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「佐藤哲夫 (お笑い芸人)」の版間の差分

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* 高校生のころ、同級生とお笑いコンビ「laughing-hi(ラフィング・ハイ<!--コンビ名としての表記は『high』ではなく『hi』を使用していた。-->)」を組み、大分県の[[ローカル番組]]『[[スパーク オン ウェイヴ]]』([[テレビ大分]])で開催された「ハイスクールお笑い選手権」に出場し、優勝を果たす。
* 高校生のころ、同級生とお笑いコンビ「laughing-hi(ラフィング・ハイ<!--コンビ名としての表記は『high』ではなく『hi』を使用していた。-->)」を組み、大分県の[[ローカル番組]]『[[スパーク オン ウェイヴ]]』([[テレビ大分]])で開催された「ハイスクールお笑い選手権」に出場し、優勝を果たす。
* 高校卒業後、大学へ進学と同時に福岡吉本に所属、福岡吉本6期生となる(黒瀬より年齢は1つ下だが、芸歴では黒瀬の2年先輩にあたる)。[[1995年]]初舞台、しかし大学は単位が足りずに1年で中退し、以降は芸人の専業となる。福岡吉本入所当初はコントグループ「パンダさん」の一員として活動していた(当時はツッコミ)が、佐藤以外の全メンバーが芸人を辞めてしまったため一年足らずで解散。
* 高校卒業後、大学へ進学と同時に福岡吉本に所属、福岡吉本6期生となる(黒瀬より年齢は1つ下だが、芸歴では黒瀬の2年先輩にあたる)。[[1995年]]初舞台、しかし大学は単位が足りずに1年で中退し、以降は芸人の専業となる。福岡吉本入所当初はコントグループ「パンダさん」の一員として活動していた(当時はツッコミ)が、佐藤以外の全メンバーが芸人を辞めてしまったため一年足らずで解散。
* ピン芸人を経てコンビ「モンスターズ」を結成。当時の相方は「[[どんぴしゃ]]」の赤峯康一。当時の芸名は「テツオ」で、金髪だった。上京してからも一時期は「哲夫」という芸名を使っていたが、後輩に[[笑い飯]]の[[中西哲夫|哲夫]]がいたため、本名の佐藤哲夫に戻す。
* ピン芸人を経てコンビ「モンスターズ」を結成。当時の相方は「[[どんぴしゃ]]」の赤峯康一。当時の芸名は「テツオ」で、金髪だった。上京してからも一時期は「哲夫」という芸名を使っていたが、後輩に[[笑い飯]]の[[哲夫]]がいたため、本名の佐藤哲夫に戻す。
* 2010年4月3日、自身の34回目の誕生日に、交際していた一般女性と入籍。妻の姉の夫(義兄)は、前述の福岡吉本所属の先輩芸人・[[コンバット満]]。元々夫人のほうが佐藤に対し好意を抱いており、M-1前から「佐藤を紹介してほしい」とコンバット満に頼んでいたそうで、M-1後にそれがようやく実現。当初は佐藤、コンバット共に「ちょっと会うだけ」程度の感覚であったが、それがきっかけとなり交際、そして結婚に発展することになる。佐藤本人は夫人が妊娠中の子供が安定期に入るまで結婚を公表するつもりはなかったが、コンバット満の不注意から約一ヶ月後の2010年5月8日に情報が公になる。
* 2010年4月3日、自身の34回目の誕生日に、交際していた一般女性と入籍。妻の姉の夫(義兄)は、前述の福岡吉本所属の先輩芸人・[[コンバット満]]。元々夫人のほうが佐藤に対し好意を抱いており、M-1前から「佐藤を紹介してほしい」とコンバット満に頼んでいたそうで、M-1後にそれがようやく実現。当初は佐藤、コンバット共に「ちょっと会うだけ」程度の感覚であったが、それがきっかけとなり交際、そして結婚に発展することになる。佐藤本人は夫人が妊娠中の子供が安定期に入るまで結婚を公表するつもりはなかったが、コンバット満の不注意から約一ヶ月後の2010年5月8日に情報が公になる。
* 2010年11月6日に第1子となる男児が、2012年6月7日に第2子となる女児が、2014年3月14日に第3子となる女児が誕生し、現在3児の父である。
* 2010年11月6日に第1子となる男児が、2012年6月7日に第2子となる女児が、2014年3月14日に第3子となる女児が誕生し、現在3児の父である。
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* 「ドラゴンクエストの勇者と武器屋の会話」「ファイアーボールで倒されるクリボーの音」「残りわずかのマヨネーズとケチャップの音」など、マニアックな音モノマネが得意。
* 「ドラゴンクエストの勇者と武器屋の会話」「ファイアーボールで倒されるクリボーの音」「残りわずかのマヨネーズとケチャップの音」など、マニアックな音モノマネが得意。
* 学生時代からお笑い好きで、校内で漫才やライブをしていた。
* 学生時代からお笑い好きで、校内で漫才やライブをしていた。
* そうめんが大好物で、[[中西哲夫|哲夫]]([[笑い飯]])の実家のそうめん屋にそうめんを売ってもらっている。
* そうめんが大好物で、[[哲夫]]([[笑い飯]])の実家のそうめん屋にそうめんを売ってもらっている。
* 趣味は麻雀、ゲーム、[[漫画]]を読む事。特技は漫画のあらさがし。[[マンガ喫茶]]で宿泊する場合もある。
* 趣味は麻雀、ゲーム、[[漫画]]を読む事。特技は漫画のあらさがし。[[マンガ喫茶]]で宿泊する場合もある。
* プラモデル作りの趣味がある為に、吉本プラモデル部を立ち上げる。ガンプラビルダーズワールドカップ日本予選の最終予選に進出する腕前である。<ref>2015年12月10日放送 「木曜[[ドォーモ]]」より</ref>
* プラモデル作りの趣味がある為に、吉本プラモデル部を立ち上げる。ガンプラビルダーズワールドカップ日本予選の最終予選に進出する腕前である。<ref>2015年12月10日放送 「木曜[[ドォーモ]]」より</ref>

2021年3月28日 (日) 21:51時点における版

佐藤さとう 哲夫てつお
本名 佐藤 哲夫
生年月日 (1976-04-03) 1976年4月3日(48歳)
出身地 日本の旗 日本 大分県大分市
血液型 AB型
身長 174cm
方言 共通語大分弁
最終学歴 九州産業大学商学部中退
出身 福岡吉本6期生
コンビ名 パンクブーブー
相方 黒瀬純
芸風 漫才コント(ボケ)
立ち位置
事務所 吉本興業
活動時期 1995年 -
同期 ヒロシ
スパローズ
タカアンドトシ
ガレッジセール
次長課長
ブラックマヨネーズ
野性爆弾
スピードワゴン
徳井義実チュートリアル
スギちゃん
アンタッチャブル
豊本明長東京03
おぎやはぎ
永野
バカリズム
配偶者 既婚
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佐藤 哲夫(さとう てつお、1976年(昭和51年)4月3日 - )は日本お笑い芸人パンクブーブーのボケ、ネタ作り担当、立ち位置は左。吉本興業東京本社所属。

大分県大分市[1]出身。身長174cm、AB型。大分県立大分豊府高等学校卒業。九州産業大学商学部中退。

来歴

  • 高校生のころ、同級生とお笑いコンビ「laughing-hi(ラフィング・ハイ)」を組み、大分県のローカル番組スパーク オン ウェイヴ』(テレビ大分)で開催された「ハイスクールお笑い選手権」に出場し、優勝を果たす。
  • 高校卒業後、大学へ進学と同時に福岡吉本に所属、福岡吉本6期生となる(黒瀬より年齢は1つ下だが、芸歴では黒瀬の2年先輩にあたる)。1995年初舞台、しかし大学は単位が足りずに1年で中退し、以降は芸人の専業となる。福岡吉本入所当初はコントグループ「パンダさん」の一員として活動していた(当時はツッコミ)が、佐藤以外の全メンバーが芸人を辞めてしまったため一年足らずで解散。
  • ピン芸人を経てコンビ「モンスターズ」を結成。当時の相方は「どんぴしゃ」の赤峯康一。当時の芸名は「テツオ」で、金髪だった。上京してからも一時期は「哲夫」という芸名を使っていたが、後輩に笑い飯哲夫がいたため、本名の佐藤哲夫に戻す。
  • 2010年4月3日、自身の34回目の誕生日に、交際していた一般女性と入籍。妻の姉の夫(義兄)は、前述の福岡吉本所属の先輩芸人・コンバット満。元々夫人のほうが佐藤に対し好意を抱いており、M-1前から「佐藤を紹介してほしい」とコンバット満に頼んでいたそうで、M-1後にそれがようやく実現。当初は佐藤、コンバット共に「ちょっと会うだけ」程度の感覚であったが、それがきっかけとなり交際、そして結婚に発展することになる。佐藤本人は夫人が妊娠中の子供が安定期に入るまで結婚を公表するつもりはなかったが、コンバット満の不注意から約一ヶ月後の2010年5月8日に情報が公になる。
  • 2010年11月6日に第1子となる男児が、2012年6月7日に第2子となる女児が、2014年3月14日に第3子となる女児が誕生し、現在3児の父である。

性格

  • 福岡吉本時代の先輩である博多華丸やコンバット満は、佐藤の人となりを「人付き合いが全くできない」「割と一人でいることが多い」「暇さえあればマンガ喫茶にこもってずっとネタ作りをするような奴だった」と言っている。
  • ネタ作成のほぼ100%を担当しており、「10時間ネタを作っていても全然苦にならない」と語っている。その反面、「自分は社交性ゼロ」とも述べており、苦手な人付き合いはすべて相方に任せている。
  • 相方ほど社交的ではないが面倒見がよく優しい性格だと、親交のある芸人たちからは評されている。あべこうじは「いい奴」とブログ内で言っており、オオカミ少年どりあんずも自身のブログで「いつまでも優しいお二人」「お二人にはお世話になってばかり」と語っている。

趣味・嗜好・特技

  • 「ドラゴンクエストの勇者と武器屋の会話」「ファイアーボールで倒されるクリボーの音」「残りわずかのマヨネーズとケチャップの音」など、マニアックな音モノマネが得意。
  • 学生時代からお笑い好きで、校内で漫才やライブをしていた。
  • そうめんが大好物で、哲夫笑い飯)の実家のそうめん屋にそうめんを売ってもらっている。
  • 趣味は麻雀、ゲーム、漫画を読む事。特技は漫画のあらさがし。マンガ喫茶で宿泊する場合もある。
  • プラモデル作りの趣味がある為に、吉本プラモデル部を立ち上げる。ガンプラビルダーズワールドカップ日本予選の最終予選に進出する腕前である。[2]
  • 絵も上手く、毎週レギュラー出演するKBC九州朝日放送の「土曜もアサデス。」では、中継先の特産品などを描いた作品が他の出演者から好評を博していた。

エピソード

  • R-1に出場した際、公式ページに「アマチュア」と表記されてしまったことがある。
  • M-1優勝直後の営業先のショッピングモールで迷子になってしまい、呼び出しの店内放送をかけられてしまったことがある。
  • 小学校六年生の時点で既に身長が169cmもあった(しかし、それ以降は5cmしか伸びなかった)。
  • 福岡時代は、大分県のローカル番組スパーク オン ウェイヴ』(テレビ大分)にレギュラー出演し、MCなどを担当していた。
  • 中学時代は相撲部で、大分での大会で2位になったことがある。その大会の決勝戦で佐藤に勝って優勝したのが後の千代大海である[要出典]
  • 休日はプラモデル作りに没頭している事で、嫁さんに愚痴られているのをシャアの格好をしたコンバット満によって木曜ドォーモ内で暴露された事がある。

出演

コンビでの出演についてはパンクブーブーを参照。

テレビ

映画

DVD

  • 「非売よしもと本物流〜月刊レンタルDVD」(2005年10月号青版)
  • 「ヘアスタイル」
  • 「LICENSE vol. ZEPP ENJOY !!」

書籍

脚注

  1. ^ 2012年8月16日放送 「VS嵐」で本人が発言。
  2. ^ 2015年12月10日放送 「木曜ドォーモ」より

外部リンク