「民間人閣僚」の版間の差分
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2020年12月30日 (水) 09:02時点における版
民間人閣僚(みんかんじんかくりょう)とは、議院内閣制を採用する日本国憲法施行後に成立した内閣において、任命時に国会議員ではない国務大臣を指す。なお、衆議院解散などにより任命後に国会議員の身分を失っている国務大臣は民間人閣僚とは呼ばれない[注 1]。
2020年現在、民間人閣僚は7年余り不在であり、この期間は1980年代に8年5ヶ月間不在だった時以来の長さである(当時鈴木善幸内閣~中曽根内閣~竹下内閣)。
概説
日本国憲法第68条において、「その(国務大臣の)過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」とされている。
逆に言えば、半数未満であれば、その人数には制約がないことになる。現在、閣僚は最大20人任命できるため、9人までは民間人でもよいことになる[注 2]。
例として、岸内閣の藤山愛一郎や小泉内閣の竹中平蔵など著名人の起用例があり、藤山・竹中や川口順子など、後に国会議員に選出された者もいる。
また、竹下内閣 (改造)の高辻正己法務大臣の場合は、直前に発生したリクルート事件で違法性のない政治献金でも大臣辞任に追い込まれるようになり、前任者の長谷川峻もリクルートからの政治献金を受けたことにより法相就任4日で大臣辞任の憂き目に遭い、内閣法制局長官や最高裁判所裁判官などを歴任した高辻が起用された。
仮に、国会議員たる国務大臣が改選時に落選したり引退しても、任命時に国会議員であった以上は憲法第68条による制限を受けないが、衆院選後の組閣又は内閣改造によって更迭されることが多く、民間人閣僚として在任し続ける例は少ない。
主に、官僚、大学教員、実業家、地方公共団体首長などで、実績のある人物が任命されることが多い。
民間人閣僚の一覧
- ここでは任命時に国会議員経験がない閣僚について記載する。
- 「※」は大臣在任中に国会議員となったことをしめし、国会議員となった時点で民間人閣僚の期間を終了としている。
- 前職などに関しては、任命直前についていた職を除き、「前」は職を辞してから大臣任命まで短期間であり、その間主要な職についていない場合、「元」は職を辞してから大臣任命まである程度期間があり、その間、他の職についている場合を示す。
氏名 | 役職 | 内閣 | 期間 | 前職など |
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殖田俊吉 | 行政管理庁長官 | 吉田内閣 | 1948年10月15日 - 1948年11月10日 | 大蔵官僚 |
法務総裁 | 吉田内閣 | 1948年11月1日 - 1950年6月28日 | ||
天野貞祐 | 文部大臣 | 吉田内閣 | 1950年5月6日 - 1952年8月27日 | 元第一高等学校校長 |
木村篤太郎※ | 法務大臣 | 吉田内閣 | 1951年12月26日 - 1952年10月30日 | 元検事総長、元司法大臣、東京弁護士会会長 |
保安庁長官 | 吉田内閣 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 | ||
向井忠晴 | 大蔵大臣 | 吉田内閣 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 | 元三井物産会長、元三井総元方理事長 |
一萬田尚登※ | 大蔵大臣 | 鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 - 1955年2月27日 | 日本銀行総裁 |
高碕達之助※ | 経済審議庁長官 | 鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 - 1955年3月19日 | 元東洋製罐会長、前電源開発総裁 |
藤山愛一郎※ | 外務大臣 | 岸内閣 | 1957年7月10日 - 1958年5月22日 | 日本商工会議所会頭、日本航空初代会長 |
永井道雄 | 文部大臣 | 三木内閣 | 1974年12月9日 - 1976年12月24日 | 元東京工業大学教授 |
牛場信彦 | 対外経済担当大臣 | 福田赳夫内閣 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 | 元外務官僚 |
大来佐武郎 | 外務大臣 | 大平内閣 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 | 元外務官僚、元経済企画庁官僚、前海外経済協力基金総裁 |
高辻正己 | 法務大臣 | 竹下内閣 | 1988年12月30日 - 1989年6月3日 | 元内務官僚、元内閣法制局長官、元最高裁判事 |
高原須美子 | 経済企画庁長官 | 海部内閣 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 | 経済評論家 |
三ヶ月章 | 法務大臣 | 細川内閣 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 | 東京大学名誉教授、弁護士 |
赤松良子 | 文部大臣 | 細川内閣 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 | 元労働官僚 |
文部大臣 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 | ||
宮崎勇 | 経済企画庁長官 | 村山内閣 | 1995年8月8日 - 1996年1月11日 | 元経済安定本部官僚、経済評論家 |
長尾立子 | 法務大臣 | 橋本内閣 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 | 元厚生官僚 |
堺屋太一 | 経済企画庁長官 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 - 2000年4月4日 | 元通産官僚、経済評論家 |
経済企画庁長官 | 森内閣 | 2000年4月5日 - 2000年12月5日 | ||
川口順子 | 環境庁長官 | 森内閣 | 2000年7月5日 - 2001年1月5日 | 元通産官僚、サントリー常務 |
環境大臣 | 森内閣 | 2001年1月6日 - 2001年4月24日 | ||
環境大臣 | 小泉内閣 | 2001年4月24日 - 2002年2月8日 | ||
外務大臣 | 小泉内閣 | 2002年2月1日 - 2004年9月27日 | ||
遠山敦子 | 文部科学大臣 | 小泉内閣 | 2001年4月26日 - 2003年9月22日 | 元文部官僚 |
竹中平蔵※ | 経済財政担当大臣 | 小泉内閣 | 2001年4月26日 - 2004年7月25日 | 慶應義塾大学教授 |
金融担当大臣 | 小泉内閣 | 2003年11月19日 - 2004年7月25日 | ||
大田弘子 | 経済財政担当大臣 | 安倍内閣 | 2006年9月26日 - 2007年9月26日 | 政策研究大学院大学教授 |
福田康夫内閣 | 2007年9月26日- 2008年8月2日 | |||
増田寛也 | 総務大臣 | 安倍内閣 | 2007年8月27日 - 2007年9月26日 | 元建設官僚、前岩手県知事 |
福田康夫内閣 | 2007年9月26日 - 2008年9月24日 | |||
片山善博 | 総務大臣 | 菅内閣 | 2010年9月17日 - 2011年9月2日 | 元自治官僚、前鳥取県知事 |
森本敏 | 防衛大臣 | 野田内閣 | 2012年6月4日 - 2012年12月26日 | 元自衛官、元外務官僚、拓殖大学教授 |
備考
- 佐藤栄作は、国会議員初当選前(官僚であったころ)、第2次吉田内閣で当時国務大臣の充て職ポストではなかった内閣官房長官に任命されたことがある。
- 1965年7月の任期満了まで参議院議員を2期務めた宮沢喜一は衆議院議員への鞍替え出馬予定のため国会議員でなかった時期の1966年12月3日に経済企画庁長官に就任している。翌1967年2月17日に衆院選当選を果たした。
- 参議院議員の閣僚が改選時に落選したり引退したりするなどしたが次の組閣や内閣改造までに大臣に一定期間留任して形式上民間人閣僚になった事例は、1953年の第4次吉田内閣の林屋亀次郎国務大臣(19日間)、1995年の村山内閣の浜本万三労働大臣(16日間)、1998年の第2次橋本内閣の大木浩環境庁長官(5日間)、2004年の第2次小泉内閣の野沢太三法務大臣(64日間)、2010年の菅内閣の千葉景子法務大臣(49日間)の例がある。
- 第2次小泉改造内閣の農林水産副大臣岩永峯一(衆議院議員)は、2005年8月8日の衆議院解散にともない、議員の地位を失いつつも引き続き同副大臣を務めていたが、当該解散に反対して罷免された農林水産大臣島村宜伸に代わり自ら同大臣を兼任していた内閣総理大臣小泉純一郎の後任として、同月11日農林水産大臣に就任し形式上の民間人閣僚となった。岩永は翌9月11日の衆院選で当選した。
- 歴代の内閣において民間人閣僚の割合が最多なのは第1次小泉内閣のうち2002年1月30日-2月7日の期間。首相を含めた閣僚17人に対し、民間人閣僚は3人(川口順子・遠山敦子・竹中平蔵)で17.6%(議員任期満了または衆議院解散により途中から形式的に民間人閣僚となった事例は除く)。
- 「民間人閣僚」とはいっても純然たる民間出身者(民間企業のみでの職歴を持つ者や大学等での研究者など)は少数であり、官僚出身者が目立つことがわかる。野田内閣までに全24人存在する「民間人閣僚」中、中央省庁での官僚経験を持つものは13人と半数を超えている[注 3]。
脚注
注釈
出典
関連項目