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=== 生い立ち ===
=== 生い立ち ===
デバージ兄弟はフランス系の白人男性ロバート・デバージ・シニア(1953-1974)とアフリカ系黒人女性エッテレネ・アブニー(1935-)を両親に持ち、ミシガン州デトロイトで生まれ育った。
デバージ兄弟はフランス系の白人男性ロバート・デバージ・シニア(1953-1974)とアフリカ系黒人女性エッテレネ・アブニー(1935-)を両親に持ち、ミシガン州デトロイトで生まれ育った<ref>{{Cite journal|date=2021-05-05|title=Etterlene DeBarge|url=https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Etterlene_DeBarge&oldid=1021487456|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>


ロバートは結婚して間もないころから妻エッテレネに対して支配的な言動([[ドメスティックバイオレンス|DV]])をするようになり、生まれてきた子供たちにも精神的、肉体的な虐待を繰り返していたという。自分を常に支配下に置くために妊娠を継続させていたのだとエッテレネは自身の著書に記しており、長女のバニーも7歳から13歳までの間に性的虐待を受けていたと告白している。両親は1974年に離婚した。その後エッテレネはプエルトリコ人のジョージ・ロドリゲスと再婚した。
ロバートは結婚して間もないころから妻エッテレネに対して支配的な言動([[ドメスティックバイオレンス|DV]])をするようになり、生まれてきた子供たちにも精神的、肉体的な虐待を繰り返していたという。自分を常に支配下に置くために妊娠を継続させていたのだとエッテレネは自身の著書に記しており、長女のバニーも7歳から13歳までの間に性的虐待を受けていたと告白している<ref>{{Cite journal|date=2021-05-11|title=DeBarge|url=https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=DeBarge&oldid=1022531281|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>。両親は1974年に離婚した。その後エッテレネはプエルトリコ人のジョージ・ロドリゲスと再婚した。


デバージ兄弟は白人と黒人の[[ハーフ (混血)|ハーフ]]だが、プエルトリカンの父親を持ったことでラテン系だとの誤った見方をされることが多い。
デバージ兄弟は白人と黒人の[[ハーフ (混血)|ハーフ]]だが、プエルトリカンの父親を持ったことでラテン系だとの誤った見方をされることが多い。


=== デビュー~成功 ===
=== デビュー~成功 ===
兄弟が音楽活動を始めたのは、母親と共にデトロイトからミシガン州[[グランドラピッズ (ミシガン州)|グランドラピッズ]]に移った1970年代中頃からで、最初はランディ、マーク、エルドラ(エル)の3人で''SMASH''というバンドに属していた。そこに長女バニーが加わって、1979年に''The DeBarges''という独自のグループをスタートした。同じ時期の1976年、兄のボビーとトニーが結成した''Switch ''が[[ジャーメイン・ジャクソン]]らの目に留まって[[モータウン]]で活躍し始めており、[[R&B]]界で100万枚もの売上を記録するようになっていた。これらの活動を見ていたモータウンCEOや創設者の[[ベリー・ゴーディ|ベリー・ゴーディJr.]]はデバージ兄弟の音楽的才能に感銘を受け、その年のうちに契約を交わすまでに至った。
兄弟が音楽活動を始めたのは、母親と共にデトロイトからミシガン州[[グランドラピッズ (ミシガン州)|グランドラピッズ]]に移った1970年代中頃からで、最初はランディ、マーク、エルドラ(エル)の3人で''SMASH''というバンドに属していた。そこに長女バニーが加わって、1979年に''The DeBarges''という独自のグループをスタートした<ref>{{Cite journal|date=2021-04-21|title=The DeBarges|url=https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=The_DeBarges&oldid=1019006989|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>。同じ時期の1976年、兄のボビーとトニーが結成した''Switch ''が[[ジャーメイン・ジャクソン]]らの目に留まって[[モータウン]]で活躍し始めており、[[R&B]]界で100万枚もの売上を記録するようになっていた。これらの活動を見ていたモータウンCEOや創設者の[[ベリー・ゴーディ|ベリー・ゴーディJr.]]はデバージ兄弟の音楽的才能に感銘を受け、その年のうちに契約を交わすまでに至った。


モータウンでの2年間の修行の後、1981年にボビー、バニー、エルの3人をメインプロデューサーとして、デビューアルバム「''DeBerges''」をリリース。モータウンとしても「[[ジャクソン5]]の再来」を期待して売り出したが、ファーストアルバムはさほど注目されないまま終わった。
モータウンでの2年間の修行の後、1981年にボビー、バニー、エルの3人をメインプロデューサーとして、デビューアルバム「''DeBerges''」をリリース。モータウンとしても「[[ジャクソン5]]の再来」を期待して売り出したが、ファーストアルバムはさほど注目されないまま終わった。
翌年の1982年に七男のジェームズを迎え入れるとともにグループ名をデバージ”DeBarge”に改名。セカンドアルバム「''[[ALL THIS LOVE]]''」を発表すると、ファーストカットの「''[[I LIKE IT]]''」(ランディ、バニー、エルの3人が作曲した)がR&Bのシングルチャート2位に、ビルボードのアダルトコンテンポラリーチャートで1位を記録し、一躍スターダムに躍り出た。
翌年の1982年に七男のジェームズを迎え入れるとともにグループ名をデバージ”DeBarge”に改名。セカンドアルバム「''[[ALL THIS LOVE]]''」を発表すると、ファーストカットの「''[[I LIKE IT]]''」(ランディ、バニー、エルの3人が作曲した)がR&Bのシングルチャート2位に、ビルボードのアダルトコンテンポラリーチャートで1位を記録し、一躍スターダムに躍り出た。


そして1985年にリリースされた4枚目のアルバム「リズム・オブ・ザ・ナイト」が世界中でヒット。その中の”''[[:en:Rhythm_of_the_Night_(song)|RHYTHM OF THE NIGHT]] ''” はR&Bチャートのトップを飾り、同年5月の[[全米ビルボード|全米ビルボード100]]では「[[ウィ・アー・ザ・ワールド]]」、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]の「[[クレイジー・フォー・ユー (マドンナの曲)|クレイジー・フォー・ユー]]」に次ぐ3位を記録。モータウンが送り出した数々のヒット曲の中でも最も売れた曲となった。この曲はもともとモータウンが製作した映画「''The Last Dragon''」(1984年 日本未公開)の主題曲として作られたもので、広く知られるようになったのは映画の宣伝や[[サウンドトラック]]盤の発売などの好条件が重なったおかげでもあった。
そして1985年にリリースされた4枚目のアルバム「リズム・オブ・ザ・ナイト」が世界中でヒット。その中の”''[[:en:Rhythm_of_the_Night_(song)|RHYTHM OF THE NIGHT]] ''” はR&Bチャートのトップを飾り、同年5月の[[全米ビルボード|全米ビルボード100]]では「[[ウィ・アー・ザ・ワールド]]」、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]の「[[クレイジー・フォー・ユー (マドンナの曲)|クレイジー・フォー・ユー]]」に次ぐ3位を記録<ref>{{Cite journal|date=2021-04-21|title=Rhythm of the Night (album)|url=https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Rhythm_of_the_Night_(album)&oldid=1019007130|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>。モータウンが送り出した数々のヒット曲の中でも最も売れた曲となった。この曲はもともとモータウンが製作した映画「''The Last Dragon''」(1984年 日本未公開)の主題曲として作られたもので、広く知られるようになったのは映画の宣伝や[[サウンドトラック]]盤の発売などの好条件が重なったおかげでもあった。


=== ソロ活動~解散 ===
=== ソロ活動~解散 ===
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== デバージ兄弟 ==
== デバージ兄弟 ==
'''太字'''は「デバージ」のメンバー。括弧内は出生年。
'''太字'''は「デバージ」のメンバー<ref>{{Cite journal|date=2020-11-05|title=DeBarge family|url=https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=DeBarge_family&oldid=987122201|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>。括弧内は出生年。


• エッタレネ '''”バニー”・デバージ'''(1955-) ボーカル
• エッタレネ '''”バニー”・デバージ'''(1955-) ボーカル

2021年5月13日 (木) 14:23時点における版

デバージ
DeBarge
ファイル:DeBarge group photo (ca 1983).jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州グランドラピッズ
ジャンル R&B
ソウル
ポップ
活動期間 1980年 - 1989年
レーベル モータウン
メンバー バニー・デバージ
ボビー・デバージ
マーティ・デバージ
エル・デバージ
ジェームズ・デバージ

デバージ(DeBarge)は1980年から1989年に活動したデトロイト出身の音楽グループ。才能豊かなデバージ家の兄弟で結成され、しばしばジャクソン家と比較される。

来歴

生い立ち

デバージ兄弟はフランス系の白人男性ロバート・デバージ・シニア(1953-1974)とアフリカ系黒人女性エッテレネ・アブニー(1935-)を両親に持ち、ミシガン州デトロイトで生まれ育った[1]

ロバートは結婚して間もないころから妻エッテレネに対して支配的な言動(DV)をするようになり、生まれてきた子供たちにも精神的、肉体的な虐待を繰り返していたという。自分を常に支配下に置くために妊娠を継続させていたのだとエッテレネは自身の著書に記しており、長女のバニーも7歳から13歳までの間に性的虐待を受けていたと告白している[2]。両親は1974年に離婚した。その後エッテレネはプエルトリコ人のジョージ・ロドリゲスと再婚した。

デバージ兄弟は白人と黒人のハーフだが、プエルトリカンの父親を持ったことでラテン系だとの誤った見方をされることが多い。

デビュー~成功

兄弟が音楽活動を始めたのは、母親と共にデトロイトからミシガン州グランドラピッズに移った1970年代中頃からで、最初はランディ、マーク、エルドラ(エル)の3人でSMASHというバンドに属していた。そこに長女バニーが加わって、1979年にThe DeBargesという独自のグループをスタートした[3]。同じ時期の1976年、兄のボビーとトニーが結成したSwitch ジャーメイン・ジャクソンらの目に留まってモータウンで活躍し始めており、R&B界で100万枚もの売上を記録するようになっていた。これらの活動を見ていたモータウンCEOや創設者のベリー・ゴーディJr.はデバージ兄弟の音楽的才能に感銘を受け、その年のうちに契約を交わすまでに至った。

モータウンでの2年間の修行の後、1981年にボビー、バニー、エルの3人をメインプロデューサーとして、デビューアルバム「DeBerges」をリリース。モータウンとしても「ジャクソン5の再来」を期待して売り出したが、ファーストアルバムはさほど注目されないまま終わった。 翌年の1982年に七男のジェームズを迎え入れるとともにグループ名をデバージ”DeBarge”に改名。セカンドアルバム「ALL THIS LOVE」を発表すると、ファーストカットの「I LIKE IT」(ランディ、バニー、エルの3人が作曲した)がR&Bのシングルチャート2位に、ビルボードのアダルトコンテンポラリーチャートで1位を記録し、一躍スターダムに躍り出た。

そして1985年にリリースされた4枚目のアルバム「リズム・オブ・ザ・ナイト」が世界中でヒット。その中の”RHYTHM OF THE NIGHT ” はR&Bチャートのトップを飾り、同年5月の全米ビルボード100では「ウィ・アー・ザ・ワールド」、マドンナの「クレイジー・フォー・ユー」に次ぐ3位を記録[4]。モータウンが送り出した数々のヒット曲の中でも最も売れた曲となった。この曲はもともとモータウンが製作した映画「The Last Dragon」(1984年 日本未公開)の主題曲として作られたもので、広く知られるようになったのは映画の宣伝やサウンドトラック盤の発売などの好条件が重なったおかげでもあった。

ソロ活動~解散

「リズム・オブ・ザ・ナイト」が大ヒットしたおかげでバニーとエルはソロデビューを果たし、デバージから脱退した。続いてチコもソロアルバムデビューをする。モータウンが彼らをソロデビューさせたのは、他のメンバーの薬物依存により共倒れになることを危惧したという背景もある。こうして人気メンバーの脱退によりこのままデバージを継続するのは商業的に難しいとの理由で、デバージはモータウンのレーベルから消えた。残った3人は長男ボビーと協力して「Bad Boys」をリリースしたが失敗に終わった。

1988年にボビーとチコが麻薬の密売容疑で逮捕され、後に有罪判決を受ける。さらに長女バニーも薬物依存症であることを明かし、エルは女性ファンから性的暴行で訴えられるなどのトラブルが続き[5]、1989年にデバージは解散した。

ディスコグラフィ

The Debarges(1981)

All This Love(1982)

In a Special Way(1983)

Rhythm of the Night(1985)

Bad Boys(1987)

デバージ兄弟

太字は「デバージ」のメンバー[6]。括弧内は出生年。

• エッタレネ ”バニー”・デバージ(1955-) ボーカル

• ロバート・ルイス ”ボビー”・デバージ(1956-1995 エイズによる合併症による)ボーカル、ドラム、キーボード/ピアノ

• トーマス・キース ”トミー”・デバージ(1957-)

• ウィリアム・ランダル ”ランディ”・デバージ(1958-)

• マーク ”マーティ”・デバージ(1959-)ボーカル、トランペット、サクソホン

• エルドラ・パトリック ”エル”・デバージ(1961-)ボーカル、キーボード/ピアノ

ジェームズ・デバージ(1963-)ボーカル、キーボード/ピアノ

• ジョナサン・アーサー ”チコ”・デバージ(1966-)ボーカル、キーボード/ピアノ

• キャロル ”ピーチェス”・デバージ(1970-)

• ダレル ”ヤング”・デバージ(1970-)

脚注