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1944年にソ連[[赤軍]]に自主的に入隊、[[ベルリンの戦い]]にも参加した。復員後は1949年に[[NKVD]]に逮捕。1956年の[[スターリン批判]]で釈放されてからは[[エルミタージュ博物館]]や[[レニングラード国立大学]]で働くなど学者の道を歩む。
1944年にソ連[[赤軍]]に自主的に入隊、[[ベルリンの戦い]]にも参加した。復員後は1949年に[[NKVD]]に逮捕。1956年の[[スターリン批判]]で釈放されてからは[[エルミタージュ博物館]]や[[レニングラード国立大学]]で働くなど学者の道を歩む。


彼の[[学説]]は、[[ソ連崩壊]]後の[[ユーラシア主義|ネオ・ユーラシア主義]]誕生に影響を与えた。
彼の[[学説]]は、[[ソビエト邦の崩壊]]後の[[ユーラシア主義|ネオ・ユーラシア主義]]誕生に影響を与えた。


[[カザフスタン]]共和国の首都[[アスタナ]]には、同国の初代大統領[[ヌルスルタン・ナザルバエフ]]によって{{仮リンク|L.N.グミリョフ名称ユーラシア国立大学|en|L. N. Gumilyov Eurasian National University}}(ユーラシア大学、ユーラシア民族大学)が創設されている<ref>{{cite web|title=About University|author=ENU|url=http://www.enu.kz/en/about-enu/index.php|accessdate=2019-05-30}}</ref>。
[[カザフスタン]]共和国の首都[[アスタナ]]には、同国の初代大統領[[ヌルスルタン・ナザルバエフ]]によって{{仮リンク|L.N.グミリョフ名称ユーラシア国立大学|en|L. N. Gumilyov Eurasian National University}}(ユーラシア大学、ユーラシア民族大学)が創設されている<ref>{{cite web|title=About University|author=ENU|url=http://www.enu.kz/en/about-enu/index.php|accessdate=2019-05-30}}</ref>。

2020年12月26日 (土) 00:45時点における版

レフ・ニコラエビッチ・グミリョフロシア語: Лев Никола́евич Гумилёв 英語: Lev Nikolayevich Gumilev 1912年10月1日 - 1992年6月15日)は、ソビエト連邦歴史家民俗学者人類学者。レフ・グミリョーフとの表記もある。


ロシア帝国サンクトペテルブルクツァールスコエ・セロー(現プーシキン (町))出身。父ニコライ・グミリョフ、母アンナ・アフマートヴァは、共に同国の詩人

1944年にソ連赤軍に自主的に入隊、ベルリンの戦いにも参加した。復員後は1949年にNKVDに逮捕。1956年のスターリン批判で釈放されてからはエルミタージュ博物館レニングラード国立大学で働くなど学者の道を歩む。

彼の学説は、ソビエト連邦の崩壊後のネオ・ユーラシア主義誕生に影響を与えた。

カザフスタン共和国の首都アスタナには、同国の初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフによってL.N.グミリョフ名称ユーラシア国立大学英語版(ユーラシア大学、ユーラシア民族大学)が創設されている[1]

参考文献

脚注

  1. ^ ENU. “About University”. 2019年5月30日閲覧。

関連項目