「モルドバ共和国共産党」の版間の差分
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'''モルドバ共和国共産党'''(モルドバきょうわこくきょうさんとう、{{lang-en-short|Party of Communists of the Republic of Moldova}}、略称:PCRM、[[モルドバ語]]: {{lang|ro|Partidul Comuniştilor din Republica Moldova}}、{{lang-ru|Партия коммунистов Республики Молдова}})は、[[ウラジーミル・ヴォローニン]]率いる[[モルドバ]]の[[共産主義]][[政党]]。旧[[ソビエト連邦|ソ連]]の構成国で[[ソ連崩壊|同国崩壊]]後に最初に本格的な[[与党]]となった共産主義政党でもある<ref>[[ロシア連邦共産党]](CPRF)が[[1990年代]]に[[ドゥーマ|ロシア下院]]選挙で2度過半数を獲って同党は一時的に連立与党だったが、[[ユーリ・マスリュコフ]]が入閣したのみでモルドバのような大統領職と首相職は得られなかった。[[2007年]]に[[ウクライナ共産党]]も連立与党となる。</ref>。[[欧州左翼党]]に加盟。 |
'''モルドバ共和国共産党'''(モルドバきょうわこくきょうさんとう、{{lang-en-short|Party of Communists of the Republic of Moldova}}、略称:PCRM、[[モルドバ語]]: {{lang|ro|Partidul Comuniştilor din Republica Moldova}}、{{lang-ru|Партия коммунистов Республики Молдова}})は、[[ウラジーミル・ヴォローニン]]率いる[[モルドバ]]の[[共産主義]][[政党]]。旧[[ソビエト連邦|ソ連]]の構成国で[[ソビエト連邦の崩壊|同国崩壊]]後に最初に本格的な[[与党]]となった共産主義政党でもある<ref>[[ロシア連邦共産党]](CPRF)が[[1990年代]]に[[ドゥーマ|ロシア下院]]選挙で2度過半数を獲って同党は一時的に連立与党だったが、[[ユーリ・マスリュコフ]]が入閣したのみでモルドバのような大統領職と首相職は得られなかった。[[2007年]]に[[ウクライナ共産党]]も連立与党となる。</ref>。[[欧州左翼党]]に加盟。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
2020年12月26日 (土) 00:33時点における版
モルドバの政党 モルドバ共和国共産党 Partidul Comuniștilor din Republica Moldova Партия коммунистов Республики Молдова | |
---|---|
総裁 | ウラジーミル・ヴォローニン |
議員団代表 | Violeta Ivanov |
創立 | 1993年10月22日 |
本部所在地 | キシナウ |
党員・党友数 | 40,000[1](2014) |
政治的思想 |
共産主義 マルクス・レーニン主義 民主社会主義[1] |
政治的立場 | 左翼 |
欧州連携 | 欧州左翼党 |
大陸連携 | 共産党連合=ソビエト連邦共産党 |
公式カラー | 赤 |
議会 |
7 / 101 |
県知事 |
1 / 32 |
公式サイト | |
pcrm.md | |
モルドバの政治 モルドバの政党一覧 モルドバの選挙 |
モルドバ共和国共産党(モルドバきょうわこくきょうさんとう、英: Party of Communists of the Republic of Moldova、略称:PCRM、モルドバ語: Partidul Comuniştilor din Republica Moldova、ロシア語: Партия коммунистов Республики Молдова)は、ウラジーミル・ヴォローニン率いるモルドバの共産主義政党。旧ソ連の構成国で同国崩壊後に最初に本格的な与党となった共産主義政党でもある[2]。欧州左翼党に加盟。
歴史
1994年結党。1996年の大統領選挙に際しヴォローニンを統一候補として擁立するも得票率は10.3%、3位に終わる。同選挙の第2回投票ではペトル・ルチンスキーを支持し勝利、与党として2名が閣僚入りする。
1998年議会選挙
「社会主義社会の再生」を掲げて戦った1998年の議会選挙では、得票率が30.1%となり40議席を獲得、議会第1党となる。しかし国民からの強い支持を受けながらも、中道右派の民主主義と改革同盟が連立与党となったため野党に留まった。翌年末にはルチンスキーがヴォローニンを大統領に指名したが、議会の支持を受けられず失敗に終わる。続く2001年2月の議会選挙において、得票率が49.9%と躍進し101議席中71議席を得る[3]。
2001年議会選挙
議会で圧倒的多数となったのを背景に、2001年4月ヴォローニンが大統領に選出される。また、憲法裁判所の決定で大統領の政党党首の兼任が可能となったため、ヴォローニンが党首に再任された[3]。
2005年議会選挙
2005年の議会選挙でも与党として勝利を収め、ヴォローニンが引き続き大統領に留まったほか、ジナイダ・グレチャヌイが首相に就任、マリアン・ルプがモルドバ議会議長となった。ヴォローニン政権では国営企業の民営化が行われ、欧州連合加盟への動きが本格化した。
2009年議会選挙
2009年4月の議会選挙及び暴動以後、国内情勢は一気に緊迫化する[4]。議会解散に伴い7月に急遽選挙が行われることとなったため、新大統領の選出が困難となったのである。混迷の最中実施した7月の選挙では、45.07%と得票率が後退したのを尻目に、自由民主党、自由党、民主党、我がモルドバ同盟党の4党から成る欧州統合同盟が躍進、連立政権を樹立したため野党となった。ルプやイゴル・ドドンなど多くの党員も離党した。
イデオロギー
2008年に採択した党則によると、第1条でモルドバ共和国共産党を「思想及び伝統の観点から(ソビエト)モルドバ共産党の合法的な後継政党」と位置づけている一方で、実際の政策との整合性について議論が続いている。エコノミストに至っては党名こそ「共産主義」を掲げているが実態は中道右派政党と見なす程である[5]。2011年には、「真の共産党」を標榜してモルドバ共産党が結党された。
選挙公約
近年では国家の目標として次の4つを掲げている。
- 新たな生活の質
- 経済の近代化
- 欧州統合
- 社会の団結
選挙結果
議会選挙
選挙年 | 得票数 | % | 当選者 | +/– |
---|---|---|---|---|
1998年 | 487,002 | 30.01 | 40 / 101 |
|
2001年 | 794,808 | 50.07 | 71 / 101 |
31 |
2005年 | 716,336 | 45.98 | 56 / 101 |
15 |
2009年4月 | 760,551 | 49.48 | 60 / 101 |
4 |
2009年7月 | 706,732 | 44.69 | 48 / 101 |
12 |
2010年 | 677,069 | 39.34 | 42 / 101 |
6 |
2014年 | 279,372 | 17.48 | 21 / 101 |
21 |
脚注
- ^ a b “Partidul Comuniştilor din Republica Moldova (PCRM)”. 30 November 2014閲覧。
- ^ ロシア連邦共産党(CPRF)が1990年代にロシア下院選挙で2度過半数を獲って同党は一時的に連立与党だったが、ユーリ・マスリュコフが入閣したのみでモルドバのような大統領職と首相職は得られなかった。2007年にウクライナ共産党も連立与党となる。
- ^ a b Political Parties of the World (6th edition, 2005), ed. Bogdan Szajkowski, page 414.
- ^ The New York Times, A Polarized Moldova Votes, Mindful of West and Russia, July 29, 2009
- ^ Protests in Moldova and Georgia: Street scenes, The Economist, April 16, 2009