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== 年表 ==
== 年表 ==
* 1971年(昭和46年)[[東京外国語大学]]ロシア語科を卒業と同時に[[毎日新聞社]]入社。青森支局、東京本社社会部、外信部に勤務。
* 1971年(昭和46年)[[東京外国語大学]]ロシア語科を卒業と同時に[[毎日新聞社]]入社。青森支局、東京本社社会部、外信部に勤務。
* 1991年から[[モスクワ]]特派員、[[ソ連崩壊]]、新生ロシア誕生の歴史的ドラマを取材、1995年に[[モスクワ]]支局長として6年間、[[モスクワ]]で勤務。
* 1991年から[[モスクワ]]特派員、[[ソビエト邦の崩壊]]、新生ロシア誕生の歴史的ドラマを取材、1995年に[[モスクワ]]支局長として6年間、[[モスクワ]]で勤務。
* 1997年に帰国、東京本社編集局編集委員、外信部編集委員を務め、紙面審査委員長に。この間、[[旧ソ連]]・[[東欧]]のトピックスを国際面のコラムに掲載した。
* 1997年に帰国、東京本社編集局編集委員、外信部編集委員を務め、紙面審査委員長に。この間、[[旧ソ連]]・[[東欧]]のトピックスを国際面のコラムに掲載した。
* 2008年に定年退職し、現在は[[東京外国語大学]]外国語学部で「世界のマスメディアと報道」、[[上智大学]]文学部で「国際時事」の講義を[[非常勤講師]]で担当。また[[日本財団]]の広報担当として、ソーシャルイノベーションに関わる活動を取材している。所属団体は[[日本マス・コミュニケーション学会]]、ロシア・東欧学会、日本国際政治学会。[[日本記者クラブ]]会員。
* 2008年に定年退職し、現在は[[東京外国語大学]]外国語学部で「世界のマスメディアと報道」、[[上智大学]]文学部で「国際時事」の講義を[[非常勤講師]]で担当。また[[日本財団]]の広報担当として、ソーシャルイノベーションに関わる活動を取材している。所属団体は[[日本マス・コミュニケーション学会]]、ロシア・東欧学会、日本国際政治学会。[[日本記者クラブ]]会員。

2020年12月26日 (土) 00:32時点における版

飯島一孝
生誕 飯島一孝(いいじま かずたか)
1948年 
日本の旗 長野県 長野市
教育 東京外国語大学ロシア語科卒業
職業 ジャーナリスト、ロシア東欧評論家
代表経歴 『新生ロシアの素顔』(1997年)
『六本木の赤ひげ』(2003年)
『ロシアのマスメディアと権力』(2008年)
肩書き ジャーナリスト
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飯島 一孝(いいじま かずたか、1948年 - )は日本のジャーナリスト外交評論家、元日本財団職員、元毎日新聞モスクワ支局長。

旧ソ連東欧政治経済社会を研究。

長野県長野市出身。

年表

著作

単著

共著

  • 『青春の小原台―防大1期の30年』(毎日新聞社、1986年)(ISBN 4620305219)
  • 『「毎日」の3世紀(下巻)』(毎日新聞社、2002年)<このうち「第8章、昭和から平成へ」の中の「冷戦終結とソ連崩壊」の項を執筆>

論文

  • 『消費ブームのモスクワを行く』(エコノミスト誌、2005年10月18日号)
  • 『ロシア経済底入れ?』(エコノミスト誌、2009年11月10日号)

関連項目

外部リンク