「ドイツマルク」の版間の差分
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西ドイツが戦後復興を遂げて[[経済大国]]となり、[[アメリカ合衆国ドル]]・[[円 (通貨)|日本円]]と共に、[[国際通貨]]や[[特別引出権]]として流通していた。また[[ドイツの歴史]]経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、[[準備通貨]]としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。 |
西ドイツが戦後復興を遂げて[[経済大国]]となり、[[アメリカ合衆国ドル]]・[[円 (通貨)|日本円]]と共に、[[国際通貨]]や[[特別引出権]]として流通していた。また[[ドイツの歴史]]経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、[[準備通貨]]としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。 |
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[[東欧革命]]後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年には[[ブルガリア]]の[[レフ]]が、1998年には[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の[[兌換マルク]]が、ともにドイツマルクとの[[固定相場制]]とされた。また、1999年には[[モンテネグロ]]と[[コソボ]](当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。 |
[[東欧革命]]後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年には[[ブルガリア]]の[[レフ (通貨)|レフ]]が、1998年には[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の[[兌換マルク]]が、ともにドイツマルクとの[[固定相場制]]とされた。また、1999年には[[モンテネグロ]]と[[コソボ]](当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。 |
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== 貨幣 == |
== 貨幣 == |
2021年1月28日 (木) 04:19時点における版
ドイツマルク | |
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ドイツ語: Deutsche Mark | |
ISO 4217 コード | DEM |
中央銀行 | ドイツ連邦銀行 |
使用開始日 | 1948年 |
使用 国・地域 | ドイツ モンテネグロ |
ERM | |
開始日 | |
レート固定日 | 1999年1月1日 |
€使用開始日 | 1999年1月1日 |
€一般流通開始日 | 2002年1月1日 |
€ = | 1.95583 DEM |
補助単位 | |
1/100 | ペニヒ |
通貨記号 | ₰ , ℳ |
ドイツマルク(独: Deutsche Mark, DM, DEM 発音)は、1948年6月20日から1998年12月31日までのドイツ連邦共和国(1990年のドイツ再統一までは西ドイツ、それ以降はドイツ)の法定通貨。単にマルクとも呼ばれる。「マルク」の名は、貨幣に刻印(ドイツ語でこれをマルクという)があることから。補助単位はペニヒ (Pfennig 発音) で、1ドイツマルク=100ペニヒ。
ライヒスマルクに代わって導入され、1999年1月1日のユーロ導入により廃止された。1ユーロは1.95583ドイツマルクと等価とされた。ドイツマルクの硬貨と紙幣は2002年に市場から回収されたが、ユーロへの交換はドイツ連邦銀行によって永久保証されている。
歴史
マルクは、1871年にドイツ帝国統一以来のドイツの公式通貨だった。ワイマール共和国時代の1920年代初頭に、マルクはハイパーインフレーションを経験したが、ドイツマルクは西ドイツへと続く統一ドイツの経済力および安定の象徴となった。東ドイツでは東ドイツマルク(オストマルク)が使用された。
ドイツマルクは、1948年に第二次世界大戦後の東西ドイツの分割が恒久的なものと考えられた後、西側勢力によって導入された。それは、西ドイツをインフレーションから救うためであったが、東ベルリンのソビエト連邦政府当局の怒りを呼び、1949年のベルリン封鎖に結びついた。
西ドイツが戦後復興を遂げて経済大国となり、アメリカ合衆国ドル・日本円と共に、国際通貨や特別引出権として流通していた。またドイツの歴史経験から、インフレーションを警戒するドイツ国民が、ドイツ連邦政府とドイツ連邦銀行の慎重な財政・通貨政策を支持しており、そのことへの世界からの信頼から、経済規模では日本を下回っていたにもかかわらず、準備通貨としての被保有高は、米ドルに継ぐ2位であった。日本円とともに、戦後米ドルに対する価値が上昇した数少ない通貨の一つである。
東欧革命後は東欧諸国の基軸通貨となり、1997年にはブルガリアのレフが、1998年にはボスニア・ヘルツェゴビナの兌換マルクが、ともにドイツマルクとの固定相場制とされた。また、1999年にはモンテネグロとコソボ(当時は事実上の独立)がドイツマルクを自国通貨として採用した。これらの地位は全てユーロに引き継がれている。
貨幣
ドイツマルクには紙幣と硬貨があり、ドイツ連邦銀行が発行していた。紙幣は5・10・20・50・100・200・500・1,000マルクの8種類、硬貨は1・2・5・10・50ペニヒと1・2・5マルクの8種類が発行されていた。
券面 | 額面 | サイズ | デザイン | 日付 | |||||
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表面 | 裏面 | 表 | 裏 | 印刷開始 | 流通開始 | 印刷停止 | 流通停止 | ||
5 Deutsche Mark, Obverse | 5 Deutsche Mark, Reverse | 5 | 122 × 62 mm | ベッティーナ・フォン・アルニム、詩人 | ブランデンブルク門 | 1991年8月1日 | 1992年10月27日 | 2001年12月31日 | Indefinite |
10 Deutsche Mark, Obverse | 10 Deutsche Mark, Reverse | 10 | 130 × 65 mm | カール・フリードリヒ・ガウス、数学者 | 六分儀 | 1989年6月2日 | 1991年4月16日 | ||
20 Deutsche Mark, Obverse | 20 Deutsche Mark, Reverse | 20 | 138 × 68 mm | アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ、詩人 | 羽ペンとブナの木 | 1991年8月1日 | 1992年3月20日 | ||
ファイル:50 DM Serie4 Rueckseite.jpg | 50 | 146 × 71 mm | バルタザール・ノイマン、建築家 | ヴュルツブルクの司教館 | 1989年6月2日 | 1991年9月30日 [要出典] | |||
ファイル:100 DM Serie4 Vorderseite.jpg | ファイル:100 DM Serie4 Rueckseite.jpg | DM 100 | 154 × 74 mm | クララ・シューマン、ピアニスト・作曲家 | ピアノ | ||||
ファイル:200 DM Serie4 Rueckseite.jpg | 200 | 162 × 77 mm | パウル・エールリヒ、細菌学者 | 顕微鏡 | |||||
500 Deutsche Mark, Obverse | 500 Deutsche Mark, Reverse | 500 | 170 × 80 mm | マリア・ジビーラ・メーリアン、画家 | タンポポ | 1991年8月1日 | 1992年10月27日 | ||
1000 Deutsche Mark, Obverse | 1000 Deutsche Mark, Reverse | 1,000 | 178 × 83 mm | グリム兄弟、言語学者・童話作家 | ドイツ語の辞書とベルリン王立図書館 |
為替レート
記号の符号位置
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
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₰ | U+20B0 |
- |
₰ ₰ |
GERMAN PENNY SIGN |
ℳ | U+2133 |
- |
ℳ ℳ |
SCRIPT CAPITAL M |
関連項目
外部リンク
先代 ライヒスマルク、レンテンマルク 理由:ハイパーインフレの防止 比率:600 RM までは 1 DM = 1 RM, 600 RM からは 1 DM = 10 RM, 加えて1人あたり 40 DM を受領 |
西ドイツの通貨 1948年6月21日 – 1990年 |
ドイツの通貨 1990年 – 2001年12月31日 Note:ユーロは1999年1月1日から存在した |
次代 ユーロ 理由:ユーロの展開 比率:1 ユーロ = 1.95583 マルク |
先代 東ドイツマルク 理由:ドイツの統合 比率:4,000マルクまでは 1:1, 4,000マルクからは 2東ドイツマルク = 1 DM | |||
先代 ユーゴスラビア・ディナール 理由:政治的、経済的理由 |
コソボ、モンテネグロの通貨 1999年 – 2001年12月31日 |