「ヴァヴェルの竜」の版間の差分
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[[ファイル:Münster wawelski.jpg|thumb|300px| |
[[ファイル:Münster wawelski.jpg|thumb|300px|[[ゼバスティアン・ミュンスター]]による『コスモグラフィア・ウニベルサリス/一般宇宙誌 (''Cosmographie Universalis'' ) 』(1544年)の中に描かれたヴァヴェルの竜]] |
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'''ヴァヴェルの竜''' |
'''ヴァヴェルの竜'''または'''ヴァヴェルの丘の竜'''({{lang-en|Wawel Dragon}}、{{lang-pl|Smok Wawelski}})は{{Efn2|原語の ''smok''は単なる「蛇」も意味するが、場合によっては「大蛇」・「竜」の意となる。}}、ポーランド・[[クラクフ]]市の{{仮リンク|神話|en|Polish mythology|label=ポーランドの伝承}}の[[ドラゴン|竜]]。 |
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[[ヴィスワ川]]沿岸の[[ヴァヴェル城|ヴァヴェルの丘]]の麓の「竜の洞窟 」を住み処とし、生贄を要求したが、市を創立した[https://starwars.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%AF クラク王]あるいはその王子に退治されたとされる。 |
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[[ヴァヴェル大聖堂]]とクラクフの[[ヴァヴェル城]]は、ヴァヴェルの丘の上に建っている。大聖堂は、{{仮リンク|ヴァヴェルの竜 (像)|en|Wawel Dragon (statue)|label=ヴァヴェルの竜の像}}、および{{仮リンク|クラクス|en|Krakus}}による竜の敗北を祝う記念銘板を特色としている。記念銘板によれば、クラクスはポーランド人の王子で、殺された竜の住み処の上に都市と彼の宮殿を建設したという。城の下にある「竜の洞窟」は、現在は観光客が休憩する場としても人気がある<ref>[https://web.archive.org/web/20100410181701/http://www.icbleu.org/artur/dragonwawel.htm The Dragon of Wawel Hill - Smok Wawelski]. ''Icbleu.org.'' Retrieved July 27, 2012. {{en icon}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20070829193516/http://www.nceltr.mq.edu.au/writeaway/articles/wawel.htm The Dragon of Wawel.] Michael Resch at NSW AMES. Retrieved July 27, 2012. {{en icon}}</ref>。 |
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== 概説 == |
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最古の伝承によればクラク王(ラテン語:クラクス王)の在位中、その王都クラクフに現れた。王の二人の王子が、[[硫黄]]をつめこんだ{{仮リンク|牛皮|en|Cowhide|label=牛皮}}製の[[デコイ]]餌で退治。だが弟クラク王子のみが凱旋し、兄王子を殺したことが露見して追放された(『ヴィンツェンティのポーランド年代記』、13世紀)。 |
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[[ファイル:Wawel 2010-6.JPG|220px|right|thumb|ヴァヴェルの竜の像]] |
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[[ファイル:Krakowdragon.jpg|220px|right|thumb|ヴァヴェルの竜の像(火を噴いているとき)]] |
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[[ヤン・ドゥウゴシュ]]の年代記(15世紀)は、兄をクラク、兄殺しの弟を{{illm|レフII世|en|Lech II|label=レフ王子}}としており、作戦は王自身の考案とする{{Refn|group="注"|細かい所では、疑似餌には動物の死骸に硫黄の他、幾つかほかの材料を詰めている。}}。 |
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広く知られた異本では、都市の伝説的な建設者であるクラクス王の統治の世に、クラクフで起こった出来事とされている。凶悪な竜が毎日のように田園地帯の全域を破壊し、踏み固めて回る。さらに、人々を殺害し、人々の家で略奪をし、人々の家畜を貪り食った。物語の多くの異本で、竜は特に若い女性を食べることに興じており、都市の人々が月に1度、竜の洞窟の前に少女を置き去ることでわずかの間竜を鎮めることができた。国王はもちろん竜を打ち倒したかったが、王の最も勇敢な[[騎士]]達も竜の燃えさかる息の前に倒れた。少女の犠牲を必要とする異本では、ついに、国王の娘ヴァンダ(8世紀の人物とされている)以外の、都市のあらゆる少女が犠牲になってしまった。自暴自棄となった王は、竜を倒せた者には誰でも王の美しい娘と結婚することを許すと約束した。近くからも遠くからも強力な戦士達が来て、褒美のために戦い、そして失敗した。ある日、スクプという名の貧しい[[製靴|靴職人]]の[[見習い]] が挑戦に応じた(この伝承は、16世紀。ゆえに、国王の娘ヴァンダが登場できるはずがない)。彼は子[[ヒツジ|羊]]に[[硫黄]]を詰め込むと、竜の洞窟の上にそれを置いた。竜は子羊を食べ、間もなく途方もない喉の渇きに襲われた。竜は喉を潤そうとヴィスワ川に向きを変え、水を飲みに飲んだ。しかし竜の痛む胃は多量の水でも和らぐはずはなかった。ついにヴィスワ川の水の半分を飲み、膨れ上がった挙げ句、竜は破裂した。スクプは約束通り王の娘と結婚し、2人はその後ずっと幸せに暮らしたという<ref name="竜の年">田村和子「訳者あとがき」『[[#竜の年|竜の年]]』pp. 136-137.</ref><ref name="地球の歩き方 中欧">『[[#地球の歩き方 中欧|地球の歩き方 中欧]]』p. 215.</ref>。 |
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[[ポーランド語]]で書かれた近世の年代記では、竜退治策の考案者が{{仮リンク|スクプ|pl|Skub}}という[[製靴|靴職人]]だった、という話になっており、竜の住処が城下の岩窟「{{仮リンク|スモチャ・ヤマ|en|Smocza Jama|label={{読み仮名|竜の洞窟|スモチャ・ヤマ}}}}」であるとしている(すなわち[[ヴァヴェル城]]が建つ[[ヴィスワ川]]の河岸の[[ヴァヴェル城|ヴァヴェルの丘]]麓の洞窟)<!--一部の伝承では、都市が造られる前、まだ農民が住む地域だった頃に竜が棲んでいたとされている。-->。 |
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==異本== |
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伝説についての最も古い報告は、{{仮リンク|ヴィンツェンティ・カドウベク|en|Wincenty Kadłubek}}による著書にある、12世紀のものである<ref name=sikorski> {{citation|last=Sikorski |first=Czesław |title=Wood Pitch as Combat Chemical in the Light of the Jan Długosz's Annals and Some of the Old Polish Military Treatises |journal=Proceedings of the First International Symposium on Wood Tar and Pitch |date=1997 |url= |page=235}}</ref><ref>Wincenty Kadłubek, "Kronika Polska", Ossolineum, Wrocław, 2008, ISBN 83-04-04613-X</ref>。ここでは牛の皮に硫黄を詰めて竜に食わせたことになっているが、[[ヤン・ドゥウゴシュ]]『年代記』(15世紀)では、動物の死骸に硫黄、[[火口 (点火具)|火口]]、[[蝋]]、[[ピッチ (樹脂)|ピッチ]]、[[タール]]を詰めて点火したものを与えた<ref name=sikorski/> 。 |
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== 古文献の記述 == |
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== 詩人シェミェンスキによる竜の伝説 == |
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ヴァヴェルの竜退治伝説の最古の記述は、クラクフ司教{{仮リンク|ヴィンツェンティ・カドウベク|en|Wincenty Kadłubek}}が著した年代記(13世紀初頭)によるものとされる<ref name="sikorski"/>。 |
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=== ポーランド年代記(1200年頃) === |
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[[ラテン語]]で書かれた{{仮リンク|ヴィンツェンティのポーランド年代記|en|Chronica seu originale regum et principum Poloniae|label=『ヴィンツェンティのポーランド年代記』}}(1190–1208年頃成立)によれば、クラク王([[ラテン語]]:グラックス王)の治世の頃{{Refn|{{lang-la|Grakchus|italic=no}}. {{harvp|Plezia|1972|pp=21–22}}<ref name="siama"/>、 {{lang|la|Gracchus|italic=no}}<ref name="kalik&uchitel"/>{{sfnp|Nungovitch|2018|p=281}}、{{lang|la|Graccus|italic=no}} グラックス{{sfnp|荒木|1987|p=861}})。}}、その創建した王都[[クラクフ]]([[ラテン語|羅]]:グラコヴィ<ref>{{harvp|荒木|1987|p=861}}: "グラックスの建てた都市は彼の名をとってブラコヴィアGracovia(やがてクラコヴィア Krakcovia 〔Kraków〕となる。</ref>に怪物が発生した。訳出では「竜<!--龍-->([[ズメイ#スモク|スモク]])」だとされるが{{sfnp|荒木|1987|p=861}}{{Refn|group="注"|『聖ヴィンツェンティの年代記』年代記のポーランド語全訳では怪物ホロファグス「丸呑みせし者」(後述)を、"{{lang|pl|{{linktext|chciwie |połykał |smok}}}}"すなわち"貪欲に飲み込む竜(スモク)"と意訳している。}}、聖ヴィンツェンティのラテン語原文では、竜とは言わず、この怪物を'''ホロファグス'''({{Lang-la-short|holophagus}}<ref name="vincenty1872-p256-holophagus"/>、{{lang-pl-short|całożerca, {{linktext|wszystko}}{{linktext|pref=wikt:en|żerca}}}}<ref>Bielski, August 編 {{harvp|Kadłubek|1872|p=}}、索引(注)p. 451</ref>、「丸呑みせし者」)という[[造語]]で呼んでいる<ref>{{harvp|Kalik|Uchitel|2018|p="a Greek word that Kadłubek invented (カドウベクが創作したギリシア語)"}}。</ref>。 |
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原文によればホロファグスは、"岩<!--scopulus-->のくねりまがり(校訂:洞窟<!--spelunca-->)にひそむ、非道かつ最も巨怪な野獣(怪物)であった"<ref name="nungovitch-rock">{{harvp|Nungovitch|2018|p=283}}: "terrible and cruel beast" dwelling "in the depths of a certain rock"</ref><ref name="vincenty1872-p256-holophagus">{{harvp|Kadłubek|1872|p=256}}: {{lang|la|{{linktext|pref=wikt:en|Erat |enim |in |cuisdam |scopuli|}}}} (岩) {{lang|la|{{linktext|pref=wikt:en|anfractibus |monstrum |atrocitatis |immanissimae |quod |quidam}} holophagum {{linktext|dici putant}}}}".</ref><ref name="vincenty-var-spelunce-apud-weclewski">{{harvp|Węclewski ed.|1878}} ''Chronica principum Poloniae'', p. 430, 注5 では"W. Chr. Pol.'': ''{{lang|la|Erat enim in cuiusdam spelunce}}(洞窟).."と校訂文が示される。</ref>{{Refn|group="注"|『ポーランド=シレジア年代記』(1285年頃、[[:en:Chronicon Polono-Silesiacum]])では括弧で(spelunca 洞窟)と併記する。また、竜名を{{lang|la|olofagus}}{{ママ}}と綴る。{{harvp|Ćwikliński ed.|1878|p=607}}.<!-- |
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, ''[[Chronicon Polono-Silesiacum]]'': "{{lang|la|Erat enim in cuiusdam {{linktext|pref=wikt:en|spelunce}}) scopuli anfractibus monstrum atrocitatis immanissime, quod quidam olofagum dicunt}}".-->}}。 |
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この怪物は、毎週ごとに牛の[[生贄]]を欲しており、これを怠ると人間を食らった。怪物を倒そうとクラク王は{{Refn|group="注"|王が流に悩まされる市民をおもんばかって語る言葉に注視する論文があるが{{sfnp|荒木|1988|pp=815–816}}、怪竜そのものの関連性が薄いので詳しくは置く。}}二人の王子に討伐を命ず{{Refn|group="注"|聖ヴィンツェンティは、兄弟のうち下の王子のみを"小クラク"(すなわち"クラクス Jr.")とその名で呼んでいる<ref name="kadlubek-tr-kalik&uchitel"/>{{sfnp|Schlauch|1969|p=262}}。}}。しかし直接対決してもかなわないので画策し、{{仮リンク|牛皮|en|Cowhide|label=牛皮}}に[[硫黄]]を詰めたものを生贄牛の代わりに与えて怪物に食わせると、発火して怪物は死んだ<ref name="kadlubek-tr-kalik&uchitel"/>。しかし弟王子("小クラク"{{Refn|group="注"|{{Lang-la-short|iunior Graccus}}、異本:{{lang|la|minor Graccus}}<ref>{{harvp|Kadłubek|1872|p=256}}。異本は脚注。</ref>; {{lang-pl|młodsy Grakus}}.}}{{sfnp|Kadłubek|1862|p=43}})、すなわち後の{{illm|クラクII世|en|Krakus II}}は、兄王子を殺し、その罪を怪物になすりつけた。しかしその犯罪は暴露され、町の人々によって都外追放となってしまった。その後、末娘の[[ヴァンダ (ポーランド女王)|ヴァンダ]]が王座を継ぐ{{sfnp|荒木|1987|p=861}}<ref>{{harvp|Kadłubek|1862|pp=42–43}}, Józefczyk tr., pp. 42–43 {{in lang|pl}}</ref>{{sfnp|Nungovitch|2018|p=283}}<ref name="siama"/>{{sfnp|Schlauch|1969|p=262}}。 |
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=== 派生の年代記 === |
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『聖ヴィンツェンティの年代記』より派生したとみられる幾つかの年史のうち、『[[ヴィエルコポルスカ年代記|大ポーランド年代記]]』 ({{lang-pl-short|『Kronika wielkopolska』}} は通称で、ラテン語無題作品、1296年以降){{efn2|あるいは{{仮リンク|ツァルンクフのヤンコ|pl|Janko z Czarnkowa}}(1320–1387年頃)の作とされる。}}はなぜかこの竜への言及が欠けており、{{仮リンク|ジェジュヴァ年代記|en|Kronika Dzierzwy|label=『ジェジュヴァ年代記』}} ({{lang-pl-short|『Kronika Dzierzwy』}}, {{lang-en-short|『Dzierzwa Chronicle』}}。あるいは『ミェジュヴァ年代記(Kronika Mierzwy)』とも呼ばれる。14世紀)は、聖ヴィンツェンティの『年代記』とほぼ一致する{{sfnp|Rajman|2007|p=39}}。また、両年代記とも「小クラク」が弟王子としており、兄王子の名は知れずとなっている<ref name="kadlubek-tr-kalik&uchitel"/>{{sfnp|Schlauch|1969|p=262}}。 |
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しかし[[ヤン・ドゥウゴシュ]]が15世紀に編んだ年代記では<ref name="dlugosz"/>、 兄王子の名が小クラクで、兄殺しの弟は{{illm|レフII世|en|Lech II|label=レフ王子}}だとしている{{sfnp|Schlauch|1969|p=262}}{{sfnp|Rajman|2007|p=39}}。また、竜(オロファグス)を謀殺する策略は父のクラク王が授けたものとされており、王は、都から大勢の逃亡者が出ることをおそれたのだと記されている{{sfnp|Schlauch|1969|p=261}}{{sfnp|Rajman|2007|p=39}}。そこで、王の命により、生贄用の動物の死骸("毎日3頭が必要だった"{{Refn|group="注"|ドゥウゴシュのラテン語原文:''tria singulis diebus belluae iactantur''{{sfnp|Rajman|2007|p=39}}。}})に、硫黄、[[火口 (点火具)|火口]]({{lang-pl-short|{{linktext|pref=wikt:en|próchno}}}}; {{lang-la-short|{{linktext|pref=wikt:en|cauma}}}}{{Refn|group="注"|稀なラテン語のようだが、16世紀の写本の{{仮リンク|欄外古註|en|scholia}}(スコリウム)に、"cauma"を "{{linktext|fomes}}", "{{lang|pl|zagyew}}"({{lang|pl|{{linktext|pref=wikt:en|żagiew}}}})と語釈している<ref name="dlugosz-ed-dabrowski"/>。}})、[[蝋]]、[[ピッチ (樹脂)|ピッチ]]、[[タール]]を詰めて点火したものを与えた<ref name="sikorski"/> 。竜は燃えた餌を食い、火を噴き放って死に絶えた。ドゥウゴシュはさらに、竜は住処がクラク王が城を立てた[[ヴァヴェル城|ヴァヴェル]]山の洞窟だと書き加えている{{sfnp|Schlauch|1969|p=261}}{{sfnp|Rajman|2007|p=39}}。そしてやはり兄殺しの弟は追放され、ヴァンダ王女が登極する{{sfnp|Schlauch|1969|p=262}}。 |
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== 靴職人の策士版 == |
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[[File:Kraków - Wawel - Smocza Jama - inside.jpg|thumb|「竜の洞窟(スモチャ・ヤマ ) Smocza Jama 」と呼ばれる洞穴内]] |
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また、竜退治を完遂したのがスクプ<!--or Szewczyk Dratewka-->という[[製靴|靴職人]]であるという異聞もある<ref name="竜の年">田村和子「訳者あとがき」『[[#竜の年|竜の年]]』pp. 136-137.</ref>。 |
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これは、近世になって[[ポーランド語]]で書かれた{{仮リンク|マルチン・ビエルスキ|en|Marcin Bielski}}著『ポーランド年代記』([[1597年]])において{{Refn|group="注"|没後に刊行されており、竜に関する当該部分は息子の{{仮リンク|ヨアヒム・ビエルスキ|en|Joachim Bielski}} に帰するとされている{{sfnp|Plezia|1972|p=24}}。}}、竜の退治法を考案した手柄が{{仮リンク|スクプ|pl|Skub}}(またはスクバ{{Refn|group="注"|原文に拠る正しい名前は Skub(属格 Skuba)であるはずが、後にSkuba(属格 Skuby)の表記が使われてしまっている{{sfnp|Plezia|1972|p=24}}。}})という靴職人にあてがわられている{{sfnp|Plezia|1972|p=24}}<ref name="kitowska-lysiak"/>。やはりクラクフを創立したとされる伝説王(ただしクロク王 Krok と表記される)の治世、竜は毎日3頭の仔牛({{lang|pl|[[:en:wikt:cielę|cielęta]]}})または牡羊({{lang|pl|[[:ja:wikt:baran#ポーランド語|barany]]}})、とにかく何かを3つ取って食って食欲を満たすのだが、人間で間に合わせることもあった。スクプの助言でクロク王は仔牛の皮を硫黄で詰め、竜をおびきよせた。竜はその餌を飲み込むことはできず、水を飲み続けて死んでしまった。王はスクプに褒美をとらせたという{{efn2|{{lang-pl|"Kazał tedy Krok nadziać skorę cielecą, siarką a przeciw iamie położyć rano: co uczynił za radą Skuba Szewca nieiakiego, <u>ktorego potym dobrze udárowal y opatrzył"</u>"}}(王が策を決行し、靴職人スクプは褒美を得た)。}}。ビエルスキはさらに、"今でもその城の下の洞窟をみることができる。「竜の洞窟(スモチャ・ヤマ ) 」とそれは呼ばれている"と書き加えている<ref>{{harvp|Plezia|1972|p=24}}: {{lang-pl|"Jest ieszcze jego iama pod zamkiem, zowią Smoczą iamą"}}. 洞窟の写真が図6に掲載される。</ref><ref name="bielski1597"/><ref name="rozek1988"/>。 |
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=== ドラテフカ === |
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現代の児童文学や、おとぎ話の語りによっては靴職人の名前は「ドラテフカ」に置き換わることもあるとされる<ref name="michajlow&paclawako"/> 。竜退治にかかわる靴職人ドラテフカ("小さなひも"という意味の名)は{{Refn|英訳で"Twine Shoemaker(靴屋「[[紐]]さん」)"とあり<ref name="plesniarowicz"/>、波独辞書でも{{linktext|pref=wikt:en|dratwa}}"紐"の[[指小辞]]であり、"小さく薄い{{仮リンク|靴ひも|en|Shoelaces|}}({{lang-de|ein kleiner, dünner Schuh-Drath/'Schuhdrat}})"と定義されている<ref name="bandkie"/>。}} 、{{仮リンク|マリア・コブナッカ|en|Maria Kownacka}}の戯曲『恐ろしい竜、勇敢な靴屋、美しい姫とグヴズヂク王』{{efn2|仮訳題名。原題『{{lang|pl|O straszliwym smoku i dzielnym szewczyku, prześlicznej królewnie i królu Gwoździku}}』<!--gwoździk は [[[:ja:wikt:gwóźdź|gwóźdź]] グヴシチ「釘」の指小辞]-->。英文では題名は"The terrible Dragon, the brave Shoemaker, the beautiful Princess and King Gwoździk" と訳されていた。}}(1935年)の登場人物である<ref name="jurkowski&paclawako"/>。なお同名の靴屋を冠した作品に、{{仮リンク|ヤニーナ・ポラジンスカ|pl|Janina Porazińska}}作のおとぎ話{{仮リンク|くつやのドラテフカ|pl|Szewczyk Dratewka|label=『くつやのドラテフカ』}}がある。 |
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== 起源論 == |
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;類話 |
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ヴァヴェルの竜には、[[旧約聖書|旧約]][[外典]]『[[ダニエル書補遺]]』の{{仮リンク|ベルと竜|en|Bel and the dragon}}の説話との共通点が見られると指摘されるが<ref name="hasluck"/><ref name="Strzelczyk 2007"/>、既に中世の『ジェジュヴァ年代記』(『ミェジュヴァ年代記』)にも、"クラク[ス]の息子たちが地元の竜を殺した、ダニエルがバビロンの竜を殺したように"と、同じような退治法がとられたことへの言及がされている<ref>{{harvp|Nungovitch|2018|p=183}} apud Piotr Makuch (2008)</ref>{{sfnp|Schlauch|1969|p=261}}{{sfnp|Plezia|1972|p=23}}。 |
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[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]も硫黄を用いて竜を殺したという伝説があるが、その事項は[[古代]]のものとはいえず、推定[[7世紀]]の[[アレクサンドロス・ロマンス]]の[[シリア語版]]が現存初見本である。だが聖書外典と比べてヴァヴェルの竜との類似性はより近いといえる{{Refn|group="注"|このほか[[ザカリーヤー・カズウィーニー|カズウィーニー]]による[[アラビア語]]の著述にも、アレクサンドロスが同様の方法で竜を倒し、有角の兎のような[[アルミラージ|アル=ミラージ]]という生物を礼として得たと書かれている<ref name="wiedemann"/>。ハズラックの論文ではさらにペルシア文学の『[[シャー・ナーメ]]』{{仮リンク|イスファンディヤール|en|Esfandiyār}}篇の竜退治譚と類似があるとしているが、硫黄でなく短刀を用いるので"いささか似たような戦略"<!-- "somewhat similar stratagem"-->というにとどまっている<ref name="hasluck"/>。}}<ref>{{harvp|Kalik|Uchitel|2018}} and {{harvp|Nungovitch|2018|p=183}} apud {{harvp|Plezia|1972|p=25}}</ref><ref>{{harvp|Wiącek|2011|p=121}} apud {{harvp|Firlet|1996|p=96}}</ref><ref name="nawotka"/>。 |
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;悪玉 |
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ヴァヴェルの竜を単なる悪の象徴とする見方もあるが<ref>{{harvp|Wiącek|2011|p=121}} apud {{harvp|Strzelczyk|2007}}</ref>、さらには以下に説明するように、古代神話的における邪神的な解釈もあり、歴史上の殺戮者などの象徴に見立てる説も存在する。 |
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;古代神話 |
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クラクフの伝説に、キリスト教化以前の原話を求める考えもある。[[インド・ヨーロッパ祖族|インド=ヨーロッパ系]]の善悪闘争神話が、クラクフの竜の伝説の起源ではないかとも説がある<ref name="szalapak"/>。 |
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あるいは、太古の[[人身御供]]の慣習に言及した何らかの神話が根源にあるのではと歴史学者{{仮リンク|マチェイ・ミエジアン|pl|Maciej Miezian}}は推論している<ref name="miezian"/>。 |
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;歴史 |
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史実の反映の可能性もある。たとえば、6世紀後半に[[アヴァール]]人がヴァヴェルの丘を占拠し、朝貢を要求したが、これを人民を食らう竜になぞらえたのが発端だと推察する歴史家もいる<ref name="Strzelczyk 1987"/>。 |
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あるいはヴァヴェルの大聖堂ともゆかりあるクラクフ司教をみずからの手で殺した[[ボレスワフ2世 (ポーランド王)]]を、悪玉の竜に例えた伝説、という見解もある(歴史学者{{仮リンク|チェスワフ・デプトゥワ|pl|Czesław Deptuła}}説)<ref name="derwich"/><ref name="deptula"/>。[[殉教]]した{{仮リンク|シュチェパヌフ|en|Szczepanów, Lesser Poland Voivodeship}}の[[シュツェパノフのスタニスラウス|聖スタニスワフ]]は、ポーランドの守護聖人である。 |
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また複合的な見解として、雷神滅竜の神話の土台に、{{仮リンク|蛇神崇拝|en|Snake worship|label=竜蛇崇拝}}と{{仮リンク|シュチェパヌフ|en|Szczepanów, Lesser Poland Voivodeship}}の[[シュツェパノフのスタニスラウス|聖スタニスワフ]]崇拝の習合が加わった伝説と言う説明もされている<ref name="siama"/>。 |
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== 再話 == |
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[[ファイル:Krak.PNG|thumb|right|220px|[[:en:Walery Eljasz Radzikowski|Walery Eljasz Radzikowski]]によって描かれたクラク(ス)王]] |
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広く知られた再話では、都市の伝説的な建設者であるクラクス王の統治の世に、クラクフで起こった出来事とされている。凶悪な竜が毎日のように田園地帯の全域を破壊し、踏み固めて回る。さらに、人々を殺害し、人々の家で略奪をし、人々の家畜を貪り食った。物語の多くの異本で、竜は特に若い女性を食べることに興じており、都市の人々が月に1度、竜の洞窟の前に少女を置き去ることでわずかの間竜を鎮めることができた。国王はもちろん竜を打ち倒したかったが、王の最も勇敢な[[騎士]]達も竜の燃えさかる息の前に倒れた。少女の犠牲を必要とする異本では、ついに、国王の娘ヴァンダ(8世紀の人物とされている)以外の、都市のあらゆる少女が犠牲になってしまった。自暴自棄となった王は、竜を倒せた者には誰でも王の美しい娘と結婚することを許すと約束した。近くからも遠くからも強力な戦士達が来て、褒美のために戦い、そして失敗した。ある日、スクプという名の貧しい[[製靴|靴職人]]の[[見習い]] が挑戦に応じた(この伝承は、16世紀。ゆえに、国王の娘ヴァンダが登場できるはずがない)。彼は子[[ヒツジ|羊]]に[[硫黄]]を詰め込むと、竜の洞窟の上にそれを置いた。竜は子羊を食べ、間もなく途方もない喉の渇きに襲われた。竜は喉を潤そうとヴィスワ川に向きを変え、水を飲みに飲んだ。しかし竜の痛む胃は多量の水でも和らぐはずはなかった。ついにヴィスワ川の水の半分を飲み、膨れ上がった挙げ句、竜は破裂した。スクプは約束通り王の娘と結婚し、2人はその後ずっと幸せに暮らしたという<ref name="竜の年">田村和子「訳者あとがき」『[[#竜の年|竜の年]]』pp. 136-137.</ref><ref name="地球の歩き方 中欧">『[[#地球の歩き方 中欧|地球の歩き方 中欧]]』p. 215.</ref>。 |
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=== 詩人シェミェンスキ === |
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ポーランドの詩人{{仮リンク|ルツィヤン・シェミェンスキ|pl|Lucjan Siemieński}}(1809年 - 1877年)は、ポーランドや近隣国の伝説を収録した『ポーランド、ロシア、リトアニアの伝承と伝説 ({{lang-pl-short|Podania i legendy polskie, ruskie i litewskie}}<ref>「出典」『[[#ポーランドの民話|ポーランドの民話]]』p. 352<!--ページ番号は打たれていない-->.</ref>)』を出版しており<ref>「[[#解説|解説]]」『ポーランドの民話』p. 345.</ref>、この竜の話も「'''竜''' ({{lang-pl-short|Smok}}<ref>「各話原題」『[[#ポーランドの民話|ポーランドの民話]]』p. 353.</ref>)」の題名で収められている。 |
ポーランドの詩人{{仮リンク|ルツィヤン・シェミェンスキ|pl|Lucjan Siemieński}}(1809年 - 1877年)は、ポーランドや近隣国の伝説を収録した『ポーランド、ロシア、リトアニアの伝承と伝説 ({{lang-pl-short|Podania i legendy polskie, ruskie i litewskie}}<ref>「出典」『[[#ポーランドの民話|ポーランドの民話]]』p. 352<!--ページ番号は打たれていない-->.</ref>)』を出版しており<ref>「[[#解説|解説]]」『ポーランドの民話』p. 345.</ref>、この竜の話も「'''竜''' ({{lang-pl-short|Smok}}<ref>「各話原題」『[[#ポーランドの民話|ポーランドの民話]]』p. 353.</ref>)」の題名で収められている。 |
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シェミェンスキの記したところでは、かつて人々は、人間がこの竜に食べられないようにと竜に毎日のように家畜3頭を与えていた。あるとき、靴職人スクプからの助言を受けて、クラク(クラクス)は子牛の皮に硫黄を詰めさせると竜の住む洞窟の前に置かせた。目論見通りに、竜は硫黄ごと子牛を飲み込み、続いて水を多量に飲んで死んだ。クラクはスクプにたくさんの褒美を与えたという<ref>「[[#竜|竜]]」『ポーランドの民話』p. 290.</ref>。 |
シェミェンスキの記したところでは、かつて人々は、人間がこの竜に食べられないようにと竜に毎日のように家畜3頭を与えていた。あるとき、靴職人スクプからの助言を受けて、クラク(クラクス)は子牛の皮に硫黄を詰めさせると竜の住む洞窟の前に置かせた。目論見通りに、竜は硫黄ごと子牛を飲み込み、続いて水を多量に飲んで死んだ。クラクはスクプにたくさんの褒美を与えたという<ref>「[[#竜|竜]]」『ポーランドの民話』p. 290.</ref>。 |
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== 小説家ヘイドゥク |
=== 小説家ヘイドゥク === |
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ポーランドの歴史小説家{{仮リンク|ブロニスワフ・ヘイドゥク|pl|Bronisław Heyduk}}(生没年不詳)<ref group="注">ポーランド語版記事「[[:pl:Bronisław Heyduk|Bronisław Heyduk]]」では1909年生、1984年没。</ref>は、幼い頃の彼に祖母が物語を語り聞かせた口調を生かした『クラクフ神話伝説物語<ref group="注">ポーランド語版記事「[[:pl:Bronisław Heyduk|Bronisław Heyduk]]」での原題は『Legendy i opowieści o Krakowie』。</ref>』(日本語題)を著している。ヴァヴェルの竜の伝説も、「英雄クラクス伝説」(日本語題)として収録されている<ref>「[[#英雄クラクス伝説|英雄クラクス伝説]]」『文学の贈物』p. 46.(訳者による序)</ref>。 |
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[[ファイル:Krak.PNG|thumb|right|220px|[[:en:Walery Eljasz Radzikowski|Walery Eljasz Radzikowski]]によって描かれたクラクス]] |
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ポーランドの歴史小説家{{仮リンク|ブロニスワフ・ヘイドゥク|pl|Bronisław Heyduk}}(生没年不詳)<ref group="注釈">ポーランド語版記事「[[:pl:Bronisław Heyduk|Bronisław Heyduk]]」では1909年生、1984年没。</ref>は、幼い頃の彼に祖母が物語を語り聞かせた口調を生かした『クラクフ神話伝説物語<ref group="注釈">ポーランド語版記事「[[:pl:Bronisław Heyduk|Bronisław Heyduk]]」での原題は『Legendy i opowieści o Krakowie』。</ref>』(日本語題)を著している。ヴァヴェルの竜の伝説も、「英雄クラクス伝説」(日本語題)として収録されている<ref>「[[#英雄クラクス伝説|英雄クラクス伝説]]」『文学の贈物』p. 46.(訳者による序)</ref>。 |
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ヘイドゥクの記したところでは、クラクフの町を築いたクラクスI世の時代の後、クラクスIV世の治世には、大きな災害の後や戦争の前に、異教の神々にさまざまな生贄を捧げる慣習が続いていた。生きた動物ばかりか人間も捧げられていた。生贄となった人は、ヴァヴェルの丘の洞窟に繋がる深い穴の中に落とされ、洞窟に住む怪物スモークに食べられた。ある時、ヴィスワ川の洪水によって生贄になった人の死体が岸辺に打ち上げられ、神々が生贄を喜んでいないと判断された。その後、町は大火に見舞われ、春には雨が降らなくなって今年の飢饉が心配された。生贄を捧げても雨は降らず、ついにヴィスワ川の水が涸れた。すると今まで水面下にあった洞窟の入り口に入れるようになり、クラクスはスモークと戦ってこれを倒した。もはや生きた人間を生贄にする必要はなくなり、雨も間もなく降りだしたため、人々はクラクスに感謝し、クシェミョンカの丘に高塚を作った。そこには高城も建てられて、こんにちまで残っている<ref>「[[#英雄クラクス伝説|英雄クラクス伝説]]」『文学の贈物』pp. 46-49.(英雄クラクス伝説)</ref>{{refnest|group="注 |
ヘイドゥクの記したところでは、クラクフの町を築いたクラクスI世の時代の後、クラクスIV世の治世には、大きな災害の後や戦争の前に、異教の神々にさまざまな生贄を捧げる慣習が続いていた。生きた動物ばかりか人間も捧げられていた。生贄となった人は、ヴァヴェルの丘の洞窟に繋がる深い穴の中に落とされ、洞窟に住む怪物スモークに食べられた。ある時、ヴィスワ川の洪水によって生贄になった人の死体が岸辺に打ち上げられ、神々が生贄を喜んでいないと判断された。その後、町は大火に見舞われ、春には雨が降らなくなって今年の飢饉が心配された。生贄を捧げても雨は降らず、ついにヴィスワ川の水が涸れた。すると今まで水面下にあった洞窟の入り口に入れるようになり、クラクスはスモークと戦ってこれを倒した。もはや生きた人間を生贄にする必要はなくなり、雨も間もなく降りだしたため、人々はクラクスに感謝し、クシェミョンカの丘に高塚を作った。そこには高城も建てられて、こんにちまで残っている<ref>「[[#英雄クラクス伝説|英雄クラクス伝説]]」『文学の贈物』pp. 46-49.(英雄クラクス伝説)</ref>{{refnest|group="注"|ヘイドゥクによるこの物語には、クラクスの娘ヴァンダは登場しない。なおヘイドゥクは、同じ著書に収めた「ヴァンダ伝説」において、後のクラクスVIII世の妻となった[[ヴァンダ (ポーランド女王)|ヴァンダ]]の物語を語っている<ref>「[[#英雄クラクス伝説|英雄クラクス伝説]]」『文学の贈物』pp. 50-54.(ヴァンダ伝説)</ref>。}}。 |
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== 史跡 == |
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[[File:Bone of Wawel Dragon.JPG|thumb|left|竜の骨とされる物品。[[ヴァヴェル大聖堂]]の外につるされている。]] |
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竜がいたとされる洞窟は、ヴァヴェル城の敷地で一番ヴィスワ川に近い所に位置している<ref name="地球の歩き方 中欧" />。現在、「竜の洞窟」は観光地になっており、火を噴く仕掛けが施された{{仮リンク|ヴァヴェルの竜 (像)|en|Wawel Dragon (statue)|label=竜の像}}が有名である<ref name="竜の年" />。竜の像は城の麓にある<ref name="地球の歩き方 中欧" />。 |
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[[ファイル:Wawel 2010-6.JPG|220px|right|thumb|ヴァヴェルの竜の像]] |
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[[ファイル:Krakowdragon.jpg|220px|right|thumb|ヴァヴェルの竜の像(火焔を噴いている動画)]] |
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{{multiple image |
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| footer = ヴァヴェルの竜の像<br />(左)昼間.(右)夕方。火を噴いているとき. |
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| align = right |
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| caption_align = center |
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|total_width = 400 |
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| image1 = Wawel 2010-6.JPG |
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| alt1 = ヴァヴェルの竜の像 |
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| image2 = Krakowdragon.jpg |
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| alt2 = ヴァヴェルの竜の像(火を噴いているとき) |
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| caption2 = |
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| link2 = |
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[[File:Wawel Castle dragon.webm|thumb|ヴァヴェルの竜の像(火を噴いているとき)]] |
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クラクフの[[ヴァヴェル城]]は、ヴァヴェルの丘の上に建っている。竜がいたとされる城下(城の麓)の「{{仮リンク|スモチャ・ヤマ|en|Smocza Jama|label={{読み仮名|竜の洞窟|スモチャ・ヤマ}}}}」はヴィスワ川に接した場所に現存しており、現在でも見学が可能である<ref name="jtb"/><ref name="地球の歩き方 中欧" /><ref name="rozek1996"/>。 |
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この竜の洞窟の文献上の初見は1190年とされるが<ref name="gunn"/> これは最古史料であるヴィンツェンティの年代記の成立年であり、そこには上述したようにこの野獣が岩の奥底<ref name="vincenty1872-p256-holophagus"/><ref name="nungovitch-rock"/>、すなわち、某"洞窟"に居たとのみ記される<ref name="vincenty-var-spelunce-apud-weclewski"/>。 |
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洞窟の入り口を出たところに設置された{{仮リンク|ヴァヴェルの竜 (像)|en|Wawel Dragon (statue)|label=ヴァヴェルの竜の像}}は、火を噴く仕掛けで有名である<ref name="jtb"/><ref name="竜の年" />。 |
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[[ヴァヴェル大聖堂]]には{{仮リンク|クラクス|en|Krakus}}による竜退治の記念銘板があり、竜の住み処の上に都市と彼の宮殿を建設したと刻まれている{{cn|date=2020年3月}}。大聖堂の入り口には、複数の「竜の骨」なる物品が吊り下げられて飾られているが、これは[[氷河時代]]のマンモスや鯨などの大型の骨を「竜骨」と称して展示するヨーロッパ中世の慣習の一例とされている<ref name="wood"/>。 |
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=== ギャラリー === |
=== ギャラリー === |
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31行目: | 110行目: | ||
ファイル:Smok Wawelski.jpg|ヴァヴェルの竜の像とその周辺 |
ファイル:Smok Wawelski.jpg|ヴァヴェルの竜の像とその周辺 |
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ファイル:616308 Kraków Smocza Jama 06.JPG|ヴァヴェルの竜の洞窟 |
ファイル:616308 Kraków Smocza Jama 06.JPG|ヴァヴェルの竜の洞窟 |
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ファイル:Kraków - Wawel - Smocza Jama - inside.jpg|洞窟の内部 |
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</gallery> |
</gallery> |
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== 脚注 == |
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== 注釈 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist|group="注 |
{{Reflist|group="注"}} |
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== 出典 == |
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;脚注 |
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{{Reflist|2}} |
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{{Reflist|30em|refs= |
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<ref name="bandkie">{{cite book|last=Bandtkie |first=Jerzy Samuel |author-link=:en:Jerzy Samuel Bandtkie |chapter=Dratewka |title=Słownik dokładny języka polskiego i niemieckiego. Vollständiges polnisch-deutsches Wörterbuch |volume=1 |location=Breslau |publisher=Wilhelm Gottlieb Korn |year=1806 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=woYCAAAAQAAJ&pg=PA199 |page=199 |lang=de}}</ref> |
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<ref name="bielski1597">{{cite book|last=Bielski|first=Marcin |author-link=:en:Marcin Bielski |chapter=księgi pierwsze: Crakus ábo Krok, Monárchá Polski |title=Kronika Polska M. Bielskiego. Nowo przez I. Bielskiego syná iego wydána [and continued 1576-86] |location=Kraków |publisher=w Drukární J. Sibeneychera |year=1597 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=RwhlAAAAcAAJ&pg=PA29 |pages=29–31}}</ref> |
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<ref name="deptula">{{cite book|last=Bielski|first=Marcin |author-link=:en:Marcin Bielski |chapter=księgi pierwsze: Crakus ábo Krok, Monárchá Polski |title=Archanioł i smok: z zagadnień legendy miejsca i mitu początku w Polsce średniowiecznej |location=Lublin|publisher=Werset |date=2003|url=https://books.google.com/books?id=G9USAQAAIAAJ&q=Wawel+Stanis%C5%82au|pages=79–86 |isbn=<!--8391785637, -->9788391785638}}</ref> |
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<ref name="derwich">{{cite journal|editor-last=Derwich |editor-first=Marek |editor-link=:pl:Marek Derwich |title=(Recension) ''Archanioł i smok. Z zagadnień legendy miejsca i mitu początku w Polsce średniowiecznej'', Czesław Deptuła, Lublin 2003 |journal=Quaestiones Medii Aevi Novae |volume=710 |date=2005|url=https://books.google.com/books?id=spfxAAAAMAAJ&q=wawel+smok+%22St.+Stanis%C5%82aw%22+ |page=386}}</ref> |
|||
<ref name="dlugosz">{{cite book|last=Długosz |first=Jan |author-link=:en:Jan Długosz |chapter=Graccus arcem et civitatem Cracoviensem aedificat, et draco ingens latitans sub arce, incolis onerosus, occiditur |title=Joannis Długossii seu longini canonici Cracoviensis Historiae Polonicae libri XII |volume=1 |location= |publisher=ex typographia Kirchmayeriana |year=1873|chapter-url=https://books.google.com/books?id=wtxbAAAAcAAJ&pg=PA66 |page=66–67|lang=la}}</ref> |
|||
<ref name="dlugosz-ed-dabrowski">{{cite book|last=Długosz |first=Jan |author-link=:en:Jan Długosz |editor-last=Dąbrowski |editor-first=Jan |editor-link=:pl:Jan Dąbrowski (historyk) |chapter=Graccus arcem et civitatem Cracoviensem aedificat, et draco ingens latitans sub arce, incolis onerosus, occiditur |title=Ioannis Dlugossii Annales: seu, Cronicae incliti Regni Poloniae |volume=1 |location= |publisher=Państwowe Wydawn. Naukowe |year=1964 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=JdR4Wp8O-3kC&q=cauma |page=126 note|lang=la}}</ref> |
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<ref name="gunn">{{cite book|last=Gunn |first=John |author-link=<!--John Gunn (geographer)--> |title=Encyclopedia of Caves and Karst Science |publisher=Taylor & Francis |date=2004 |url=https://books.google.com/books?id=bhiJ10Xx9VwC&pg=PA693 |page=693 |isbn=<!--1579583997, -->9781579583996}}</ref> |
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<ref name="hasluck">{{cite book|last=Hasluck |first=Frederick William |author-link=:en:Frederick William Hasluck |title=Christianity and Islam Under the Sultan |volume=2 |location= |publisher=Clarendon Press |year=1929 |url=https://books.google.com/books?id=s0UKAQAAMAAJ&q=Cracow+Bel|page=655|lang=en}}</ref> |
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<ref name="kadlubek-tr-kalik&uchitel">Wincenty Kadłubek (1992) '' Kronika polska'', Kürbis, Brygida (tr.), Wrocław, {{in lang|pl}} 版の原文より、{{harvp|Kalik|Uchitel|2018}}が英訳(抜粋)。</ref> |
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<ref name="jtb">{{cite web|url=https://www.jtb.co.jp/myjtb/card/travel_life/column/article94.asp |author=EliilE |title=ポーランドの古都クラクフに伝わるドラゴン伝説 |work=トラベル&ライフ・ウェブマガジン |publisher=JTB |date=2018年5月 |accessdate=2022年3月29日}}</ref> |
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<ref name="jurkowski&paclawako">{{citation|last1=Jurkowski |first1=Henryk |author1-link=:pl:Henryk Jurkowski |last2=Francis |first2=Penny |author2-link=<!--Penny Francis--> |title=A History of European Puppetry: The twentieth century |location=Lewiston, NY |publisher=Edwin Mellen Press<!--[[:en:Edwin Mellen Press]]--> |date=1996 |url=https://books.google.com/books?id=TFuFAAAAIAAJ&q=Kownacka |page=276|isbn=<!--0773483225, -->9780773483224}}</ref><!--この出版社 [[WP:SELFPUB]]リストに搭載されるが、この著述物は少なくとも 3 冊の学術本に引用されており(Routledge/Springer/Northwestern U.)、 Jurkowski 氏は国立劇場アカデミーの[[AST National Academy of Theatre Arts in Kraków]]の教員職にある。--> |
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<ref name="kalik&uchitel">{{citation|last1=Kalik |first1=Judith |author1-link=<!--Judith Kalik--> |last2=Uchitel|first2=Alexander |author2-link=<!--Alexander Uchitel--> |title=Slavic Gods and Heroes |publisher=Routledge |date=2018 |url=https://books.google.com/books?id=F9h4AAAAMAAJ&q=%22Wawel%22 |page=<!--unpaginated-->|isbn=<!--1351028685, -->9781351028684 |quote=|lang=en]}}</ref> |
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<ref name="kitowska-lysiak">{{citation|last1=Kitowska-Łysiak |first1=Małgorzata |author1-link=:pl:Małgorzata Kitowska-Łysiak |last2=Wolicka |first2=Elżbieta |author2-link=:pl:Elżbieta Wolicka-Wolszleger |title=Miejsce rzeczywiste, miejsce wyobrażone: studia nad kategorią miejsca w przestrzeni kultury |publisher=Towarzystwo Naukowe Katolickiego Uniwersytetu Lubelskiego [Scientific Society of the Catholic University of Lublin] |date=1999 |url=https://books.google.com/books?id=F9h4AAAAMAAJ&q=%22Wawel%22 |page=231|isbn=9788387703745 |quote=Gdy w w. XVI projektodawcą sposobu uśmiercenia potwora kreowano krakowskiego szewca Skubę (Bielski) [16世紀に怪物を倒す策士が(ビエルスキに拠って)クラクフの靴職人スクプとされたとき、途方もないような話が、現実味を帯びてきた。]|lang=pl}}</ref> |
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<ref name="michajlow&paclawako">{{citation|last1=Michajłów |first1=Adam |author1-link=<!--Adam Michajłów--> |last2=Pacławski|first2=Waldemar |author2-link=<!--Waldemar Pacławski--> |title=Literary Galicia: From Post-war to Post-modern : a Local Guide to the Global Imagination |publisher=Oficyna Literacka |date=1999 |url=https://books.google.com/books?id=HZ5hAAAAMAAJ&q=%22Dratewka%22 |page=79|isbn=<!--8385158324, -->9788385158325}}</ref> |
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<ref name="miezian">{{cite journal|last=Miezian |first=Maciej |author-link=:pl:Maciej Miezian |title=Smok wawelski. Historia prawdziwa i wbrew pozorom całkiem poważna |journal=Nasza Historia Dziennik Polski |volume=12 |date=November 2014<!--listopad 2014 [30.10.2014]--> |url=https://www.prasa24.pl/gazeta/nasza-historia-dziennik-polski/2014-10-30,dw.html<!--archive--> |url-access=subscription |pages=1–13 |lang=pl}} {{ISSN|2391-5633}}<!--Cover image with dragon (cf. url) Cover headline leads "Bestia z legendy o założeniu Krakowa jest znacznie prawdziwsa niż się nam wydaje [The beast from the legend of the founding of Krakow is much real than we think]" (smaller print) and "Smok Wawelski: czy mógł istnieć [The Wawel Dragon: Could it exist ]"--></ref> |
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<ref name="nawotka">{{cite book|last=Nawotka |first=Krzysztof |author-link=<!--Krzysztof Nawotka--> |title=Syriac and Persian Versions of the Alexander Romance |editor-last=Moore |editor-first=Kenneth Royce |editor-link=<!--Kenneth Royce Moore--> |work=Brill's Companion to the Reception of Alexander the Great |location=|publisher=BRILL |year=2018 |url=https://books.google.com/books?id=ZJJyDwAAQBAJ&q=+Kraków&pg=PA534 |page=534<!--524–542-->|isbn=<!--9004359931, -->9789004359932 |quote=The episodes known exclusively from the Syriac {{smallcaps|A}}[lexander] {{smallcaps|R}}[omance] are that of Alexander killing a dragon by feeding it with oxen filled with gypsum, pitch and sulphur,..}}</ref> |
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<ref name="plesniarowicz">{{cite book|last=Pleśniarowicz|first=Krzysztof |author-link=:pl:Krzysztof Pleśniarowicz |title=The Dead Memory Machine: Tadeusz Kantor's Theatre of Death |others=Brand, William R. tr. |location=|publisher=Black Mountain Press |year=2004 |url=https://books.google.com/books?id=zIiRAAAAIAAJ&q=%22Kownacka%22 |page=59 |isbn=<!--190286705X, -->9781902867052}}</ref> |
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<ref name="rozek1988">{{cite book|last1=Rożek |first1=Michał |author-link=:pl:Michał Rożek |title=Cracow: A Treasury of Polish Culture and Art |publisher=Interpress Publ. |year=1988 |url=https://books.google.com/books?id=7LlFAAAAIAAJ&q=%22wawel%22 |page=27|isbn=9788322322451 }}(ビエルスキより当該文節を英訳)<!--頁は索引から取得--></ref> |
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<ref name="rozek1996">{{cite book|last1=Rożek |first1=Michał |author-link=:pl:Michał Rożek |others=Birgit Helen Beile (tr.); Janusz Podlecki (photog.) |title=Cracow: city of Kings |publisher=Prisma Verlag GmbH |year=1996|url=https://books.google.com/books?id=yWeOfVzBZH4C&q=dragon |page=73 |isbn=<!--8386146710, -->9788386146710}}</ref> |
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<ref name="siama">{{cite journal|last=Siama |first=Monika |author-link=<!--Monika Siama--> |title=Le palimpseste hagiographique de la Pologne du haut Moyen Âge : l'espace et le temps du culte de saint Stanislas de Szczepanowo |journal=Revue des études slaves |volume=79 |number=1/2 |date=2008 |url=https://www.persee.fr/doc/slave_0080-2557_2008_num_79_1_7124 |pages=35–52 |doi=10.3406/slave.2008.7124 |jstor=43271841}}</ref> |
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<ref name="sikorski">{{citation|last=Sikorski |first=Czesław |title=Wood Pitch as Combat Chemical in the Light of the Jan Długosz's ''Annals'' and Some of the Old Polish Military Treatises |journal=Proceedings of the First International Symposium on Wood Tar and Pitch |date=1997 |url=https://books.google.com/books?id=MpcSAQAAIAAJ&q=tinder |page=235|isbn=9788390058634 }}</ref> |
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<ref name="Strzelczyk 1987">{{cite book|last=Strzelczyk|first=Jerzy |author-link=:en:Jerzy Strzelczyk |title=Od Prasłowian do Polaków |location=Kraków |publisher=Krajowa Agencja Wydawnicza |year=1987 |url=https://books.google.com/books?id=zAxKAAAAIAAJ&q=Awarów+smok |pages=75–76 |isbn=83-03-02015-3}} {{in lang|pl}}; {{harvp|Wiącek|2011|p=121}} でも引用。</ref> |
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<ref name="Strzelczyk 2007">{{cite book|last=Strzelczyk|first=Jerzy |author-link=:en:Jerzy Strzelczyk |title=Mity, podania i wierzenia dawnych Słowian |location=Poznań |publisher=Rebis |year=2007 |url= |pages=190–191 |isbn=978-83-7301-973-7}} {{in lang|pl}}, cited by {{harvp|Wiącek|2011|p=121}}</ref> |
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<ref name="szalapak">{{cite book|last=Szałapak |first=Anna |author-link=:pl:Anna Szałapak |others=Rafał Korzeniowski (photography) |title=Legends and mysteries of Cracow: from King Krak to Piotr Skrzynecki |location=|publisher=Muzeum Historyczne Miasta Krakowa |year=2005|url=https://books.google.com/books?id=7f1oAAAAMAAJ&dq=%22Indo-European%22 |pages=190–191 |isbn=<!--8389599074, -->9788389599070}}</ref> |
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<ref name="wiedemann">{{cite web|last=Wiedemann |first=Michel |authorlink=<!--Michel Wiedemann--> |others=Claude Saint-Girons |title=Les lièvres cornus, une famille d'animaux fantastiques |date=28 March 2009 |url=http://symposium.over-blog.fr/article-29574343.html |access-date=2021-12-28 |lang=fr}}, citing {{harvp|Firlet|1996|pp=150–152}}</ref> |
|||
<ref name="wood">{{cite book|last=Wood |first=Christopher S. |author-link=:en:Christopher Wood (art historian) |title=Forgery, Replica, Fiction: Temporalities of German Renaissance Art |location= |publisher=University of Chicago Press |date=2008 |url=https://books.google.com/books?id=Gj4zOnmkbuEC&pg=PA183 |page=183|isbn=<!--0226905977, -->9780226905976}}</ref> |
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}} |
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;参考文献 |
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{{refbegin}} |
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<!--日本語書籍、著者50音順、次いで外国語書籍ABC順--> |
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* {{citation|和書|ref={{SfnRef|荒木|1987}}|last=荒木 |first=勝 |author-link=<!--荒木勝--> |title=ピァスト伝説に関する一考察―『匿名のガル年代記』から『マギステル・ヴィンセンティのポーランド年代記』へ― |journal=岡山大学法学会雑誌<!--Okayama Law Journal--> |publisher=<!--The Association of Law of Okayama University-->|volume=36 |issue=3・4号/通巻127 |date=1987年3月10日 |url=https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/48935/20160528093200565070/olj_036_3%E3%83%BB4_459_493.pdf |pages=843–877 }} |
|||
* {{citation|和書|ref={{SfnRef|荒木|1988}}|last=荒木 |first=勝 |author-link=<!--荒木勝--> |author-mask=2 |title=『ヴィンセンティのポーランド年代記』における{{読み仮名|市民的=政治的|ポリティックス}}正義 ― |journal=岡山大学法学会雑誌<!--Okayama Law Journal--> |publisher=<!--The Association of Law of Okayama University-->|volume=37 |issue=4号/通巻131 |date=1988年3月20日|url=https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/48929/20160528090704923506/olj_037_4_047_086.pdf |pages=811–885}} |
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== 参考文献 == |
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<!--書籍の題名の50音順--> |
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* {{Cite book |和書 |editor=地球の歩き方編集室編 |title=[[地球の歩き方]] A25 中欧 |edition='03-04年版 |publisher=[[ダイヤモンド社]] |date=2003-07 |isbn=978-4-478-05086-6 |ref=地球の歩き方 中欧 }} |
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* {{Cite book |和書 |title=ポーランドの民話 |series=東ヨーロッパの民話 |others=[[吉上昭三]]他共訳編 |publisher=[[恒文社]] |date=1980-07 |isbn=978-4-7704-0350-6 |ref=ポーランドの民話 }} |
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2022年4月21日 (木) 23:29時点における版
ヴァヴェルの竜またはヴァヴェルの丘の竜(英語: Wawel Dragon、ポーランド語: Smok Wawelski)は[注 1]、ポーランド・クラクフ市のポーランドの伝承の竜。
ヴィスワ川沿岸のヴァヴェルの丘の麓の「竜の洞窟 」を住み処とし、生贄を要求したが、市を創立したクラク王あるいはその王子に退治されたとされる。
概説
最古の伝承によればクラク王(ラテン語:クラクス王)の在位中、その王都クラクフに現れた。王の二人の王子が、硫黄をつめこんだ牛皮製のデコイ餌で退治。だが弟クラク王子のみが凱旋し、兄王子を殺したことが露見して追放された(『ヴィンツェンティのポーランド年代記』、13世紀)。
ヤン・ドゥウゴシュの年代記(15世紀)は、兄をクラク、兄殺しの弟をレフ王子としており、作戦は王自身の考案とする[注 2]。
ポーランド語で書かれた近世の年代記では、竜退治策の考案者がスクプという靴職人だった、という話になっており、竜の住処が城下の岩窟「
古文献の記述
ヴァヴェルの竜退治伝説の最古の記述は、クラクフ司教ヴィンツェンティ・カドウベクが著した年代記(13世紀初頭)によるものとされる[1]。
ポーランド年代記(1200年頃)
ラテン語で書かれた『ヴィンツェンティのポーランド年代記』(1190–1208年頃成立)によれば、クラク王(ラテン語:グラックス王)の治世の頃[6]、その創建した王都クラクフ(羅:グラコヴィ[7]に怪物が発生した。訳出では「竜(スモク)」だとされるが[5][注 3]、聖ヴィンツェンティのラテン語原文では、竜とは言わず、この怪物をホロファグス(羅: holophagus[8]、波: całożerca, wszystkożerca[9]、「丸呑みせし者」)という造語で呼んでいる[10]。
原文によればホロファグスは、"岩のくねりまがり(校訂:洞窟)にひそむ、非道かつ最も巨怪な野獣(怪物)であった"[11][8][12][注 4]。
この怪物は、毎週ごとに牛の生贄を欲しており、これを怠ると人間を食らった。怪物を倒そうとクラク王は[注 5]二人の王子に討伐を命ず[注 6]。しかし直接対決してもかなわないので画策し、牛皮に硫黄を詰めたものを生贄牛の代わりに与えて怪物に食わせると、発火して怪物は死んだ[14]。しかし弟王子("小クラク"[注 7][17])、すなわち後のクラクII世は、兄王子を殺し、その罪を怪物になすりつけた。しかしその犯罪は暴露され、町の人々によって都外追放となってしまった。その後、末娘のヴァンダが王座を継ぐ[5][18][19][2][15]。
派生の年代記
『聖ヴィンツェンティの年代記』より派生したとみられる幾つかの年史のうち、『大ポーランド年代記』 (波: 『Kronika wielkopolska』 は通称で、ラテン語無題作品、1296年以降)[注 8]はなぜかこの竜への言及が欠けており、『ジェジュヴァ年代記』 (波: 『Kronika Dzierzwy』, 英: 『Dzierzwa Chronicle』。あるいは『ミェジュヴァ年代記(Kronika Mierzwy)』とも呼ばれる。14世紀)は、聖ヴィンツェンティの『年代記』とほぼ一致する[20]。また、両年代記とも「小クラク」が弟王子としており、兄王子の名は知れずとなっている[14][15]。
しかしヤン・ドゥウゴシュが15世紀に編んだ年代記では[21]、 兄王子の名が小クラクで、兄殺しの弟はレフ王子だとしている[15][20]。また、竜(オロファグス)を謀殺する策略は父のクラク王が授けたものとされており、王は、都から大勢の逃亡者が出ることをおそれたのだと記されている[22][20]。そこで、王の命により、生贄用の動物の死骸("毎日3頭が必要だった"[注 9])に、硫黄、火口(波: próchno; 羅: cauma[注 10])、蝋、ピッチ、タールを詰めて点火したものを与えた[1] 。竜は燃えた餌を食い、火を噴き放って死に絶えた。ドゥウゴシュはさらに、竜は住処がクラク王が城を立てたヴァヴェル山の洞窟だと書き加えている[22][20]。そしてやはり兄殺しの弟は追放され、ヴァンダ王女が登極する[15]。
靴職人の策士版
また、竜退治を完遂したのがスクプという靴職人であるという異聞もある[24]。
これは、近世になってポーランド語で書かれたマルチン・ビエルスキ著『ポーランド年代記』(1597年)において[注 11]、竜の退治法を考案した手柄がスクプ(またはスクバ[注 12])という靴職人にあてがわられている[25][26]。やはりクラクフを創立したとされる伝説王(ただしクロク王 Krok と表記される)の治世、竜は毎日3頭の仔牛(cielęta)または牡羊(barany)、とにかく何かを3つ取って食って食欲を満たすのだが、人間で間に合わせることもあった。スクプの助言でクロク王は仔牛の皮を硫黄で詰め、竜をおびきよせた。竜はその餌を飲み込むことはできず、水を飲み続けて死んでしまった。王はスクプに褒美をとらせたという[注 13]。ビエルスキはさらに、"今でもその城の下の洞窟をみることができる。「竜の洞窟(スモチャ・ヤマ ) 」とそれは呼ばれている"と書き加えている[27][28][29]。
ドラテフカ
現代の児童文学や、おとぎ話の語りによっては靴職人の名前は「ドラテフカ」に置き換わることもあるとされる[30] 。竜退治にかかわる靴職人ドラテフカ("小さなひも"という意味の名)は[33] 、マリア・コブナッカの戯曲『恐ろしい竜、勇敢な靴屋、美しい姫とグヴズヂク王』[注 14](1935年)の登場人物である[34]。なお同名の靴屋を冠した作品に、ヤニーナ・ポラジンスカ作のおとぎ話『くつやのドラテフカ』がある。
起源論
- 類話
ヴァヴェルの竜には、旧約外典『ダニエル書補遺』のベルと竜の説話との共通点が見られると指摘されるが[35][36]、既に中世の『ジェジュヴァ年代記』(『ミェジュヴァ年代記』)にも、"クラク[ス]の息子たちが地元の竜を殺した、ダニエルがバビロンの竜を殺したように"と、同じような退治法がとられたことへの言及がされている[37][22][38]。
アレクサンドロス大王も硫黄を用いて竜を殺したという伝説があるが、その事項は古代のものとはいえず、推定7世紀のアレクサンドロス・ロマンスのシリア語版が現存初見本である。だが聖書外典と比べてヴァヴェルの竜との類似性はより近いといえる[注 15][40][41][42]。
- 悪玉
ヴァヴェルの竜を単なる悪の象徴とする見方もあるが[43]、さらには以下に説明するように、古代神話的における邪神的な解釈もあり、歴史上の殺戮者などの象徴に見立てる説も存在する。
- 古代神話
クラクフの伝説に、キリスト教化以前の原話を求める考えもある。インド=ヨーロッパ系の善悪闘争神話が、クラクフの竜の伝説の起源ではないかとも説がある[44]。
あるいは、太古の人身御供の慣習に言及した何らかの神話が根源にあるのではと歴史学者マチェイ・ミエジアンは推論している[45]。
- 歴史
史実の反映の可能性もある。たとえば、6世紀後半にアヴァール人がヴァヴェルの丘を占拠し、朝貢を要求したが、これを人民を食らう竜になぞらえたのが発端だと推察する歴史家もいる[46]。
あるいはヴァヴェルの大聖堂ともゆかりあるクラクフ司教をみずからの手で殺したボレスワフ2世 (ポーランド王)を、悪玉の竜に例えた伝説、という見解もある(歴史学者チェスワフ・デプトゥワ説)[47][48]。殉教したシュチェパヌフの聖スタニスワフは、ポーランドの守護聖人である。
また複合的な見解として、雷神滅竜の神話の土台に、竜蛇崇拝とシュチェパヌフの聖スタニスワフ崇拝の習合が加わった伝説と言う説明もされている[2]。
再話
広く知られた再話では、都市の伝説的な建設者であるクラクス王の統治の世に、クラクフで起こった出来事とされている。凶悪な竜が毎日のように田園地帯の全域を破壊し、踏み固めて回る。さらに、人々を殺害し、人々の家で略奪をし、人々の家畜を貪り食った。物語の多くの異本で、竜は特に若い女性を食べることに興じており、都市の人々が月に1度、竜の洞窟の前に少女を置き去ることでわずかの間竜を鎮めることができた。国王はもちろん竜を打ち倒したかったが、王の最も勇敢な騎士達も竜の燃えさかる息の前に倒れた。少女の犠牲を必要とする異本では、ついに、国王の娘ヴァンダ(8世紀の人物とされている)以外の、都市のあらゆる少女が犠牲になってしまった。自暴自棄となった王は、竜を倒せた者には誰でも王の美しい娘と結婚することを許すと約束した。近くからも遠くからも強力な戦士達が来て、褒美のために戦い、そして失敗した。ある日、スクプという名の貧しい靴職人の見習い が挑戦に応じた(この伝承は、16世紀。ゆえに、国王の娘ヴァンダが登場できるはずがない)。彼は子羊に硫黄を詰め込むと、竜の洞窟の上にそれを置いた。竜は子羊を食べ、間もなく途方もない喉の渇きに襲われた。竜は喉を潤そうとヴィスワ川に向きを変え、水を飲みに飲んだ。しかし竜の痛む胃は多量の水でも和らぐはずはなかった。ついにヴィスワ川の水の半分を飲み、膨れ上がった挙げ句、竜は破裂した。スクプは約束通り王の娘と結婚し、2人はその後ずっと幸せに暮らしたという[24][49]。
詩人シェミェンスキ
ポーランドの詩人ルツィヤン・シェミェンスキ(1809年 - 1877年)は、ポーランドや近隣国の伝説を収録した『ポーランド、ロシア、リトアニアの伝承と伝説 (波: Podania i legendy polskie, ruskie i litewskie[50])』を出版しており[51]、この竜の話も「竜 (波: Smok[52])」の題名で収められている。
シェミェンスキの記したところでは、かつて人々は、人間がこの竜に食べられないようにと竜に毎日のように家畜3頭を与えていた。あるとき、靴職人スクプからの助言を受けて、クラク(クラクス)は子牛の皮に硫黄を詰めさせると竜の住む洞窟の前に置かせた。目論見通りに、竜は硫黄ごと子牛を飲み込み、続いて水を多量に飲んで死んだ。クラクはスクプにたくさんの褒美を与えたという[53]。
小説家ヘイドゥク
ポーランドの歴史小説家ブロニスワフ・ヘイドゥク(生没年不詳)[注 16]は、幼い頃の彼に祖母が物語を語り聞かせた口調を生かした『クラクフ神話伝説物語[注 17]』(日本語題)を著している。ヴァヴェルの竜の伝説も、「英雄クラクス伝説」(日本語題)として収録されている[54]。
ヘイドゥクの記したところでは、クラクフの町を築いたクラクスI世の時代の後、クラクスIV世の治世には、大きな災害の後や戦争の前に、異教の神々にさまざまな生贄を捧げる慣習が続いていた。生きた動物ばかりか人間も捧げられていた。生贄となった人は、ヴァヴェルの丘の洞窟に繋がる深い穴の中に落とされ、洞窟に住む怪物スモークに食べられた。ある時、ヴィスワ川の洪水によって生贄になった人の死体が岸辺に打ち上げられ、神々が生贄を喜んでいないと判断された。その後、町は大火に見舞われ、春には雨が降らなくなって今年の飢饉が心配された。生贄を捧げても雨は降らず、ついにヴィスワ川の水が涸れた。すると今まで水面下にあった洞窟の入り口に入れるようになり、クラクスはスモークと戦ってこれを倒した。もはや生きた人間を生贄にする必要はなくなり、雨も間もなく降りだしたため、人々はクラクスに感謝し、クシェミョンカの丘に高塚を作った。そこには高城も建てられて、こんにちまで残っている[55][注 18]。
史跡
クラクフのヴァヴェル城は、ヴァヴェルの丘の上に建っている。竜がいたとされる城下(城の麓)の「
この竜の洞窟の文献上の初見は1190年とされるが[59] これは最古史料であるヴィンツェンティの年代記の成立年であり、そこには上述したようにこの野獣が岩の奥底[8][11]、すなわち、某"洞窟"に居たとのみ記される[12]。
洞窟の入り口を出たところに設置されたヴァヴェルの竜の像は、火を噴く仕掛けで有名である[57][24]。
ヴァヴェル大聖堂にはクラクスによる竜退治の記念銘板があり、竜の住み処の上に都市と彼の宮殿を建設したと刻まれている[要出典]。大聖堂の入り口には、複数の「竜の骨」なる物品が吊り下げられて飾られているが、これは氷河時代のマンモスや鯨などの大型の骨を「竜骨」と称して展示するヨーロッパ中世の慣習の一例とされている[60]。
ギャラリー
-
ヴァヴェルの竜の像とその周辺
-
ヴァヴェルの竜の洞窟
注釈
- ^ 原語の smokは単なる「蛇」も意味するが、場合によっては「大蛇」・「竜」の意となる。
- ^ 細かい所では、疑似餌には動物の死骸に硫黄の他、幾つかほかの材料を詰めている。
- ^ 『聖ヴィンツェンティの年代記』年代記のポーランド語全訳では怪物ホロファグス「丸呑みせし者」(後述)を、"chciwie połykał smok"すなわち"貪欲に飲み込む竜(スモク)"と意訳している。
- ^ 『ポーランド=シレジア年代記』(1285年頃、en:Chronicon Polono-Silesiacum)では括弧で(spelunca 洞窟)と併記する。また、竜名をolofagus〔ママ〕と綴る。Ćwikliński ed. (1878), p. 607.
- ^ 王が流に悩まされる市民をおもんばかって語る言葉に注視する論文があるが[13]、怪竜そのものの関連性が薄いので詳しくは置く。
- ^ 聖ヴィンツェンティは、兄弟のうち下の王子のみを"小クラク"(すなわち"クラクス Jr.")とその名で呼んでいる[14][15]。
- ^ 羅: iunior Graccus、異本:minor Graccus[16]; ポーランド語: młodsy Grakus.
- ^ あるいはツァルンクフのヤンコ(1320–1387年頃)の作とされる。
- ^ ドゥウゴシュのラテン語原文:tria singulis diebus belluae iactantur[20]。
- ^ 稀なラテン語のようだが、16世紀の写本の欄外古註(スコリウム)に、"cauma"を "fomes", "zagyew"(żagiew)と語釈している[23]。
- ^ 没後に刊行されており、竜に関する当該部分は息子のヨアヒム・ビエルスキ に帰するとされている[25]。
- ^ 原文に拠る正しい名前は Skub(属格 Skuba)であるはずが、後にSkuba(属格 Skuby)の表記が使われてしまっている[25]。
- ^ ポーランド語: "Kazał tedy Krok nadziać skorę cielecą, siarką a przeciw iamie położyć rano: co uczynił za radą Skuba Szewca nieiakiego, ktorego potym dobrze udárowal y opatrzył""(王が策を決行し、靴職人スクプは褒美を得た)。
- ^ 仮訳題名。原題『O straszliwym smoku i dzielnym szewczyku, prześlicznej królewnie i królu Gwoździku』。英文では題名は"The terrible Dragon, the brave Shoemaker, the beautiful Princess and King Gwoździk" と訳されていた。
- ^ このほかカズウィーニーによるアラビア語の著述にも、アレクサンドロスが同様の方法で竜を倒し、有角の兎のようなアル=ミラージという生物を礼として得たと書かれている[39]。ハズラックの論文ではさらにペルシア文学の『シャー・ナーメ』イスファンディヤール篇の竜退治譚と類似があるとしているが、硫黄でなく短刀を用いるので"いささか似たような戦略"というにとどまっている[35]。
- ^ ポーランド語版記事「Bronisław Heyduk」では1909年生、1984年没。
- ^ ポーランド語版記事「Bronisław Heyduk」での原題は『Legendy i opowieści o Krakowie』。
- ^ ヘイドゥクによるこの物語には、クラクスの娘ヴァンダは登場しない。なおヘイドゥクは、同じ著書に収めた「ヴァンダ伝説」において、後のクラクスVIII世の妻となったヴァンダの物語を語っている[56]。
出典
- 脚注
- ^ a b Sikorski, Czesław (1997), “Wood Pitch as Combat Chemical in the Light of the Jan Długosz's Annals and Some of the Old Polish Military Treatises”, Proceedings of the First International Symposium on Wood Tar and Pitch: 235, ISBN 9788390058634
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- ^ ラテン語: Grakchus. Plezia (1972), pp. 21–22[2]、 Gracchus[3][4]、Graccus グラックス[5])。
- ^ 荒木 (1987), p. 861: "グラックスの建てた都市は彼の名をとってブラコヴィアGracovia(やがてクラコヴィア Krakcovia 〔Kraków〕となる。
- ^ a b c Kadłubek (1872), p. 256: Erat enim in cuisdam scopuli (岩) anfractibus monstrum atrocitatis immanissimae quod quidam holophagum dici putant".
- ^ Bielski, August 編 Kadłubek (1872)、索引(注)p. 451
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