルダー。
マクバーニーの代理店であり同じ成形型を使用する。CCCの場合はボディサイドの給油口が付属せずトランクを開けて給油する[28]。
CCCの腕前は確かなもので、1970年代後期に1936年型オーバーン851のレプリカであるCCC876で成功した。これは1978年型フォード・リンカーン・タウンカーをベースに作られており2人乗りのスピードスターと4人乗りのフェートンの2タイプが存在する。非常に高品質で状態の良いものは10万ドル以上の値が付くことがある。
またコルベットC3をストレッチして4ドアセダンにした"コルベットアメリカ"もあったが試作車を含め6台しか作られておらず[29]、希少車のためオークションで20万ドル以上で売買された記録がある。
- ロウリー・コルベット・サプライ Rowley Corvette Supply
ロウリーGtC Rowley GtC
マサチューセッツ州ロウリーで1965年から続くコルベット専門の老舗ショップ。
これもマクバーニーと同じ成形型と思われるが、マクバーニーと違ってインテリアまできちんとオリジナルを再現している。
現在も完成品を69,500ドル、キットを11,500ドルで販売しているほか、マクバーニー、RMG、CCCのオーナー向けのアフターパーツ販売も行なっている[30]。
- エキゾチック イリュージョンズ Exotic Illusions (またはマッド・マイク・ハドソン MAD Mike Hudson)
デイトナGTS Daytona GTS
ペンシルバニアにて1984年頃から現在も続くレプリカビルダー。
ランボルギーニのレプリカを主力としており、ポンティアック・フィエロを使ったランボルギーニ・カウンタック[31]、ディアブロ等を数多く販売している。
デイトナGTSは1988年から1990年の2年間に8台が製作された。ベースはコルベットだが、フロントウィンドシールドをトライアンフTR7から移植し三角窓が付属するほか、本物から型を起こしているためボディ、インテリア共に非常に精密に再現されている[32]。フェンダーフレアの滑らかな曲面の再現、オートマチック車にもマニュアル車風のシフトゲートを設けるなどマクバーニーとは一線を画すオーナーのマイク・ハドソンの繊細さが表れている。
- エキゾチックコーチクラフト Exotic Coachcrafts
1984年にサンディエゴに起ち上げられたコーチビルダー。マクバーニーの成形型を使用するが[33]アルファロメオの巨大なドアハンドルは使わずにオリジナル風に仕上げてある。
1988年にはタケイ・セイゴ氏が社名をデザインセイゴと改名しカスタムカー等を日本向けに輸出する事業を始めたらしいが1990年に廃業したと見られる。
- ウェストチェスターファイバーグラス Westcheater Fiberglass
デイトナクーヴァリ Daytona Couvarri
1982年から1995年までニューヨーク州ポートチェスターにあったレプリカビルダー[34]。
トライアンフTR7のフロントウィンドウを流用し、可能な限りフェラーリ純正部品を使用するなどオーナーのドミニク・メッカのこだわりが見られる[35]。同社のラインナップにはテスタロッサスパイダーもあった[36]。
1999年にメッカは自動車窃盗の共犯で逮捕されている。再生不能となった事故車をオークションで次々に購入してVIN(車体識別番号)を剥ぎ取り盗難車に付け替えるという犯罪に加担していた[37]。
イギリスのメーカー
- E.G.オートクラフト E.G.Autocraft
アロースパイダー Allow Spyder
スペイン系のエミリオ・ガルシアが1987年にウェールズに起ち上げた高級車専門のカスタムビルダー。数あるデイトナレプリカの中で最も正確にオリジナルを再現していると言われる。
365GTB/4(クーペモデル)をスパイダー(オープンモデル)に改造する仕事を何件か請け負ううちに、自分で365GTS/4の複製を作ろうと考えはじめた。そこでフォードGT40の見事なレプリカを作った経歴のある同業者のピーター・ジェイコブスを招き入れ、ジャガーXJ12をベースにしたアロースパイダーを完成した[38]。
彼の徹底ぶりはリトラクタブルヘッドライトの採用や多くの箇所にフェラーリ純正部品をそのまま取り付けられる精密さに見られるが、最も特筆すべきは他のレプリカメーカーが手を出さなかったベルリネッタ(クーペ)を製作した点である[39]。ボディの素材をFRPからアルミに変更するオプションもあった[40]。しかし職人気質のガルシアには会社を拡張する術がなく2年後の1989年には経営難に陥ってしまった。ガルシアとジェイコブズは他にヒルクレストクラシックスというブランドも展開していたが、経営が危ぶまれたときガルシアはドイツに逃げてしまいジェイコブズが事業閉鎖の手続きに追われたという。
E.G.オートクラフトを買収した会社は社名をアロースパイダーに変え、1991年までアロースパイダーの販売を続けた。最終的に73台のアロースパイダー(うち7台が右ハンドル)、7台のアローベルリネッタを販売した。[要出典]
- L.R.ロードスターズ L.R.Roadster
ラムR/T Ram R/T
1984年にエイドリアン・コッキングによって設立された。
カーレーサーのエイドリアン・レイナードに設計を委託してジャガーXJSをベースにしたラムR/Tを製作した[41]。本物から採寸しフェラーリ純正のフロントウィンドシールドを使用するため完成度は非常に高い。トノカバーの下に小さな後部座席を追加するオプションもあった。
1987~1990年に市場に投入されたがフェラーリ社の訴訟問題と重なったせいで30台程度に終わった。
その後はラムSC(ACコブラ)、ラムLM(ジャガーDタイプ)、ラムSS(ジャガーXKSS)などの精巧なレプリカモデルを作り続けて成功を収め、ラムSCの販売数は1,500台以上に及んだ。現在はリアム・エンジニアリングに社名変更してウスターに拠点を置く。
- サザンロードクラフト Southern Roadcraft
SR V12
1984年、イングランド南部ウェストサセックスにイアンとブライアンのニコルズ兄弟が起ち上げたビルダー。
先にSR V8(ACコブラのレプリカ)で成功した彼らは「マイアミバイス」で人気が上昇しているデイトナに興味を持った。そこでマクバーニーコーチクラフトの英国代理店になろうと考え”カリフォルニアデイトナスパイダー”を1台購入したのだが、想像していたよりも完成度が思わしくなかったためそれを基本に自分たちで作ることにした。
ベース車両には米国製コルベットよりも扱いやすい自国のジャガーXJ12を選び、フレームはエンジン周辺を残すのみでほとんどを鋼管フレームで新規設計した。この分野は過去にハンセンエンジニアリング(F1フォードのメカニックデザイン担当)に勤めていたブライアンが得意とするもので、走行性能はオリジナルのXJ12を上回るという[42]。
フロントウィンドシールドはトライアンフTR7から流用してマクバーニーには無かった三角窓を再現し、アルミホイールもホイール専門のビルダーに委託した。マクバーニーを参考にしているためドアの長さやトランク周りの形状が本物とは若干異なるが、本物の365GTS/4を熟知していなければ外観での判別は難しいという。ただ残念なことにシート位置が若干高めなため身長180cmを超えるドライバーだとフロントウィンドシールドの枠より頭が出てしまう難点がある[43]。
SR V12は1993年までに120台余りが販売された。[要出典]
サザンロードクラフトは1994年に買収されロードクラフトUKに改名、2003にはマッジウィックカーズがSR V8(ACコブラ)の生産ラインを引き継ぎ現在も販売中である。
- ロビンフッドエンジニアリング Robin Hood Engineering
RSデイトナ RS Daytona
ロビンフッドエンジニアリングはイギリス中心部ノッティンガムシャーに1984年に開業した。
オーナーのリチャード・スチュワートは最初V8エンジンのローバーSD1を選んだ。フレームを切り詰めホイールベースを短くする作業だけで3ヶ月も要したという。しかし完成品に満足できず改めてジャガーXJで作り直した[44]。
他のメーカーはフレームを新規に作るのに対し、ロビンフッドはジャガーのラダーフレームを切断して再び溶接する方法をとった。これは強度面でリスクが高いと言われていたが保証期間を3年にして製品への自信を示した。実車をミリ単位で採寸しフロントウィンドシールドはフェラーリ純正品を使用。さらにボディをFRPではなくスチールを採用するなど技術の高さを窺うことが出来る。このRSデイトナは40台製作された[45]。
リチャード・スチュワートは1987年頃から方向転換を図り、トライアンフTR7をベースにしたS7(ロータスセブンのレプリカ)に本腰を入れ[46]1996年と1997年には年間500台以上の販売台数を記録している。なお、同じ時期にトライアンフTR7をベースにしたデイトナスパイダーの広告を出しているが実際に販売されたかは不明である[47]。
しかし1998年からキットカーや並行輸入車は認証を得なければ公道の走行を認めないというSVA(車両認証制度)がイギリスで施行される。これにより全てのキットカーメーカーは大打撃を受けロビンフッドの売上も急降下した。2006年にグレート・ブリティッシュ・スポーツカーズに買収された。
その他のデイトナレプリカ
- シンプソンデザイン Simpson Design
マイアミロードスター Miami Roadster
テキサス州ヒューストンにあったシンプソンデザインによる作品。初代マツダ・ミアータ(マツダ・ロードスター)をベースとする。
オーナーのジム・シンプソンは13歳頃から父親の元で自動車関連の仕事に関わる。GMが主催する若者向けの職業訓練に参加したりヒューストンのフェラーリ販売店で見習いとして勤務するうちにイタリア車と日本車を得意とするメカニックになった彼は、1987年にシンプソンデザインを起業した。
1989年発売のマツダ・ミアータを購入した彼は早速フェラーリデイトナに改造しようと思い付いた。ミアータのプラモデルを基にボディをデザインし、それを拡大して原寸大ボディを製作した。デイトナを選んだ理由はもちろん「マイアミバイス」である。似ているだけで全く別物なのでフェラーリが起こした裁判は気にしなかったが、むしろマツダの反応を心配したという。
完成したマイアミスピードスターを毎年恒例のモントレーカーウィークに出品しようと持ち込んだところ、偶然にもマツダもフェラーリを摸倣したミアータを用意していた。マツダのスタッフは彼の作品を大いに気に入り、自社の車を引っ込めて代わりにシンプソンの車をマツダブースに展示させてもらうことにした。ショーでは「かわいい」と好評だったものの買い手は一人も現れず作られたのは3台だけだった。
その後マツダと提携した彼は、ミアータベースの1960年代の欧州製ライトウェイトスポーツカーを彷彿とさせるオリジナルデザインを次々に発表し各地のカーショーで注目を集めた。2002年には拠点をワシントン州クリントンに移しコンテンポラリークラシックスを起ち上げた[48]。
- リアクションリサーチ(Z Trix.com) Reaction Reseach (Z Trix.com)
デイトナZX Daytona ZX
アリゾナ州スコッツデールのリアクションリサーチが販売しているデイトナZXは、ダットサン280ZX(日産フェアレディZ 130系)をデイトナに変換するコンプリートキットである。
1996年頃、ジョン・ワシントンによってダットサンZ専門ショップのVRエンジニアリングを開業。1990年代にS30系Zを1962年型フェラーリ250GTOに変換する”ヴェロ・ロッサ”を発表した[49]。レプリカというほどそっくりではなかったためフェラーリの販売停止命令は下らなかった[50]。その後280ZX(130系)をベースにする「デイトナZX」のキットを発表した。両車ともにクーペとスパイダーが用意されている[51]。
一時経営難に陥り休業していたが、社名をリアクションリサーチに改め同時にWebショップのZ Trix.comを展開し再スタートした。同社HPにあるようにオーナーはカーレースへの参戦、モーターグライダー開発、人間工学に基づいたサイクルスポーツ用品の開発など多方面で活躍している[52]。
参考文献
- ^ “The Miami Vice Ferraris: American Crime Fighting Italians”. www.volocars.com. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Crockett's Daytona” (英語). Miami Vice Wiki. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Roger Sherman - Wednesday, January 14, 2015” (英語). www.beyersfuneralhome.com. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “1972 Ferrari 365 GTS/4 Daytona Spyder / Sold / Kidston SA” (英語). Kidston SA. 2021年2月24日閲覧。
- ^ Spaise, Kevin (September 1987). “Twice as Vice”. Kit Car: 13.
- ^ “Crockett's Daytona” (英語). Miami Vice Wiki. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Ferrari 400: Ferrari 400i Limousine by Mardikian”. Ferrari 400 (2018年4月18日). 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Crockett's Testarossa” (英語). Miami Vice Wiki. 2021年4月14日閲覧。
- ^ AUTOWEEK. “FERRARI VICTORY FORCES END TO DAYTONA SPYDER REPLICAR” (英語). OrlandoSentinel.com. 2021年3月30日閲覧。
- ^ Facebook (1985年5月23日). “U.S. Accuses 'Gray Market' Car Importer” (英語). Los Angeles Times. 2021年2月24日閲覧。
- ^ AUTOWEEK. “FERRARI VICTORY FORCES END TO DAYTONA SPYDER REPLICAR” (英語). OrlandoSentinel.com. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “Ferrari”. cyber.harvard.edu. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Carrera Coachwerks 550 Spyder Replica - European Car Magazine” (英語). SuperStreetOnline (2013年9月12日). 2021年2月24日閲覧。
- ^ “San Diego Auto Museum” (英語). Thunder Ranch. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “The Ferrari Daytona on Miami Vice” (英語). The Miami Vice Community. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Miami Vice Daytona Found”. Jim Suva and The Suva Files Blog. 2021年3月31日閲覧。
- ^ “The First Daytona Replica Built, Miami Vice TV Car | Volo Auto Museum”. www.volocars.com. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “Countach SS Mardikian” (英語). www.lambocars.com. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Miami Vice Daytona Found”. Jim Suva and The Suva Files Blog. 2021年2月24日閲覧。
- ^ “Red Headed - Testarossa”. www.red-headed.com. 2021年3月18日閲覧。
- ^ “This is how it is now with the Ferraris of the TV series Miami Vice | Car” (英語). Netherlands News Live (2021年7月4日). 2021年7月27日閲覧。
- ^ “This is how it is now with the Ferraris of the TV series Miami Vice | Car” (英語). Netherlands News Live (2021年7月4日). 2021年7月27日閲覧。
- ^ Sorokanich, Bob (2014年12月22日). “Buy Sonny Crockett’s Miami Vice Testarossa for $1.75 Million” (英語). Car and Driver. 2021年2月24日閲覧。
- ^ Ramey, Jay (2015年7月8日). “The Ferrari Testarossa from 'Miami Vice' can be yours -- it's headed to auction this August” (英語). Autoweek. 2021年3月11日閲覧。
- ^ Wever, Hinke. “FlexNieuws - Oranjegroep overname Match - mede door strenger toezicht bouw-cao” (オランダ語). 2021年7月27日閲覧。
- ^ “1986 Ferrari Testarossa | Monterey 2017” (英語). RM Sotheby's. 2021年3月23日閲覧。
- ^ Mann, Michael, Enzo Ferrari, Hugh Jackman, Forward Pass 2021年3月18日閲覧。
- ^ “Ferrari Daytona 365 / GTS 4 Replica Search”. collegefair.homestead.com. 2021年4月9日閲覧。
- ^ “1980 Chevrolet Four-Door Corvette - Featured Vehicles - Corvette Fever Magazine” (英語). Super Chevy (2001年3月1日). 2021年4月12日閲覧。
- ^ “Rowley Corvette - Rowley GTC Styled Parts”. www.rowleycorvette.com. 2021年4月9日閲覧。
- ^ “Exotic Illusions Lamborghini Countach Replica - Featured Vehicles - Kit Car Magazine” (英語). Hot Rod (2001年11月1日). 2021年4月12日閲覧。
- ^ “Google 翻訳”. translate.google.com. 2021年4月11日閲覧。
- ^ “My plans for my Daytona replica” (英語). The Miami Vice Community. 2021年4月12日閲覧。
- ^ Lavery, Jeff (2020年6月10日). “Corvarri?!! Ferrari 365 Daytona Replica” (英語). Barn Finds. 2021年4月13日閲覧。
- ^ “1973 Replica Kit Makes 365 GTS 4 Daytona Corvarri”. www.cardealfinder.com. 2021年4月12日閲覧。
- ^ “Westchester Fiberglass (United States)” (英語). ACI. 2021年4月14日閲覧。
- ^ Lombardi, Kate Stone (1999年2月28日). “New County Unit Aims to Deter Auto Theft” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2021年4月12日閲覧。
- ^ “Ferrari Daytona Spyder 365 GTS/4 recreation by EG Autocraft”. Retro Cars. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “1975 Daytona Spyder Replica by E.G. Autocraft. Lot #195 in Leominster Classic & Vintage Cars & Motorcycles” (英語). www.brightwells.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “Ferrari Daytona Spyder 365 GTS/4 recreation by EG Autocraft”. Retro Cars. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “LR ROADSTERS - Daytona Replica Club”. www.daytonareplicaclub.moonfruit.com. 2021年4月13日閲覧。
- ^ “SR V12 - Daytona Replica Club”. www.daytonareplicaclub.moonfruit.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “SR V12 - Daytona Replica Club”. www.daytonareplicaclub.moonfruit.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “RH ENGINEERING - Daytona Replica Club”. www.daytonareplicaclub.moonfruit.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “RH ENGINEERING - Daytona Replica Club”. www.daytonareplicaclub.moonfruit.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “Robin Hood Kit Cars - BHP Cars - Performance & Supercar News & Information” (英語). 2021年4月8日閲覧。
- ^ Vitessesteve (2014年12月19日). “Vitessesteve - blog: TR7 Daytona replica by Robin Hood Engineering”. Vitessesteve - blog. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “AJ - Simpson Design”. www.automobiles-japonaises.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “Velo Rossa”. www.ztrix.com. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “1962 Ferrari 250 GTO Replica Kit - Featured Vehicles - Kit Car Magazine” (英語). Hot Rod (2003年7月14日). 2021年4月8日閲覧。
- ^ “Daytona ZX”. www.ztrix.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “Reaction Research, www.ReactionResearch.com”. www.reactionresearch.com. 2021年4月8日閲覧。