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* 東水大へ再入学の為、航海士の受験の際、航海士の受験すら認めない動きがあった。その為、夫である繁晴が取材を通じて繋がりがある、政治家や官僚に認めさせるよう「公憤」として働き掛けをしていた<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、130頁</ref>。
* 東水大へ再入学の為、航海士の受験の際、航海士の受験すら認めない動きがあった。その為、夫である繁晴が取材を通じて繋がりがある、政治家や官僚に認めさせるよう「公憤」として働き掛けをしていた<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、130頁</ref>。
* 晴海ふ頭から世界一周遠洋航海に出発後、二男が岸壁から動こうとしなかった。その後、二男が大学入学後下宿した際、その時の紙テープが机の中から見付かり、結果海が嫌いになった事が判明した<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、139頁</ref>。
* 晴海ふ頭から世界一周遠洋航海に出発後、二男が岸壁から動こうとしなかった。その後、二男が大学入学後下宿した際、その時の紙テープが机の中から見付かり、結果海が嫌いになった事が判明した<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、139頁</ref>。
* 遠洋航海実習中、湾岸戦争勃発で[[スエズ運河]]が通れない事を、船内FAXで繁晴に伝えたら、その思いを叶える為に、[[海部俊樹]][[内閣総理大臣]]に「スエズ運河を通過させるべき」と訴えた結果、[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]を通して、大学の学長にまで届き学内中で騒ぎになったので、以後船内FAXが使用禁止になった<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、136頁</ref>。
* 遠洋航海実習中、湾岸戦争勃発で[[スエズ運河]]が通れない事を、船内FAXで繁晴に伝えたら、その思いを叶える為に、[[海部俊樹]][[内閣総理大臣]]に「スエズ運河を通過させるべき」と訴えた結果、[[文部大臣]]を通して、大学の学長にまで届き学内中で騒ぎになったので、以後船内FAXが使用禁止になった<ref>[[#ガハハ|海と女とMH]]、136頁</ref>。


=== メタンハイドレート調査について ===
=== メタンハイドレート調査について ===

2020年12月30日 (水) 09:21時点における版

青山 千春
青山千春
『海と女とメタンハイドレート』刊行記念 講演&サイン会にて
生誕 青山 千春
(あおやま ちはる)
1955年(68 - 69歳)
日本の旗 日本
東京都豊島区
居住 日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
研究分野 海洋環境工学、海洋音響学
研究機関 独立総合研究所
出身校 東京水産大学
博士課程
指導教員
古澤昌彦
他の指導教員 濱田 悦之
プロジェクト:人物伝
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青山 千春(あおやま ちはる、1955年 - )[1]は、日本の水産学研究者、博士(水産学)。旧姓は横川。東京海洋大学准教授、夫は政治家の青山繁晴、長男は株式会社 独立総合研究所 代表取締役社長の青山大樹[2]

来歴

生い立ち

東京都豊島区出身。 父親は旧帝国海軍足柄軍楽隊、NHK交響楽団、スタジオミュージシャンのトランペッターの横川秀男、母親は元NHK交響楽団ピアニストの横川和子の間に一人っ子として育った。[3]
幼少期から音楽に慣れ親しんだ生活を送り、父親が足柄の軍楽隊だったことで海についてのエピソードをよく聞かされるようになるにつれて海に憧れをもつようになり、航海士を目指すようになった[4]

学生時代

1969年4月、女子学院中学校・高等学校に入学[5]。女子学院高校時代に筑波大学名誉教授猪郷久義地質学の授業を講師として担当しており、大陸移動説に興味を持つ。また、猪郷が地学班の顧問でもあり入部し、フィールド調査の面白さを体感する[6]

高校三年の進路決定時に大陸移動説の学説で出てきたマダガスカル島がある、南極大陸に行くための大学受験を考えて、航海士の免許を取るための受験生活を送る[7]。しかし、航海士の免許が取れると考えた防衛大学校海上保安大学校東京商船大学東京大学に問い合わせたが受験資格が男子のみの対象だったため門前払いに合う。ダメ元で東京水産大学に問い合わせたら、当時の学長が「女性を受け入れたら、話題性があって面白い」と言う事と受験資格に性別規定が無かった為、1974年4月、東京水産大学水産学部漁業学科を合格し入学[8]

青山繁晴との出会い

大学院に進学した1978年夏、練習船海鷹丸三世に乗船し、晴海埠頭から出港して日本一周航海中の7月、立ち寄った小樽港共同通信社札幌支局の記者に取材された記事が配信され、配信記事を元に産経新聞の人間広場に掲載されていた記事を、同年9月、当時アルペンスキーで両膝をケガをして通学すら出来ない早稲田大学在学中の現在の夫であり、社長である青山繁晴が記事を見てこの人だと感じ、慶大時代の友人に依頼され加山雄三の学内コンサートのチケット販売をしていた時に、電話帳に載っていた豊島区の自宅に連絡し営業活動を行なった[9]早大にも加山雄三にも興味があった千春は、値下げ交渉の末チケットを購入することを受諾し、BIG BOX 高田馬場内の「フェイスオフ」という喫茶店で初めて出会う[要出典]

コンサート後、特に会う事は無かったが、実習航海後に外部の人に会いたくなり、その時浮かんだ繁晴に連絡し出会った時と同じフェイスオフで再開。その後、繁晴にくっついて早大の授業を受講してノート取りをやるようになり、色々話を聞いていくにつれ、繁晴が記者になれるよう応援しようと腹を括った。繁晴が卒業間近に控えた時に、早大の就職課にて共同通信社の募集票を見つけ[10]受験を勧め、紆余曲折の後に受験し、そのまま選考過程を通過し内定を貰う。繁晴の初任地が徳島支局だったため、在学中の1979年5月25日に繁晴と結婚し、徳島県へ転居。東水大の休学が2年間しかないため、一旦退学し、学業が再開できる機会を待つため専業主婦となる[要出典]

東水大への再入学

繁晴が徳島支局、京都支局、大阪支社に配属していた間は、長男、次男の子育てに専念しつつ、子供が公園で遊んでいる際には、ベンチで共通一次試験の数学と英語の問題をひたすら解いて、頭の感覚の維持に努め[11]、1987年4月、繁晴が本社政治部に赴任し、東京へ戻るタイミングで大学へ再入学する準備を開始。1990年、35歳の時に次男が小学校へ入学したため、東水大を再受験。再受験の条件が航海士の国家試験受験だった為、同年4月、航海士の受験後再入学を果たす[12]。同年11月、世界一周遠洋航海に出発しその後、湾岸戦争が勃発し寄港先のトルコイスタンブールで足止めを食らい、同大大学院の受験までに日本に帰港出来ず海鷹丸三世船内で受験し合格。 1991年3月、東京水産大学大学院修士課程修了し、同年4月同大大学院の博士課程に進学。その間、ティーチングアシスタントを同年5月から10月、1996年5月から10月の間務めながら、海洋音響学を学び、そこで魚群探知機を使って魚以外のものを見る、海底を見ることをテーマに研究を開始。

博士号取得、日本海側のメタンハイドレート発見

1997年1月、ナホトカ号重油流出事故が発生し、東水大の研究室へ海中の重油の湧出量を計測調査依頼があり、海鷹丸四世で沈没海域へ向かい調査を行う。その帰り道に、魚群探知機を点けたままにして船を航行させていた際、隠岐島の東方海域を航行中、柱上の物質が自噴しており、後にメタンハイドレートと判明し研究を開始。

博士論文を書き上げ、同年3月25日に大学院博士課程を修了し、博士(水産学)を取得。しかし、ストレートで卒業した学生でも就職が厳しい状態であるのにかかわらず、青山自身当時年齢が42歳になっており、実務経験が無く民間企業への就職が思うように出来ず研究をする場を確保できず困っていた時に、繁晴からアジア航測を紹介され、期限付き特別ポスドク研究員として研究を開始。

1998年4月、アジア航測株式会社 総合研究所に入社。2002年4月、繁晴が同僚数人と三菱総合研究所を退職し、有限会社独立総合研究所を設立。青山も取締役として兼務[注 1]。同年10月にアジア航測を退社し、環境コンサルティング企業の株式会社三洋テクノマリンに転職。

2004年3月、三洋テクノマリンを退社し、同年4月に独立総合研究所の自然科学部長に就任。魚群探知機を用いた海底資源探査システム及び海底資源探査方法の特許を申請し、2005年4月、特許を取得した。2016年4月1日付人事にて、母校である東京海洋大学の准教授に就任[13]。2017年度に設置予定である、海洋資源環境学部海洋資源エネルギー学科(仮称)[14]を担当予定。また、独研では2016年4月時点で自然科学部長と兼任し総務部長代理の職となり、繁晴の仕事場に同行する事がある[15]

エピソード

  • 徳島県に転居した際、生まれから物心就くまで池袋で過ごしたため、都市レベルの落差に愕然としたと明かしている[16]
  • 子育ての為、一旦大学院を退学したが、その後京都市在住時に朝日新聞に「水産大女性第一号、青山千春さんは結婚で航海士になることを挫折した」と青山自身に取材も無く書かれ、夫である繁晴が猛抗議し、後に大学に戻る時には正しい記事を書く約束を取り付けた[注 2][17][18]
  • 東水大へ再入学の為、航海士の受験の際、航海士の受験すら認めない動きがあった。その為、夫である繁晴が取材を通じて繋がりがある、政治家や官僚に認めさせるよう「公憤」として働き掛けをしていた[19]
  • 晴海ふ頭から世界一周遠洋航海に出発後、二男が岸壁から動こうとしなかった。その後、二男が大学入学後下宿した際、その時の紙テープが机の中から見付かり、結果海が嫌いになった事が判明した[20]
  • 遠洋航海実習中、湾岸戦争勃発でスエズ運河が通れない事を、船内FAXで繁晴に伝えたら、その思いを叶える為に、海部俊樹内閣総理大臣に「スエズ運河を通過させるべき」と訴えた結果、文部大臣を通して、大学の学長にまで届き学内中で騒ぎになったので、以後船内FAXが使用禁止になった[21]

メタンハイドレート調査について

  • 表層型メタンハイドレートの開発費が砂層型と比較し予算が付かないため、資源エネルギー庁に1人で陳情に行き、「日本海側の調査に1000万円出して欲しい」と伝えた際、「政府が地上実験に力を入れているのに、そんな事言ったら国賊ですよ」と言われた。その事を別現場にいた社長である繁晴に電話報告した際に泣いていたため、事情を聞いた繁晴が資源エネルギー庁に直接抗議した[22]
  • 日本はメタンハイドレートのリーディング・カントリーであり、その研究発表は国際的に注目を浴びている[23]
  • 東シナ海での調査では、中国海軍の船が青山の魚群探知機よりも強力な超音波を出して調査を妨害していた[注 3]

学術・研究

専門分野

  • 海洋環境工学、海洋音響学、海洋物理(モデリング)、海底地質学、航海学、海事法規、安全保障技術

学位称号

  • 1978年3月 - 高等学校理科・水産教員免許(昭53高二普第890号)
  • 1988年9月 - 特殊無線技士(国際無線電話)(第AANR00094号)
  • 1990年5月 - 三級海技士(航海)(第5303910000770号)
  • 1997年3月 - 博士(水産学)(東京水産大学、課博第133号)

取得特許

海底資源探査システム及び海底資源探査法、特許第3662921号、2004年10月22日

学界・社会における活動

  • 日本水産学会、日本航海学会、日本海洋学会、海洋音響学会、日本地質学会、東京地学協会、AGU(アメリカ地球物理連合)、土木学会、日本極地研究振興会及びNPOみらい有明不知火の各会員

論文・発表・報告・執筆

原著論文

  • 水槽の水面反射を利用した計量魚群探知機の較正(青山千春、濱田悦之、古澤昌彦)、1997年7月、水産学会誌63(4),570-577
  • 海底反射を利用した計量魚群探知機の総合的検証(青山千春、濱田悦之、古澤昌彦)、1999年1月、水産学会誌65(1),76-83
  • Near Range Errors in Sound Scattering Measurements of Fish (Masahiko Furusawa, Mitsutosi Hamada, Chiharu Aoyama)、1999年1月、日本水産学会Fisheries Science65(1)
  • Designing Acoustic Transmitting- Receiving System for Volume Back- scattering Measurement of Zooplankton(Liu Xuezhen, Masahiko Furusawa, Etsuyuki Hamada, Chiharu Aoyama)、1999年6月、日本水産学会Fisheries Science65(3)
  • Characteristics of Environment and Tidal Current in Ariake Sea(Kiyoshi Takikawa,Kenji Tanaka, Chiharu Aoyama)、2003年、Asian and Pacific Coasts 2003
  • Ecological System of Ariake Ocean(Kiyoshi Takikawa,Kenji Tanaka, Chiharu Aoyama)、2003年、International Water AssociationAsian Waterqual 2003
  • 有明海の過去25年間における海域環境の変動特性(滝川清、田中健路、外村隆臣、青山千春、西山律恵)、2003年、土木学会海岸工学会論文集、50,pp1001-1005,2003
  • 干潟を有する閉鎖性海域におけるσ座標系3次元流動解流動解析(滝川清、青山千春,田中健路、渡辺枢)、2004年1月、土木学会海岸工学会西部支部
  • 八代海の環境変動の要因分析に関する研究(滝川清、田中健路、外村隆臣、青山千春、森英次、渡辺枢)、2004年11月、土木学会海岸工学会
  • Acoustical Survey of Methane Plumes Using the Quantitative Echo Sounder in the Eastern Margin of the Sea of Japan,(C.Aoyama,R.Matsumoto,et all)、2004年11月、Oceans Techno Ocean 2004 論文集,pp1001-1004
  • Characteristics of Environment and Tidal Current in Yatsushiro Sea(Kiyoshi Takikawa,Kenji Tanaka, Chiharu Aoyama)、2005年、Asian and Pacific Coasts 2005

口頭発表・ポスターセッション

  • 計量魚群探知機による海上浮上重油量の推定(青山千春、濱田悦之、古澤昌彦)、1998年3月、日本海重油流出に関する大学プロジェクトシンポジウム
  • 計量魚群探知機による浮上重油の測定の関する試み(青山千春、濱田悦之、古澤昌彦)、1998年5月、日本航海学会海洋工学研究会特別講演
  • Acoustical Survey of Methane Plumes Using the Quantitative Echo Sounder in the Eastern Margin of the Sea of Japan,(C.Aoyama,R.Matsumoto,et all)、2004年11月、Oceans Techno Ocean 2004
  • Acoustical Surveys of Methane Plumes Using the Quantitative Echo Sounder in the Eastern Margin of the Sea of Japan,(C.Aoyama,R.Matsumoto,et all)、2004年12月、AGU Fall Meeting 2004
  • Characteristics of Environment and Tidal Current in Yatsushiro Sea(Kiyoshi Takikawa,Kenji Tanaka, Chiharu Aoyama)、2005年、Asian and Pacific Coasts 2005

報告

  • ナホトカ号沈没船体および浮上重油の音響的観測(青山千春、濱田悦之)、1999年5月、平成9年度東京水産大学航海調査報告書
  • 那覇港近海の海底エコーの測定(青山千春、高須康介、林敏史)、 2000年3月、平成10年度東京水産大学航海調査報告書
  • σ座標を用いた潮流現象シミュレーションモデルの開発(青山千春)、 2002年3月、財団法人ソフトウェア工学研究財団平成13年度高度情報化支援ソフトウェアシーズ育成事業
  • σ座標を用いた潮流現象シミュレーションシステムの開発(青山千春)、2002年7月、財団法人海洋調査協会
  • ある放送、2003年7月、月刊測量「ふぃめいる」、社団法人日本測量協会
  • 海鷹丸でメタンハイドレートの海底を探る、2003年10月、東京海洋大学同窓会誌 楽水2003年10月号(804) 「ニューウェーブ」、財団法人楽水会
  • 音響機器を利用したメタンハイドレートに関する研究、2005年1月、東京海洋大学同窓会誌 楽水2005年新年号 「ニューウェーブ」、財団法人楽水会

出演番組

テレビ

ラジオ

主な著作

著書

  • 『希望の現場 メタンハイドレート』ワニ・プラス、2013年6月27日。ISBN 978-4-8470-9163-6 [24]
  • 『海と女とメタンハイドレート~青山千春博士ができるまで~』ワニ・プラス、2013年8月24日。ISBN 978-4-8470-6063-2 [24]

執筆

  • メタンハイドレートで海底資源を探る、月刊『世相』「オピニオン最前線」(太陽企画出版)
  • 海底新資源、AERA 2005年5月20日号「コメンタリー」(朝日新聞社
  • 計量魚群探知機を利用したメタンハイドレートの観測、特集冷湧水とメタンハイドレート、2005年12月号(月刊地球)

脚注

注釈

  1. ^ 設立当時、頭数を確保するための名義貸し状態だった
  2. ^ 数年後、朝日新聞の社会面に復帰の記事が掲載された
  3. ^ 関連記事:2010年4月10日に東シナ海で中国海軍の示威行動が発生していたことが4月13日に報道された。 (防衛省が警戒・監視を継続 中国海軍艦艇10隻の沖縄近海航行 2010年4月13日産経新聞)[リンク切れ]
    これ以前にも、3月18日には沖縄南西諸島沖で複数の中国海軍の艦船が確認され、4月8日には、中国海軍の艦載ヘリコプターが日本海上自衛隊護衛艦に危険なほど接近している。
    22.3.19 統合幕僚監部(お知らせ)中国海軍艦艇の動向について[リンク切れ]
    22.4.13 統合幕僚監部(お知らせ)中国海軍艦艇の動向について[リンク切れ]
    22.4.22 統合幕僚監部(お知らせ)中国海軍艦艇の動向について[リンク切れ]
    さらに4月20日には海上自衛隊のP3C哨戒機に速射砲の照準を合わせ、撃墜の威嚇行動を取っていたことも判明している。
    海自機に速射砲の照準=中国海軍の駆逐艦、東シナ海で-関係筋2010年4月20日時事ドットコム)[リンク切れ]

出典

  1. ^ たかじんのそこまでやって委員会 論説委員一覧 青山千春
  2. ^ 【学会】 2012年12月6日 自然科学部長 青山千春、研究員 青山大樹が、サンフランシスコで開催される国際学会「アメリカ地球物理学連合」でポスター発表致しました。
  3. ^ 海と女とMH、44頁
  4. ^ 海と女とMH、46頁
  5. ^ 海と女とMH、72頁
  6. ^ 海と女とMH、74頁
  7. ^ 海と女とMH、80頁
  8. ^ 海と女とMH、86頁
  9. ^ 海と女とMH、14頁、15頁
  10. ^ 海と女とMH、25頁
  11. ^ 海と女とMH、121頁
  12. ^ “"母の海"は強し 世界一周の旅”. 東京新聞. (1990年11月14日) 
  13. ^ 海洋環境学部門 准教授1の公募 応募期限H28.2.18”. 東京海洋大学 (2016年1月5日). 2016年4月11日閲覧。
  14. ^ 海洋資源エネルギー学科(仮称) 海洋環境、海洋資源・エネルギーに関する新学部設置構想”. 東京海洋大学 (2016年1月5日). 2016年4月11日閲覧。
  15. ^ 平日は繁晴の同行秘書が公務同行するが、週末は休日を付与いるので青山が同行する
  16. ^ 海と女とMH、105頁
  17. ^ “子育て終え、ママさん再び海へ”. 朝日新聞. (1990年9月17日) 
  18. ^ 海と女とMH、110頁
  19. ^ 海と女とMH、130頁
  20. ^ 海と女とMH、139頁
  21. ^ 海と女とMH、136頁
  22. ^ 希望の現場MH、47頁
  23. ^ 【青山千春】中国・韓国「海底資源確保」の最新動向[桜H22/4/29] - YouTube
  24. ^ a b メインは青山の著作だが、出版に関するページ数の関係で実質繁晴との共作

外部リンク