「イチムラ (百貨店)」の版間の差分
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2021年5月11日 (火) 01:12時点における版
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 新潟県 |
イチムラは、かつて新潟県内に存在した日本の百貨店。さくら野百貨店の前身のひとつで、晩年はダックシティと称した。
概要
1950年(昭和25年)に新潟県長岡市坂之上町で市村保治がイチムラ洋品店として創業した[1]のが始まりである。
1954年(昭和29年)4月25日に新潟県長岡市の大手通に移転し、イチムラ百貨店として開業し[1]、同じ大手通に開店した大和や丸専デパートとともに人気のある大型店として賑わいの中心となった。
そして1962年(昭和37年)4月には新潟県長岡市大手通2丁目に新店舗を建設し[1]、1963年(昭和38年)6月15日に百貨店審議会で百貨店法による営業の認可を受けて法律上も百貨店となった[2]。
1970年(昭和45年)10月[3]には新潟市東堀通6番町1045[4]に地上10階地下3階建ての建物を建設して新潟店を開店し[5]、ライバルの百貨店でともに長岡市大手通を構えると同時に新潟市にも出店していた大和や丸大と長岡と新潟の両市で競争を繰り広げた。また、高島屋ハイランドグループに加盟していた。
その後1978年(昭和53年)3月にニチイの支援を受けて、カネ長武田百貨店・山田百貨店・丸光・小美屋とともに新時代の百貨店を目指して「株式会社 百貨店連合」を設立し、同年4月に業務委託契約を結んで仕入関連業務を集約するなど業務の改革も行った[6]。
しかし、新潟店は相次ぐ大型店進出ラッシュの中で新潟市の競争が激化した煽りを受けて業績不振に陥り[7]、1981年(昭和56年)7月に閉店となった[3]。
そして1981年(昭和56年)3月に先行して武田百貨店と山田百貨店の2社とともに合併して 株式会社 武田山田百貨店 を発足させたため、企業としてのイチムラは消滅した[6]。
さらに、1982年(昭和57年)9月に株式会社 百貨店連合が武田山田百貨店 や[6]1982年(昭和57年)3月に丸光(本社:仙台市・資本金8億円)と合併して株式会社丸光小美屋を設立していた丸光小美屋と合併し[8]、5社が経営していた百貨店の経営を完全に引継いだため当店の経営も株式会社百貨店連合へ移行している[6]。
最後まで残ったダックシティ イチムラを経て、閉店時点の名称はダックシティであった。
(以降イチムラを前身に持つ法人についてはダックビブレ及びさくら野百貨店を参照)
十日町市のイチムラ
市村の出身地である十日町市には、イチムラの創業以前から市村の親族が経営する化粧品や婦人服を扱う「市村百貨店」が存在していた。経営は独立していたもののイチムラと同じ商標とロゴを使用し(使用開始時期不明)、イチムラの閉店後も継続して使用していたが2018年4月16日に128年に渡る営業を終了した[9]。
展開していた店舗
ダックシティ長岡店 DAC CITY Nagaoka | |
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提携駐車場の看板(2016年8月) | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒940 新潟県長岡市大手通2丁目[1]1-5[11] |
開業日 | 1954年(昭和29年)4月25日[1] |
閉業日 | 1997年(平成9年)2月[10] |
敷地面積 | 1,940[10] m² |
延床面積 | 11,625[10] m² |
商業施設面積 | 6,140[4] m² |
前身 |
イチムラ百貨店 ダックシティ イチムラ |
後身 |
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最寄駅 | 長岡駅 |
最寄IC | 長岡IC |
3代目の長岡店跡はパチンコ店「エスタディオ長岡店[11]」への転用を経て、2003年(平成15年)7月から1・2階の東側を長岡市の施設「まちなか・考房」「長岡戦災資料館」として、2004年(平成16年)4月から1階西側を長岡市役所大手通分室として利用していた。
2008年(平成20年)6月、市街地再開発のために取り壊され[10]、5年後の2011年(平成23年)7月6日にフェニックス大手イーストが竣工。
まちなか・考房と長岡戦災資料館は解体に伴い別々の施設に移転した。
跡地には長岡市役所の大手通庁舎が建ち、本庁機能のうち商工と観光に関する部署が置かれているほか、この地に店舗を構えていた第四銀行(現:第四北越銀行)と新潟証券(現:第四北越証券)、あらたに地域交流センター「まちなかキャンパス長岡」と中越大震災の資料を展示した「長岡震災アーカイブセンターきおくみらい」などを設置した[12]。
イチムラ百貨店 新潟店 Ichimura Department Store Niigata | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 | 新潟市東堀通6番町1045[4] |
開業日 | 1970年(昭和45年)10月[3] |
閉業日 | 1980年(昭和55年)閉店[3] |
商業施設面積 | 9,438[3] m² |
後身 | 新潟ウィズ[4] |
新潟市内で初めて地下に食品売り場を設けた店舗であった。
店舗跡は1985年(昭和60年)11月23日、「かに道楽」によって商業ビル新潟ウィズとして開業し[4]、ファッションや飲食関連のテナントを多数誘致して人気を博したという。
2008年(平成20年)秋まではテナントが複数入居していたが、閉店が相次ぎ最終的には所有者のかに道楽以外のテナントが紳士服店1店舗のみとなったため、2010年(平成22年)9月30日に閉鎖され、建物も取り壊されて駐車場となった[13]。
主な関連会社
脚注・出典
- ^ a b c d e f g h i 長岡市政100年のあゆみ編集委員会編『長岡市政100年のあゆみ』長岡市、2006年3月。
- ^ 『新潟県史別編1』新潟県、1989年。
- ^ a b c d e 『新潟市史 通史編 5 現代』 新潟市、1997年。
- ^ a b c d e 新潟県内 大規模小売店舗(店舗面積1000m2超)一覧 平成16年 (Report). 新潟県. 2004.
- ^ “「新潟ウィズ」取り壊しへ”. 新潟日報 (新潟日報社). (2010年6月22日)
- ^ a b c d ダックビブレ 第24期有価証券報告書 (Report). ダックビブレ. 2002.
- ^ 新潟中央銀行50年史編纂委員会 『新潟中央銀行50年史』 新潟中央銀行、1995年。
- ^ 『川崎市史 通史編 4 下 現代 産業.経済』 川崎市、1997年。
- ^ “妻有リポート「賑わい創出、だが疲弊進む商業界」、十日町市本町通り 4月21日号”. 妻有新聞 (妻有新聞社). (2018年4月21日)
- ^ a b c d e 長岡市中心市街地活性化基本計画 平成24年3月29日 変更認定版 (Report). 長岡市. 29 March 2012.
- ^ a b アーカイブ 2002年2月3日 - ウェイバックマシン
- ^ “長岡のイチムラ跡に再開発ビル完成”. 新潟日報 (新潟日報社). (2011年7月7日)
- ^ “新潟ウィズが26年の歴史に幕”. 新潟日報 (新潟日報社). (2010年10月1日)
- ^ a b 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 46-47