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{{字引|date=2014-3-26}}
'''弁者'''(辯者、べんしゃ)は、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]において、弁論に長けて、論理をとことん追求した人物を呼ぶ名称である。同じ意味で[[察者]]とも呼ばれ、[[前漢|漢]]代では[[名家 (諸子百家)|名家]]と呼ばれていた人々と同義である。

[[田斉|斉]]の[[稷下の学士]]の中にはこの種の人物が多かった。[[稷下の学士|稷下]]の他の学者との討論に勝つために、弁論術を磨いて論理を新たにしたのである。稷下の学士の中でも、[[兒説]]は[[白馬非馬説]]を唱えて他の学士を降参させたことで知られており、弁者とされている。

== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
|author=[[陳舜臣]]
|date=1986-04
|title=中国の歴史 2 大統一時代 漢王朝の光と影
|publisher=[[平凡社]]
|isbn=978-4-582-48722-0
|ref={{Harvid|陳|1986}}
}}

== 外部リンク ==
*{{kotobank|弁者|大辞林 第三版}}
*{{kotobank|弁者|デジタル大辞泉}}

{{デフォルトソート:へんしや}}
[[Category:中国]]
[[Category:思想]]
[[Category:稷下の人物]]

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