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2021年5月13日 (木) 22:21時点における版
小浜城 (福井県) | |
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本丸石垣 | |
別名 | 雲浜城 |
城郭構造 | 輪郭式平城・海城 |
天守構造 | 層塔型複合連結式3重3階(1635年築)非現存 |
築城主 | 京極高次 |
築城年 | 慶長6年(1601年) |
主な改修者 | 酒井氏 |
主な城主 | 京極氏・酒井氏 |
廃城年 | 1871年 |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | 福井県指定史跡[1] |
位置 | 北緯35度30分14.3秒 東経135度44分45秒 / 北緯35.503972度 東経135.74583度座標: 北緯35度30分14.3秒 東経135度44分45秒 / 北緯35.503972度 東経135.74583度 |
地図 |
小浜城(おばまじょう)は、若狭国遠敷郡[2]小浜(現・福井県小浜市城内)にあった日本の城(海城)である。雲浜城(うんぴんじょう)の雅号をもつ。福井県指定史跡。
概要
江戸時代初期に、京極家により、後瀬山城に代えて、海と河川と湿地に囲まれて築かれた海城である。
1601年、京極高次の代に着工され、京極家2代にわたって普請工事が行われたが、完成を見ずして京極家は出雲国松江に加増転封された。
代わって入封した酒井家が二条城の様式を取り入れるなど、大幅に城の縄張を変更し、本丸天守を造営、その8年後の1642年に小浜城は竣工した。以降、若狭酒井家の居城として明治を迎えた。
明治時代に大阪鎮台の第一分営が置かれたが、失火によって大部分の建物を焼失し、残存していた天守も撤去されている。北川の河川拡張などにより、現在では本丸以外は河川や住宅街となり、城の遺構としては本丸部分の外周石垣を残すのみである。建築遺構としては、藩校の「順造館」正門が福井県立若狭高等学校の正門「順造門」として移築され現存している。また、市内多田寺に書院玄関が移築されている。
歴史・沿革
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで功績があった京極高次が若狭国を拝領、後瀬山城を居城とする。詰城であった後瀬山城本丸は標高が高すぎ、麓の旧守護館は近世大名として政務を執るには狭すぎたため、慶長6年(1601年)北川と南川と小浜湾の三角州に新たな居城(小浜城)の築城に着手し始めた。
近世の城として、戦時の防御性よりも行政処理の利便性に重きがおかれ、平坦な平野の中央部に築かれた。京極家2代京極忠高は越前敦賀郡を寛永元年(1624年)に加増され、小浜藩の藩領が確定する。
その後、寛永11年(1634年)に京極家が出雲松江藩へ転封されると、徳川家譜代の重鎮である酒井家の酒井忠勝が12万3000石で小浜藩に封じられ入城、城の整備拡張が続いた。寛永12年(1635年)には、3重3階の天守が完成、寛永19年(1641年)に城が完成し、藩主が移った。
その後、酒井家のもと明治維新を迎えたが、明治4年(1871年)に城内で大阪鎮台第一分営を設置する工事中に出火し、天守を除く城の大部分を焼失した。残存した天守は1874年に売却撤去された。
1875年(明治8年)に本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社が建立された。
1956年(昭和31年)に福井県の指定文化財史跡に指定される。
交通アクセス
- 所在地
- 交通
- 周辺
- 小浜神社
- 小浜市立雲浜小学校
- 小浜簡易裁判所
- 雲浜保育園
脚注
関連項目
外部リンク
- 小浜市教育員会 文化課. “旧順造館正門”. 小浜市. 2015年12月23日閲覧。
- 小浜市教育員会 文化課. “小浜城天守閣復元整備計画”. 小浜市. 2015年12月23日閲覧。