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[[1978年]]に当時のJPBAにおいて最年少となる26歳でプロへ転向(第10期生)。プロ転向の翌年には[[全日本プロポケットビリヤード選手権|全日本選手権]]で優勝、1980年以降も優勝を続け、前人未到となる4連覇を達成する。1994年には[[世界ナインボール選手権]]で優勝し、ナインボール競技において日本人初となる世界チャンピオンになった。1996年以降には全日本オープン14-1選手権で3連覇を達成している。
[[1978年]]に当時のJPBAにおいて最年少となる26歳でプロへ転向(第10期生)。プロ転向の翌年には[[全日本プロポケットビリヤード選手権|全日本選手権]]で優勝、1980年以降も優勝を続け、前人未到となる4連覇を達成する。1994年には[[世界ナインボール選手権]]で優勝し、ナインボール競技において日本人初となる世界チャンピオンになった。1996年以降には全日本オープン14-1選手権で3連覇を達成している。


加齢による視力や体力の低下を免れず限界説が囁かれる中、2005年に開催された全日本選手権で並みいる強敵達<ref>対戦したのは[[高橋邦彦]]、[[エフレン・レイズ]]、[[ミカ・イモネン]]、[[楊清順]]、[[草野寿]]、[[ウォーレン・キアムコ]](対戦順ではない。なお、前から4名は元世界選手権者)</ref>を撃破して10年振りに優勝(通算7度目)、限界説を一蹴した。[[2002年]]から全日本選手権者は[[仁親王]]牌を賜っているが、日本人初の獲得者となった。
加齢による視力や体力の低下を免れず限界説が囁かれる中、2005年に開催された全日本選手権で並みいる強敵達<ref>対戦したのは[[高橋邦彦]]、[[エフレン・レイズ]]、[[ミカ・イモネン]]、[[楊清順]]、[[草野寿]]、[[ウォーレン・キアムコ]](対戦順ではない。なお、前から4名は元世界選手権者)</ref>を撃破して10年振りに優勝(通算7度目)、限界説を一蹴した。[[2002年]]から全日本選手権者は[[仁親王]]牌を賜っているが、日本人初の獲得者となった。


2007年11月17日にはJPBFが開催している第16回全日本プロ・スリークッションマスターズにJPBA所属のまま参戦<ref>[http://www.jpbf.net/resultdata/2007/20071118masters.pdf 試合結果]</ref>し、翌月の2007年12月に「ポケットでやるべきことはすべてやって悔いはない」との言葉を残してJPBAからの引退を表明し、[[スリークッション]]への転向を発表。12月1日のJPBF東日本プロマスターズなどにJPBA所属のまま参戦した。[[2008年]]1月より正式にJPBF所属となった。
2007年11月17日にはJPBFが開催している第16回全日本プロ・スリークッションマスターズにJPBA所属のまま参戦<ref>[http://www.jpbf.net/resultdata/2007/20071118masters.pdf 試合結果]</ref>し、翌月の2007年12月に「ポケットでやるべきことはすべてやって悔いはない」との言葉を残してJPBAからの引退を表明し、[[スリークッション]]への転向を発表。12月1日のJPBF東日本プロマスターズなどにJPBA所属のまま参戦した。[[2008年]]1月より正式にJPBF所属となった。

2021年4月27日 (火) 14:40時点における版

奥村 健(おくむら たけし1952年4月24日 - )は日本プロビリヤード連盟(JPBF)所属のプロビリヤード選手。福岡県出身、血液型はA型。 愛称は「ミスター・ポケット」。コスモスポーツ専属。 妻は日本プロポケットビリヤード連盟(JPBA)所属の奥村りか(第24期生)。

来歴・人物

福岡県に生まれ、後に神奈川県座間市へ転居。

16歳よりビリヤードを始め、アマチュアでプロのオープン戦に優勝するなどしてトップアマチュアとして名を馳せた。その比類なき強さのため、アマチュアにおける最高クラスとされていたAクラスを超えるSAクラスが新たに作られることとなった。[1]

1978年に当時のJPBAにおいて最年少となる26歳でプロへ転向(第10期生)。プロ転向の翌年には全日本選手権で優勝、1980年以降も優勝を続け、前人未到となる4連覇を達成する。1994年には世界ナインボール選手権で優勝し、ナインボール競技において日本人初となる世界チャンピオンになった。1996年以降には全日本オープン14-1選手権で3連覇を達成している。

加齢による視力や体力の低下を免れず限界説が囁かれる中、2005年に開催された全日本選手権で並みいる強敵達[2]を撃破して10年振りに優勝(通算7度目)、限界説を一蹴した。2002年から全日本選手権者は寬仁親王牌を賜っているが、日本人初の獲得者となった。

2007年11月17日にはJPBFが開催している第16回全日本プロ・スリークッションマスターズにJPBA所属のまま参戦[3]し、翌月の2007年12月に「ポケットでやるべきことはすべてやって悔いはない」との言葉を残してJPBAからの引退を表明し、スリークッションへの転向を発表。12月1日のJPBF東日本プロマスターズなどにJPBA所属のまま参戦した。2008年1月より正式にJPBF所属となった。

2008年3月のポケットビリヤードの最大のタイトルであるジャパンオープン終了後に引退式典が催された(参戦はせず。)。好敵手のエフレン・レイズからも祝福された。

トーナメントプロとして活躍する傍ら、ビリヤード場「ホワイトハウス」を経営している。

主な成績

  • 1979年
    • 全日本選手権 総合優勝
  • 1980年
    • 全日本選手権 総合優勝
  • 1981年
    • 全日本選手権 総合優勝
  • 1982年
    • 全日本選手権 総合優勝
  • 1988年
    • ジャパンオープン 優勝
  • 1991年
    • 全日本10ボール選手権 優勝
  • 1993年
    • 全日本選手権 優勝
  • 1994年
    • ジャパンオープン 優勝
    • 世界ナインボール選手権 優勝
  • 1995年
    • ジャパンオープン 優勝
    • 全日本選手権 優勝
  • 1996年
    • 全日本オープン14-1選手権 優勝
  • 1997年
    • 全日本オープン14-1選手権 優勝
  • 1998年
    • 全日本オープン14-1選手権 優勝
  • 1999年
    • ジャパンオープン 優勝
    • KOREAオープン 優勝
  • 2000年
    • USオープン 準優勝
    • 全日本オープン14-1選手権 優勝
  • 2002年
    • 世界ナインボール選手権 3位タイ
  • 2005年
    • 全日本選手権 優勝

メディア出演

TV

  • 超・人~virtuoso~ No.042「冷徹と情熱の間」(2006年4月23日放送)

DVD

  • 「奥村健の撞球道を極める」(Vol.1 ~ Vol.2)
  • 「奥村健のプロビリヤードテクニック驚異の上達法」

ゲーム

  • 撞球 ビリヤードマスター2

脚注

  1. ^ 参考:[1]
  2. ^ 対戦したのは高橋邦彦エフレン・レイズミカ・イモネン楊清順草野寿ウォーレン・キアムコ(対戦順ではない。なお、前から4名は元世界選手権者)
  3. ^ 試合結果

外部リンク