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常に打鐘先行を心がける思い切った競走を武器に、[[1995年]]の[[全日本選抜競輪]]([[青森競輪場]])で、現在の[[競輪の競走一覧#GI (G1)|GI]]初出場ながらも優出(9着)。その後、同年の[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]([[前橋競輪場]])でも決勝に進出(9着)した。さらに同年の[[競輪祭|競輪祭・新人王戦]]([[小倉競輪場]])で優勝。続く[[ふるさとダービー]]([[和歌山競輪場]])でも決勝(9着)に進出。 |
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その後は[[2000年]]の[[共同通信社杯競輪]]([[高松競輪場]]、9着)と[[高松宮記念杯競輪]]([[大津びわこ競輪場]]、6着)でそれぞれ決勝進出した程度だが、2019年現在も現役を続けている。現在の戦法は「追込」だが、稀に捲りを放つこともある。 |
その後は[[2000年]]の[[共同通信社杯競輪]]([[高松競輪場]]、9着)と[[高松宮記念杯競輪]]([[大津びわこ競輪場]]、6着)でそれぞれ決勝進出した程度だが、2019年現在も現役を続けている。現在の戦法は「追込」だが、稀に捲りを放つこともある。 |
2021年4月27日 (火) 14:55時点における版
金山 栄治(かなやま えいじ、1973年12月27日 - )は、滋賀県[1]を登録地とする競輪選手。日本競輪学校第72期生。師匠は七竹茂(33期)。
来歴
元は広島県登録の選手。崇徳高等学校[2]を経て競輪学校に入学。在校競走成績は29位(18勝)。
1993年8月14日、松阪競輪場でデビューし8着。初勝利は同年8月22日の伊東温泉競輪場。
常に打鐘先行を心がける思い切った競走を武器に、1995年の全日本選抜競輪(青森競輪場)で、現在のGI初出場ながらも優出(9着)。その後、同年の寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)でも決勝に進出(9着)した。さらに同年の競輪祭・新人王戦(小倉競輪場)で優勝。続くふるさとダービー(和歌山競輪場)でも決勝(9着)に進出。
その後は2000年の共同通信社杯競輪(高松競輪場、9着)と高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場、6着)でそれぞれ決勝進出した程度だが、2019年現在も現役を続けている。現在の戦法は「追込」だが、稀に捲りを放つこともある。
栗東トレーニングセンター所属の鮫島一歩厩舎で調教助手を務める美世子夫人と結婚[3]後、登録地を滋賀県に移した。
外部リンク
- 選手情報: 金山 栄治 - KEIRIN.JP
脚注