「ユーラシア主義」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
4行目: | 4行目: | ||
「非[[欧州]]」と「[[ロシア正教会]]」を主軸としたロシア文明の再構築を構想しつつ、ロシア革命・ボリシェビキ政権(ソビエト政権)を、そこに至る必要な一過程として、肯定的に捉える。代表的人物として、[[ニコライ・トルベツコイ]]等がいる。 |
「非[[欧州]]」と「[[ロシア正教会]]」を主軸としたロシア文明の再構築を構想しつつ、ロシア革命・ボリシェビキ政権(ソビエト政権)を、そこに至る必要な一過程として、肯定的に捉える。代表的人物として、[[ニコライ・トルベツコイ]]等がいる。 |
||
[[ソ連崩壊]]後の[[1990年代]]には、[[レフ・グミリョフ]](Lev Gumilev<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20180929112824/https://foreignpolicyblogs.com/2018/09/28/post-soviet-neo-eurasianism-the-putin-system-and-the-contemporary-european-extreme-right/|title = Post-Soviet Neo-Eurasianism, the Putin System, and the Contemporary European Extreme Right |publisher = foreignpolicyblogs.com |date = 2018-09-28 |accessdate = 2019-05-08}}</ref>)らの影響のもとに、これを継承する[[ネオ・ユーラシア主義]](Neo-Eurasianism<ref>{{Cite web |url = http://web.archive.org/web/20190423021738/https://stanfordpolitics.org/2017/02/02/eurasianism-new-fascism/|title = Eurasianism is the New Fascism |publisher = stanfordpolitics.org |date = |accessdate = 2019-05-11}}</ref>)が誕生し、ロシアは西欧よりもアジアに近いユーラシア国家だという主張を展開した。これに対しては、ロシアは[[テュルク]]や[[モンゴル]]よりも[[ビザンチン帝国]]に近いという「[[ビザンチン主義]]」も主張されている。 |
[[ソビエト連邦の崩壊]]後の[[1990年代]]には、[[レフ・グミリョフ]](Lev Gumilev<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20180929112824/https://foreignpolicyblogs.com/2018/09/28/post-soviet-neo-eurasianism-the-putin-system-and-the-contemporary-european-extreme-right/|title = Post-Soviet Neo-Eurasianism, the Putin System, and the Contemporary European Extreme Right |publisher = foreignpolicyblogs.com |date = 2018-09-28 |accessdate = 2019-05-08}}</ref>)らの影響のもとに、これを継承する[[ネオ・ユーラシア主義]](Neo-Eurasianism<ref>{{Cite web |url = http://web.archive.org/web/20190423021738/https://stanfordpolitics.org/2017/02/02/eurasianism-new-fascism/|title = Eurasianism is the New Fascism |publisher = stanfordpolitics.org |date = |accessdate = 2019-05-11}}</ref>)が誕生し、ロシアは西欧よりもアジアに近いユーラシア国家だという主張を展開した。これに対しては、ロシアは[[テュルク]]や[[モンゴル]]よりも[[ビザンチン帝国]]に近いという「[[ビザンチン主義]]」も主張されている。 |
||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2020年12月26日 (土) 00:32時点における版
ユーラシア主義(Eurasianismus)とは、ロシア革命・ボリシェビキ政権に対する反応の1つとして、1920年代に白系ロシア人(非ソビエト系亡命ロシア人)の間で流行した民族主義的思想潮流。
「非欧州」と「ロシア正教会」を主軸としたロシア文明の再構築を構想しつつ、ロシア革命・ボリシェビキ政権(ソビエト政権)を、そこに至る必要な一過程として、肯定的に捉える。代表的人物として、ニコライ・トルベツコイ等がいる。
ソビエト連邦の崩壊後の1990年代には、レフ・グミリョフ(Lev Gumilev[1])らの影響のもとに、これを継承するネオ・ユーラシア主義(Neo-Eurasianism[2])が誕生し、ロシアは西欧よりもアジアに近いユーラシア国家だという主張を展開した。これに対しては、ロシアはテュルクやモンゴルよりもビザンチン帝国に近いという「ビザンチン主義」も主張されている。
関連項目
脚注
- ^ “Post-Soviet Neo-Eurasianism, the Putin System, and the Contemporary European Extreme Right”. foreignpolicyblogs.com (2018年9月28日). 2019年5月8日閲覧。
- ^ “Eurasianism is the New Fascism”. stanfordpolitics.org. 2019年5月11日閲覧。