「長岡市立阪之上小学校」の版間の差分
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児童会は「みつば児童会」と称する。 |
児童会は「みつば児童会」と称する。教頭には、寺井で、ひどいで有名な大川昌美という先生もいる。 |
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=== 校内設備 === |
=== 校内設備 === |
2021年3月3日 (水) 06:21時点における版
長岡市立阪之上小学校 | |
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過去の名称 |
國漢學校 長岡小學校 分黌長岡小學校 新潟縣第三中學区公立第二十番小學阪之上校 新潟縣第七中學区公立第一番小學校 古志郡町立阪之上尋常小學校 長岡市立阪之上尋常小學校 長岡市立阪之上國民學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長岡市 |
校訓 |
つよく かしこく あたたかく |
(開校)6月15日 | (創立)10月15日 |
創立者 |
小林虎三郎 三島億二郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒940-0033 |
新潟県長岡市今朝白一丁目11番地21号 | |
公式サイト | 阪之上小公式ホームページ |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
長岡市立阪之上小学校(ながおかしりつさかのうえしょうがっこう)は、新潟県長岡市に所在する市立小学校である。愛称は「阪上校」(はんしょうこう)など。
概要
開学は1869年(明治2年)5月1日・開校は1870年(明治3年)6月15日・創立は1874年(明治7年)10月15日。
中越地方の都心部である長岡市中心部に位置し、長岡駅と県立長岡高校に挟まれた場所にある。
本校の起源は1868年当時勃発していた北越戦争のひとつ「戊辰戦争」に遡る。
戦争で被災した越後長岡藩は、親交のあった三根山藩から百俵の米を受け取ったが、大参事の小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と愉し、百俵の米を売却した。売却したことによって生じた資金で、本校の前身である國漢学校が設立された。
その後、幾多の移転と改称・学制改革を経て、1960年代に長岡市立東中学校の跡地である福島江沿いに移転、2001年には校舎の全面建て替えを完了した。
全校生徒数は270名(1学年:37名・2学年:44名・3学年:45名・4学年:50名・5学年:43名・6学年:45名・2016年4月1日時点)
児童会は「みつば児童会」と称する。教頭には、寺井で、ひどいで有名な大川昌美という先生もいる。
校内設備
校舎1階には「伝統館」と呼ばれる博物館(資料館)がある。著名な卒業生などのゆかりの品や、江戸時代の長岡市街地の模型、長岡市千秋に設置されている米百俵群像のモデルになった群像などが展示されている[1][2]。
また、同じ1階には「みつばホール」と呼ばれる屋内広場があり、図書室を併設する。一般的に選挙の投票会場として用いられるのは学校施設の体育館が多いが、本校ではこのホールを投票会場として提供している[3]。
体育館は2階にあり、アリーナと称する。プールは屋上の4階に設置されている。(ギャラリー内の校内図を参照されたい)
校歌
第一校歌と第二校歌はともに3番まであるが、第一校歌の1番に関しては起源の同じ長岡高校の第二校歌と類似した歌詞となっている[4]。
他校との交流
阪之上小学校では、2004年の中越大震災による仮校舎設置を行った 山古志村立山古志小学校時代から山古志小学校との交流が続いている
沿革
- 1869年5月 - 小林虎三郎や三島億二郎らの先駆者が四郎丸にある昌福寺の中に寺子屋として國漢學校を開設する。
- 1870年6月 - 坂之上町の市役所跡 (大和デパート長岡店→カーネーションプラザ→NaDeC BaSe) に国漢学校の校舎を建設し、医学局を併置する。これにより寺子屋ではなくなる。
- 1871年5月 - 國漢學校から長岡小學校へ改称する。
- 1872年 - 学制発令により長岡小学校は分黌長岡小學校へ改称する。
- 1874年10月 - 分黌長岡小學校から新潟県第三中學区公立第二十番小学阪之上校へ改称する。
- 1874年10月15日 - 分黌長岡小学校から分離して、かつての国漢学校の校舎である昌福寺に於いて授業を開始する。(創立)
- 1877年3月30日 - 牧野城の跡地(現:坂之上町)に校舎を新築のうえ移転する。
- 1879年 - 教育令改正により、新潟県第三中學区公立第二十番小學阪之上校から新潟県第七中學区公立第一番小學校へ改称する。
- 1904年 - 新潟県第七中学区公立第一番小学校から古志郡町立阪之上尋常小学校へ改称する。
- 1906年 - 古志郡町立阪之上尋常小学校から新潟県長岡市立阪之上尋常小学校へ改称する。
- 1919年 - 校舎を改築する。第一校歌が制定される。
- 1920年 - 火災により校舎が全焼したため、校舎を新築する。
- 1923年9月15日 - 創立50周年を迎え、それを記念した式典を挙行する。
- 1934年9月 - 長岡市玉蔵院町(現:阪之上町)に校舎を新築のうえ移転する。(この時点での住所は新潟県長岡市玉蔵院町950番地1号)
- 1941年4月 - 新潟県長岡市立阪之上尋常小學校から長岡市立阪之上国民學校へ改称する。
- 1945年8月1日 - 長岡大空襲による火災のため、校舎をすべて焼失する。
- 1947年 - 新潟県長岡市立阪之上尋常小學校から現在の名称である 新潟県長岡市立阪之上小學校へ改称し、以後改称することはなくなる。
- 1948年3月28日 - 長岡市東坂之上1丁目に校舎を新築のうえ移転する。
- 1953年10月 - 創立80周年記念式式典を挙行する。阪之上小学校に第2校歌が制定される。
- 1959年11月 - 火災により校舎の大部分を焼失する。
- 1959年11月4日 - 火災による被害を免れた一部の校舎と、長岡市立東中学校・南中学校の計3ヶ所にて分散授業が開始される。
- 1960年8月31日 - 新築された旧校舎が完成する。
- 1960年9月14日 - 旧校舎の完成後初めてとなる授業が開始される。旧校舎の完成により、東中と南中の教室を間借りした分散授業は終了となった。
- 1960年10月14日 - 旧校舎の竣工式典が行われる。
- 1969年6月 - 開学100周年を迎え、これを記念した式典が挙行された。
- 1973年11月2日 - 創立100周年を迎え、これを祝した発表会と祝賀会が挙行された。
- 1975年11月 - 「これからの教育を考える」~一人ひとりを大切にする教育~を題材にした授業公開研究会を開催する。
- 1976年3月 - 「阪之上の実践」を刊行する。
- 1976年3月 - 「これからの教育を考える」~研究紀要第6集~を刊行し、以降毎年刊行する。
- 1983年10月 - 創立110周年を迎え、それを記念した発表会と祝賀会を挙行する。児童向け書籍「わたしたちの悠久山」が発刊される。
- 1988年4月 - 科学技術庁(現:文部科学省)長官賞を受賞する。
- 1988年10月 - 新潟県生物標本展に於いて「学校賞」を受賞する。「わたしたちの悠久山」の新訂版が発行される。伝統教室(伝統館の前身)を新装一般公開する。
- 1989年2月 - 「地域総合活動」研究の集いを開催する。
- 1990年11月 - 阪之上小学校の創造性に富んだ特色ある教育に対して「第6回教育奨励賞」を受賞する。
- 1991年11月 - 阪之上小学区民・長岡市内(当時)の教員を招いての「私たちの学校発表会」を開催する。
- 1996年3月 - 「日本教育公務員弘済会教育賞」を受賞する。
- 1997年10月 - 「阪之上の教育を語る会」を開催する。
- 1998年4月 - 「米百俵・学習情報ネットワーク開発研究事業」、「学校図書館情報化モデル事業」の推進校に指定される。
- 1999年 - 「米百俵・学習情報ネットワーク開発研究事業」の推進指定校から解除される。
- 1999年4月 - NHK「ようこそ先輩」のテレビ収録が行われる。チャレンジ21教育推進事業の推進校に指定される。
- 2000年 - 「学校図書館情報化モデル事業」、チャレンジ21教育推進事業の推進指定校から解除される。
- 2000年8月 - 旧校舎の老朽化が進んでいたことから、建て替え工事が開始される。当時グラウンドだった敷地部分に新校舎を設置する。
- 2001年9月 - 現在の新校舎が完成し、校舎完成を祝う会が挙行された。
- 2001年10月 - 旧校舎の解体工事が開始される。タウンミーティング in新潟が開催される。
- 2002年5月 - パプアニューギニア交流会が開催される。
- 2002年7月 - 旧校舎がすべて解体され、跡地にグラウンドが竣工する。
- 2003年1月 - 雪灯ろうのライトアップイベントが開始される。(2010年代に入り終了)
- 2004年2月 - 英語劇「米百俵」をリリックホールではじめて上演する。初上演に臨んだのは、当時の6年生(ともだち学年)児童全員である。
- 2004年3月 - 新潟日報社が主催した新潟県教育公務員「第3回特色のある教育実践校・園の応募論文」に於いて最優秀賞を受賞する。
- 2004年10月23日 - 新潟県中越地震が発生するが、阪神・淡路大震災を教訓とした新基準の耐震設計が取り入れられた免震構造により、大きな被害は免れた。これにより避難所指定が行われ、アリーナ(屋内運動場・体育館)を中心に避難者の受け入れが開始された。また、災害時に備えて整備されていた自家発電機の使用により、付近一帯が停電している中、この阪之上小学校だけは電気のライフラインが確保されていた。
- 2004年10月24日 - 避難所の開設に伴い、この日より臨時休業を開始する。
- 2004年11月 - 防災公園(シビックコア地区)に仮設住宅が整備されたことにより、臨時休業を終了する。山古志村立山古志小学校の受け入れが開始され、この日より 阪之上小学校・山古志小学校仮校舎として授業が開始される。(地図表記などにも山古志小学校仮校舎と記されるようになった)
- 2005年3月 - 総合的な学習の時間を使用して、平和劇「昔、長岡で戦争があったよ」を当時のみらい学年が上演する。(現在この劇は長岡市立希望が丘小学校の6年生によって上演されている)
- 2005年11月 - 英語劇「米百俵」をリリックホールで上演する。2度目の上演に臨んだのは第59回入学生で当時の6年生(ドリーム学年)である。
- 2006年3月 - 2005年度をもって長岡市では3学期制の使用が終了されることから、3学期制から2学期制の移行に向け、2006年度用の年間指導計画が作成される。
- 2006年4月1日 - この日より、2学期制の使用が開始される。
- 2008年5月 - 開学140周年を迎える。
- 2013年10月14日 - 創立140周年を迎えたことにあたり、アオーレ長岡(アリーナ)に於いて記念式典を挙行する。
学区
本校の学区は川崎小・四郎丸小・千手小・表町小の学区と一部が重なっており、東北中・東中・南中の学区にまたがるように広がっている。
(以下は南中の学区に指定された阪之上小の学区である)
- 台町1丁目・台町2丁目 (一部は四郎丸小学校の学区と重なる)
- 学校町3丁目 (四郎丸小学校の学区と重なり、ほとんどは四郎丸小学校の学区である)
- 旭町1丁目・旭町2丁目 (一部は四郎丸小学校の学区と重なる)
(以下は東中の学区に指定された阪之上小の学区である)
- 神田町1丁目
- 坂之上町1丁目・東坂之上町2丁目・東坂之上町3丁目
- 東坂之上町1丁目・東坂之上町2丁目・東坂之上町3丁目
- 関東町
- 袋町1丁目・袋町2丁目・袋町3丁目
- 大手通1丁目・大手通り2丁目
- 殿町1丁目・殿町2丁目・殿町3丁目
- 長町1丁目 (一部)
- 城内町1丁目・城内町2丁目・城内町3丁目
(以下は東北中の学区に指定された阪之上小の学区である)
- 今朝白1丁目・今朝白2丁目・今朝白3丁目 (一部)
- 福住1丁目・福住2丁目 (2丁目の一部は川崎小学校の学区と重なる)
進学先
- 長岡市立東中学校(駅より西側)
- 長岡市立東北中学校(駅より東側)
- 長岡市立南中学校(駅より南側)
- 新潟県立附属長岡中学校
ギャラリー
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災害時は仮設トイレが設置できるように整備されている
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校舎に掲げられているのぼり
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校内図
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防犯設備
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校訓のレリーフ
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米百俵の群像
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みつばホールに隣接する図書館
本校出身の著名人
(以下はいずれも卒業生でホームページの公式発表に基づく[5])
交通・アクセス方法
脚注
- ^ “伝統館米百俵”. www.kome100.ne.jp. 2018年7月2日閲覧。
- ^ “伝統館リーフレット”. 長岡市立阪之上小学校. 2018年7月3日閲覧。
- ^ “長岡市投票区別選挙人名簿登録者数一覧表”. 長岡市. 2018年7月3日閲覧。
- ^ “校章・校歌”. www.kome100.ne.jp. 2018年7月2日閲覧。
- ^ “長岡市立阪之上小学校”. www.kome100.ne.jp. 2018年7月20日閲覧。
出典・参考資料
- 阪之上小学校 公式ホームページ
- 「新潟・長岡・阪之上小と交流へ」 ・『東日新聞』2010年3月3日版(リンク切れ・アーカイブなし)。