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この指針をもとにオバマは議員活動を進めていき、ラウスもそれをサポートしていくこととなる。上院議員在任中のオバマの立法活動や投票行動については、前述の指針も含め、ラウスの助言・アドバイスに依るところが大きいとされる。
この指針をもとにオバマは議員活動を進めていき、ラウスもそれをサポートしていくこととなる。上院議員在任中のオバマの立法活動や投票行動については、前述の指針も含め、ラウスの助言・アドバイスに依るところが大きいとされる。


例えばオバマは、国民が政府の歳出状況について簡単に調べることができる[[グーグル]]型の[[検索エンジン]]・[[データベース]]を構築する法案を、共和党保守派の{{仮リンク|トム・コバーン|en|Tom Coburn}}上院議員([[オクラホマ州]]選出<ref>コバーン議員は共和党内でも最も保守色の強い議員とされ、オバマのようなリベラル派とは全く正反対・対極をなす立場である。</ref>)と共同で提出・成立させたり、当時の[[アメリカ合衆国上院外交委員会|上院外交委員会]]委員長で、共和党穏健派の重鎮でもある{{仮リンク|リチャード・ルーガー|en|Richard Lugar}}上院議員([[インディアナ州]]選出)とは、[[ソ連崩壊]]などの際に所在不明となった[[ソビエト連邦|旧ソ連]]の[[対空ミサイル]]などの兵器を発見・処分する活動への資金援助増額案など兵器不拡散問題において連携しているが、これらの行動はラウスの共和党議員との連携を強化するべきとの助言に基づくものとされる<ref name="WashingtonPost"/>。
例えばオバマは、国民が政府の歳出状況について簡単に調べることができる[[グーグル]]型の[[検索エンジン]]・[[データベース]]を構築する法案を、共和党保守派の{{仮リンク|トム・コバーン|en|Tom Coburn}}上院議員([[オクラホマ州]]選出<ref>コバーン議員は共和党内でも最も保守色の強い議員とされ、オバマのようなリベラル派とは全く正反対・対極をなす立場である。</ref>)と共同で提出・成立させたり、当時の[[アメリカ合衆国上院外交委員会|上院外交委員会]]委員長で、共和党穏健派の重鎮でもある{{仮リンク|リチャード・ルーガー|en|Richard Lugar}}上院議員([[インディアナ州]]選出)とは、[[ソビエト邦の崩壊]]などの際に所在不明となった[[ソビエト連邦|旧ソ連]]の[[対空ミサイル]]などの兵器を発見・処分する活動への資金援助増額案など兵器不拡散問題において連携しているが、これらの行動はラウスの共和党議員との連携を強化するべきとの助言に基づくものとされる<ref name="WashingtonPost"/>。


また、身内である民主党議員とは極力対立を避け連携を深める方向性をとっており、その例として、[[2007年]]1月に成立した上院政治倫理改革法案の成立過程での動きが挙げられる<ref>この法案では、下院で既に成立していた下院政治倫理改革法案をベースに、上院議員が[[ロビイスト]]から贈り物や食事、旅行の提供を受けることが禁止されたほか、移動の際に[[ビジネスジェット]]を通常よりも安い価格で借りることを禁止する、などの内容が盛り込まれた。</ref>。倫理規制の強化は、民主・共和の党の別を問わず多くの上院議員たちにとっては非常にシビアな問題であったため、相当の抵抗・反発が予想された。このため、[[ハリー・リード|リード]]院内総務を筆頭とする上院民主党指導部は、[[ミッチ・マコーネル|マコーネル]]院内総務ら共和党指導部と協議を重ねた上で、超党派的な賛成を得やすいやや緩やかな内容の法案をリード院内総務自らが提出・成立を図ることを目指していた<ref name="NYTimes">[http://www.nytimes.com/2007/01/19/washington/19ethics.html?_r=1 上院政治倫理改革法案の成立を報じるニューヨーク・タイムズ紙の記事](英語)2007年1月19日編集・2010年12月26日閲覧</ref>。しかし、政治倫理改革を強力に進めたいと考えていたオバマは、当初ロバート・ギブズに強く勧められたこともあり、「法案の内容が弱すぎる。」として反対しようと考えていたが<ref name="WashingtonPost"/>、一方でラウスは「このような政治的に微妙な問題で、いたずらに他の議員を刺激することは得策ではない。」と考えており<ref name="WashingtonPost"/>、この立場からオバマにアドバイスを与えた。このラウスのアドバイスもあり、最終的にオバマは上院民主党指導部、特にリード院内総務とあからさまに対立・批判することを避け<ref>特に2007年1月という時期は、非常に微妙な時期であった。というのもこの時期は、2006年の中間選挙で民主党は共和党から上院での過半数を奪還し、リード院内総務をリーダーとする新しい指導部体制が出来上がったばかりであった。従ってこの時期に、特にリード院内総務自らが提出した法案に対して身内であるオバマが反対票を投じることは、院内総務に就任したばかりのリードの権威を失墜させ、上院で過半数を奪還して勢いづく上院民主党(特に指導部)の勢いを弱めることに繋がりかねないリスクをはらんでいた。</ref>、同調する[[ラス・ファインゴールド]]上院議員([[ウィスコンシン州]]選出)とともに多数の修正条項を盛り込むという方策をとった<ref name="WashingtonPost"/><ref name="NYTimes"/>。
また、身内である民主党議員とは極力対立を避け連携を深める方向性をとっており、その例として、[[2007年]]1月に成立した上院政治倫理改革法案の成立過程での動きが挙げられる<ref>この法案では、下院で既に成立していた下院政治倫理改革法案をベースに、上院議員が[[ロビイスト]]から贈り物や食事、旅行の提供を受けることが禁止されたほか、移動の際に[[ビジネスジェット]]を通常よりも安い価格で借りることを禁止する、などの内容が盛り込まれた。</ref>。倫理規制の強化は、民主・共和の党の別を問わず多くの上院議員たちにとっては非常にシビアな問題であったため、相当の抵抗・反発が予想された。このため、[[ハリー・リード|リード]]院内総務を筆頭とする上院民主党指導部は、[[ミッチ・マコーネル|マコーネル]]院内総務ら共和党指導部と協議を重ねた上で、超党派的な賛成を得やすいやや緩やかな内容の法案をリード院内総務自らが提出・成立を図ることを目指していた<ref name="NYTimes">[http://www.nytimes.com/2007/01/19/washington/19ethics.html?_r=1 上院政治倫理改革法案の成立を報じるニューヨーク・タイムズ紙の記事](英語)2007年1月19日編集・2010年12月26日閲覧</ref>。しかし、政治倫理改革を強力に進めたいと考えていたオバマは、当初ロバート・ギブズに強く勧められたこともあり、「法案の内容が弱すぎる。」として反対しようと考えていたが<ref name="WashingtonPost"/>、一方でラウスは「このような政治的に微妙な問題で、いたずらに他の議員を刺激することは得策ではない。」と考えており<ref name="WashingtonPost"/>、この立場からオバマにアドバイスを与えた。このラウスのアドバイスもあり、最終的にオバマは上院民主党指導部、特にリード院内総務とあからさまに対立・批判することを避け<ref>特に2007年1月という時期は、非常に微妙な時期であった。というのもこの時期は、2006年の中間選挙で民主党は共和党から上院での過半数を奪還し、リード院内総務をリーダーとする新しい指導部体制が出来上がったばかりであった。従ってこの時期に、特にリード院内総務自らが提出した法案に対して身内であるオバマが反対票を投じることは、院内総務に就任したばかりのリードの権威を失墜させ、上院で過半数を奪還して勢いづく上院民主党(特に指導部)の勢いを弱めることに繋がりかねないリスクをはらんでいた。</ref>、同調する[[ラス・ファインゴールド]]上院議員([[ウィスコンシン州]]選出)とともに多数の修正条項を盛り込むという方策をとった<ref name="WashingtonPost"/><ref name="NYTimes"/>。

2020年12月26日 (土) 00:36時点における版

ピート・ラウス
Pete Rouse
生年月日 (1946-04-15) 1946年4月15日(78歳)
出生地 コネチカット州ニューヘイヴン
出身校 コルビー大学
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
ケネディスクール
所属政党 民主党

在任期間 2010年10月1日 - 2011年1月6日
大統領 バラク・オバマ

内閣 バラク・オバマ政権
在任期間 2009年1月2日 - 2010年10月1日
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ピーター・ミカミ “ピート”・ラウスPeter Mikami “Pete” Rouse1946年4月15日 - )は、アメリカ合衆国政治コンサルタントバラク・オバマ大統領首席補佐官(臨時代理)を務めた。日系2世たる母親を持つ、日系アメリカ人3世である。

連邦議会にてキャリアを積み、トム・ダシュル民主党上院院内総務の首席補佐官を務めていた際の精力的な活動から、(上院議員の定員100名にちなんで)101番目の上院議員と呼ばれ知られるようになる。2004年の連邦議会選挙においてダシュルが落選し議席を失うと、同選挙で初当選を果たしたばかりの新人上院議員だったバラク・オバマから説得を受け、オバマの首席補佐官に転じた。

その後、2008年の大統領選挙でオバマが当選したことに伴って、2009年大統領上級顧問としてオバマと共にホワイトハウス入りした。2010年10月シカゴ市長選挙に出馬するため退任したラーム・エマニュエルの後を受けて、臨時に大統領首席補佐官職を兼任していた。

生い立ち

1946年4月15日コネチカット州ニューヘイヴンにおいて、ベンジャミン・アーヴィング・ラウス(Benjamin Irving Rouse)とメアリー・ミカミ・ラウス(Mary Mikami Rouse)夫妻の間に生まれる[1]。両親は共にイェール大学で教職に就いており、父ベンジャミンは人類学を、母メアリーは大学内の研究所で東洋言語をそれぞれ教えていた[1]

母方の祖父であるジョージ・ミカミは、1885年東京府からサンフランシスコに移住し、1910年に一時帰国した際に結婚して再度渡米し、1915年アラスカ州に定住した人物である[2]第二次世界大戦勃発直前にミカミ一家はロサンゼルスに移ったが、戦争の勃発と同時にアリゾナ州強制収容所に送られることとなった。ちなみに母メアリーは、幼少期を日本語のみで過ごしていたという.[3]

1968年コルビー大学を卒業し、その際に歴史学学士号を得ている。その後は、1970年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで修士号を、1977年ハーバード大学ケネディスクール行政学修士号をそれぞれ取得している。

政界での経歴

ラウスは政界、特に連邦議会で議員スタッフとして働いてきた経歴が長く、1971年に初めて連邦議会入りしたのを皮切りに、議員スタッフとして30年以上の経験を有している。「ワシントン・マンスリー」 (The Washington Monthly) 誌のエイミー・サリヴァン (Amy Sullivan記者によれば、その豊富な知識や能力から(上院議員の定員100名にちなんで)「101番目の上院議員」として知られるようになった[4]

ダシュルのスタッフとなるまで

1971年に、ジェームズ・アブレズク下院議員(民主党・サウスダコタ州第2選挙区選出)のスタッフとなり、連邦議会入りを果たす [5]。アブレズクのスタッフとなった際に最初に与えられた仕事は、ネイティヴ・アメリカンに関連した問題だったという[5]

その後、アブレズクが1973年に上院へ鞍替え当選を果たした後も[6]、引き続きアブレズクの下で働いた。この当時、ラウスは立法担当補佐官であったが、この時共に立法担当補佐官を務めていたのが、のちに長年にわたって首席補佐官として仕えることになるトム・ダシュルであり[1][5]、両者は2年余りの間共に働き[5]、親交を結んだ。

その後、アブレズクが1978年中間選挙に出馬することなく引退すると、ラウスも一度連邦議会を離れ、テリー・ミラー英語版アラスカ州副知事共和党)の首席補佐官となる[1]。ミラーは、ラウスが仕えてきた政治家の中では唯一の共和党員であり、1983年までのおよそ4年間にわたって首席補佐官職を務めた[1]

ミラー副知事の首席補佐官を辞任した後は、再びワシントンD.C.に戻り、1984年には当時イリノイ州第20選挙区選出の下院議員を務めていたディック・ダービン英語版議員(民主党・のちに上院議員に転じ、現在は上院民主党院内幹事)の首席補佐官に就任[1]、ダシュルの下で働くようになる1985年までの約1年間ダービンに仕えた。

ダシュルのスタッフとして

1985年、ラウスはダービン議員の下を離れ、当時下院議員(サウスダコタ州全州選挙区選出)を務めていたダシュルのスタッフとなる[7]。その後、1986年の中間選挙でダシュルが上院への鞍替え当選を果たすとその首席補佐官に就任、以降2004年の選挙でダシュルが落選し議席を失うまでの19年にわたってダシュルの下で働き、彼の事務所を切り盛りした。この間ダシュルは、1994年から落選に伴って議席を失った2005年1月までのおよそ11年間にわたり、上院民主党のリーダーである院内総務を務めた。

2001年10月15日に、ハート上院議員会館英語版にあったダシュルの議員事務所に炭疽菌入りの郵便物が送り付けられる事件が発生した際(アメリカ炭疽菌事件)、警察に当該郵便物が送られてきたことを通報したのはラウスである[8]。ちなみにこの時、ダシュル事務所のスタッフ20人が検査で陽性と判定されたが(死者は出ず)、ラウスがその中に含まれているかどうかは定かではない[9]

オバマ上院議員のスタッフとして

2004年11月の連邦議会選挙においてダシュルが落選した後、ラウスは当初引退を計画していた[1]。しかし同月、リチャード・ゲッパート下院議員のスタッフなどを務めていたカサンドラ・ブッツ英語版(のちにオバマ政権下で、大統領次席法律顧問やミレニアム・チャレンジ・アカウント英語版計画最高責任者付上級顧問を歴任)から、当時イリノイ州から上院選に出馬・当選を果たしたばかりであったバラク・オバマを紹介される[10][11]。ブッツとオバマはハーバード・ロー・スクール時代の同窓生・友人であり[10]、彼女の仲介でオバマと面会したラウスは、オバマ本人から直接説得されたこともあり彼の下で働くことを決断、首席補佐官に就任した[1][10][11]

首席補佐官に就任した当初、ラウスの主な仕事はその連邦議会での豊富な経験・知識を活かし、新人上院議員であったオバマに上院における政治の「いろは」を教えサポートすることだった。オバマの上院議員1年目には、同僚のデイヴィッド・アクセルロッドロバート・ギブズと共に「戦略計画(「ザ・ストラテジック・プラン」,“The Strategic Plan”)」というメモを作成し、上院議員としてどう活動していくべきかをまとめた指針とした[10]。このメモは、後にオバマと2008年の大統領選挙で民主党指名候補の座をめぐって争うことになるヒラリー・ローダム・クリントンが上院議員に就任する際に取り入れた指針を参考にしたものである[10][12]

この指針をもとにオバマは議員活動を進めていき、ラウスもそれをサポートしていくこととなる。上院議員在任中のオバマの立法活動や投票行動については、前述の指針も含め、ラウスの助言・アドバイスに依るところが大きいとされる。

例えばオバマは、国民が政府の歳出状況について簡単に調べることができるグーグル型の検索エンジンデータベースを構築する法案を、共和党保守派のトム・コバーン英語版上院議員(オクラホマ州選出[13])と共同で提出・成立させたり、当時の上院外交委員会委員長で、共和党穏健派の重鎮でもあるリチャード・ルーガー英語版上院議員(インディアナ州選出)とは、ソビエト連邦の崩壊などの際に所在不明となった旧ソ連対空ミサイルなどの兵器を発見・処分する活動への資金援助増額案など兵器不拡散問題において連携しているが、これらの行動はラウスの共和党議員との連携を強化するべきとの助言に基づくものとされる[10]

また、身内である民主党議員とは極力対立を避け連携を深める方向性をとっており、その例として、2007年1月に成立した上院政治倫理改革法案の成立過程での動きが挙げられる[14]。倫理規制の強化は、民主・共和の党の別を問わず多くの上院議員たちにとっては非常にシビアな問題であったため、相当の抵抗・反発が予想された。このため、リード院内総務を筆頭とする上院民主党指導部は、マコーネル院内総務ら共和党指導部と協議を重ねた上で、超党派的な賛成を得やすいやや緩やかな内容の法案をリード院内総務自らが提出・成立を図ることを目指していた[15]。しかし、政治倫理改革を強力に進めたいと考えていたオバマは、当初ロバート・ギブズに強く勧められたこともあり、「法案の内容が弱すぎる。」として反対しようと考えていたが[10]、一方でラウスは「このような政治的に微妙な問題で、いたずらに他の議員を刺激することは得策ではない。」と考えており[10]、この立場からオバマにアドバイスを与えた。このラウスのアドバイスもあり、最終的にオバマは上院民主党指導部、特にリード院内総務とあからさまに対立・批判することを避け[16]、同調するラス・ファインゴールド上院議員(ウィスコンシン州選出)とともに多数の修正条項を盛り込むという方策をとった[10][15]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h ラウスの経歴について紹介するUSニューズ&ワールド・レポートの記事(英語)2010年10月25日編集・2010年12月25日閲覧
  2. ^ ミカミ一家について紹介する記事(英語)2010年12月25日閲覧
  3. ^ “Rouse hailed as first Asian American chief of staff”. The Washington Post. (2010年10月1日). http://www.whorunsgov.com/politerati/uncategorized/rouse-hailed-as-first-asian-american-chief-of-staff/ 2010-01-2010閲覧。 
  4. ^ http://www.washingtonmonthly.com/archives/individual/2004_12/005275.php
  5. ^ a b c d アメリカの新聞「インディアン・カントリー・トゥデイ」(Indian Country Today )紙のラウスへのインタビュー記事(英語)2010年12月16日編集・2010年12月25日閲覧
  6. ^ アブレズク上院議員は、連邦議会史上初のアラブ系アメリカ人の上院議員である。
  7. ^ Preston, Roll Call July 28, 2004 as reported in The Frontrunner July 28, 2004 "SD: Top Aide Oversees All Aspects Of Daschle Operation"
  8. ^ Boyer, Dave Daschle office receives anthrax: Aide opens letter; powder positive The Washington Times, October 16, 2001
  9. ^ Deutsche Presse-Agentur. "Over 20 Senate leader staffers test positive for anthrax." October 17, 2001
  10. ^ a b c d e f g h i Bacon, Perry Jr. The Outsider's Insider(ラウスなどオバマ選対(当時)の主要メンバーについて紹介する「ワシントン・ポスト」紙の記事) Washington Post, August 27, 2007
  11. ^ a b Interview: Pete Rouse PBS Frontline, October 14, 2008
  12. ^ クリントンが取り入れた指針の概要は、「たとえ自分が大物(元ファーストレディ)であっても、(自分は上院議員としては新人なのだから)同僚の上院議員は敬意を持って接すること。」「有権者に対して常に自分の存在を意識させ、忘れさせてはならない。」「同僚たち、特に対立政党(彼女の場合は共和党)のメンバーとの関係を構築すること。」の3点である。(脚注10の資料より参照)
  13. ^ コバーン議員は共和党内でも最も保守色の強い議員とされ、オバマのようなリベラル派とは全く正反対・対極をなす立場である。
  14. ^ この法案では、下院で既に成立していた下院政治倫理改革法案をベースに、上院議員がロビイストから贈り物や食事、旅行の提供を受けることが禁止されたほか、移動の際にビジネスジェットを通常よりも安い価格で借りることを禁止する、などの内容が盛り込まれた。
  15. ^ a b 上院政治倫理改革法案の成立を報じるニューヨーク・タイムズ紙の記事(英語)2007年1月19日編集・2010年12月26日閲覧
  16. ^ 特に2007年1月という時期は、非常に微妙な時期であった。というのもこの時期は、2006年の中間選挙で民主党は共和党から上院での過半数を奪還し、リード院内総務をリーダーとする新しい指導部体制が出来上がったばかりであった。従ってこの時期に、特にリード院内総務自らが提出した法案に対して身内であるオバマが反対票を投じることは、院内総務に就任したばかりのリードの権威を失墜させ、上院で過半数を奪還して勢いづく上院民主党(特に指導部)の勢いを弱めることに繋がりかねないリスクをはらんでいた。

外部リンク

公職
先代
ラーム・エマニュエル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国大統領首席補佐官
第24代:2010年 - 2011年
次代
ウィリアム・デイリー英語版