「クリミア大橋」の版間の差分
m編集の要約なし |
|||
67行目: | 67行目: | ||
[[第二次世界大戦]]([[独ソ戦]])中の1943年、[[ナチス・ドイツ]]の軍需相[[アルベルト・シュペーア]]が架橋計画を提案した。{{仮リンク|コーカサスの戦い|ru|Битва за Кавказ (1942—1943)}}を[[ドイツ国防軍]]優位に進めることが狙いであったが、既にドイツ軍は劣勢に転じていた。撤退に合わせて[[トート機関]]はケルチ海峡に1日当たり1,000トンの輸送力を持つ[[ロープウェイ]]を建設した。同年3月7日にはドイツ総統[[アドルフ・ヒトラー]]が6ヶ月以内にケルチ海峡に鉄道道路併用橋を建設するように指示した。4月にはトート機関が工事を開始したが、9月1日にはソ連軍の総攻撃が始まり撤退を余儀なくされた。この時点で全体の約3分の1が完成していたが、ドイツ軍は撤退の過程において橋梁のうち既に完成していた区間を爆破した。[[赤軍]]によるクリミア解放後にドイツ軍が置き去りにした資材で延長4.5kmのケルチ鉄道橋が建設され1944年秋に仮開通したが、1945年2月に突堤の欠陥や流氷の影響により崩壊した。 |
[[第二次世界大戦]]([[独ソ戦]])中の1943年、[[ナチス・ドイツ]]の軍需相[[アルベルト・シュペーア]]が架橋計画を提案した。{{仮リンク|コーカサスの戦い|ru|Битва за Кавказ (1942—1943)}}を[[ドイツ国防軍]]優位に進めることが狙いであったが、既にドイツ軍は劣勢に転じていた。撤退に合わせて[[トート機関]]はケルチ海峡に1日当たり1,000トンの輸送力を持つ[[ロープウェイ]]を建設した。同年3月7日にはドイツ総統[[アドルフ・ヒトラー]]が6ヶ月以内にケルチ海峡に鉄道道路併用橋を建設するように指示した。4月にはトート機関が工事を開始したが、9月1日にはソ連軍の総攻撃が始まり撤退を余儀なくされた。この時点で全体の約3分の1が完成していたが、ドイツ軍は撤退の過程において橋梁のうち既に完成していた区間を爆破した。[[赤軍]]によるクリミア解放後にドイツ軍が置き去りにした資材で延長4.5kmのケルチ鉄道橋が建設され1944年秋に仮開通したが、1945年2月に突堤の欠陥や流氷の影響により崩壊した。 |
||
第二次世界大戦後もソ連政府によりケルチ海峡への架橋計画を巡っては様々な構想が浮上した。1960年代中盤以降はケルチ水力発電所計画によりダムおよび橋を建設する計画が浮上したが、[[ソ連崩壊]]の影響で実現しなかった。 |
第二次世界大戦後もソ連政府によりケルチ海峡への架橋計画を巡っては様々な構想が浮上した。1960年代中盤以降はケルチ水力発電所計画によりダムおよび橋を建設する計画が浮上したが、[[ソビエト連邦の崩壊]]の影響で実現しなかった。 |
||
2010年には[[ウクライナ]]の[[ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ]]大統領およびロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]大統領がケルチ海峡への架橋計画に合意し、署名を行った。2013年11月の{{仮リンク|ウクライナ・EU連合協定|uk|Угода про асоціацію між Україною та Європейським Союзом}}否決により架橋計画への関心はさらに高まった。2014年1月にはウクライナ・ロシア両政府が両国の合弁会社が橋梁を建設し、ロシアの国営企業であるロシア高速道路公団(アヴトドル)が管理を行う方向で合意した。ウクライナ経済発展貿易省は5年間で1.5 - 3億ドルを要すると概算した。2014年2月初頭には[[イーゴリ・シュワロフ]]ロシア連邦第一副首相がアヴトドルに対して実現可能性の研究報告を2015年までにまとめるように指示した。 |
2010年には[[ウクライナ]]の[[ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ]]大統領およびロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]大統領がケルチ海峡への架橋計画に合意し、署名を行った。2013年11月の{{仮リンク|ウクライナ・EU連合協定|uk|Угода про асоціацію між Україною та Європейським Союзом}}否決により架橋計画への関心はさらに高まった。2014年1月にはウクライナ・ロシア両政府が両国の合弁会社が橋梁を建設し、ロシアの国営企業であるロシア高速道路公団(アヴトドル)が管理を行う方向で合意した。ウクライナ経済発展貿易省は5年間で1.5 - 3億ドルを要すると概算した。2014年2月初頭には[[イーゴリ・シュワロフ]]ロシア連邦第一副首相がアヴトドルに対して実現可能性の研究報告を2015年までにまとめるように指示した。 |
2020年12月26日 (土) 01:04時点における版
クリミア大橋 (ケルチ海峡大橋) | |
---|---|
赤線がクリミア大橋のルートでトゥーズラ島とトゥーズラ・スピットを通る。青はフェリーの航路。 | |
基本情報 | |
国 | ロシア |
所在地 | タマン半島 - クリミア半島間 |
交差物件 | ケルチ海峡 |
用途 | 鉄道道路併用橋 |
着工 | 2016年 |
開通 |
2018年5月15日(道路) 2019年12月23日(鉄道) |
座標 | 北緯45度16分02秒 東経36度33分02秒 / 北緯45.2672度 東経36.5505度座標: 北緯45度16分02秒 東経36度33分02秒 / 北緯45.2672度 東経36.5505度 |
構造諸元 | |
全長 | 18.1km |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
クリミア大橋(クリミアおおはし、ロシア語: Крымский мост)またはケルチ海峡大橋(ケルチかいきょうおおはし、ロシア語: Керченский мост)は、ロシア連邦クラスノダール地方のタマン半島とクリミア共和国のクリミア半島の間を結ぶ、全長18.1km(道路橋は16.9km)の鉄道道路併用橋である。
概要
ロシア本土とクリミア半島の間を結ぶケルチ海峡フェリーの代替として建設中の橋である。2015年5月に建設工事が開始され、道路部分は2018年5月15日に開通した[1]。鉄道部分は2019年12月23日に開通した[2]。
歴史
ケルチ海峡に橋を建設する計画は19世紀から存在し、1903年にはロシア皇帝ニコライ2世により計画されたが、日露戦争および第一次世界大戦の影響もあり実現しなかった[3]。
第二次世界大戦(独ソ戦)中の1943年、ナチス・ドイツの軍需相アルベルト・シュペーアが架橋計画を提案した。コーカサスの戦いをドイツ国防軍優位に進めることが狙いであったが、既にドイツ軍は劣勢に転じていた。撤退に合わせてトート機関はケルチ海峡に1日当たり1,000トンの輸送力を持つロープウェイを建設した。同年3月7日にはドイツ総統アドルフ・ヒトラーが6ヶ月以内にケルチ海峡に鉄道道路併用橋を建設するように指示した。4月にはトート機関が工事を開始したが、9月1日にはソ連軍の総攻撃が始まり撤退を余儀なくされた。この時点で全体の約3分の1が完成していたが、ドイツ軍は撤退の過程において橋梁のうち既に完成していた区間を爆破した。赤軍によるクリミア解放後にドイツ軍が置き去りにした資材で延長4.5kmのケルチ鉄道橋が建設され1944年秋に仮開通したが、1945年2月に突堤の欠陥や流氷の影響により崩壊した。
第二次世界大戦後もソ連政府によりケルチ海峡への架橋計画を巡っては様々な構想が浮上した。1960年代中盤以降はケルチ水力発電所計画によりダムおよび橋を建設する計画が浮上したが、ソビエト連邦の崩壊の影響で実現しなかった。
2010年にはウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領およびロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領がケルチ海峡への架橋計画に合意し、署名を行った。2013年11月のウクライナ・EU連合協定否決により架橋計画への関心はさらに高まった。2014年1月にはウクライナ・ロシア両政府が両国の合弁会社が橋梁を建設し、ロシアの国営企業であるロシア高速道路公団(アヴトドル)が管理を行う方向で合意した。ウクライナ経済発展貿易省は5年間で1.5 - 3億ドルを要すると概算した。2014年2月初頭にはイーゴリ・シュワロフロシア連邦第一副首相がアヴトドルに対して実現可能性の研究報告を2015年までにまとめるように指示した。
2014年3月のロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入により、ロシア・ウクライナ両国間の関係が崩壊した最中に、ウラジーミル・プーチン大統領がケルチ海峡に鉄道道路併用橋を建設することを表明した。2015年1月にはプーチン大統領と親交が深いと報じられているアルカディ・ローテンベルクが運営するストロイガズモンタジ(SGM)社が受注した。SGM社はパイプラインの建設には関わってきたが、橋梁の建設はこれが初めてである。
橋の完成に対してウクライナ政府は「違法な建設」とコメントしている[4]。また欧州連合(EU)はロシアによるクリミア併合に対する経済制裁の一環として、大橋建設に関与した6つの企業・団体のEU域内における資産凍結などの措置を2018年7月31日発表した[5]。
脚注
- ^ Крымский мост поехал: байкеры, дипломаты и все-все-все
- ^ ロシア本土とクリミア結ぶ鉄道橋開通 併合の既成事実化狙う
- ^ Мост жизни. К предистории Керченского моста
- ^ ロシア・クリミア間に橋 プーチン氏「歴史的な日」『日本経済新聞』朝刊2018年5月16日(国際面)。
- ^ 「EU、クリミア架橋巡り制裁」『日本経済新聞』朝刊2018年8月1日掲載の共同通信配信記事(2018年8月1日閲覧)。