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2021年5月13日 (木) 22:20時点における版
寺林城 (岩手県) | |
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城郭構造 | 城館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 河野道重? |
築城年 | 1279年(弘安2年) |
主な城主 | 浅野六兵衛 |
廃城年 | 1592年(天正20年) |
遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯39度28分21.1秒 東経141度07分38.3秒 / 北緯39.472528度 東経141.127306度座標: 北緯39度28分21.1秒 東経141度07分38.3秒 / 北緯39.472528度 東経141.127306度 |
地図 |
寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城。
概要
北上川中流左岸の要衝に位置[1]し、東西250メートル、南北250メートルの規模。地名の由来である弘安3年(1280年)創建の光林寺が城内の南側にあり、林を背にした寺の意味であるという。(「八幡村誌」)
沿革
築城年代は弘安2年(1279年)。光林寺の縁起によれば、河野伊予守通俊の次男、通重が城主として住したことに始まるといわれる。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置のさいに、浅野六兵衛の陣屋となり、現在、土塁の一部と壕が残っている。
天正20年(1592年)の諸城破却書上には「寺林 平城 破 信直抱 代官 左 平治」とあり、破却された。
脚注
参考資料
- 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』岩手県、1961年3月25日。
- 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』岩手県、1961年10月20日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4040010302。
- 児玉 幸阿・坪井 清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。