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選手としての経験は大学で終わっている。先輩には[[森田淳悟]]がいる。後輩には[[山本健之]]、[[川合俊一]]、[[山本隆弘]]([[パナソニック・パンサーズ]])、[[齋藤信治]]、[[米山裕太]]([[東レアローズ]])などがいる。 |
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共栄学園高校での監督時代には練習でのミスが多発したこともあり、後輩の川合を臨時コーチとして招聘したことがある。 |
共栄学園高校での監督時代には練習でのミスが多発したこともあり、後輩の川合を臨時コーチとして招聘したことがある。 |
2021年1月27日 (水) 22:59時点における版
太田 豊彦 | |
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プロフィール | |
出身地 | 東京都 |
太田豊彦(おおたとよひこ、1957年5月31日 - )は東京都出身のバレーボール指導者である。共栄学園高校の監督として春高バレー2度の優勝、インターハイでも優勝2回に導いた経験もある。
略歴
- 1980年3月 日本体育大学卒業。
- 1980年4月 共栄学園高等学校に奉職。バレーボール部顧問として、10年間コーチを務める。
- 1987年 東京都高体連バレーボール専門部女子指導普及委員。
- 1996年 18年 全国高体連バレーボール専門部女子強化委員。
- 1997年 全日本高校選抜バレーボールチーム監督・コーチとして11回海外遠征へ派遣。
- 1998年 U-18・U-20日本代表チームコーチとしてアジア選手権大会に5回派遣。U-20日本代表チームコーチとして世界選手権(99年カナダ第6位)へ派遣。
- 2004年 U-20日本代表チームコーチとしてドミニカ共和国遠征に派遣。アテネオリンピック視察(8月)
- 2007年(公財)日本バレーボール協会女子強化委員会委員に就任。
- 2008年 文部科学大臣より優秀教員として表彰。
- 2009年 (公財)日本バレーボール協会女子強化委員会副委員長に就任。
- U-20日本代表チーム監督としてメキシコ世界選手権大会へ出場予定であったが、新型インフルエンザがメキシコにて発生したため、出場辞退した。
- 全日本チーム監督として東アジア大会(香港)に出場 第2位
- 2010年 U-18・U-20日本代表チームコーディネーターに就任。
- 日韓中ジュニア交流大会に参加 3回
- U-17日本代表チームマネージャーとしてアジア選手権大会に参加 3回(3回とも優勝7連覇中)
- U-18日本代表チーム、チームマネージャーとして世界選手権に参加 2回(ペルー9位・アルゼンチン5位)
- 2019年4月より明海大学の監督に就任。
共栄学園高等学校女子バレーボール部における戦績
- 春高バレー 出場26回、優勝2回、準優勝1回、第3位8回
- インターハイ 出場22回、優勝2回、準優勝3回、第3位2回
- 国民体育大会 出場5回、第3位1回
- 関東大会 出場59回(58年連続出場中)、優勝8回
- 国民体育大会東京選抜チーム 監督として3回出場、優勝2回、第3位1回
日体大時代の人間関係
選手としての経験は大学で終わっている。先輩には森田淳悟がいる。後輩には山本健之、川合俊一、山本隆弘(パナソニック・パンサーズ)、齋藤信治、米山裕太(東レアローズ)などがいる。
共栄学園高校での監督時代には練習でのミスが多発したこともあり、後輩の川合を臨時コーチとして招聘したことがある。