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プロ4年目の{{by|1986年}}は肘の故障で登板機会が無く、{{by|1988年}}7月には左肘を手術している<ref name=jinmei />。復帰後の{{by|1990年}}は[[パシフィック・リーグ]]最多の49試合に登板する。{{by|1994年}}限りで現役を引退した。<br />
一軍定着した年もワンポイントリリーフが中心のため、11年間在籍で通算84試合に登板するも未勝利であった。
一軍定着した年もワンポイントリリーフが中心のため、11年間在籍で通算84試合に登板するも未勝利であった。



2021年5月11日 (火) 01:11時点における版

青井 要
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県三豊郡詫間町(現:三豊市
生年月日 (1964-05-01) 1964年5月1日(60歳)
身長
体重
181 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト3位
初出場 1984年8月7日
最終出場 1992年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青井 要(あおい かなめ、1964年5月1日 - )は、香川県三豊郡詫間町(現:三豊市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

尽誠学園高等学校から、1982年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから3位指名を受け入団。同期入団選手に畠山準池田高・ドラフト1位)、藤本修二今治西高・ドラフト5位)がいる。

プロ2年目の1984年8月7日の対阪急ブレーブス戦で初登板。この時、福本豊に通算1000盗塁を決められる。

プロ4年目の1986年は肘の故障で登板機会が無く、1988年7月には左肘を手術している[1]。復帰後の1990年パシフィック・リーグ最多の49試合に登板する。1994年限りで現役を引退した。
一軍定着した年もワンポイントリリーフが中心のため、11年間在籍で通算84試合に登板するも未勝利であった。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1984 南海
ダイエー
1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1.0 2 1 0 0 0 1 0 0 1 1 9.00 2.00
1985 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 36 8.0 8 2 8 0 1 4 0 1 7 7 7.88 2.00
1990 49 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 140 33.2 27 5 15 1 2 21 2 0 21 21 5.61 1.25
1991 19 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 58 13.0 19 5 3 1 0 3 0 0 10 10 6.92 1.69
1992 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 17 3.1 4 1 2 0 0 3 0 0 3 3 8.10 1.80
通算:5年 84 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 256 59.0 60 14 28 2 3 32 2 1 42 42 6.41 1.49
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 41 (1983年 - 1994年)

脚注

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、3ページ

関連項目

外部リンク