コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ドイツマルク」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
- bundesbank.de (404 - File not found - ファイルが見つかりません) / + bis-ans-ende-der-welt.net (マルク紙幣)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: レフ通貨の改名に伴うリンク修正依頼 - log
79行目: 79行目:
西ドイツが戦後復興を遂げて[[経済大国]]となり、[[アメリカ合衆国ドル]]・[[円 (通貨)|日本円]]と共に、[[国際通貨]]や[[特別引出権]]として流通していた。また[[ドイツの歴史]]経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、[[準備通貨]]としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。
西ドイツが戦後復興を遂げて[[経済大国]]となり、[[アメリカ合衆国ドル]]・[[円 (通貨)|日本円]]と共に、[[国際通貨]]や[[特別引出権]]として流通していた。また[[ドイツの歴史]]経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、[[準備通貨]]としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。


[[東欧革命]]後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年には[[ブルガリア]]の[[レフ]]が、1998年には[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の[[兌換マルク]]が、ともにドイツマルクとの[[固定相場制]]とされた。また、1999年には[[モンテネグロ]]と[[コソボ]](当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。
[[東欧革命]]後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年には[[ブルガリア]]の[[レフ (通貨)|レフ]]が、1998年には[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の[[兌換マルク]]が、ともにドイツマルクとの[[固定相場制]]とされた。また、1999年には[[モンテネグロ]]と[[コソボ]](当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。


== 貨幣 ==
== 貨幣 ==

2021年1月28日 (木) 04:19時点における版

ドイツマルク
ドイツ語: Deutsche Mark
ISO 4217
コード
DEM
中央銀行ドイツ連邦銀行
使用開始日1948年
使用
国・地域
ドイツの旗 ドイツ
モンテネグロの旗 モンテネグロ
ERM
 開始日 
 レート固定日1999年1月1日
 €使用開始日1999年1月1日
 €一般流通開始日2002年1月1日
=1.95583 DEM
補助単位
 1/100ペニヒ
通貨記号₰ , ℳ

ドイツマルク: Deutsche Mark, DM, DEM Deutsche Mark.ogg 発音)は、1948年6月20日から1998年12月31日までのドイツ連邦共和国1990年ドイツ再統一までは西ドイツ、それ以降はドイツ)の法定通貨。単にマルクとも呼ばれる。「マルク」の名は、貨幣に刻印(ドイツ語でこれをマルクという)があることから。補助単位はペニヒ (Pfennig Pfennig.ogg 発音) で、1ドイツマルク=100ペニヒ。

ライヒスマルクに代わって導入され、1999年1月1日ユーロ導入により廃止された。1ユーロは1.95583ドイツマルクと等価とされた。ドイツマルクの硬貨紙幣2002年に市場から回収されたが、ユーロへの交換はドイツ連邦銀行によって永久保証されている。

歴史

マルクは、1871年ドイツ帝国統一以来のドイツの公式通貨だった。ワイマール共和国時代の1920年代初頭に、マルクはハイパーインフレーションを経験したが、ドイツマルクは西ドイツへと続く統一ドイツの経済力および安定の象徴となった。東ドイツでは東ドイツマルク(オストマルク)が使用された。

ドイツマルクは、1948年第二次世界大戦後の東西ドイツの分割が恒久的なものと考えられた後、西側勢力によって導入された。それは、西ドイツをインフレーションから救うためであったが、東ベルリンのソビエト連邦政府当局の怒りを呼び、1949年ベルリン封鎖に結びついた。

西ドイツが戦後復興を遂げて経済大国となり、アメリカ合衆国ドル日本円と共に、国際通貨特別引出権として流通していた。またドイツの歴史経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、準備通貨としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。

東欧革命後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年にはブルガリアレフが、1998年にはボスニア・ヘルツェゴビナ兌換マルクが、ともにドイツマルクとの固定相場制とされた。また、1999年にはモンテネグロコソボ(当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。

貨幣

ドイツマルクには紙幣と硬貨があり、ドイツ連邦銀行が発行していた。紙幣は5・10・20・50・100・200・500・1,000マルクの8種類、硬貨は1・2・5・10・50ペニヒと1・2・5マルクの8種類が発行されていた。

ドイツマルクの紙幣(1991年発行)
券面 額面 サイズ デザイン 日付
表面 裏面 印刷開始 流通開始 印刷停止 流通停止
5 Deutsche Mark, Obverse 5 Deutsche Mark, Reverse 5 122 × 62 mm ベッティーナ・フォン・アルニム詩人 ブランデンブルク門 1991年8月1日 1992年10月27日 2001年12月31日 Indefinite
10 Deutsche Mark, Obverse 10 Deutsche Mark, Reverse 10 130 × 65 mm カール・フリードリヒ・ガウス数学者 六分儀 1989年6月2日 1991年4月16日
20 Deutsche Mark, Obverse 20 Deutsche Mark, Reverse 20 138 × 68 mm アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ、詩人 羽ペンブナの木 1991年8月1日 1992年3月20日
ファイル:50 DM Serie4 Rueckseite.jpg 50 146 × 71 mm バルタザール・ノイマン建築家 ヴュルツブルクの司教館 1989年6月2日 1991年9月30日 [要出典]
ファイル:100 DM Serie4 Vorderseite.jpg ファイル:100 DM Serie4 Rueckseite.jpg DM 100 154 × 74 mm クララ・シューマンピアニスト作曲家 ピアノ
ファイル:200 DM Serie4 Rueckseite.jpg 200 162 × 77 mm パウル・エールリヒ細菌学者 顕微鏡
500 Deutsche Mark, Obverse 500 Deutsche Mark, Reverse 500 170 × 80 mm マリア・ジビーラ・メーリアン画家 タンポポ 1991年8月1日 1992年10月27日
1000 Deutsche Mark, Obverse 1000 Deutsche Mark, Reverse 1,000 178 × 83 mm グリム兄弟言語学者童話作家 ドイツ語の辞書とベルリン王立図書館

為替レート

対ドル為替レート(1989年 - 1998年)
対円為替レート(1989年 - 1998年)

記号の符号位置

記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
U+20B0 - ₰
₰
GERMAN PENNY SIGN
U+2133 - ℳ
ℳ
SCRIPT CAPITAL M

関連項目

外部リンク

先代
ライヒスマルクレンテンマルク
理由:ハイパーインフレの防止
比率:600 RM までは 1 DM = 1 RM, 600 RM からは 1 DM = 10 RM, 加えて1人あたり 40 DM を受領
西ドイツの通貨
1948年6月21日1990年
ドイツの通貨
1990年 – 2001年12月31日
Note:ユーロは1999年1月1日から存在した
次代
ユーロ
理由:ユーロの展開
比率:1 ユーロ = 1.95583 マルク
先代
東ドイツマルク
理由:ドイツの統合
比率:4,000マルクまでは 1:1, 4,000マルクからは 2東ドイツマルク = 1 DM
先代
ユーゴスラビア・ディナール
理由:政治的、経済的理由
コソボモンテネグロの通貨
1999年2001年12月31日