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インコースを攻め込む強気の投球が持ち味で、先発も中継ぎもこなせるタフネスさが魅力<ref>{{Cite book|和書|title=オリックス・ブルーウェーブパーフェクトガイド 2004 YEARBOOK|date=|year=2004|publisher=オリックス野球クラブ|isbn=4-343-00271-3|page=98}}</ref>。< |
インコースを攻め込む強気の投球が持ち味で、先発も中継ぎもこなせるタフネスさが魅力<ref>{{Cite book|和書|title=オリックス・ブルーウェーブパーフェクトガイド 2004 YEARBOOK|date=|year=2004|publisher=オリックス野球クラブ|isbn=4-343-00271-3|page=98}}</ref>。<br />楽天時代には横浜戦で[[村田修一]]の肩付近への死球について野村監督の猛抗議も空しく、危険球と判定されると激昂してグラブを投げつけていた。 |
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[[お笑いタレント|お笑い芸人]]の[[たむらけんじ]]とは小学校の同級生であり、軟式ではバッテリーを組んでいた(たむらけんじはキャッチャー)。 |
[[お笑いタレント|お笑い芸人]]の[[たむらけんじ]]とは小学校の同級生であり、軟式ではバッテリーを組んでいた(たむらけんじはキャッチャー)。 |
2021年5月11日 (火) 01:11時点における版
西武時代(2009年8月27日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府阪南市 |
生年月日 | 1973年5月15日(51歳) |
身長 体重 |
174 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト3位 |
初出場 | 1997年4月24日 |
最終出場 | 2010年8月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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谷中 真二(たになか しんじ、1973年5月15日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
泉州高等学校から小西酒造へ進むと1995年にエースとしてチーム22年ぶりの都市対抗野球に出場し、初戦先発して勝利投手[1]。翌年は神戸製鋼の補強選手として西武へ同期入団となる和田一浩と前年に続けてバッテリーを組み、プリンスホテルを相手に7回コールドながら完封勝利[2]。1996年度ドラフト会議にて西武ライオンズから3位指名を受け、入団。ドラフト指名した当日は、酒蔵で樽の中に醸造中の酒の様子を確認するために梯子に登っている谷中に、同僚が西武の指名を伝える場面がテレビで映された。
西武時代
1999年シーズンは、新入団したマスコミ陣に囲まれる当時同僚の松坂大輔を捲く影武者として谷中が一役買った[3]。同年は8試合に登板。4試合で先発を任されたが、結果は出なかった。
2001年シーズンは開幕から一軍での登板がなく、シーズン途中に平尾博司との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。背番号は1。
阪神時代
途中入団ながら先発ローテーションに定着し、チーム最多の4完投及びチーム最多タイの2完封(いずれもヤクルトスワローズ戦)を含む自己最多の7勝を挙げた。体は小さいが内角攻めの投球が得意で、阪神在籍当時の野村克也監督から「谷中は度胸のある内角攻めが持ち味だ」と評価され、谷中を先発ローテーションの一角にしていた。
2002年シーズンは自己最多の41試合に登板し、11試合で先発登板を果たした。最終成績は5勝8敗、防御率3.43だった。
2003年シーズンは29試合の登板で先発はわずか1試合だけで、3勝3敗であったが防御率は5.88と悪化。同年のシーズンオフに牧野塁・葛城育郎との交換トレードで斉藤秀光と共にオリックス・ブルーウェーブへ移籍。
オリックス時代
2004年シーズンは投手陣が崩壊する状況において中継ぎを中心に24試合に登板。5試合で先発を任されたが1勝4敗、防御率7.20と結果を残せなかった。
楽天時代
2005年シーズンは、球団合併・分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。背番号は20。21試合に登板し、勝敗なし、防御8.17だった。
2007年シーズンは千葉ロッテマリーンズの竹原直隆に3ランホームランを打たれるなどわずか2試合の登板に終わった。10月に戦力外通告を受け、退団。現役続行を希望し、これを受け古巣の西武が横浜から戦力外になった種田仁と共に獲得した。
西武復帰
2008年シーズンは中継ぎとして起用された。西武復帰後初登板となった4月10日のロッテ戦では2回を投げるも、里崎智也、大松尚逸、ホセ・オーティズに3者連続本塁打を浴びるなど3失点を喫し、二軍へ降格。8月19日に再度一軍へ昇格してからは10試合に登板して1失点、シーズンを通しての防御率は2.77だった。10月19日クライマックスシリーズ初登板し、無失点ではあったが2四死球と安定しなかった。同年の日本シリーズでは第3戦と第5戦の計2試合に敗戦処理で登板し、第5戦では2/3回を1安打1死球で1失点を喫した。
2009年シーズンはわずか2試合、翌2010年シーズンも8試合しか登板できず、同年のシーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退。11月4日に任意引退選手公示され、翌5日に打撃投手として球団スタッフに就任すると発表された。
引退後
引退した翌2011年から2015年まで打撃投手、その後は二軍スコアラー兼打撃投手を務めていた[4]。2019年シーズンからスコアラーとして阪神タイガースに復帰[5][6][7][8][9]。
選手としての特徴・人物
インコースを攻め込む強気の投球が持ち味で、先発も中継ぎもこなせるタフネスさが魅力[10]。
楽天時代には横浜戦で村田修一の肩付近への死球について野村監督の猛抗議も空しく、危険球と判定されると激昂してグラブを投げつけていた。
お笑い芸人のたむらけんじとは小学校の同級生であり、軟式ではバッテリーを組んでいた(たむらけんじはキャッチャー)。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 西武 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 112 | 25.0 | 29 | 2 | 10 | 1 | 1 | 11 | 1 | 0 | 13 | 13 | 4.68 | 1.56 |
1998 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 65 | 15.2 | 15 | 3 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2.87 | 1.28 | |
1999 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 108 | 26.2 | 21 | 3 | 10 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 12 | 12 | 4.05 | 1.16 | |
2000 | 32 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 234 | 55.1 | 45 | 5 | 26 | 1 | 3 | 24 | 2 | 0 | 32 | 20 | 3.25 | 1.28 | |
2001 | 阪神 | 25 | 14 | 4 | 2 | 0 | 7 | 3 | 0 | -- | .700 | 462 | 109.1 | 101 | 11 | 36 | 0 | 14 | 43 | 4 | 1 | 41 | 39 | 3.21 | 1.25 |
2002 | 41 | 11 | 1 | 1 | 0 | 5 | 8 | 0 | -- | .385 | 435 | 102.1 | 110 | 9 | 27 | 2 | 10 | 59 | 2 | 0 | 41 | 39 | 3.43 | 1.34 | |
2003 | 29 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | -- | .500 | 160 | 33.2 | 44 | 8 | 19 | 2 | 3 | 17 | 2 | 0 | 23 | 22 | 5.88 | 1.87 | |
2004 | オリックス | 24 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 290 | 55.0 | 87 | 7 | 34 | 1 | 7 | 24 | 1 | 1 | 55 | 44 | 7.20 | 2.20 |
2005 | 楽天 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 137 | 25.1 | 44 | 3 | 15 | 0 | 2 | 11 | 1 | 1 | 26 | 23 | 8.17 | 2.33 |
2006 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | .000 | 124 | 26.1 | 33 | 3 | 15 | 1 | 6 | 12 | 2 | 0 | 16 | 15 | 5.13 | 1.82 | |
2007 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 20 | 3.0 | 9 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 6 | 6 | 18.00 | 3.33 | |
2008 | 西武 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 56 | 13.0 | 14 | 3 | 3 | 0 | 3 | 11 | 1 | 0 | 4 | 4 | 2.77 | 1.31 |
2009 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 25 | 4.0 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 13.50 | 3.25 | |
2010 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 40 | 7.1 | 9 | 1 | 10 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 6 | 6 | 7.36 | 2.60 | |
通算:14年 | 243 | 38 | 5 | 3 | 0 | 21 | 25 | 0 | 2 | .457 | 2268 | 502.0 | 572 | 60 | 213 | 8 | 52 | 236 | 16 | 3 | 286 | 254 | 4.55 | 1.56 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板:1997年4月24日、対オリックス・ブルーウェーブ6回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回裏1死に4番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、7回裏に小川博文から
- 初勝利:1997年7月13日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(札幌市円山球場)、5回表1死に2番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初先発・初先発勝利:1998年10月9日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(西武ドーム)、7回1/3を1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2001年7月31日、対ヤクルトスワローズ17回戦(阪神甲子園球場)
- 初ホールド:2006年5月12日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、7回裏1死に4番手で救援登板、1回1/3を1失点
背番号
- 15 (1997年 - 2001年途中)
- 1 (2001年途中 - 2003年)
- 16 (2004年)
- 20 (2005年 - 2007年)
- 69 (2008年)
- 57 (2009年 - 2010年)
- 05 (2010年 - 2015年)※打撃投手
脚注
- ^ [1] - 都市対抗野球大会80年史
- ^ '97スポニチプロ野球手帳
- ^ “閑古鳥の球春到来! 「影武者」登場の1999年西武キャンプも今は昔”. 産経ニュース. 2016年2月16日閲覧。
- ^ 「西武二軍 “声出し職人”熊代の熱弁で秋季キャンプ打ち上げ」『東スポWeb - 東京スポーツ新聞社』。2018年11月19日閲覧。
- ^ 新スコアラーに阪神OBの谷中氏を招へい
- ^ 阪神、古野氏&谷中氏と正式契約
- ^ 阪神 スコアラーに谷中氏招へい 情報収集充実のため増員
- ^ “渡り鳥”の巧妙…谷中真二スコアラー驚きの事実
- ^ 阪神 007シャッフルでライバル“丸裸” セ担当スコアラー全員変更
- ^ 『オリックス・ブルーウェーブパーフェクトガイド 2004 YEARBOOK』オリックス野球クラブ、2004年、98頁。ISBN 4-343-00271-3。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 谷中真二 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube