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[[セルビアディナール|ディナール]]は、元々[[セルビア王国 (近代)|セルビア]]の通貨だった。1918年に[[セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国]]が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは[[1920年]]からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。[[1929年]]には[[国号]]がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。 |
[[セルビアディナール|ディナール]]は、元々[[セルビア王国 (近代)|セルビア]]の通貨だった。1918年に[[セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国]]が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは[[1920年]]からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。[[1929年]]には[[国号]]がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。 |
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[[1931年]]、為替レートが1[[アメリカ・ドル]] = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1[[イギリス・ポンド]]が確立された。1941年に、ユーゴスラビアから[[クロアチア独立国]](ナチスの[[傀儡国家]])が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価の[[クーナ]]が発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアの[[レフ]]、イタリアの[[イタリア・リラ|リラ]]、ドイツの[[ライヒスマルク]]もこれら地域で流通した。 |
[[1931年]]、為替レートが1[[アメリカ・ドル]] = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1[[イギリス・ポンド]]が確立された。1941年に、ユーゴスラビアから[[クロアチア独立国]](ナチスの[[傀儡国家]])が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価の[[クーナ]]が発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアの[[レフ (通貨)|レフ]]、イタリアの[[イタリア・リラ|リラ]]、ドイツの[[ライヒスマルク]]もこれら地域で流通した。 |
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=== 1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965 === |
=== 1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965 === |
2021年1月28日 (木) 04:20時点における版
ユーゴスラビア・ディナール | |||||
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Југословенски динар (セルビア語) | |||||
| |||||
使用 国・地域 | ユーゴスラビア | ||||
補助単位 | |||||
1/100 | パラ | ||||
通貨記号 | din. and дин. | ||||
複数形 | この通貨の言語はスラヴ語派に属する。複数形を構築する複数の方法がある。 | ||||
硬貨 | 50 パラ, 1, 2, 5 ディナール | ||||
紙幣 | 10, 20, 50, 100, 200, 500, 1000, 5000 ディナール | ||||
このinfoboxは、通貨が変更される直前の値を示している。 |
ディナール(динар/dinar)とは、3つのユーゴスラビア(ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国)の通貨。ディナールの補助単位はパラ(пара/para)で、1ディナールは100パラ。デノミは7回行われ、うち5回は1990年 - 1994年のハイパーインフレーションで行われている。8つのディナールには、それぞれ異なった名前とISO 4217コードが与えられている。
言語
連邦が崩壊した1990年初頭までは、ユーゴスラビアには4つの公用語があった。各言語での表記は以下の通り。
言語 | 通貨名 | 単数形 | 複数形 (2) | 複数形 (5+) |
---|---|---|---|---|
クロアチア語 | Jugoslavenski dinar | dinar | dinara | dinara |
マケドニア語 | Југословенски динар | динар | динари | динари |
スロベニア語 | Jugoslovanski dinar | dinar | dinarja | dinarjev |
セルビア語 | Југословенски динар Jugoslovenski dinar |
динар dinar |
динара dinara |
динара dinara |
Note:スラヴ語派では複数名詞が複雑である。この表に示したものは代表例であり、詳しい文法は「複数形」などを参照。
歴史
1918年の(セルビア)ディナール, YUS, 1918 - 1941
ディナールは、元々セルビアの通貨だった。1918年にセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは1920年からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。1929年には国号がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。
1931年、為替レートが1アメリカ・ドル = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1イギリス・ポンドが確立された。1941年に、ユーゴスラビアからクロアチア独立国(ナチスの傀儡国家)が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価のクーナが発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアのレフ、イタリアのリラ、ドイツのライヒスマルクもこれら地域で流通した。
1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965
1944年、ユーゴスラビアは再結成されると、セルビア・ディナール、クロアチア・クーナや占領国の通貨に代わって、ユーゴスラビア・ディナールが登場した。交換レートは、1ユーゴスラビア・ディナール = 20セルビア・ディナール = 40クーナ。1945年5月には、50ディナール = 1米ドルの固定レートが設定されたものの、レートが維持されることはなかった。
Date | 変換レート(新=旧) |
---|---|
1966年1月1日 | 1 = 100 |
1990年1月1日 | 1 = 10,000 |
1992年7月1日 | 1 = 10 |
1993年10月1日 | 1 = 1,000,000 |
1994年1月1日 | 1 = 1,000,000,000 |
1994年1月24日 | 1 = 12,000,000 |
1966年の(ハード)ディナール, YUD, 1966 - 1989
1966年1月1日、通貨が100分の1に切り下げられた。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 - 25%のインフレーションに悩まされた[1]。1980年代、インフレ率の上昇は加速し1990年にデノミネーションが行われた。
1990年の(兌換)ディナール, YUN, 1990 - 1992
二回目の通貨切り下げは、1990年1月1日に行われ、通貨が1万分の1に切り下げられた。この頃、構成国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国から脱退しようとしていた。6つの共和国のうち4国は、独立を宣言し独自の通貨を発行し始めた。この通貨は、「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と複数の言語で記された最後の通貨となった。
国名 | 通貨 | 採用日 | 価値 |
---|---|---|---|
ボスニア・ヘルツェゴビナ | ディナール | 1992年7月 | 1ディナール (1992年) |
クロアチア | ディナール | 1991年12月23日 | 1ディナール(1990年) |
マケドニア共和国 | デナール | 1992年4月26日 | 1ディナール(1990年) |
スロベニア | トラール | 1991年10月8日 | 1ディナール(1990年) |
クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力支配地域では、ユーゴスラビア・ディナールと等価のクライナ・ディナール、スルプスカ・ディナールが流通していた。
1992年の(改正)ディナール, YUR, 1992 - 1993
3回目の通貨切り下げは、1992年7月1日に行われ、通貨が10分の1に切り下げられた。この頃からハイパーインフレーションが始まった。このディナールは、当時のユーゴスラビア連邦(今日のセルビアとモンテネグロ)から発行された。
1993年の(十月)ディナール, YUO, 1993
4回目の通貨切り下げは、1993年の10月1日に行われ、通貨が100万分の1に切り下げられた。このデノミでもハイパーインフレーションは収束せず、通貨は3ヶ月しか持たなかった。
1994年のディナール, YUG, 1994
5回目の通貨切り下げは、1994年1月1日に行われ、通貨が10億分の1に切り下げられた。この通貨は、ユーゴスラビア・ディナールの中で最も早く下落し、わずか1月で交換された。
ノビ・ディナール, YUM, 1994 - 2003
1994年1月24日、ノビ・ディナール(キリル文字:нови динар, нових динара。ノビは「新」の意味)が登場した。これはディナール通貨の切り下げではなかった。ノビ・ディナールはドイツ・マルクと等価で固定された。ノビ・ディナールの登場した日、ドイツ・マルクと1994年のディナールの相場は1 マルク = 1300万ディナールだった。新通貨に固定されていないにもかかわらず、1994年のディナールの相場は下落せず、大体 1YUM = 1200万YUG だった[2]。ちなみに、1990年以前のディナールと比較すると、1 YUM = 1200𥝱 (1.2×1027) YUDである。「ノビ」は2000年に外された。
終焉
1999年11月6日、モンテネグロはユーゴスラビア・ディナールに加えてドイツ・マルクも法定通貨だと決定した。2000年11月13日には、ディナールは法定通貨から外れドイツ・マルクが唯一の法定通貨となった。2003年、ユーゴスラビアが消滅し、最後までユーゴスラビア・ディナールを使用していたセルビアがセルビア・ディナール(ユーゴスラビア・ディナールと等価)に切り替え、ユーゴスラビア・ディナールの歴史は幕を閉じた。末期の1ディナールは初期の120,000,000,000,000,000,000,000,000,000ディナール(12穣)。
硬貨
1918年のディナール
1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名の刻まれた硬貨が初めて発行された。5パラ(亜鉛)、10パラ(亜鉛)、25パラ(ニッケル青銅)硬貨である。1925年には、50パラ(ニッケル青銅)、1ディナール(ニッケル青銅)、2ディナール硬貨(ニッケル青銅)が登場した。1931年からは、硬貨にはユーゴスラビアの名が刻まれ、10ディナール(銀)、20ディナール(銀)硬貨が登場。1932年には、50ディナール(銀)硬貨が登場。
1938年、50パラ(アルミニウム青銅)、1ディナール(アルミニウム青銅)、2ディナール(アルミニウム青銅)と10ディナール(ニッケル)と大きさを小さくした20ディナール、50ディナール銀貨が発行された。これらが、第二次世界大戦前に発行された最後の硬貨である。
1944年のディナール
1945年、50パラ、1ディナール、2ディナール、5ディナール硬貨(いずれも亜鉛)が発行された。1953年にはこれらはアルミニウム製に切り替わった。1955年、10、20、50ディナール(アルミニウム青銅)が加わった。
1966年のディナール
1966年、5、10、20、50パラ(いずれも黄銅)と、1ディナール(銅ニッケル、1965年付)が発行された。1971年には、2、5ディナール(ニッケル黄銅)が発行され、1976年には10ディナールが銅ニッケル製に変わった。1981年には20パラ以下の硬貨が発行停止され、翌年には25、50パラ(青銅)が発行される。しかし、1985年には10ディナール未満の硬貨が発行停止され、黄銅製の10、20、50、100ディナール硬貨が発行された。これら硬貨は1989年まで発行されていた。
1990年のディナール
1990年、10、20、50パラ、1、2、5、ディナール硬貨が発行される。しかし、2、5ディナール以外は1991年に発行停止された。2、5ディナール硬貨についても1992年は少数発行されただけである。
1992年のディナール
1992年、1、2、5、10、50ディナールが発行された。5ディナールまでは黄銅、10、50ディナールはニッケル黄銅である。硬貨にはユーゴスラビアと刻まれていた(ラテンアルファベットでJugoslavija、キリル文字でЈугославија)他は、装飾のない酷く簡単なものだった。
1993年のディナール
1993年、1、2、5、10、50、100ディナールが発行された。これらは全てニッケル黄銅製である。500ディナール硬貨も鋳造されたが、発行されなかった。これらの硬貨は、"FR Yugoslavia"(ラテンアルファベットでSR Jugoslavija、キリル文字でСР Југославија)と刻まれていた以外、5番目のディナールとよく似ていた。
1994年のディナール
超短期間しか用いられなかったこのディナールでは、1ディナール黄銅貨が発行されたのみである。
Novi dinar
1994年、1、5パラ(黄銅)と10、50パラ、1ノビ・ディナール(ニッケル黄銅)が発行された。2000年には「ノビ」の字が除去され、新しく50パラ、1、2、5ディナール(黄銅)が発行された。
紙幣
1918年のディナール
1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国国立銀行が10、100、1,000ディナール紙幣を発行した。1929年に国名がユーゴスラビアに変更されると、新しい10、100ディナール紙幣が発行された。1000ディナール紙幣は1931年に新しいものに変わり、1935年からは500ディナール紙幣が登場した。
1944年のディナール
1944年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1、5、10、20、50、500、1,000ディナール紙幣を発行した。1946年、連邦人民共和国国立銀行から50、100、500、1,000ディナール紙幣が新しく発行された。1950年には、5,000ディナール紙幣が登場した。
1966年のディナール
1966年(紙幣の日付は1965年)に通貨切り下げが行われ、5、10、50、100ディナール紙幣が発行された。1970年には、500ディナール紙幣が、1974年には20、1000ディナール紙幣が登場した。
1965年-1981年のシリーズ | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
画像 | 額面 | 大きさ | 色 | 表面 | 裏面 | 初発行年 | |
5 din. | 123 x 59 mm | 緑 | 鎌を持つ女性 | 額面 | 1968年 | ||
10 din. | 131 x 62 mm | 茶 | Arif Heralić | 1968年 | |||
20 din. | 139 x 65 mm | すみれ色 | 波止場 | 1974年 | |||
50 din. | 140 x 66 mm | 青 | 議会にあるイヴァン・メシュトロヴィチによるレリーフ | 1968年 | |||
100 din. | 148 x 70 mm | 赤 | Antun Augustinčićによる、平和のモニュメント(ニューヨーク、国連ビル) | 1965年 | |||
500 din. | 156 x 74 mm | Dark green | Frano Kršinićによるニコラ・テスラの像(ナイアガラの滝州立公園)。背景には、高周波変圧器のコイル。 | 1970年 | |||
1000 dinar | 164 x 78 mm | ダークブルー | 果物を持つ女性 | 1974年 | |||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1985年、新しいシリーズの紙幣が発行され、5,000ディナール(肖像:ヨシップ・ブロズ・チトー)が新たに加わった。インフレーション悪化のため、1987年には2万ディナール紙幣が、1988年には5万ディナール紙幣が、そして1989年には、10万、50万、100万、200万ディナール紙幣が登場した。
1990年のディナール
1990年、通貨切り下げが行われ、10、50、100、200、500、1000ディナール紙幣が発行された。その紙幣のいくつかは、デザインがデノミ前のそれに対応する紙幣とよく似ていた。1991年には、5000ディナール紙幣があらたに登場した。
1992年のディナール
1992年、通貨切り下げが行われ、100、500、1000、5000、1万、5万ディナール紙幣が発行された。再び、デザインはデノミ前のシリーズと似ていたが、今回は等価のデザインに似せたわけではなかった。1993年には、10万、50万、100万、1000万、5000万、1億、5億、10億、100億ディナールという非常に大きな数字を持つ紙幣が新たに発行された。
1993年のディナール
1993年、さらに通貨切り下げが行われたものの、5000、1万、5万、50万、500万、5000万、5億、50億、500億、5000億ディナール紙幣が次々発行された。1万ディナール紙幣を除いて5ばかりという不思議な組合せは、ハイパーインフレーションで国が疲弊していたためである。
1994年のディナール
1994年1月、通貨切り下げが行われ、10、100、1000、5000、5万、50万、1000万ディナールが次々発行された。この通貨は、次のディナールが発行されるまでわずか数週間しか流通しなかった。
ノビ・ディナール
1994年1月24日、1、5、10ノビ・ディナール紙幣が発行された。1996年には第二シリーズとして、5、10、20、50、100ノビ・ディナール紙幣が発行された。2000年、「ノビ」が取り除かれた、10、20、50、100ディナール紙幣が発行される。翌2001年には新たに200、1000ディナール紙幣が登場。さらに翌2002年には5000ディナール紙幣が登場した。
関連項目
参考文献
- Krause, Chester L.; Clifford Mishler (1991). Standard Catalog of World Coins: 1801–1991 (18th ed.). Krause Publications. ISBN 0873411501。
- Pick, Albert (1994). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (7th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-207-9
- Pick, Albert (1996). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues to 1960. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (8th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-469-1
脚注
- ^ Thayer Watkins, Ph.D. 「The Worst Episode of Hyperinflation in History: Yugoslavia 1993-94」。2007年10月14日閲覧。
- ^ Dimitrije Boarov (1996年5月28日). “Time of Fair Money Is Over”. Vreme News Digest Agency. 2007年10月14日閲覧。
外部リンク
- Don's World Coin Gallery - Yugoslavia
- Ron Wise's World Paper Money - Yugoslavia Mirror site
- The Global History of Currencies - Serbia
- Global Financial Data data series - Serbia (Yugoslavia) Dinar
- Global Financial Data currency histories table ( Microsoft Excel format)
- The National Bank of Serbia
- http://www.svastara.com/razno/novcanice/
- BBC News: Montenegro drops Yugoslav dinar
- http://www.rogershermansociety.com/yugoslavia.htm
balkanofil.ru/index.php/bills/yugoslavia.html - カタログやギャラリーノートユーゴスラビア
先代 セルビア・ディナール 地域:セルビア 理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国建国 比率:1 KSCSディナール=1 セルビア・ディナール |
セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の通貨 1918年 – 1929年 |
ユーゴスラビア王国の通貨 1929 – 1941 |
次代 セルビア・ディナール 地域:セルビア(北部と南部の一部を除く) 理由:ドイツに占領されたため 比率:等価 |
次代 クロアチア・クーナ 地域:クロアチア独立国 理由:独立 比率:等価 | |||
次代 イタリア・リラ 地域:モンテネグロ, イタリアの占領地のスロベニア 理由:イタリアによる占領 | |||
先代 ユーゴスラビア・クローネ 地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ, クロアチア, スロベニア 理由:以前オーストリア=ハンガリー帝国だった地域はセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が統合 比率:1 ディナール=4 クローネ |
次代 ドイツ・ライヒスマルク 地域:ドイツの占領地のスロベニア 理由:ドイツに併合 | ||
次代 ハンガリー・ペンゲー 地域:Backa, Medimurje, Prekmurje 理由:ハンガリーに併合 | |||
先代 Montenegrin perper 地域:モンテネグロ 理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国に統合 |
次代 ブルガリア・レフ 地域:東マケドニア 理由:ブルガリアに併合 | ||
次代 アルバニア・レク 地域:コソボと西マケドニア 理由:アルバニアに併合 |
先代 セルビア・ディナール 地域:セルビア(北部と南部の一部を除く) 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合 比率:1 ユーゴスラビア・ディナール=20 セルビアディナール |
ユーゴスラビア民主主義連邦の通貨 1944年 – 1946年 |
ユーゴスラビア人民連邦共和国の通貨 1946年 – 1963年 |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1963年 – 1965年 |
次代 1966 ディナール 比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944) |
先代 クロアチア・クーナ 地域:クロアチア独立国 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合 比率:1 ディナール =40 kuna | ||||
先代 イタリア・リラ 地域:モンテネグロ 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ドイツ・ライヒスマルク 地域:スロベニア 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ハンガリー・ペンゲー 地域:Backa, Medimurje, Prekmurje 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ブルガリア・レフ 地域:東マケドニア 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 アルバニア・レク 地域:コソボと西マケドニア 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合、アルバニアによる占領が終了 |
先代 1944 ディナール 比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944) |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1966年 – 1990年 |
次代 1990 ディナール 比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966), 7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク |
先代 1966 ディナール 比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966), 7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1990年 – 1991年と1992年 Note:独立の日付と独立した通貨の流通開始にばらつきがある。 |
次代 1992 ディナール 地域:ユーゴスラビア連邦共和国 (セルビア・モンテネグロ) 比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990) 備考:July, 1992 |
次代 ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール 地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ (スルプスカ共和国を除く) 理由:独立 比率:1 ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:independence in March, 1992, new currency in July, 1992 | ||
次代 スルプスカ・ディナール 地域:スルプスカ共和国 (ボスニアの一部) 比率:1 スルプスカ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:1991年に独立 新通貨は1992年7月から new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar | ||
次代 クロアチア・ディナール 地域:クロアチア(クライナ・セルビア人共和国を除く) 比率:等価 備考:1991年6月25日に独立 new currency on December 23, 1991 | ||
次代 クライナ・ディナール 地域:クライナ・セルビア人共和国 (クロアチアの一部として) 比率:1 クライナ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:1991年12月19日に独立 new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar | ||
次代 マケドニア・デナール 地域:マケドニア 比率:等価 備考:1991年9月8日に独立 新通貨は1992年4月26日から | ||
次代 スロベニア・トラール 地域:スロベニア 比率:等価 備考:1991年6月25日に独立 新通貨は1992年10月8日から |
先代 1990 ディナール 比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990) |
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨 1992年7月 – 1993年9月30日 |
次代 1993 ディナール 比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992) |
先代 1992 ディナール 比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992) |
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨 1993年10月1日 – 1993年12月31日 |
次代 1994 ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
先代 1993 ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
ユーゴスラビア連邦共和国とスルプスカ共和国の通貨 1994年1月1日 – 1994年1月23日 |
次代 ノビ・ディナール 比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994) |
先代 1993年のスルプスカ・ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
先代 1994 ディナール 比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994) |
セルビア(コソボ以外)(ユーゴスラビア連邦共和国の一部として)の通貨 1994年1月24日 – 2003年7月2日 |
次代 セルビア・ディナール 理由:セルビア・モンテネグロに名称変更のため (2003年2月4日) 比率:等価 |
モンテネグロ (ユーゴスラビアの一部として), コソボ (セルビアの一部として)の通貨 1994年1月24日 – 1999年 |
次代 ドイツ・マルク 理由:政治的、経済的理由 | |
スルプスカ共和国の通貨 1994年1月24日 – 1998年 |
次代 兌換マルク 理由:デイトン合意 |