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*1925年(大正14年) - 鉄筋コンクリート3階建校舎が落成(旧校舎)。 |
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2020年12月30日 (水) 08:59時点における版
本郷中学校・高等学校 | |
---|---|
巣鴨門と5号館 | |
過去の名称 | 本郷中学校(旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人本郷学園 |
理念 | 個性を尊重した教育を通して、国家有為の人材を育成する。 |
校訓 |
|
設立年月日 | 1923年(大正12年)4月 |
創立記念日 | 10月27日 |
創立者 | 松平賴壽 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合有) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(中学校6学級・高等学校8学級) |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13696E |
所在地 | 〒170-0003 |
北緯35度44分12.8秒 東経139度44分28.1秒 / 北緯35.736889度 東経139.741139度座標: 北緯35度44分12.8秒 東経139度44分28.1秒 / 北緯35.736889度 東経139.741139度 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
本郷中学校・高等学校(ほんごうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区駒込四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校(併設混合型中高一貫校)。
学校法人本郷学園により運営されている。 本郷中学校と本郷高等学校を合わせて、本郷学園(ほんごうがくえん)とも呼ばれる。中学校は「本中」(ほんちゅう)、高等学校は「本高」(ほんこう)の略称でも呼ばれる。
概要
現在は、中学校と高等学校を併設し、中高一貫教育を推進している。高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒(中学入学生・中入生)と高等学校から入学した外部進学の生徒(高校入学生・高入生)との間で、第2学年から混合して学級を編成する併設混合型中高一貫校である[1]。ただし、2020年度の高校入試を最後に高校入学生の募集を停止し、完全中高一貫校に移行する予定である。中学校と高等学校を合わせて本郷学園とも呼ばれ、本校を運営する学校法人は学校法人本郷学園を名乗っている。また、本郷中学校の校章には「本中」、本郷高等学校の校章には「本高」の略称がそれぞれ用いられており、これらの略称でも呼ばれる。 なお、本校は「本郷中学校」・「本郷高等学校」であり、「本郷学園」は中高を合わせた呼び名であるので、「本郷学園中学校」・「本郷学園高等学校」は共に誤り。
高等学校ではクラブ活動が盛んだった時代があり、ラグビー部やサッカー部は全国を代表する名門だった。ラグビー部は1985年の第65回全国高等学校ラグビーフットボール大会では準優勝をしており、花園の常連校だった時代もあるが、難関国立大学をめざすコースの設定をはじめとする、大学進学指導体制の強化など学力養成を重視した教育方針への転換を期に、相対的な実力は低下し、近年は全国大会への出場も少なくなったが、2007年度は4年ぶりに全国大会へ出場した。2010年度は3年ぶり9回目の出場。
過去には、普通科の他に理数科・機械科・デザイン科の4学科を設置していたが、前述の通り教育理念の改変による科の統廃合のため、現在は普通科のみの編成となっており、特進コースが設置されるなど、中高一貫体制へと転換している。
なお、本校敷地内にはもみじ幼稚園があり、本校と同じく学校法人本郷学園によって運営されている。
校風
建学の精神は、「個性を尊重した教育を通して、国家有為の人材を育成する」である。教育目標は、強健(心身両全にして、困難に耐えうる)、厳正(志操堅固にして、自らに厳しく中正な判断をなしうる)、勤勉(責任を重んじ、誠心誠意つねに自己の務めに精励する)である。文武両道を旨とする方針の下、生徒の自発的な学習すなわち自学自習を促す傍ら、クラブ活動を強く奨励していて、中学全体で94%、高等学校全体で73%の生徒が部活動に参加している。なお、文武両道の「武」にあたるクラブ活動については、運動部だけではなく文化部も含まれる。また、生活習慣の確立も重要視している。
由来
高松松平家第12代当主である松平賴壽が設立し、初代理事長兼初代学校長に就任した。当時は中等教育が急速に普及していたが、官公立の中学は旧制東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)など学校数が少なく、地元の本郷区立誠之小学校から多くの子弟の進学が困難であったし、また教育界が知育偏重・画一的な教育に大勢を占められていた。当時東京都本郷区(現・文京区の一部)の教育会長であった松平はこうした状況を憂え、1923年に旧制本郷中学校を設立した。当初は本郷区内に設立される計画であったが、区内に土地が見つからず、染井にあった、松平の母である松平千代子の住まいの一部に設立された経緯があり、巣鴨や駒込に近い土地ではあるが、学校名は「本郷」とされた。
設立時に初代教頭に就任したのは、永井道明である。永井は、教科としての体操の確立と発展に寄与し、体育教師の地位向上に貢献した、日本の体操の父と称される人物である。永井自らも体操科の授業を担当した。現在、本校の体育館は「永井體育館」を名乗っているが、この名称は初代教頭の永井に由来するものである。
本校敷地内のもみじ幼稚園は、当時、本郷中学校・高等学校の名誉校長であった徳川宗敬が設立したものである。
沿革
- 1921年(大正10年)5月 - 本郷中学校設立準備委員会発足。
- 1922年(大正11年)- 本郷中学校設立認可の申請を文部大臣に提出。
- 1923年(大正12年)4月 - 旧制本郷中学校開校。初代理事長兼初代学校長に松平賴壽、初代教頭に永井道明が就任。
- 1925年(大正14年) - 鉄筋コンクリート3階建校舎が落成(旧校舎)。
- 1929年(昭和4年) - 坪内逍遥作詞、信時潔作曲の校歌を制定。
- 1936年(昭和11年) - 永井体育館落成。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年) - 空襲によって永井体育館1棟を残し他校舎が全焼。
- 1946年(昭和21年) - 第2代学校長・徳川宗敬が副理事長を兼務。
- 1947年(昭和22年) - 校舎復旧工事の開始。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革に伴い、「本郷中学校・高等学校」となる。
- 1949年(昭和24年)6月- 副理事長兼第2代学校長・徳川宗敬が学校長を退任し、名誉校長に就任。第3代学校長に内山静一が就任。
- 1954年(昭和29年) - もみじ幼稚園開園。副理事長で本郷中学校・高等学校の名誉校長である徳川宗敬が初代幼稚園長を兼務。
- 1958年(昭和33年)6月 - 第3代学校長・内山静一が在任のまま病逝。第2代理事長・松平賴明が第4代学校長を兼務。この年、新制本郷中学校の生徒募集を中止。
- 1959年(昭和34年)1月 - 工業課程機械科を併設。
- 1960年(昭和35年)7月 - 鉄筋コンクリート2階建の機械科第1実習工場が落成。
- 1961年(昭和36年)4月 - 鉄筋コンクリート3階建の理科特別教室が落成。
- 1963年(昭和38年)9月 - 鉄骨平屋建の機械科第2実習工場と鉄筋3階建校舎が落成。
- 1966年(昭和41年)4月 - 工業課程デザイン科を併設。
- 1967年(昭和42年)6月 - 鉄筋地下1階、地上2階建のデザイン科実習棟が落成。
- 1973年(昭和48年)10月 - 50周年記念館(50館)が落成。生徒ホール、図書室、視聴覚教室、芸術科教室の新設。
- 1981年(昭和56年) - もみじ幼稚園新園舎が落成。60周年記念庭園が完成。
- 1984年(昭和59年)10月 - 60館の落成。
- 1985年(昭和60年)4月 - 理数科の併設。
- 1986年(昭和61年)2月 - 63館の落成。本郷中学校を再開。
- 1989年(平成元年) - 第2代学校長兼名誉校長兼初代幼稚園長・徳川宗敬が逝去。
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年) - 工業課程の機械科を電子機械科に改称。
- 1993年(平成5年)12月 - 鉄筋コンクリート4階建の本館・体育館が落成(現在の1号館)。
- 1995年(平成7年)4月 - 第3代理事長・松平賴武が第6代学校長を兼務。
- 1996年(平成8年) - 工業課程の電子機械科とデザイン科の募集を停止。
- 1998年(平成10年) - デザイン棟が視聴覚教室・美術室・選択教室に改修。
- 1999年(平成11年) - 副校長に池田正彦が就任。機械科実習工場(35館)が多目的ホール・選択教室に改修。
- 2001年(平成13年)8月 -別館にトレーニングルームルーム、シャワー室を設置。
- 2002年(平成14年)4月 - 第7代学校長に高橋雄が就任。理数科の募集を停止。中庭改修。別館にトレーニングルーム・シャワー室、MM(マルチメディア)教室を設置。50館3階を視聴覚大教室に改修。高等学校に特進コースを設置。
- 2004年(平成16年)8月 - 第1回海外研修実施。
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年) - 副校長に宮沢正喜が就任。
- 2011年(平成23年)4月 - 35館の建て替えを開始。校舎名称を改称。
- 2012年(平成24年)
- 1月 - 4号館(旧35館)の建て替え完了。食堂を改修。太陽光パネルを4号館屋上に設置。
- 4月 - 2号館(旧別館)の建て替えを開始。
- 創立90周年記念式典挙行。
- 2014年(平成26年)3月 - 2号館(旧別館)の建て替え完了。
- 2015年(平成27年)6月 -2号館に本郷ギャラリー完成。
- 2016年(平成28年)4月 - 第9代学校長に佐久間昭浩が就任。
- 2016年(平成28年)4月 - 第4代理事長に松平賴昌が就任。
- 2021年(令和3年) - 高校入試の募集を停止。
交通アクセス
進学指導
生徒の進学に対する志望に真摯に対応するため、以下のコースを設置している。このコースの在籍生徒は入学試験時に選抜された生徒ではなく、入学後の学業成績・素行等、および本人の希望を踏まえて選抜された生徒である。一般コース(進学コース)においても、難関私立に対応したカリキュラムの下で授業が進められる。
特進コース
高等学校では、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学の入学を目標とする特進コースが設けられている。このクラスでは以上の大学の入試対策として通常のコース(進学コース)とは別のカリキュラムで授業を展開している。高1では中学入学生(中入生)のみが所属することができる。高2からは高校入学生(高入生)も所属することができる。なお、1学年につき特進コースは2学級で、他の6学級は進学コースである。進学コース・特進コースともに、高2で、文系と理系に学級が分けられる。
カリキュラム
授業は中高一貫教育の利点を生かして高1の段階で高2までの単元をすべて消化し、高2以降はそれぞれの志望大学に向けて選択授業制となる。なお、高入生は中入生に進度を合わせるため、高1では別々に学級が編成されるが、高2からは中入生・高入生を混合の上、文系と理系に分け、さらに文系は地理歴史における世界史B選択者と日本史B選択者に、理系は理科における生物選択者と物理選択者に分けて学級が編成される(なお基本的に選択する人はいないが、地理Bや地学を選択することも可能)。
また、中学では数学の合同授業も実施されている。年5回、中学1年生と2年生を半数ずつ交ぜたクラスをつくり、同じ教材で勉強する。この趣旨は、2年生との交流を促し、テスト対策の仕方など先輩の経験を後輩たちに伝えることにある。[2]
行事
本郷数学基礎学力検定試験(本数検)
毎年度4月・9月・1月(毎学期初め)に中学校と高等学校の校内で行われている数学検定試験。これは8級から参段までの単位の取得を目指すもので、上位級を取得した生徒は全校集会等で表彰される。また、合格者は、氏名や取得級などが廊下に掲示される。なお、文系の生徒で受験に数学を使わない生徒は、高3の1学期および2学期は本数検の受験を辞退し社会の試験を受けることができる。
本郷英単語力検定試験(本単検)
毎年度4,9,1月(毎学期初め)に中学校の校内で行われている英単語力検定試験。本数検同様、成績優秀者は表彰のほか、廊下にて氏名や取得級などが掲示される。高等学校に本単検は無い。
マラソン大会
11月に荒川河川敷で行われている。中学生は6.85km、高校生は11.5kmを走る。
スキー教室
中1または中3の希望者を対象に、長野県・湯の丸高原スキー場で実施される。事前にスキー経験を調査し、初級・中級・上級のレベル別に現地インストラクターが指導する。
情操教育
年に2回実施される。学校全体で通常授業を中断して、オーケストラや狂言、演劇などを見学する。内容は毎年変わる。
競技大会
体育祭とは別に校内競技大会を年に中学校と高等学校のそれぞれ1回ずつ行っており、サッカーやドッジボールなどの団体競技を、学年ごとに学級対抗で行う。また、運営は生徒会が実施している。
4月 | 入学式、クラブ紹介、学力診断テスト、オリエンテーション、校外授業、本数検 |
---|---|
5月 | 生徒総会、生徒会選挙、中間考査、校内競技大会 |
6月 | 総合検診、情操教育、体育祭 |
7月 | 期末考査、夏期講習、教養講座 |
8月 | 林間学校、海外研修(中3生、高1生の内希望する生徒のみ)、夏期講習 |
9月 | 課題テスト、本数検、本郷祭(文化祭) |
10月 | 中間考査、修学旅行、情操教育 |
11月 | マラソン大会、生徒総会、生徒会選挙 |
12月 | 期末考査、校内競技大会、スキー教室 |
1月 | 課題テスト、本数検、受験生壮行会、高等学校推薦入学試験 |
2月 | 中学校入学試験、高等学校一般入学試験、到達度テスト |
3月 | 学年末考査、合唱コンクール(中学生のみ)、修了式、卒業式 |
学校施設
校門
生徒は、駒込門と巣鴨門のどちらからでも登下校をすることができる。
校舎
現校舎名は、2011年(平成23年)の校舎名改称後のもの。便宜上、これ以後に建て替えが実施された校舎についても、旧校舎名を併記する。3号館・4号館・5号館・6号館の旧校舎名の2桁の数字は、落成時に本校が創立何周年であったかに由来する。
- 1号館 - 旧・本館。1993年(平成5年)落成。
- 2号館 - 旧・別館。創立90周年記念事業の一環として建て替えられ、2014年(平成26年)落成。
- 3号館 - 旧・60館。1984年(昭和59年)落成。
- 4号館 - 旧・35館。創立90周年記念事業の一環として建て替えられ、2011年(平成23年)落成。
- 5号館 - 旧・63館。1986年(昭和61年)落成。
- 6号館 - 50周年記念館。旧・50館。1973年(昭和48年)落成。
- 部室棟
- 購買(パン屋)
- もみじ幼稚園園舎・園庭(部室棟の隣) - 1981年(昭和56年)落成。
- 保育室
校庭
グラウンドと中庭は、2号館1階のピロティを通して繋がっている。
- グラウンド
- 中庭
- 1号館・2号館・3号館・6号館に囲まれている。
入学試験
この節は、最新の情報が反映されない可能性があります。最新かつ正確な情報は、必ず 公式サイト をご確認ください。 |
完全中高一貫校時代
令和3年度からは、完全中高一貫校としての入学志願者の募集である。中学校のみで入学志願者の募集があり、入学試験により入学者が選抜される。入学志願者は入学試験を受験しなければならず、入学試験に合格した入学志願者のみ入学が許可される。1学年につき7学級が募集される。完全中高一貫校であるため、中学入試に合格し本郷中学校に入学して卒業した生徒は原則として本郷高等学校へ進学できるが、高等学校では入学試験が行われないため、本郷中学校以外の中学校を卒業した生徒は本郷高等学校に入学することができない。
なお、入学試験期間中は、在校生は中学・高校ともに自宅学習日とされ、登校は禁じられる。
中学入試
令和2年度より7学級を募集。各年度3回に分けて実施される。それぞれ、国語・算数・理科・社会の4教科の筆記試験の合計得点により合否が判定される。例年倍率が高くなる第3回において、令和2年度の倍率は約9.5倍であった。
高校入試
令和3年度より募集停止。
併設混合型中高一貫校時代
併設混合型中高一貫校として入学志願者を募集していた時代は、中学校と高等学校の両方で入学志願者の募集があり、中学校と高等学校の両方で実施される入学試験により入学者が選抜されていた。入学志願者は入学試験を受験しなければならず、入学試験に合格した入学志願者のみ入学が許可された。高校の1学年(8学級)につき、概ね4分の3(6学級)を中学入試で、4分の1(2学級)を高校入試で募集した。また、中高一貫校であるため、中学入試に合格して本郷中学校に入学して卒業した生徒は、原則として高校入試を受験することなく本郷高等学校へ進学できる。
併設混合型中高一貫校から完全中高一貫校への移行に伴い、6学級の募集だった中学入試の募集が令和2年度から7学級の募集と変更され、2学級募集していた高校入試の募集を令和3年度から停止した[3]。
中学入試
各年度3回に分けて実施され、それぞれ国語・算数・理科・社会の4教科の筆記試験の合計得点により合否が判定されるという点では令和2年度以降と同じであるが、平成31年度までは6学級の募集であった。例年倍率が高くなる第3回において、平成31年度の倍率は約12.8倍であった。
高校入試
令和2年度までの実施で、2学級の募集。各年度、単願の推薦入試と一般入試が各1回ずつ実施された。併願推薦・併願優遇の制度は無い。それぞれ、国語・英語・数学の3教科の筆記試験の合計得点により合否が判定される他、面接が実施された。なお、推薦入試においても筆記試験の合計得点により合否が判定された。令和3年度より高校入試の募集を停止。
内部進学
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本郷中学校から本郷高等学校への進学
本校は、併設混合型中高一貫校であるため、中学入試に合格して本郷中学校に入学した生徒は、原則として、高校入試を受験することなく、本郷高等学校へ進学できる。
ただし、以下の場合には、進学辞退届を提出の上、本郷高等学校への進学を辞退しなければならず、本郷高等学校への進学はできない。
- 中学卒業時に、本郷高等学校以外の外部の高等学校を受験する場合
また、以下の場合には、本郷高等学校への進学は許可されず、本郷高等学校への進学はできない。
もみじ幼稚園出身者の本郷中学校または本郷高等学校への進学
もみじ幼稚園出身者が本郷中学校または本郷高等学校に進学を志願する場合に優遇措置はない。そのため、他の幼稚園出身者と同様に、通常の入学試験を受験して合格しなければならない。
著名な出身者
学術
美術・漫画
- 秋本治 (デザイン科)- 漫画家(こちら葛飾区亀有公園前派出所)
- きたがわ翔(デザイン科)- 漫画家(ホットマン)
- 斉藤むねお(デザイン科)- 漫画家
- 曽山一寿(デザイン科)- 漫画家(絶体絶命でんぢゃらすじーさん)
- 田島昭宇(デザイン科)- 漫画家(魍魎戦記MADARA)
- 原哲夫(デザイン科)- 漫画家(北斗の拳)
- 藤原カムイ(デザイン科)- 漫画家(ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章)
- なんきん(デザイン科)- 漫画家、俳優
- 古沢優(デザイン科)- 漫画家(たいまんぶるうす)
- ことぶきつかさ(デザイン科)- 漫画家・デザイナー(セイバーマリオネットJ)
- 小沢高広(うめ)(普通科) - 漫画家、(大東京トイボックス)
- 金子ナンペイ(デザイン科)- イラストレーター
- 塚本やすし (デザイン科)- イラストレーター・装幀家・絵本作家
- 村上隆 - 現代美術家、アーティスト
- 杉森建 - イラストレーター、ゲームクリエイター
スポーツ
- 北島康介 - アテネオリンピック・北京オリンピック 男子平泳ぎ100メートル・200メートル金メダリスト
- 加藤好男 - 元ジェフ市原・元日本代表GK
- 田口貴寛 - 元読売サッカークラブ
- 浅野良太(電子機械科) - ラグビー選手(NECグリーンロケッツ)・日本代表
- 笠井建志(電子機械科)- ラグビー選手(東芝ブレイブルーパス)・元日本代表
- 大前祐介 - 陸上選手・男子200メートルのジュニアアジア記録保持者
- 佐藤耀 - ラグビー選手(NECグリーンロケッツ)
- 佐藤真吾 - ラグビー選手(2018年度早稲田大学ラグビー蹴球部主将)
その他
- 北原照久 - おもちゃコレクター
- 三遊亭貴楽 - 落語家、駒澤大学ラグビー部監督
- 亀井忠雄 - 人間国宝(能楽)
- 佐々木忠次 - 東京バレエ団創設者
- 飯田弘之 - 将棋棋士・大学教授
- ATSUSHI - EXILEボーカル
- 小竹正人 - 作詞家
- 太田宏人 - フリーライター、「ペルー新報」 元編集長
- 村上信夫 - NHKアナウンサー
- NATIN - ロックバンドSIAM SHADEのベーシスト
- 坂東正敬 - レーシングチーム監督
- 野本義明 - AV監督。ソフト・オン・デマンド代表取締役社長
- 八木沼悟志 - 作曲家、シンセスト。fripSideのプロデューサー
- 青江覚峰(中高一貫科)- 僧侶
- 江原啓之(デザイン科)- スピリチュアルカウンセラー
- 丸山敬太(デザイン科)- (ケイタ・マルヤマ)服飾デザイナー
- 木下裕章(デザイン科)- ヘアメイクアーティスト
- 本田恭章 (デザイン科・中退)- ミュージシャン
- DABO(デザイン科・中退)- HIPHOPアーティスト
- 高比良くるま - お笑い芸人、令和ロマンのメンバー
脚注
- ^ 本郷高校の学校情報(高校受験パスナビ)(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭には「内部進学生とは2年次から混合クラス。」と掲載されている。
- ^ “ラグビー主将も東大へ 本郷高校、補習減で自主性育む”. NIKKEI STYLE). 2018年11月17日閲覧。
- ^ 中学校及び高等学校 入学試験の変更について - 本郷中学校・本郷高等学校 公式サイト