コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: ボヘミア王記事の改名に伴うリンク修正依頼 (ヴァーツラフ2世 (ボヘミア王)) - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
28行目: 28行目:
| サイン =
| サイン =
}}
}}
'''エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ'''(Elżbieta Bolesławówna、[[1263年]] - [[1304年]][[9月23日]])は、[[レグニツァ公国|レグニツァ]]=[[ヴロツワフ]]公[[ヘンリク5世ブジュハティ|ヘンリク5世]]の妃。[[ヴィエルコポルスカ県|ヴィエルコポルスカ]]公[[ボレスワフ・ポボジュヌィ|ボレスワフ]]の長女、母は[[ハンガリー国王一覧|ハンガリー王]][[ベーラ4世]]の娘[[ヨレンタ (福者)|ヨレンタ]]。妹に[[ポーランド国王|ポーランド王]][[ヴワディスワフ1世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ1世]]と結婚した[[ヤドヴィガ・ボレスワヴヴナ|ヤドヴィガ]]、従兄にヴィエルコポルスカ公兼ポーランド王[[プシェミスウ2世]]がいる。
'''エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ'''(Elżbieta Bolesławówna、[[1263年]] - [[1304年]][[9月23日]])は、[[レグニツァ公国|レグニツァ]]=[[ヴロツワフ]]公[[ヘンリク5世ブジュハティ|ヘンリク5世]]の妃。[[ヴィエルコポルスカ県|ヴィエルコポルスカ]]公[[ボレスワフ・ポボジュヌィ|ボレスワフ]]の長女、母は[[ハンガリー国王一覧|ハンガリー王]][[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]の娘[[ヨレンタ (福者)|ヨレンタ]]。妹に[[ポーランド国王|ポーランド王]][[ヴワディスワフ1世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ1世]]と結婚した[[ヤドヴィガ・ボレスワヴヴナ|ヤドヴィガ]]、従兄にヴィエルコポルスカ公兼ポーランド王[[プシェミスウ2世]]がいる。


[[1273年]]にヘンリク5世と結婚し、8人の子女をもうけた。
[[1273年]]にヘンリク5世と結婚し、8人の子女をもうけた。

2021年5月24日 (月) 21:30時点における版

エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ
Elżbieta Bolesławówna

出生 1263年
死去 1304年9月23日
配偶者 レグニツァヴロツワフヘンリク5世
子女 本文参照
家名 ヴィエルコポルスカ・ピャスト家
父親 ヴィエルコポルスカボレスワフ
母親 ヨレンタ
テンプレートを表示

エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ(Elżbieta Bolesławówna、1263年 - 1304年9月23日)は、レグニツァヴロツワフヘンリク5世の妃。ヴィエルコポルスカボレスワフの長女、母はハンガリー王ベーラ4世の娘ヨレンタ。妹にポーランド王ヴワディスワフ1世と結婚したヤドヴィガ、従兄にヴィエルコポルスカ公兼ポーランド王プシェミスウ2世がいる。

1273年にヘンリク5世と結婚し、8人の子女をもうけた。

  1. ヤドヴィガ(1277年頃 - 1347年2月3日) - 1289年ないし1295年、ブランデンブルク=ザルツヴェデル伯オットー(ブランデンブルク辺境伯オットー5世の息子)と結婚した。夫の死後、ヤドヴィガはヴロツワフの聖クララ修道院の修道女となった。
  2. エウフェミア(1278年頃 - 1347年6月) - ケルンテンオットー3世と結婚
  3. アンナ(1284年 - 1343年10月2/3日) - ヴロツワフの聖クララ修道院の修道女
  4. エルジュビェタ(1290年頃 - 1357/8年11月) - ヴロツワフの聖クララ修道院の修道女
  5. ボレスワフ3世(1291年9月23日 - 1352年4月21日)
  6. ヘレナ(1293年頃 - 1300年以後) - グニェズノの聖クララ修道院の修道女
  7. ヘンリク6世(1294年3月18日 - 1335年11月24日)
  8. ヴワディスワフ(父の死後に誕生、1296年6月6日 - 1352年以後の1月13日)

1296年にヘンリク5世が死ぬと、エルジュビェタは夫の弟であるヤヴォル公ボルコ1世と共にレグニツァの摂政を務めた。ボルコ1世の死後は、ボヘミア王ヴァーツラフ2世の庇護を受けている。1304年に41歳亡くなり、ヴロツワフの聖クララ修道院の夫の棺の隣に埋葬された。