「ブランシュ・ド・ヴァロワ」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加 |
m Bot作業依頼: ハンガリー王記事群の改名に伴うリンク修正依頼 (ラヨシュ1世 (ハンガリー王)) - log |
||
30行目: | 30行目: | ||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
1329年、当時[[パリ]]の宮廷で養育されていたカール4世と結婚した。夫カールは[[1331年]]以降イタリア経略を父[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]より任され<ref>鈴本、p. 43</ref>、しばらく別居状態が続いた<ref name=S44>鈴本、p. 44</ref>。[[1334年]]、カールはプラハに帰還し、当時ルクセンブルクにいたブランシュをプラハに呼び寄せた<ref name=S44 />。2人の間には2女が生まれた。 |
1329年、当時[[パリ]]の宮廷で養育されていたカール4世と結婚した。夫カールは[[1331年]]以降イタリア経略を父[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]より任され<ref>鈴本、p. 43</ref>、しばらく別居状態が続いた<ref name=S44>鈴本、p. 44</ref>。[[1334年]]、カールはプラハに帰還し、当時ルクセンブルクにいたブランシュをプラハに呼び寄せた<ref name=S44 />。2人の間には2女が生まれた。 |
||
* [[マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク (ハンガリー王妃)|マルガレーテ]](1335年 - 1349年) [[ハンガリー王国|ハンガリー]]王(のちに[[ポーランド王国|ポーランド]]王を兼ねた)[[ラヨシュ1世]]と結婚。 |
* [[マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク (ハンガリー王妃)|マルガレーテ]](1335年 - 1349年) [[ハンガリー王国|ハンガリー]]王(のちに[[ポーランド王国|ポーランド]]王を兼ねた)[[ラヨシュ1世 (ハンガリー王)|ラヨシュ1世]]と結婚。 |
||
* カタリーナ(1342年 - 1395年) [[オーストリア公]][[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]と結婚。のち[[バイエルン大公|バイエルン公]]および[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]][[オットー5世 (バイエルン公)|オットー5世]]と再婚。 |
* カタリーナ(1342年 - 1395年) [[オーストリア公]][[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]と結婚。のち[[バイエルン大公|バイエルン公]]および[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]][[オットー5世 (バイエルン公)|オットー5世]]と再婚。 |
||
2021年5月24日 (月) 21:54時点における版
ブランカ Blanca / Blanka | |
---|---|
ローマ王妃 ボヘミア王妃 | |
ブランシュ・ド・ヴァロワとカール4世 | |
在位 |
ローマ王妃:1346年7月11日 - 1348年8月1日 ボヘミア王妃:1346年8月26日 - 1348年8月1日 |
戴冠式 | 1347年9月2日 聖ヴィート大聖堂 |
出生 |
1316年頃 |
死去 |
1348年8月1日 ボヘミア王国、プラハ |
埋葬 | ボヘミア王国、聖ヴィート大聖堂 |
結婚 | 1329年 |
配偶者 | ローマ皇帝・ボヘミア王カール4世 |
子女 |
マルガレーテ カタリーナ |
家名 | ヴァロワ家 |
父親 | ヴァロワ伯シャルル |
母親 | マオー・ド・シャティヨン |
ブランシュ・ド・ヴァロワ(仏:Blanche de Valois, 1316年頃 - 1348年8月1日)は、ローマ皇帝およびボヘミア王カール4世の最初の妃。ドイツ名およびチェコ名はブランカ(Blanca, Blanka)。ヴァロワ家の祖ヴァロワ伯シャルルと3番目の妻マオー・ド・シャティヨンの娘で、フランス王フィリップ6世の異母妹。
生涯
1329年、当時パリの宮廷で養育されていたカール4世と結婚した。夫カールは1331年以降イタリア経略を父ヨハンより任され[1]、しばらく別居状態が続いた[2]。1334年、カールはプラハに帰還し、当時ルクセンブルクにいたブランシュをプラハに呼び寄せた[2]。2人の間には2女が生まれた。
- マルガレーテ(1335年 - 1349年) ハンガリー王(のちにポーランド王を兼ねた)ラヨシュ1世と結婚。
- カタリーナ(1342年 - 1395年) オーストリア公ルドルフ4世と結婚。のちバイエルン公およびブランデンブルク選帝侯オットー5世と再婚。
カールは1346年にドイツ対立王となり、引き続き同年にボヘミア王位を継承、さらに翌1347年には単独のローマ王となった[3]。ブランシュは1348年に死去した。
脚注
参考文献
- 鈴本達哉 『ルクセンブルク家の皇帝たち』 近代文芸社、1997年