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2020年12月30日 (水) 08:57時点における版
大阪府立夕陽丘高等学校 | |
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(2007年〈平成19年〉5月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府立島之内高等女学校 大阪府立夕陽丘高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
設立年月日 | 1906年(明治39年) |
創立記念日 | 4月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科・音楽科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27145E |
所在地 | 〒543-0035 |
北緯34度39分32.7秒 東経135度31分19.9秒 / 北緯34.659083度 東経135.522194度座標: 北緯34度39分32.7秒 東経135度31分19.9秒 / 北緯34.659083度 東経135.522194度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立夕陽丘高等学校(おおさかふりつ ゆうひがおか こうとうがっこう、英語: Osaka Prefectural Yuhigaoka High School)は、大阪府大阪市天王寺区にある公立の高等学校。明治末期1906年、府立3番目の高等女学校として南区に設置された。
概要
1906年(明治39年)3月9日、大阪府立島之内高等女学校として南区で創立(文部省告示第38号3月9日付で設置と4月開校を認可[1])。
太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校の大阪府立夕陽丘高等学校に改編され、全日制課程普通科を設置。1995年(平成7年)に音楽科(音楽学科)も併置された。
2006年に3学期制を廃止し、2学期制を導入。1時限45分間で7限授業も導入している。
校名は夕陽丘だが、所在地は夕陽丘ではなく桃谷[2](住居表示は北山町)。大阪警察病院に隣接している。
四つの柱
「自主自律の育成」「学力の向上」「国際交流の推進」「国内最高の音楽教育の推進」の四つを教育の柱(教育目標)と位置付けている[3]。
音楽科
音楽科は2020年(令和2年)現在、府立高で唯一設置されている。府立では大阪府立清水谷高等学校が1962年(昭和37年)に「音楽学科」設置を構想。大阪府立池田高等学校も1984年の創立時から「音楽専門コース」を設置していた。
募集人員(定員)は1クラス40人。専門学科のため、普通科(7クラス280人)など府立高共通で3月に行う入学者選抜(入試)と別枠で、2月に入試が行われる。2020年度の入試では応募36人しかおらず、定員割れとなっている[4]。
生徒は音楽理論、演奏法、ソルフェージュなど専門科目を履修する。また、中田喜直、朝比奈隆、佐藤しのぶ、五嶋みどり、中村紘子ら著名音楽家を講師に迎えた特別公開講座・特別レッスンも、年間に約25回実施されている[5]。
1999年(平成12年)から隔年で音楽研修旅行を実施(大阪府立夕陽丘高等学校国際交流協議会の主催)。2017年3月の第10回旅行ではオーストリアのウィーンに旅し、ウィーン楽友協会ホールでの演奏会、ウィーン国立オペラ座(ウィーン国立歌劇場)でのオペラ鑑賞も行われた[6]。
卒業後の進路(進学)
音楽科は「生徒が将来音楽の専門家として活躍する為に、必要な専門的技能の伸長を図る」のを教育目標としており[6]、2020年度の場合、生徒13人が音楽系の国公立大に合格している(東京芸術大学3人、大阪教育大学〈芸術専攻など〉5人、愛知県立芸術大学1人、愛知県立芸術大学4人[8])。なお、同年度の普通科の国公立合格者は15人である[9]。
沿革
1889年(明治32年)の勅令高等女学校令の公布に伴い、翌1900年2月に大阪府知事・菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定。都心部の中等教育について、府が旧制中学校・高等女学校の普通教育学校を、大阪市は商業学校など実業学校を設置することに決まった。このため、府が府立の第一高女(現・大阪府立清水谷高等学校)と第二高女(現・大阪府立大手前高等学校)の2校を東区と北区に新設し、以後も府下の高女を一元的に運営することとなった[10]。
この方針により1906年、南区に府立3番目の高女として大阪府立島之内高等女学校が設置([1]修業4年[11])。1911年、西区に府立4番目の高女として大阪府立江戸堀高等女学校が設置された(現・大阪府立港高等学校)。
島之内高女は、大阪市立第二高等女学校(現・府立清水谷高校)の元校舎[12]を使い、1906年4月25日に第1回入学式を実施した。
3年後1909年1月18日付で、島之内高女は南区天王寺夕陽丘町および下寺町(現・天王寺区と浪速区)に移転し、地名に由来の大阪府立夕陽丘高等女学校へと改称された(文部省 告示第9号1月18日付で位置変更と改称を認可[13])。
1934年(昭和9年)5月、桃谷にある大阪府女子師範学校および附属小学校・附属幼稚園[14] の跡地[2]に校舎を新築、再び移転した(現在地[15])。府の内規により、校地の地名に合わせて“大阪府立北山高等女学校”に改称される予定だったが、学校や同窓会の反対運動により見送られた[3]。
夕陽丘高女は戦後1948年、学制改革により大阪府立夕陽丘高等学校が発足。大阪府立天王寺高等学校(旧制中学校の府立天王寺中学校)と生徒および教職員を交流(入れ替え)して男女共学となった。なお、両校とも原則関西本線線路を境として、北部在住の生徒は夕陽丘に、南部在住の生徒は天王寺へ振り分けられている[要出典]。
年表
- 1906年(明治39年) - 3月9日、南区千年町12番地および13番地(現・中央区東心斎橋2丁目)に「大阪府立島之内高等女学校」として設立[1]。4月、開校
- 1909年 - 夕陽丘町に移転。「大阪府立夕陽丘高等女学校」に改称[13]
- 1934年(昭和9年) - 北山町に移転(現校地)
- 1944年 - 太平洋戦争の影響で、3年生以上の生徒が勤労動員の対象となる
- 1945年 - 戦時措置として修業年限4年制へ短縮される。6月15日、第3回大阪大空襲で周辺に大きな被害を受けたが、校舎への被害は免れる
- 1946年 - 修業5年制に復元
- 1948年 - 4月1日、学制改革に伴い「大阪府立夕陽丘高等学校」に改称。 4月24日[16]、大阪府立天王寺高等学校と職員・生徒の交流を行い男女共学となる
- 1995年(平成7年) - 音楽科を併置
- 2007年 - 学力向上拠点形成事業実施校に指定
- 2011年 - 大阪府教育委員会「使える英語プロジェクト事業」イングリッシュフロンティアハイスクールズ事業に指定(G2、2013年度まで[17])
基礎データ
交通アクセス
鉄道
- JR西日本(大阪環状線)桃谷駅から西へ約550m(徒歩で約7分)
- Osaka Metro(地下鉄谷町線)四天王寺前夕陽ヶ丘駅から東へ約1km(徒歩で約12分)
- 近鉄(大阪線・難波線)大阪上本町駅から南へ約1km(徒歩で約12分)
- JR西日本(大阪環状線)・近鉄(奈良線・大阪線)・Osaka Metro(千日前線)鶴橋駅から南西へ約1.3km(徒歩で約17分)
象徴
校歌
校歌は、在校生の詞をもとにして詩人の小野十三郎による作詞。夕陽丘高女時代から1953年まで音楽科教諭を務めた加藤直四郎(大阪学芸大学〈現・大阪教育大学〉教授)による作曲[18]。
制服
制服は、1960年代の学生運動の余波で1971年(昭和46年)から「標準服」となっている。女子の標準服はブルーの襟にライン2本の入っているセーラー服で、私服の着用も許可されている[15]。なお、標準服は男子・女子共に校則で定められている。
学校施設
校舎は音楽科併置を機に1996年7階建てに改築された。オーケストラホール「ヴィオーラ・ホール」(320席)、音楽教室、レッスン室、練習室、スタインウェイを含むグランドピアノ、コンピューター音楽システムなどの設備がある。音楽関係以外ではLAN教室、開閉式ガラス屋根の室内プールも新設された[19]。
なお、太平洋戦争終戦直後1948年5月、アメリカなど占領軍GHQの指示で、新制の中学校の校舎として府立天王寺高校の校舎を転用。このため天王寺高校が1951年4月まで夕陽丘高校内に移転して2校で同居していた[16]。
諸活動
部活動
- ホッケー部 - 幾度もインターハイに出場[要出典]。大阪府内の高校でクラブ開設は少数。
- 陸上競技部 - 全国インターハイに5人、近畿インターハイに26人が出場[要出典]。
- 合唱部 - 1954年(昭和29年)度のNHK全国学校音楽コンクールで第3位(銅賞[要出典])。
不祥事
問題用紙を準備せず入試40分遅れ
2015年(平成27年)度の入学者選抜(入試)音楽科の実技検査で、問題用紙がなかった。予備の問題用紙が届けられるまで約40分間、試験開始が遅れ、受験者57人に影響した[20]。
野球部顧問の社会科教師が大麻
社会科の25歳の教師が、河内長野市の自宅で大麻所持の現行犯で近畿厚生局麻薬取締部に逮捕された。教師はPL学園高等学校出身の常勤講師で、PLでは前田健太(大リーグMLBミネソタ・ツインズ)の1学年上のエース投手として活躍。夕陽丘では硬式野球部の顧問も務めており、大麻を「2年ほど前からヒップホップなどの音楽を聴くとき、リラックスするために使っていた」と認めている[21]。
高校関係者と組織
関連団体
- 清香会 - 同窓会。読み方は「せいこうかい」
高校関係者一覧
政治
経済
- 宮島義嗣 - 元OKK社長
- 上田安子 - ファッション・デザイナーの草分け。上田安子服飾専門学校創立者
学芸
- 小田実 - 作家。反戦「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)政治活動家
- タナカカツキ - マンガ家/映像作家、カプセルトイ「コップのフチ子」企画原案者
- 薮内正幸 - 絵本作家。産経児童出版文化賞、国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞
- 鷲谷七菜子 - 俳人
芸能
そのほか関係者
脚注
- ^ a b c 官報明治39年(1906年)3月9日第6805号
- ^ a b “大阪に関するよくある質問 - 大阪市立図書館”. 大阪市立図書館. 2020年10月31日閲覧。
- ^ a b “学校長より”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “2月17日 締切時(最終)の志願者数について(大阪府/令和2年度大阪府公立高等学校入学者選抜における志願者数について)”. 大阪府教育委員会. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “特別公開講座・特別レッスン”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月30日閲覧。
- ^ a b “音楽科紹介”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月30日閲覧。
- ^ 2018年(平成30年)学校通信(夕陽丘)第51号
- ^ “HPの進路状況 過去3年間の入試成績(音楽関係)”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月31日閲覧。
- ^ “過去3年間の進学実績2020最新版”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月31日閲覧。
- ^ 『新修大阪市史 第七巻』1994年(平成6年)
- ^ 修業年限は1921年から5年となった。
- ^ 市立第二高女の校舎は、もとは大阪市立千年小学校(大阪市立大宝小学校分校)の元校舎。
- ^ a b 官報 明治42年(1909年)1月18日第7666号
- ^ 大阪府女子師範学校は1927年平野に移転。
- ^ a b “沿革”. 大阪府立夕陽丘高等学校. 2020年10月30日閲覧。
- ^ a b “母校の歴史”. 大阪府立天王寺高等学校同窓会. 2020年10月31日閲覧。
- ^ [1]
- ^ “夕陽丘高校清香会のホームページ(校歌)”. 大阪府立夕陽丘高等学校同窓会清香会. 2020年10月31日閲覧。
- ^ <街ぶら>大阪府立高で唯一の音楽科はどんなとこ? 夕陽丘高に潜入 - THE PAGE 2017年8月1日
- ^ 産経新聞2015年(平成27年)2月24日朝刊 問題用紙不明で開始40分遅れ 夕陽丘高・音楽科
- ^ 産業経済新聞社サンケイスポーツ2012年11月9日 マエケンショック PL学園の1年先輩、大阪・夕陽丘高野球部顧問 大麻逮捕
参考文献
- 大阪府立夕陽丘高等学校『創立八十周年記念誌』1986年。
関連項目
- 大阪府立清水谷高等学校 - 府立で最初の高等女学校
- 大阪府立大手前高等学校 - 府立2番目の高等女学校
- 大阪府立港高等学校 - 府立4番目の高等女学校
- 高等女学校
- 大阪府立天王寺高等学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧
- 日本の音楽科設置高等学校一覧