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「ドブロネガ・ウラジミロヴナ」の版間の差分

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== 脚注 ==
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2021年5月19日 (水) 21:20時点における版

ドブロネガ(マリヤ)・ウラジミロヴナ
Добронега(Мария) Владимировна
ポーランド公
(1851年画)
在位 1040年頃 - 1058年

出生 1010年代
死去 1087年
結婚 1040年
配偶者 ポーランド公カジミェシュ1世
子女 ボレスワフ2世
ヴワディスワフ1世ヘルマン
ミェシュコ
シフィエントスワヴァ
オットー
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ウラジーミル1世?
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ドブロネガ(マリヤ)・ウラジミロヴナロシア語: Добронега(Мария) Владимировнаポーランド語: Dobroniega、 1010年代 - 1087年)は、11世紀のキエフ・ルーシの公女である。

生涯

ドブロネガはキエフ大公ウラジーミル1世の娘とみなされているが、複数いた妻のうちのどの娘であるかは史料上明らかではない。ただし、メルゼブルクのティートマール(de)[注 1]の著作によって、ドブロネガはウラジーミルの娘たちの中で、最も結婚が遅かったと推測することができる。なお、ドブロネガをウラジーミルの子のボリスボリスとグレブの一方。)の娘とする説もある。

1040年前後に[注 2]、キエフ大公ヤロスラフ1世(ドブロネガの兄弟)によって、ポーランド公カジミェシュ1世との婚儀が結ばれた。この結婚はポーランド王位をめぐるカジミェシュの政権闘争を支援する目的のものだった[1]。カジミェシュは1058年に死亡するが、その間に4人の息子と1人の娘を産んだ。

脚注

注釈

  1. ^ 「メルゼブルクのティートマール」はドイツ語: Thietmar von Merseburgによる。「ティートマール」の表記ゆれについてはティートマール、メルゼブルクについてはde:Merseburgを参照されたし。
  2. ^ 『ブロックハウス・エフロン百科事典』によれば1043年となっている[1]。諸説あり。

出典

  1. ^ a b Казимир, польские короли // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона

参考文献

  • Баумгартен H. A. Добронега Владимировна, королева польская, дочь св. Владимира //Благовест. — Париж, 1930. — № 2—3. — С. 102—109.
  • Назарко І. Доброніга дочка св. Володимира В. // Analecta ordinis S. Basilii Magni. — Vol. 2 (8). — Fasc.3-4. — Romae, 1956. — C. 319—324.
  • Назаренко А. В. Древняя Русь на международных путях. — М.: Языки русской культуры, 2001.
  • Войтович Л. Княжеские династии Восточной Европы (конец IX — начало XVI в.)
  • Карпов А. Ю. Ярослав Мудрый. — М.: Молодая гвардия, 2001.
  • Романовский В. Д. Добронега. — М.: ЭКСМО, 2006.
  • 7.Древняя Русь в свете зарубежных источников. / под редакцией Е. А. Мельниковой. — М.: Логос, 1999.