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[[ファイル:Dresden-Zwinger-Armoury-Armor.02.JPG|right|thumb|200px|バーディングの馬に乗馬した16世紀の騎士]] |
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'''バーディング''' |
'''バーディング'''あるいは'''馬鎧'''(ばがい、うまよろい)とは、[[馬]]用の[[鎧]]の事である。[[中世]]後期になると、騎士の防御力が高くなったことから、騎士を乗せている馬が狙われるようになった。 |
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[[イングランド]]では、[[14世紀]]の[[バノックバーンの戦い]]で[[スコットランド]]の歩兵に馬を殺され苦戦させられ、同世紀の[[クレシーの戦い]]では、弓兵に馬を射殺され下馬したフランスの騎士を殺すという戦訓を経て、馬を防御するバーディングが開発された。 |
[[イングランド]]では、[[14世紀]]の[[バノックバーンの戦い]]で[[スコットランド]]の歩兵に馬を殺され苦戦させられ、同世紀の[[クレシーの戦い]]では、弓兵に馬を射殺され下馬したフランスの騎士を殺すという戦訓を経て、馬を防御するバーディングが開発された。 |
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== 兜 == |
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[[ファイル:Italian - Chamfron - Walters 511368.jpg|thumb|right|180px|16世紀初期にイタリアで作られたチャンフロン]] |
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馬用の兜は、'''チャンフロン'''(chanfron、またはchampion、chamfron、chamfrein、shaffron) と呼ばれる。稀にヒンジ付きのチークプレートも付属する。多くのチャンフロンに共通の装飾的な特徴は、小さなスパイクを持つ{{仮リンク|ロンデル (鎧)|en|Rondel (armour)}}と呼ばれる円形の補強装甲である<ref>Broughton, p. 100</ref>。 |
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早ければ[[古代ギリシャ]]の時代には知られていたが、[[軍馬]]の鎧を{{仮リンク|ボイルドレザー|en|Boiled leather}}から金属製の鎧に置き換える12世紀までヨーロッパでは見られなかった。チャンフロンの基本的なデザインは、17世紀に陳腐化するまで安定しており、その後期には装飾が施されるようになった。チャンフロンは、馬の耳から口まで伸びるようになった。[[フランジ]]はしばしば目を覆ったが、オープンチャンフロンでは、目は保護されなかった。頬を覆うためのヒンジ付き延長部は、[[ジョスト]]トーナメントで一般的に使用されていた<ref>Mondadore, pp. 417 - 418.</ref>。 |
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== 他 == |
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[[ファイル:Horse suit of armor DSC02190.JPG|thumb|left|220px|[[ウィーン]][[美術史美術館]]<br />首:criniere<br />腰:peytral<br />臀部:croupiere]] |
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'''クリニエール'''(criniere、もしくはmanefaire、crinet)は、馬の首を保護する分割されたプレートアーマーセット。 |
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''' ペイトレール'''(peytral)は、馬の胸を保護するように設計された鎧パーツ、サドルまで伸びた者もある。 |
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'''フランチャー'''(Flanchard)は、サドルの側面に装備される革かボイルドレザー製の馬具。[[拍車]]が使えるよう開口部がある。 |
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'''クルーピエ'''(croupiere、またはcrupiere bacul、crupper)は、馬の臀部を防御する革かチェーン、プレート製の鎧である。 |
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== 盛装 == |
== 盛装 == |
2021年4月14日 (水) 15:30時点における版
バーディングあるいは馬鎧(ばがい、うまよろい)とは、馬用の鎧の事である。中世後期になると、騎士の防御力が高くなったことから、騎士を乗せている馬が狙われるようになった。
イングランドでは、14世紀のバノックバーンの戦いでスコットランドの歩兵に馬を殺され苦戦させられ、同世紀のクレシーの戦いでは、弓兵に馬を射殺され下馬したフランスの騎士を殺すという戦訓を経て、馬を防御するバーディングが開発された。
盛装
バディングは、しばしばカパリスンという布製カバーと共に使用された。この覆いは、時には鼻から尾まで馬全体を覆い地面にまで届いた。装備の仕方は不明。
紀元前1世紀頃にかかれたとされるマカビー第二書3.25に、美しい布で覆われた馬に乗った騎兵が登場するシーンがあることから、紀元前1世紀には馬に馬衣を着せる事があったと考えられる。また12世紀のイタリアでも鎖帷子と布による鎧を着用しており、布にもある程度の防御効果があったことがうかがえる。
他国の例
- 日本
- 馬面(ばめん)・胸甲(むなよろい)・尻甲(しりよろい)で構成される馬甲(馬鎧)がある。古代の古墳からは、舶来品と考えられる少数の例が確認される[1]。南北朝時代以降に本格的に馬鎧が発展した。
- 中国
- 馬の鎧「馬胄」(馬冑 / 马胄、または具裝と呼ぶ[2])
- 『春秋左氏伝』(僖公二十八年:紀元前632年)に、晋軍が馬に虎皮の鎧を着せ、敵を威嚇したことが記されている[3]。紀元前4世紀頃の曾侯乙墓などからも馬の鎧や壁画が発見されている[4]。覆面状の兜や、何枚も甲板をつなぎ合わせた胸甲と全身を覆う鎧などが発見されている。
- 殷周時代には、塗装が施された皮の鎧が使用され、戦車を曳く馬にも装備された。五胡十六国時代ごろになると、鉄と皮による装備となった。三国志の時代では、多くて1万程度の騎兵も、その百数十年後である南北朝には数万騎の兵が鐙(あぶみ)の普及と進化により達成された。構成パーツは、面帘、鸡颈、当胸、身甲、搭后、寄生、鞍からなる[5]。
- これだけの装備を整えても、後代である唐の詩人杜甫は、人を射んとすれば先ず馬を射よという一句を残している事から、馬に対する弓の脆弱さがうかがえる。そして銃火器が発展する北宋以降の時代では兵士は防弾効果のある絹を使った軽装の鎧に置き換わっていき、鉄を帯びた装備は廃れて行った。
- 韓国
- 新羅・伽倻・百済などがあった古代王国時代の遺跡から発掘されている[6]。
- イタリア
- 13世紀頃の軍馬は、四肢を守るために裾が長い毛織物や鎖帷子からなる馬衣を装備していたが、機動力を欠く欠点を抱えていた[8]。
出典
- ^ 特集陳列「動物埴輪の世界」の見方7─馬形埴輪2古谷毅(列品管理課主任研究員) 更新日:2012年10月15日 東京国立博物館
- ^ 宋史 巻一百四十八 志第一百〇一 儀衞六
- ^ 先秦至东汉时期的甲胄(中国人民革命軍事博物館 2018年5月24日参照)
- ^ 魏晋至隋唐时期的铠甲 中国人民革命軍事博物館
- ^ 铁骑与马镫中国人民革命軍事博物館
- ^ <韓国文化>新羅・伽倻・百済の「馬鎧」一堂に 東洋経済日報 更新日:2020/06/19
- ^ 馬甲(コトバンク 2018年5月24日参照)
- ^ 甲冑 平凡社 世界大百科事典
- 参考文献
- Broughton, Branford B. Dictionary of Medieval Knighthood and Chivalry: Concepts and Terms, (Westport, Connecticut: Greenwood Press, 1986).
- Mondadore, Arnoldo, ed. The Complete Encyclopedia of Arms & Weapons, (New York:Simon & Schuster, 1979).
- Stone, George Cameron (1934). A Glossary of the Construction, Decoration, and Use of Arms and Armor in All Countries and in All Times, Mineola: Dover Publications. ISBN 0-486-40726-8