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神奈川県選出の衆議院議員、実業家、神奈川県津久井郡鳥屋村長 |
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2020年12月30日 (水) 09:36時点における版
天野 藤三(あまの とうぞう、1855年6月7日(安政2年4月23日[1]) - 1928年(昭和3年)3月8日[2][3])は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。旧姓は井上[4]。
経歴
八王子宿(現八王子市)の井上家に生まれ、18歳の時に神奈川県津久井郡鳥屋村(津久井町を経て現相模原市緑区)の名主・天野三郎助の養子となる[4]。上京し尾崎行雄と共に勉学に励んだのち、1885年(明治18年)養父の跡を継ぎ鳥屋村ほか2か村組合戸長となった[4]。1889年(明治22年)初代鳥屋村長に就任し、治山治水に尽力した[5]。1891年(明治24年)神奈川県会議員、1903年(明治36年)津久井郡会議員、同議長を歴任した[3]。1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙では神奈川県郡部から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。
1925年(大正14年)鳥屋村長に再度就任し3年間務めた[3]。ほか、神奈川県農工銀行取締役や相模興業社長を務めた[2][3]。墓所は相模原市緑区大字鳥屋の東陽寺[3]。
親族
脚注
- ^ 衆議院事務局 1904, 4頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 19頁.
- ^ a b c d e f 神奈川県県民部県史編集室 1983, 31頁.
- ^ a b c 神奈川県県民部県史編集室 1983, 30頁.
- ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 30-31頁.
参考文献
- 『第二十回帝国議会 衆議院議員名簿』衆議院事務局〈衆議院公報第一号附録〉、1904年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。