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=== 学部長として ===
=== 学部長として ===
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=== 学長として ===
=== 学長として ===

2020年12月30日 (水) 09:20時点における版

星 猛
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 医学
研究機関 東京大学
静岡県立大学
出身校 東京大学医学部卒業
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

星 猛(ほし たけし)は、日本医学者生理学)。東京大学名誉教授静岡県立大学名誉教授。

東京大学医学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部教授、静岡県立大学食品栄養科学部学部長(初代)、静岡県立大学学長(第2代)、静岡県立大学短期大学部学長(第2代)、財団法人しずおか健康長寿財団理事長などを歴任した。

概要

星により新設された静岡県立大学の生活健康科学研究科(左、右)、環境科学研究所(右)

研究者として

1956年、東京大学、医学博士 論文の題は「心電図標準肢誘導の單極誘導的解釋」[1]

1986年、東京大学の医学部にて教授に就任した。

学部長として

静岡薬科大学静岡女子大学静岡女子短期大学が統合され1987年に静岡県立大学が新設されると、同大学に転じ食品栄養科学部の教授に就くとともに、初代学部長に就任した。学部長在任中は、発足したばかりの学部の環境整備に努めるとともに、大学院に食品栄養科学部に対応する新たな研究科を設置しようと尽力し、1991年文部大臣から生活健康科学研究科の博士前期課程に対する設置認可を得た。

学長として

1993年、学部長を伊勢村護に引き継ぐとともに、内薗耕二の後任として第2代学長に就任した。また、静岡県立大学短期大学部の学長も兼任した。学長在任中は大学全体の体制強化に努め、看護学部を新設した。さらに、大学院には生活健康科学研究科の博士後期課程、および、経営情報学研究科を新設、短期大学部には歯科衛生学科、社会福祉学科を新設、加えて環境科学研究所も新設するなど、今日の静岡県立大学の組織構成の礎を確立した。

学長退任後は、しずおか健康長寿財団にて理事長に就任した。また、静岡大学の運営諮問会議にて委員を務めるなど、各種公職も歴任した。

脚注

  1. ^ 博士論文書誌データベース

関連人物

外部リンク

学職
先代
内薗耕二
静岡県立大学学長
第2代:1993年 - 1999年
次代
廣部雅昭
先代
内薗耕二
静岡県立大学短期大学部学長
第2代:1993年 - 1999年
次代
廣部雅昭
先代
(新設)
静岡県立大学
食品栄養科学部学部長

初代:1987年 - 1993年
次代
伊勢村護