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1935年(昭和10年)、[[麹町区]][[日比谷]](現在の[[千代田区]][[日比谷公園]])の[[日比谷公会堂]]で、「創立十周年記念ファッションショー」を開催するが、これが日本初の日本人の手による初の本格的な「ファッションショー」であったと記録される<ref name="his" />。1939年(昭和14年)、「スタイル画教室」を開設、これも日本初のものであった<ref name="his" />。同年、「デザイナー養成科」を開設、日本で初めて「[[ファッションデザイナー|服飾デザイナー]]」を本格的に養成する機関であった<ref name="his" />。1943年(昭和18年)には、[[第二次世界大戦]]下の戦時統制のため「杉野女学院」と改称するが、やがて戦況が厳しくなり、閉鎖を余儀なくされる<ref name="his" />。
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2020年12月30日 (水) 09:04時点における版

ドレスメーカー学院
本校舎
地図北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583座標: 北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583
英称 Dressmaker Gakuin
学校種別 私立
設置者 杉野芳子
キャンパス 本校舎、第2校舎、第5校舎、第6校舎
学校コード H113310900029 ウィキデータを編集
所在地 141-8651
ウェブサイト dressmaker-gakuin.ac.jp
Portal:教育
プロジェクト:学校/専修学校テンプレート
テンプレートを表示

北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583

ドレスメーカー学院(ドレスメーカーがくいん)は、日本の専修学校各種学校である[1][2][3]学校法人杉野学園が経営する[1][2][3]。旧名称ドレスメーカー・スクール英語: Dressmaker School)、ドレスメーカー女学院(ドレスメーカーじょがくいん)、杉野女学院(すぎのじょがくいん、第二次世界大戦中)[1][3]

略歴・概要

1926年(大正15年)3月、当時満34歳の杉野芳子が、東京市芝区南佐久間町の和合ビル(現在の東京都港区西新橋、建物は現存せず)に「ドレスメーカー・スクール」として開校する[1]。同年11月2日、現在地である東京府下荏原郡大崎町大字上大崎(現在の東京都品川区上大崎4-6-19)に移転、「ドレスメーカー女学院」と改称した[1][2][3]。当時の表現で言えば「洋式裁縫の研究指導所」である[3]。1931年(昭和6年)には、東京府(現在の東京都)認可学校となった[1]

1935年(昭和10年)、麹町区日比谷(現在の千代田区日比谷公園)の日比谷公会堂で、「創立十周年記念ファッションショー」を開催するが、これが日本初の日本人の手による初の本格的な「ファッションショー」であったと記録される[1]。1939年(昭和14年)、「スタイル画教室」を開設、これも日本初のものであった[1]。同年、「デザイナー養成科」を開設、日本で初めて「服飾デザイナー」を本格的に養成する機関であった[1]。1943年(昭和18年)には、第二次世界大戦下の戦時統制のため「杉野女学院」と改称するが、やがて戦況が厳しくなり、閉鎖を余儀なくされる[1]

1946年(昭和21年)、「ドレスメーカー女学院」として再開する[1]。1948年(昭和23年)7月31日、「財団法人杉野学園」を設立、翌1949年(昭和24年)12月15日、私立学校法が施行され、1951年(昭和26年)2月21日、文部大臣(現在の文部科学大臣)認可を受けて、現在の学校法人杉野学園に改組した[3]。このときの理事長は杉野繁一、理事にはその妻杉野芳子のほか、北爪巳代子、宮崎ナヲエ(宮﨑直江)、長谷川映太郎鎌倉書房社長)、内田チサ(双葉洋裁女塾、現在の福岡デザイン専門学校初代理事長)、森政一(湖山社、現在の松柏社創業社長)が名を連ねた[3]

1955年(昭和30年)、現在も使用している「本校舎」が落成する[1]

1973年(昭和48年)、創業者のひとり杉野繁一が死去する。1975年(昭和50年)7月11日に交付された学校教育法によって規定された専修学校として、1976年(昭和51年)8月24日付で認可を受ける(設置年月日)[2]。1978年(昭和53年)7月24日、創業者・杉野芳子が死去する。

2012年(平成24年)、600人を収容する「SUGINO HALL」が完成した[4]

沿革

  • 1926年(大正15年) - 3月、「ドレスメーカー・スクール」として開校、11月には「ドレスメーカー女学院」と改称
  • 1931年(昭和6年) - 東京府(現在の東京都)認可
  • 1935年(昭和10年) - 日本初のファッションショーを開く
  • 1939年(昭和14年) - デザイナー養成科開設、日本初の服飾デザイナー養成機関となる
  • 1943年(昭和18年) - 戦時統制のため「杉野女学院」と改称
  • 1946年(昭和21年) - 閉鎖されていた学院を再開
  • 1948年(昭和23年) - 財団法人として杉野学園を設立
  • 1951年(昭和26年) - 財団法人杉野学園を学校法人に改組
  • 1955年(昭和30年) - 現在の「本校舎」落成
  • 1976年(昭和51年) - 学校教育法による専修学校として認可
  • 2012年(平成24年) - 「SUGINO HALL」完成
  • 2015年平成27年) - 創立90周年記念式典挙行
  • 2018年平成30年) - 服飾造形科、ファッションビジネス科 文部科学省より職業実践専門課程 として認定される

学校データ

基礎データ

  • 所在地 : 東京都品川区上大崎4-6-19
  • 設立 : 1926年(大正15年)11月2日
  • 院長 : 岡正子
  • キャンパス : 本校舎、第2校舎、第5校舎、第6校舎
  • 学科 : 服飾造形科 (2年制)およびファッションサービス科 (2年制)、アパレルデザイン科 (3年次進学、1年制)
    アパレル技術科 (3年制)
    高度アパレル専門科 (4年制)

対外関係

系列校

出版局

杉野学園ドレスメーカー学院出版局(すぎのがくえんドレスメーカーがくいんしゅっぱんきょく)は、日本の出版事業体である。学校法人杉野学園ドレスメーカー学院の内部に設置されている。

ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書を中心としたおもな出版物の一覧である[5]

  • 『洋裁テキスト』全6巻、杉野芳子、1956年10月
  • 『ファッション画』、志村萠、発売ブティック社、2000年6月 ISBN 4834752917
  • ドレメファッション造形講座1『基礎テキスト』上、二宮柊子、発売ブティック社、2001年5月 上 ISBN 4834753328
  • ドレメファッション造形講座2『基礎テキスト』下、二宮柊子、発売ブティック社、2001年5月 下 ISBN 4834753336
  • ドレメファッション造形講座3『スカート・パンツ』、二宮柊子、発売ブティック社、2001年8月 ISBN 4834753425
  • ドレメファッション造形講座4『ブラウス・ワンピースドレス』、二宮柊子、発売ブティック社、2002年3月 ISBN 4834753581
  • ドレメファッション造形講座5『スーツ』、二宮柊子、発売ブティック社、2002年3月 ISBN 483475359X
  • ドレメファッション造形講座6『ジャケット・ベスト』、発売ブティック社、2002年5月 ISBN 4834753719
  • ドレメファッション造形講座7『コート』、発売ブティック社、2002年5月 ISBN 4834753727
  • ドレメファッション造形講座8『ベビィ・こども服』、発売ブティック社、2002年8月 ISBN 4834753840
  • 『図解服飾用語事典』、杉野芳子、発売ブティック社、2003年5月 ISBN 4834754146

主な卒業生

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l ドレメの歴史、ドレスメーカー学院、2012年6月28日閲覧。
  2. ^ a b c d 品川区の専修学校東京都、2012年6月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 学校法人杉野学園寄付行為学校法人杉野学園、2012年6月28日閲覧。
  4. ^ 施設・設備、ドレスメーカー学院、2012年6月28日閲覧。
  5. ^ 杉野学園ドレスメーカー学院出版局国立国会図書館

参考文献

  • 『私学経営に生きる 私の生活と考え』、杉野繁一日本書房、1958年
  • 「ドレメ王国の若き後継者 杉野和子」、『週刊サンケイ』第8巻第44号通巻404号、サンケイ出版、1959年10月、p.23.
  • 「ある奇妙な発会式 - ドレメと文化 洋裁学校の冷戦」、『週刊読売』第19巻第40号、読売新聞社、1960年10月、p.74-76.
  • 「話題の焦点〝名誉をすて恋に生きる〟杉野和子と水野正夫のロマンス 恋愛事件でモメるドレメ洋裁王国」、『週刊平凡』第3巻第8号、平凡出版、1961年3月、p.26-29.
  • 「おんな百景 ドレメのマンモス寄宿舎」、『週刊読売』第20巻第20号、読売新聞社、1961年5月、p.72-75.
  • 「特報 ドレメ王国を去って恋に生きる 小山和子さんの結婚」、『週刊明星』第4巻第46号通巻172号、集英社、1961年11月、p.90-93.
  • 『女の戦後史32 洋裁学校 「ドレメ」と「文化」の売った夢』鈴木博之、『朝日ジャーナル』第25巻第46号通巻1292号、朝日新聞社、p.32-37.
  • 『杉野芳子 炎のごとく』、杉野芳子日本図書センター、1997年6月25日 ISBN 4820542710

関連項目

外部リンク