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「三国争乱 春秋炎城」の版間の差分

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*太子波(たいしは):呉の太子、侵攻に反対する闔閭の長男。
*太子波(たいしは):呉の太子、侵攻に反対する闔閭の長男。
*[[夫差]](ふさ):呉の公子、侵攻に賛成する闔閭の次男。
*[[夫差]](ふさ):呉の公子、侵攻に賛成する闔閭の次男。
*[[伯ヒ|伯嚭]](はくひ):呉の太宰。
*[[伯嚭]](はくひ):呉の太宰。
*[[伍子胥]](ごししょ):呉の名将。
*[[伍子胥]](ごししょ):呉の名将。



2021年3月22日 (月) 03:39時点における版

三国争乱 春秋炎城』(さんごくそうらん しゅんじゅうえんじょう、原題:春秋淹城、英語題:Spring and Autumn Herind Of Yancheng)は、江蘇衛星テレビにて2008年に放送された中国の歴史ドラマ。全30話。

あらすじ

古代中国の春秋時代末期(紀元前496年頃)、諸国の秩序は乱れ、謀略の数々が渦巻いていた。大国「」、「」、「」に挟まれた小国「淹国」は、平和な生活を送っていたが、各国から狙われていた。

越の軍師の范蠡は呉からの侵略を防ぐため、その侵略経路となる淹城に間者(工作員)として公孫宇を送り込む。淹城の公子の羅敷を助けたことから伯淹の信任を得、大夫(現代で言う閣僚)の地位を得た公孫宇だが、淹城と伯淹、そして羅敷に惹かれていき、いつしか心の底から淹城の発展を願うようになっていた。だが、賀子丹によって間者であることがばれてしまう。出世のきっかけを手にした賀子丹は、家族を幸せにできると喜ぶが、姉は出世が不幸を呼び込むと考えていた。

次々と起こる問題や謀略、仲間内での不信などに振り回され、疲れ果てていた公孫宇は旅先で老子と、そして力不足を悩んでいた賀子丹は孫子と、そして羅敷と伯淹は孔子と出会う。淹城を戦国時代でも戦争が無い平和な国にしようと誓う伯淹は、罪を許された公孫宇や賀子丹らと協力し、理想の国作りに着手するが、各国の悪意ある謀略と侵攻は近づいていた…。

登場人物とキャスト

淹国

  • 伯淹(はくえん):淹城の君主。 - 丁勇岱
  • 羅敷(らふ):淹城の公子、伯淹の一人娘。 - 舒暢
  • 公孫宇(こうそんう):越の間者、の名宰相の子産の子孫を名乗る。 - 程皓楓
  • 賀子丹(がしたん):出世を望む農民、羅敷が慕っている。 - 王泊文
  • 碧蓉(へきよう):淹城の女将軍、伯淹の義妹で羅敷の叔母。 - 何佳怡
  • 盧常(ろじょう):伯淹の令尹(宰相)。 - 高蘭村
  • 百翎(ひゃくれい):盧常の娘、羅敷の良い話し相手。 - 方安娜
  • 木墩(ぼくとん):淹城の中級兵士、百翎と恋仲だが身分が釣り合わない。 - 劉恩佑
  • 太后:伯淹の母。

淹国郊外・桑樹墩

  • 約(やく):茶楼の女将、公孫宇を支える。
  • 毛(もう):官使に取り立てられた元鳥泥棒。
  • 信児(しんじ):公孫宇の従者。
  • 村長:桑樹墩(そうじゅとん)の村長。

越国

  • 勾践(こうせん):越国の公子、重病の父王允常に代わり政治を行う - 章賀
  • 范蠡(はんれい):越国の大夫。祖国のために謀略の数々を生み出す。公孫宇の義父。 - 劉長純
  • 石買(せきばい):越国の大将軍。 - 張貴生
  • 文種(ぶんしゅ):越国の文官。
  • 安娘(あんじょう):越国の間者。
  • 芙蓉(ふよう):勾践の義妹、越国の間者。

呉国

  • 闔閭(こうりょ):越国侵攻を狙う老齢の呉王。
  • 太子波(たいしは):呉の太子、侵攻に反対する闔閭の長男。
  • 夫差(ふさ):呉の公子、侵攻に賛成する闔閭の次男。
  • 伯嚭(はくひ):呉の太宰。
  • 伍子胥(ごししょ):呉の名将。

楚国

その他

  • 孫武:呉の元大将軍、『孫子』の著者で当代一の軍略家。
  • 孔子:諸国を流浪する儒教の開祖。
  • 老子:周の書物を管理する官、後に牛に乗って諸国を旅する。
  • 敬王:周の王、形式上全中国の支配者だが無視されている。

スタッフ

  • 監督:ジャーナ・シャハティ
  • 脚本:シェン・ホーユー

現在の淹城遺跡

2500年以上前に作られたと推測される淹城は、現存しており、中国最古の城とされる。位置は江蘇省常州市武進区湖塘鎮淹城で、おおよそ上海の西160km、南京-上海のほぼ中間に位置する。1935年に考古学的調査が行われ、それ以降20を超える青銅器、多数の陶器、4つの丸木舟(独木舟)が出土している。1988年には文化的遺産となり、2003年より世界遺産登録を目指していることが、本作の最後で紹介されている。

作中に出てくる「三輪青銅盤」は1957年に発掘され、金文から周の平王元年とあるため、紀元前770年の鋳造と予想される。古代であるため文献等が不足しており、城主名ははっきりしていないが、史実と発掘物を照らし合わせた上での脚本となっている。

外部リンク