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「アウディーイウカ市電」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ウクライナの都市・アウディーイウカ中心部と郊外を結んだ路面電車。紛争の影響で長期運行停止中。uk:Авдіївський трамвай 01:56, 20 січня 2019‎ UTC、ru:Авдеевский трамвай 15:15, 14 июня 2020‎ UTC、uk:Авдіївський коксохімічний завод 21:38, 25 травня 2020‎ UTC、uk:Спартак (Ясинуватський район) 12:07, 27 червня 2020‎ UTCを翻訳および加筆。
 
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車両については、開業当初[[2軸車]]の'''{{仮リンク|KTM-2|ru|КТМ-2}}'''([[電動車]])と'''KTP-2'''([[付随車]])による2両編成が導入されたが、工場の拡張や発展による利用客の増加に対して輸送力が不足し、ドネツィク市電からの譲渡車両で対応した。[[1977年]]以降は大型ボギー車の'''[[KTM-5]]'''が導入され、[[1980年]]までにKTM-2を含む従来の車両は全て置き換えられた{{r|Avdiivka_Tram_1}}。
車両については、開業当初[[2軸車]]の'''{{仮リンク|KTM-2|ru|КТМ-2}}'''([[電動車]])と'''KTP-2'''([[付随車]])による2両編成が導入されたが、工場の拡張や発展による利用客の増加に対して輸送力が不足し、ドネツィク市電からの譲渡車両で対応した。[[1977年]]以降は大型ボギー車の'''[[KTM-5]]'''が導入され、[[1980年]]までにKTM-2を含む従来の車両は全て置き換えられた{{r|Avdiivka_Tram_1}}。


[[ソ連崩壊]]後、[[2003年]]にスパルタク方面への路線が廃止された事で路線網は[[1986年]]以前の状態に戻り、以降はアウディーイウカ中心部と工場を結ぶ2つの系統による運行が実施された。だが、[[2014年ウクライナ騒乱|ウクライナ騒乱]]以降勃発した[[クリミア危機・ウクライナ東部紛争|紛争]]の中でアウディーイウカでも戦闘が勃発し、[[2014年]]にアウディーイウカ市電のうちネクラソヴァ通りと車庫(Трамвайне депо)を結ぶ区間が砲撃により破壊された。その後、安全確保や盗難防止のためこの区間の線路や施設は撤去され、以降は残された路線での運行が実施されたが、[[2015年]][[1月]]に車庫が砲撃を受け、送電の停止も要因となり市電の運行は完全に停止した{{r|Avdiivka_Tram_1}}<ref>{{cite web|url = https://jp.ambafrance.org/article11083 |title = ウクライナ東部で再び緊張 |publisher = [[在日フランス大使館]] |date = 2017-12-1 |accessdate = 2020-7-30}}</ref><ref>{{cite web|url = https://www.06236.com.ua/news/681328/v-avdeevke-demontirovali-cast-tramvajnyh-kontaktnyh-setej |title = В Авдеевке демонтировали часть трамвайных контактных сетей |author = Дарья Воронцова|publisher = 06236.com.ua|date = 2014-12-3 |accessdate = 2020-7-30}}</ref>。
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その後、翌[[2016年]]に復旧の動きが起き始め、同年[[5月]]にディーゼルエンジンや発電機を搭載したKTM-5を用いた試運転が実施された後、撤去された架線を再度設置した上で[[10月1日]]に車庫から工場の中央検問所(Центральная проходная АКХЗ)までの区間での運行が再開した。だが、その後も続く戦闘の影響で[[2017年]][[1月]]に市電は再度運行を停止し、同一区間を[[シャトルバス]]が走行している事もあり[[2020年]]時点でも再開の目途は立っていない{{r|Avdiivka_Tram_a}}<ref>{{cite web|url = https://www.06236.com.ua/news/1388219/avdeevskij-tramvaj-soversil-pervyj-rejs-s-passazirami-fotovideo |title = Авдеевский трамвай совершил первый рейс с пассажирами (ФОТО/ВИДЕО) |author = Лепилова Мария Евгеньевнаа|publisher = 06236.com.ua|date = 2016-10-1 |accessdate = 2020-7-30}}</ref>。
その後、翌[[2016年]]に復旧の動きが起き始め、同年[[5月]]にディーゼルエンジンや発電機を搭載したKTM-5を用いた試運転が実施された後、撤去された架線を再度設置した上で[[10月1日]]に車庫から工場の中央検問所(Центральная проходная АКХЗ)までの区間での運行が再開した。だが、その後も続く戦闘の影響で[[2017年]][[1月]]に市電は再度運行を停止し、同一区間を[[シャトルバス]]が走行している事もあり[[2020年]]時点でも再開の目途は立っていない{{r|Avdiivka_Tram_a}}<ref>{{cite web|url = https://www.06236.com.ua/news/1388219/avdeevskij-tramvaj-soversil-pervyj-rejs-s-passazirami-fotovideo |title = Авдеевский трамвай совершил первый рейс с пассажирами (ФОТО/ВИДЕО) |author = Лепилова Мария Евгеньевнаа|publisher = 06236.com.ua|date = 2016-10-1 |accessdate = 2020-7-30}}</ref>。

2020年12月26日 (土) 01:18時点における版

アウディーイウカ市電
KTM-5(2012年撮影)
KTM-52012年撮影)
基本情報
ウクライナの旗ウクライナ
所在地 ドネツィク州アウディーイウカ
種類 路面電車
路線網 2系統(2014年時点)[1][2]
開業 1965年8月23日[1][2]
休止 2015年1月2017年1月[1][2]
再開 2016年10月[1][2]
使用車両 KTM-5[2]
路線諸元
営業キロ 10.5 km(2014年時点)[1]
軌間 1,524 mm[1]
電化区間 全区間
路線図(2014年時点)
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アウディーイウカ市電ウクライナ語: Авдіївський трамвайロシア語: Авдеевский трамвай)は、ウクライナアウディーイウカにかつて存在した路面電車。住宅地と郊外の工場を結ぶ公共交通であったが、ウクライナ東部紛争の影響で2017年以降運行を停止している[1][2]

概要・歴史

ドネツィクから3 km程離れた場所に位置するアウディーイウカには、冶金用コークスや化学製品を主に生産するアウディーイウカコークス工場(АКХЗ)ウクライナ語版が存在する。ソビエト連邦ソ連)時代の1960年に建設が始まり、1963年に操業を開始したこの工場は煤煙を始めとする環境問題からアウディーイウカ中心部や従業員が暮らす住宅地から離れた郊外に作られたため、住宅地と工場を結ぶ公共交通機関が必要となった。そこで導入されたのが、高速かつ大量輸送が可能な路面電車のアウディーイウカ市電である[2][3]

1965年8月23日に住宅地と工場を結ぶ最初の路線が開通した後、1969年にはアウディーイウカのネクラソヴァ通り(вул. Некрасова)への延伸が行われ、1972年にも工場側の路線が拡張された。1986年にはアウディーイウカに隣接したスパルタク村(Спартак)ウクライナ語版までの路線が開通し、3つの系統による運行が行われるようになった。計画では更にドネツィクへ路線を伸ばしドネツィク市電と接続する事になっていたが実現する事はなかった[2]

車両については、開業当初2軸車KTM-2電動車)とKTP-2付随車)による2両編成が導入されたが、工場の拡張や発展による利用客の増加に対して輸送力が不足し、ドネツィク市電からの譲渡車両で対応した。1977年以降は大型ボギー車のKTM-5が導入され、1980年までにKTM-2を含む従来の車両は全て置き換えられた[2]

ソビエト連邦の崩壊後、2003年にスパルタク方面への路線が廃止された事で路線網は1986年以前の状態に戻り、以降はアウディーイウカ中心部と工場を結ぶ2つの系統による運行が実施された。だが、ウクライナ騒乱以降勃発した紛争の中でアウディーイウカでも戦闘が勃発し、2014年にアウディーイウカ市電のうちネクラソヴァ通りと車庫(Трамвайне депо)を結ぶ区間が砲撃により破壊された。その後、安全確保や盗難防止のためこの区間の線路や施設は撤去され、以降は残された路線での運行が実施されたが、2015年1月に車庫が砲撃を受け、送電の停止も要因となり市電の運行は完全に停止した[2][4][5]

その後、翌2016年に復旧の動きが起き始め、同年5月にディーゼルエンジンや発電機を搭載したKTM-5を用いた試運転が実施された後、撤去された架線を再度設置した上で10月1日に車庫から工場の中央検問所(Центральная проходная АКХЗ)までの区間での運行が再開した。だが、その後も続く戦闘の影響で2017年1月に市電は再度運行を停止し、同一区間をシャトルバスが走行している事もあり2020年時点でも再開の目途は立っていない[1][6]

ギャラリー

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h AVDIIVKA”. UrbanRail.Net. 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j Авдіївський трамвай. Недооцінена легенда промислового транспорту світового масштабу”. ІНФОЛАЙФ (2018年9月20日). 2020年7月30日閲覧。
  3. ^ Avdiivka Coke Plant”. Metinvest. 2020年7月30日閲覧。
  4. ^ ウクライナ東部で再び緊張”. 在日フランス大使館 (2017年12月1日). 2020年7月30日閲覧。
  5. ^ Дарья Воронцова (2014年12月3日). “В Авдеевке демонтировали часть трамвайных контактных сетей”. 06236.com.ua. 2020年7月30日閲覧。
  6. ^ Лепилова Мария Евгеньевнаа (2016年10月1日). “Авдеевский трамвай совершил первый рейс с пассажирами (ФОТО/ВИДЕО)”. 06236.com.ua. 2020年7月30日閲覧。