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明治時代に活躍した元[[菊間藩]]士で[[日本基督教会]]の牧師[[三浦徹 (牧師)|三浦徹]]は曽祖父にあたる。 |
明治時代に活躍した元[[菊間藩]]士で[[日本基督教会]]の牧師[[三浦徹 (牧師)|三浦徹]]は曽祖父にあたる。 |
2020年12月30日 (水) 08:50時点における版
鮫島 宗明 さめじま むねあき | |
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生年月日 | 1943年12月9日(80歳) |
出生地 | 日本 静岡県田方郡伊豆長岡町(現伊豆の国市) |
出身校 |
東京大学農学部 東京大学大学院 |
現職 | 帝京平成大学教授 |
所属政党 |
(日本新党→) (新進党→) 民主党 |
称号 |
農学博士(東京大学 1975年) 旭日中綬章 |
親族 |
永井柳太郎(祖父) 永井道雄(おじ) |
選挙区 |
(旧東京5区→) 比例東京ブロック |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1993年 - 1996年 2000年 - 2005年 |
鮫島 宗明(さめじま むねあき、1943年12月9日 - )は、日本の政治家、農学博士。元衆議院議員(3期)。帝京平成大学教授。
戦前に拓務大臣や逓信大臣、鉄道大臣を歴任した永井柳太郎は祖父。三木内閣で文部大臣を務めた教育社会学者の永井道雄はおじにあたる。
明治時代に活躍した元菊間藩士で日本基督教会の牧師三浦徹は曽祖父にあたる。
来歴・人物
武蔵高等学校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院農学研究科博士課程修了。1975年、農林水産省に入省し、農水省国際農業研究所に配属される。1988年、農水省生物資源研究所研究室長。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧東京5区(定数3)から出馬し、新党ブームに乗って同区トップで当選した。日本新党では財務委員長や副代表幹事を務める。1994年、日本新党の解党により新進党に合流。1996年の第41回衆議院議員総選挙には東京10区から新進党公認で出馬したが、自由民主党の小林興起に敗れ、落選。なお東京10区には、結党されたばかりの旧民主党から長妻昭が出馬しており、反自民票の食い合いにより共に落選した。落選後は東京農業大学客員教授に就任し、現在は帝京平成大学健康メディカル学部健康栄養学科教授。
新進党解党後、民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では東京10区で再度小林に敗れるも、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4年ぶりに国政へ復帰。狂牛病(BSE)問題の際は農政の専門家の立場からBSE対策法、食品安全政策で民主党内の議論をリードする。2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京10区で小林に敗れたが、再度比例復活により3選。2004年、民主党次の内閣でネクスト農林水産大臣に就任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小林興起が郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため自民党の公認を得られず、新党日本を結党し同党公認で出馬。自民党は比例近畿ブロック選出の環境大臣・小池百合子を東京10区で擁立し、小池が当選。鮫島は次点で、比例復活もならず落選した。
2007年4月、練馬区長選挙に出馬したが、約5万票の大差で現職の志村豊志郎に敗れ落選し、政界引退を表明した。
不祥事
政策
著書
- 「殿様と36人のサムライ―日本新党365日の記録」 ISBN 4408101494
出演番組
脚注
- ^ 党所属国会議員の国民年金保険料の納付状況について 民主党メールマガジン 2004年5月13日 2014年4月26日閲覧
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)