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1949年(昭和24年)1月の[[第24回衆議院議員総選挙]]に[[群馬県第1区 (中選挙区)|群馬県第1区]]から無所属で出馬して初当選<ref name=shintei/><ref name=gisyuu/><ref name=gunmaji/><ref name=kokusei73>『国政選挙総覧 1947-2016』73頁。</ref>。1952年(昭和27年)10月の[[第25回衆議院議員総選挙|第25回総選挙]]では[[改進党]]公認で出馬して再選され<ref name=gisyuu/><ref name=gunmaji/><ref name=kokusei73/>、[[第26回衆議院議員総選挙|第26回総選挙]]でも当選し<ref name=gunmaji/><ref name=kokusei73/>、衆議院議員に連続3期在任した<ref name=shintei/><ref name=gisyuu/><ref name=gunmaji/>。この間、[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党]]政調会副会長、改進党政策委員会副委員長、同農林部長などを務めた<ref name=shintei/><ref name=gisyuu/><ref name=gunmaji/>。議員在任中の1954年10月に死去した。 |
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== 伝記 == |
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2020年12月26日 (土) 10:41時点における版
金子 与重郎(與重郎、かねこ よじゅうろう、1901年(明治34年)1月[1] - 1954年(昭和29年)10月9日[1][2])は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
群馬県[1][2]勢多郡粕川村大字室沢[3](現前橋市粕川町室沢)で、金子新作の長男として生まれる[3]。群馬県立勢多農林学校(現群馬県立勢多農林高等学校)を経て、1919年(大正8年)盛岡高等農林学校農学科別科を卒業した[1][2][3]。
帰郷して農業を営む[1][2][3]。また、県下の産業組合の組織化に尽力し、組合厚生病院を設けて農村の保健衛生の向上に尽くした[3]。群馬蚕糸会社の設立に参画し、蚕糸業の振興を図った[3]。その他、粕川村会議員、粕川信用販売利用組合長、群馬県購買販売利用組合専務理事、同購買販売利用組合連合会総務部長、群馬蚕糸製造監査役などを務めた[1][2][3]。
1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に群馬県第1区から無所属で出馬して初当選[1][2][3][4]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では改進党公認で出馬して再選され[2][3][4]、第26回総選挙でも当選し[3][4]、衆議院議員に連続3期在任した[1][2][3]。この間、国民民主党政調会副会長、改進党政策委員会副委員長、同農林部長などを務めた[1][2][3]。議員在任中の1954年10月に死去した。
伝記
- 故金子与重郎先生顕彰委員会編『金子與重郎』故金子与重郎先生顕彰委員会、1956年。
- 東宮七男『金子与重郎』群馬出版社、1956年。
脚注
参考文献
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。