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2020年12月30日 (水) 09:28時点における版
松山 千恵子(まつやま ちえこ、1914年(大正3年)3月11日 – 2015年(平成27年)2月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(自民党)[1]。衆議院議長や文部大臣などを歴任した松永東の長女。
概要
1914年、東京府(現東京都)に出生。長崎県人・松永東の長女[2]。生母は東京の上田宇多[3]。1934年、明治大学専門部女子部法科を卒業[4]。
1960年、埼玉県第2区より、衆議院選挙に立候補し当選[5]、埼玉県初の女性代議士となった(当選3回)。厚生政務次官、郵政政務次官などを歴任した。
2015年2月6日、老衰のため死去[1][6]。100歳没。贈従四位[7]。自宅は埼玉県川越市通町[1]。
家族・親族
- 松永東[2][3] - 父。弁護士。1916年、開業した[2]。衆議院議員。衆議院議長・文部大臣等歴任。
- 松永光 - 弟(松永東の養子)。弁護士。衆議院議員。文部大臣・通産大臣・大蔵大臣等歴任。
- 松山義雄 - 夫。衆議院議員。元埼玉県副知事。弁護士。
- 舟橋功一 - 娘・浩子の夫。弁護士。元埼玉県議会議員。元川越市長。
- 舟橋一浩 - 孫。功一・浩子夫妻の長男。前埼玉県議会議員。
- 海老原崇智 - 孫。東京都中央区議会議員[8]。
脚注
- ^ a b c “松山千恵子さんが死去 元衆院議員”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2015年2月9日) 2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第11版 下』マ140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『明治大学一覧 昭和10年』186頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ 松山千恵子さん死去 郵政政務次官など歴任 朝日新聞 2015-2-9
- ^ 2015年3月6日官報
- ^ ご挨拶、中央区議会議員 海老原たかさと公式サイト。
参考文献
- 明治大学事務局編『明治大学一覧 昭和10年』明治大学事務局、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』衆議院事務局、1961年。
- 平松伴子『流れるままに 埼玉初の女性代議士松山千恵子の軌跡』八千代出版、2002年。