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初め漢水の岸に住んでいたが、飢饉に遭い、剡渓([[浙江省]][[嵊州市]]の西南)のほとりに移住して、隠者の生活を送った。一時期、江西節度使([[江西省]][[南昌市]])に招かれて[[参謀]]となったが、官僚生活が肌に合わず、辞職して帰った。[[貞元 (唐)|貞元]]2年([[786年]])にも左拾遺に任ずる旨の詔書を受けたが、辞退して、無官のまま世を終えた。 |
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作品に、『題竹林寺(竹林寺に題す)』([[五言絶句]])がある。 |
作品に、『題竹林寺(竹林寺に題す)』([[五言絶句]])がある。 |
2021年3月1日 (月) 05:14時点における最新版
朱放(しゅ ほう)は、中国・唐の詩人。湖北省襄陽市の出身。字は長通。
初め漢水の岸に住んでいたが、飢饉に遭い、剡渓(浙江省嵊州市の西南)のほとりに移住して、隠者の生活を送った。一時期、江西節度使(江西省南昌市)に招かれて参謀となったが、官僚生活が肌に合わず、辞職して帰った。貞元2年(786年)にも左拾遺に任ずる旨の詔書を受けたが、辞退して、無官のまま世を終えた。
作品に、『題竹林寺(竹林寺に題す)』(五言絶句)がある。
題竹林寺 | |
歳月人間促 | 歳月 人間(じんかん)に促し |
煙霞此地多 | 煙霞(えんか) 此の地に多し |
殷勤竹林寺 | 殷勤(いんぎん)にす 竹林寺 |
更得幾回過 | 更に幾回(いくかい)か過(よぎ)るを得ん |
参考文献
[編集]- 前野直彬注解『唐詩選(下)』(岩波文庫、新版1996年(初版1963年))ISBN 4-00-320093-4