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[[ファイル:Mount Yari from Mount Nishi 2003-09-15.jpg|thumb|300px|西岳から望む北鎌尾根、左の鋭く尖ったピークが[[槍ヶ岳]]、右のピークが北鎌独標]] |
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2021年5月13日 (木) 21:54時点における最新版
北鎌尾根 (きたかまおね) とは、飛騨山脈南部の山、槍ヶ岳から北に伸びる尾根である。険しいことで非常に名高く、槍ヶ岳への登路として用いられる。独標の標高は2,899 m。
概要
[編集]槍ヶ岳への一般的な登路としては、上高地や新穂高温泉などからの登山道がある。北鎌尾根には登山道がないため、完全なバリエーションルートとして用いられる[1]。 通過には当然、岩登りの装備、技術を要する。また登山道がないことにより、ルートファインディング能力も必要とする。槍ヶ岳から東に延びる東鎌尾根には表銀座と呼ばれる中房温泉からの登山道が整備されている。また槍ヶ岳から西の双六岳へ延びる西鎌尾根の烏帽子岳へと続く稜線伝いの登山道は、裏銀座と呼ばれている。
歴史
[編集]- 1920年(大正9年)7月18日に、信濃山岳会に属していた土橋荘三が、案内人小林喜作と共に初登攀を成し遂げた。
- 1922年(大正11年)7月5日に、早稲田大学と学習院の山岳部が日を同じくして登頂。
- 1936年(昭和11年)に、加藤文太郎が遭難死。
- 1949年(昭和24年)に、松濤明が遭難死。
登路
[編集]古くからの登路は湯俣からのものと言われている。すなわち、信濃川水系の高瀬渓谷を遡上し、湯俣から水俣川を遡り、千天出合へと進み、北鎌尾根に取り付くというものである。他の登路としては、水俣乗越から天上沢もしくは大天井岳から貧乏沢を下降し、北鎌沢を登るというものがある。湯俣からのものも北鎌沢からのものも険しいルートであることには相違ない。途中の北鎌平には碑が設置されている。稜線上に山小屋やキャンプ指定地はない[2]。
各方面からの北鎌尾根
[編集]北鎌尾根、遠景は裏銀座 東の燕岳から望む |
北鎌独標、遠景は後立山連峰 南の槍ヶ岳から望む |
北鎌尾根と穂高岳 西の三俣蓮華岳から望む |
北鎌尾根と西鎌尾根 北の野口五郎岳から望む |
関連図書
[編集]- 『新編・風雪のビバーク』松濤明(著)、山と溪谷社、2010年11月、ISBN 978-4635047265
- 『新編・単独行 』加藤文太郎(著)、山と溪谷社、2010年11月、ISBN 978-4635047258
脚注
[編集]- ^ 『上高地・槍・穂高』山と溪谷社〈ヤマケイアルペンガイ〉、2000年4月、pp.137-142頁。ISBN 4-635-01319-7。
- ^ 『槍ヶ岳・穂高岳 上高地』昭文社〈山と高原地図 2011年版〉、2011年3月。ISBN 9784398757777。